髪の長い友達
ふと、ここでだれかと約束を交わしたことを思い出した。
いつだったっけ。だれと、なにを約束したんだっけ。
大切な約束だった気がするのに思い出せない。
夕空に鴉が飛ぶ。
境内の植林が風に揺られる。
公園が併設された、こじんまりとしたお寺。
お寺と言っても小さな祠と鳥居があるだけ。お堂は戦時中に焼けて以来、再建されていない。なので実際のところは“公園の中にかつてお寺だった名残が残っている”程度のお寺率なんだけど、大人達がここをお寺と言うので私達もお寺と言っている。
お寺の公園側、ブランコに並んで配置されているベンチに私は座っている。
ぼーっとしていたら、ふと約束を交わしたことを思い出したのだ。
いつ、だれと、なにを約束したんだっけ。
「待った?」
物思いに耽っていたせいで、彼女が来たことに気が付かなかった。
髪の長い友達。ショートカットの私は、いつ見ても彼女の髪が羨ましい。
「ううん、平気。行こっか」
「うん」
私はベンチから立ち上がって、彼女と並んで歩き始める。昔は手を繋いでいたけど、さすがにこの歳で手を繋ぐのはなんとなく照れくさい。
私は彼女と毎日のようにここで待ち合わせして、途中まで一緒に帰っている。たまに部活の都合などで一緒に帰れないと彼女は不機嫌になる。
「今日はどうしたの?」
「ちょっと食べ過ぎちゃって」
「買い食い?」
「買い食いってわけじゃないんだけど……美味しくて、つい時間を忘れちゃった」
「何を食べたの?」
「えーと、お肉」
「お肉好きだもんねー」
「君は、まだお肉嫌い?」
「嫌いじゃないです、苦手なだけです」
お肉が食べられないわけじゃない。焼いた肉は平気だ。でも、生の肉や魚は苦手。赤身の見た目が苦手なのだ。血を連想してしまう色合いは、どうしても食指が進まない。見ているだけで吐き気がしてくるくらい。
私は今日学校であった出来事を彼女に報告した。彼女は長い髪を揺らして、嬉しそうにそれを聞いてくれる。私が話し役で彼女が聞き役と言うか、彼女が私の話を聞き出したがるというか、そんな関係。
住宅街の狭い通学路の上に私達の影が伸びる。
私の影は友達の大きな影に呑まれている。
「ところで昔、なにか約束しなかったっけ?」
と私は、さっき思い出したことを彼女に聞いてみることにした。
長い髪を蠢かして、彼女は聞き返してきた。
「約束って?」
「よく思い出せないんだけど、なにか大事な約束をしたような気がするんだよねー」
「思い出せないことを思い出さないほうがいいんじゃない?」
「それって薄情じゃない?」
「思い出さないほうがいいこともあるんだよ、この世には」
「もやもやする。もうちょっと、もうちょっとで出そうなのに!」
「思い出しちゃ駄目だよ」
「あ」
思い出しちゃ駄目だよ。
彼女のその言葉、昔、聞いたことがある。
いつだったっけ。そうだ、小さい頃。彼女と約束を交わしたんだ。
長い髪で私を撫でながら、彼女は言ったんだ。
――思い出しちゃ駄目だよ。
断片的に記憶が甦り始める。
「あ、あ?」
四つの目。耳まで裂けた口から長く伸びた舌。鎌のように鋭く歪な爪。暖かい返り血。友達の肉片。骨を噛み砕きながら、彼女は言った――思い出しちゃ駄目だよ。
大事な、大事な約束。破ったら――破ったら――
「あ、あ、ああ――」
「思い出しちゃ駄目なことを思い出したら、駄目だよ、駄目になっちゃうよ」
彼女は長い髪を私の皮膚の上に這わせながら言った。
私は彼女の顔を直視出来ない。
見ているはずなのに見えない。彼女の顔、見たことない。
脳が認識することを拒絶している。見てはいけないものを見まいとしている。
でも鍵が開いて封が破られ線が繋がって、そして今。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます