第2話
夜が明け、俺は部屋を出て、リビングに向かう。
いつもご飯を食べていた机には、薄緑で枠組みされた紙に、父の名前とハンコが押してあった。
お、おいなんだよこれ。ふざけんじゃねぇよ。
この時、俺の堪忍袋の緒は完全にぶっちぎれた。
ただでさえ、遊び癖のある父のせいで、俺も母も妹も振り回されていたのに。
都合が悪くなるとこうやって離婚届を出してくる。
出しても、母が決して印を押さないことを知っていて。
要するに脅しているのだ。俺は離婚してもいいぞと。
母は、働いていないため離婚に踏み込むことが出来ないでいた。
もう我慢ならない。誰のせいでみんな参ってると思ってるんだ?
俺は、彼女が欲しいなんてどうでもいいことを言うことすら憚られる状況になった。
自分の夢を追いかけることすら憚られる状況になった。
詩乃は、みんなで旅行に行きたいということすら憚られる状況になった。
自分の本当の気持ちを言うことすら憚られる状況になった。
もう何をしたって変わりはしないが…。
気づけば10分ほど経っていた。
妹がなかなか起きてこないのが気がかりだが、もう家を出ないと間に合わないので急いで家を出た。
静まり返った街で一人学校に向かう。
俺の家は学校から遠く、電車で行かなければならない。
そのため、起きる時間も早くなり、登校するのは決まって一人、のはずだったのだが。
今日は珍しく、駅のホームに制服姿の女の子が居た。
居たと言っても、知り合いでもなければ、わざわざ話しかける道理もないので、一人ヘッドホンを着けて、小説を読み耽る。
なんにもない町に、なんにもない自分。
どうでもいい制服に、どうでもいい思考。
でも、それが、なんだか俺には、とても貴重に感じた。
学校に着くと、彼女は、俺の隣の教室に向かった。
「ねぇ、え~っと何くんだっけ?」
俺がまっすぐ自分の教室に向かう途中で、名前も知らない彼女に名前を聞かれた。
「あ、ぼ、僕じゃなくて、俺か?」
「うん」
元気よく返事をしたその顔は、とても晴れかで、どこか申し訳なさそうだった。
「そ、奏。八坂 奏。」
「奏くんね。うん、覚えた。」
「昨日はごめんね~。」
そういうと彼女は、女性らしい流麗な手を合わせて、上目遣いでこちらを見てきた。
「あ、あのなんで謝るの?」
かわいい、かわいいから、その上目遣い辞めてね?
うっかり惚れちゃう。
「だって昨日ぶつかっちゃったから…。」
なんだ、そういう事か。何も気にしていないどころか、顔すら覚えていなかったため、そう言われてやっと気づいた。
「私の名前は、北野 六花。呼び方はなんでもいいよ~。じゃ、また放課後ね~。」
それだけ言うと、彼女は足早に教室に向かった。
相変わらず、慌ただしい。
名前を聞いて、気づいたが、彼女、北野六花は陸上部のエースで容姿端麗。おまけに生徒会という、いかにもな、正ヒロイン。
まぁなんにせよ、俺のヒロインではない。
誠に残念だ。
本日ラストの退屈な数学の授業が終わり、待ちに待っ、ちょっとだけ待った、北野と約束した、放課後。
俺は、教室を出て、どこで会うのか決めていなかったことに気づく。
まぁ、あんなのは社交辞令だよな。と、自惚れてる自分を叩き、まっすぐ下駄箱に向かう。
夕日が沈み、紫がかった空が見え始める頃、
彼女が来るのを今か今かと待っていたが、呼び止められることを期待した肩に、触れられることはなかった。
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