第44話 帝国議会 3

 ティナのカイザーブルク襲撃事件から三日後、皇妃ラミリアの発案で急遽、臨時帝国議会が開かれることになった。

 俺たち帝国諸侯は、無事だった大会議室ゼウスの間で、テーブルを囲んでいる。

 

 この議会には帝国諸侯や皇族しか出席できないため、俺もルイーゼも今日はここに一人でいる。いつも大事な場面ではだれか味方がいてくれたが、一人だと心細い。

 

 あの事件で、多くの貴族が負傷したせいか、出席している貴族はまばらだ。幸いなことに四大公爵たちは無事であったために帝国議会の進行に影響はない。

 

 影響はないが、会議は最初から険悪な雰囲気に包まれていた。帝国議会の議長を務めるべき皇帝がなかなか現れないからだ。

 

 貴族たちは襲撃事件があってからというものピリピリとしている。ほとんどのものが、帝国議会などに参加せずに領地に帰りたい。

 

 帝国諸侯たちは帝国全体のことよりも自分の領地のほうが心配だ。

 皇帝の権力の象徴たるカイザーブルク半壊は、かろうじて保たれていた皇帝の威光を完全に破壊した。さらに事件が、近隣諸国に知れ渡るのも時間の問題。そうなれば、必ず近隣諸国も動いてくる。

 

 特にいら立っているのがベルクヴェルグ公爵だ。四大公爵という立場ゆえに多少は自重しているが、今にも帰りそうな勢いだ。


「皇帝陛下はどこで油を売っている。わざわざ呼びつけておいて、いつまで待たせる気だ」

「今しばらくお待ちを」

 

 顔を紅潮させ、唾を飛ばしながら怒鳴るベルクヴェルグ公爵を帝国宰相アルベリッヒ公爵が必死に抑える。

 

 あの人も運がない人だ。帝国宰相でなければ、西部の領地で気楽にやっていただろうに。まあ、ほかの四大公爵が帝国宰相をやっていたら、とっくに職務を放棄するか、自分のいいように帝国を壟断するだろう。アルベリッヒ公爵は少々まじめすぎる。


「そう怒るな。ベルクヴェルグ公。みっともなくて見てられん」


 尊大な態度で席に着く、若き女公爵ルイーゼが冷ややかな目で、ベルクヴェルグ公爵を見る。


「貴様。誰に向かってかような口をきいている。公爵になったばかりの北部の小娘風情が。誰が、この帝国と皇帝を支えてきてやったと思っている!」

「私腹を肥やしてきたの間違いだろう。皇帝陛下に叛意があるような口ぶりだ」

「ほう、よく言うわ。叛意があるのは、貴様のほうだろう。小娘。なぜ事前に敵の襲撃を察知しながら、黙っていた。貴様のほうにこそ何か、よからぬたくらみがあるのではないか」


「下衆(げす)の勘繰りというものだ。直前に情報を察知したというだけの話。少なくとも戦いもせずに尻を出して泣いていたどこぞの大貴族よりはよほど忠義を示したと思うがな」

「ルテニアの落胤が、言わせておけば図に乗りおって、目にもの見せてくれるわ」

「お気をお沈めください。ベルクヴェルグ公!」

 

 出っ張った腹を揺らし、暴れ、机に乗り上げてルイーゼにつかみかかろうとするベルクヴェルグ公爵を南部の諸侯たちが必死に抑える。

 まったく南の英雄が哀れなものだ。年を取って耄碌したのか。帝国で一番の実力者があれではもはや帝国に未来はない。


「静まりなさい。ベルクヴェルグ公爵。ここは神聖な帝国議会の場ですよ」


 ゆったりとした足取りで一人の女が現れ、皇帝の座るべき玉座にだらりと腰を掛ける。


 毒々しい紫色の髪にうつろなアメジストの瞳、なまめかしくも病的に真っ白な肢体。はちきれんばかりの胸を見せつけるかのような露出の激しい暗い色のドレスを着ている。


 この女こそ皇帝の寵愛する妃ラミリアだ。


 カタコンベで戦った時はもっと活力に満ちていたようなきがするが、今はこちらの生気が吸い取られてしまいそうな退廃的な雰囲気だ。


 正直、目のやり場に困る。神聖な場と言っていながら自分が一番ふさわしくない。おまけにきつい香水が混ざったかのような甘いにおいが鼻につく。


「ふん。それでその神聖な皇帝陛下はどこにいる」

「ヘルマン陛下はこの議会には出席しません」

「なんだと」

 

 一度は落ち着いたベルクヴェルグ公爵の額に太い血管が浮き出る。


「陛下はいらっしゃらないと言っているのです。かわりに私が議長を務めます」

「貴様のような淫売に話が通じるものか」

「ベルクヴェルグ公、さすがにそれは聞き逃せませんぞ」


 アルベリッヒ公が怒りをあらわにする。

 一方、ラミリアの実父のマールシュトローム公爵は何も言わず顔をしかめて座ったままだ。


「構いません。アルベリッヒ公、始めなさい」

「はっ。皇帝陛下より、皇帝直轄領アヴァルケン半島の反乱軍の討伐の勅命が下りました。帝国諸侯は各クライスの公爵のもとに軍を参集し、直ちに反乱を鎮圧するようにと」


 帝国は有事の際、国を帝国クライスと呼ばれる五つの行政単位に分け、中央部を皇帝が、東部をマールシュトローム公爵が、西部をアルベリッヒ公爵が、南部をベルクヴェルグ公爵が、北部をフレイヘルム公爵がそれぞれを取りまとめることになっている。


 各帝国諸侯は、自分の領地が所属する帝国クライスの区分けに従い外部の脅威に対抗する。俺たちクラウゼ家ならば、フレイヘルム公爵が指揮を執る北部連合軍に参加するわけだ。


「ふん、そんなことだろうと思ったわ。ようはわしらに金と兵を出させようというのだろう。わしは一銭たりとも一兵たりとも余裕はないぞ」


 ベルクヴェルグ公爵は皇帝の勅命を鼻で笑う。


「そこを曲げて頼みたい。ベルクヴェルグ公の力がなければ、反乱軍には太刀打ちできない」

「敵はもはや反乱軍というに大きすぎるからな。早めに対処しなかったつけだ。だが、その反乱軍は東方の国々とも戦っているのだろう。マールシュトローム公だけで十分に対処できるはずだ」


 大陸中央部に位置する帝国は常に四面楚歌の状態だ。余裕にふるまうベルクヴェルグ公爵だって南で急速に勢力を広げる新興宗教サルバシオン教に悩まされている。

 誰もが兵を出したくないことはアルベリッヒ公爵もわかっている。それでも彼は主張を続けた。


「正統なエルトリア皇帝を僭称するティナ・レア・シルウィアとはいずれ必ず戦うことになる。敵が東方に敵を抱える今だからこそ叩くべきだ。カイザーブルクを襲撃されて黙っていては帝国の威信に傷がつく」

「随分と従順なことだ。気高き風の王は帝国の威信とやらがよほど大事らしい」


 四大公爵家のうちアルベリッヒ家だけは公爵になった経緯が異なる。ほかの三家は初代皇帝の兄弟が建てた分家だが、アルベリッヒ家はもともと風の王と呼ばれた独立国家の王だった。のちに皇帝に臣従し、帝国の一員になるかわりに公爵位を得た。その点でルテニアに似ているといえる。 


 もう二百年も前の話だが、ベルクヴェルグ公爵はいまだにアルベリッヒ家を帝国の一員としては認めていないらしい。もっともアルベリッヒ家の治める帝国西部は昔から独立心が旺盛だ。ひたすら帝国のために働くアルベリッヒ公が特異な存在なので無理もない。


「そこまで言うなら、アルベリッヒ公自ら軍を率いればいい。もしくはそこの小娘か」


 ベルクヴェルグ公はルイーゼを憎たらしそうに睨みつける。


「言い忘れていたが、先日、ルテニアとスカンザールから連名で宣戦布告の使者が来た。北部は総力を挙げてこれに対処するつもりだ。むろん一兵の余裕もない」


 ルイーゼの突然の発言に会場内がざわつく。俺たち北部諸侯は聞かされていたが、ほかの諸侯たちはまだ知らなかったようだ。


「なっ。ルテニアとスカンザールが、ならば先にそちらに対処しなくては……」

「捨ておきなさい」


 焦燥の色を深めるアルベリッヒ公爵に静観していたラミリアが口を開く。


「ルテニアとスカンザールの使者は皇帝陛下のもとには来ていません。つまり、これはフレイヘルム家と北部諸侯が解決すべき問題ということ。私たちは皇帝陛下の勅命に従いこのままアヴァルケン半島を奪還します。異存ありませんね」


 無茶苦茶な論法だ。

 帝国は北部を助けてはくれないのか。八年戦争のときの恩はきれいさっぱりなしか。クラウゼ家が没落するまで帝国のために戦ったというに。これではもはや北部が帝国にいる意味がない。


「ああ、もとよりそのつもりだ」

「威勢のいいことだ」


 ルイーゼは平然としており、ベルクヴェルグ公爵はそれを嘲笑している。


「ならば、私がフレイヘルム公に加勢いたしましょう」

「なりません。アルベリッヒ公は西の龍の民に備える必要があります」

「ですが」

「これは皇帝陛下のお考えです」


 ラミリアはその生気を失った目で有無を言わさない。


「マールシュトローム公には軍を率いて、アヴァルケン半島を開放してもらいます。皇帝陛下の軍もお貸ししましょう」

「承知した」


 これまで押し黙ったままだったマールシュトローム公爵が一言だけ口にした。

 不気味な奴だ。ティナ率いるマギアマキナの軍勢を正面から相手にしなければならないということをわかっているのか。それとも娘を操り、自分の思い通りに事を運んでいるのか。


 あまりの覇気のなさに、そうは思えないが、もしすべてマールシュトローム公爵のシナリオ通りなら相当したたかな人物だ。


「お待ちいただきたい」


 両開きの大扉が勢いよく開け放たれ、金髪の青年が入ってくる。

 あれは皇帝ヘルマンの弟ルークだ。舞踏会にも姿を現していなかったが、帝国議会に遅れてやってくるとはずいぶんと舐めたやつだ。


「まず大事な帝国議会に遅れたことを詫びたい」


 ルークは手を前に出し大げさにお辞儀をして見せる。顔はいいが胡散臭い。議会の途中にずけずけと入ってくるなど、あからさまな皇帝への侮辱だ。


「非礼を承知の上で申し上げる。皇帝陛下の軍の指揮をこの私、ルーク・フォン・シュタウフェンにお任せいただきたい」


 再び会場内がざわつく。なんて面の皮が厚いんだ。大事な議会に突然入ってきたあげく、軍の指揮権を寄越せだと。大体、皇帝と帝位継承を争ったルークに皇帝が自分の兵を貸し与えるわけがない。敵に塩を送る様なものだ。


「いいでしょう。ルーク・フォン・シュタウフェン。エルトリア帝国皇帝ヘルマンの名において、二十万の兵を与え、帝国元帥に任じます。マールシュトローム公爵と東部諸侯も軍に加え、反乱軍を鎮圧なさい」


 ラミリアは平然とした態度で、帝国軍の総司令官たる証、元帥杖を取り出す。


「御意のままに」


 ルークはひざまずいて、うやうやしく元帥杖を受け取った。

 馬鹿な。あのラミリアという女はなにを考えているんだ。貴族たちも動揺している。開いた口がふさがらない。声も出せないほどに驚愕している。


 見ろ。あのベルクヴェルグ公爵のにやけ顔をこれでは帝位を奪ってくださいというものだ。

 アルベリッヒ公など口をパクパクさせて、あっけにとられている。


 すでに四方を敵に囲まれているというのに、潜在的な皇帝の敵であるルークに兵を与えるなど言語道断。くすぶっていた火種を自ら煽り、炎上させる。まさに自殺行為だ。


「もう話すこともないでしょう。各々皇帝陛下のために存分に働きなさい」


 波乱の帝国議会は多くの謎を残したまま早々に終了した。

 これから先どうなるのか。考えることは山ほどあるが、今は目の前の敵に対処せねばならない。

 俺たち北部諸侯は、急いで北部に戻るためその日のうちに荷物をまとめて帝都を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る