第36話 炎雷の舞踏 1

 今宵、帝国の建国を祝う四年に一度の祭り、帝国起源祭の前夜祭が、帝都ヴァッサルガルトにある皇帝の居城カイザーブルクで開かれる。

 今年は新しい皇帝ヘルマンの即位を祝福するということもあって、かなりの盛大にやるようだ。

 急激に弱体化しつつある皇帝には、今回のような催しを開く余裕などないはずなのだが、民や帝国諸侯たちに今一度皇帝の威を知らしめるということで帝国宰相であるアルベリッヒ公爵は相当な気合の入れようらしい。

 もっとも肝心の皇帝とその皇妃が興味を持っているかはまた別の話だ。

 

 俺たちはというとルイーゼを帝都に迎え一安心、俺とフランツは一足先にカイザーブルクまで向かい、先にメイン会場であるアレスの間に来ていた。

 この前夜祭は貴族だけが参加を許されたものなので、クラウゼ家からの参加者は俺、アリス、フランツ、シャルロッテの四人だ。

 ペトラたちには悪いが屋敷で留守番をしてもらっている。

 

 カイザーブルクは外から見ても豪勢な白亜の巨城だが、内部はまた一段と豪華に装飾されている。

 煌々と光る装飾過多な魔法のシャンデリアに、それに照らされたステンドグラス。壁際には無数の高そうな調度品や神話や伝説の英雄や紙たちが描かれた絵画が飾られている。

 質実剛健のフレイヘルムの連中が見たら、卒倒しそうな無駄遣いのオンパレードだ。

 

 中でもとりわけ目を引くのは、あの黄金の大鏡だろう。銀翼騎士団の騎士たちはほかの調度品には目もくれず、あの大鏡だけを持っている。

 あれは帝国宝鏡。帝国宝器≪レガリア≫のひとつ。銀狼と金獅子の彫刻が施された黄金の鏡は、二千年以上前に作られたものだというのに、その眩い輝きは一切失われていない。

 一見するとただの鏡だが、ティナの持っていた帝国宝器と同じなら神器を超える力を持つはずだ。

 帝国宝器は皇帝の証。自らの正当性を主張し、帝国宝器を四つ所持しているティナが奪いに可能性も考えられる。


「考えすぎか……」


 ここは帝都のど真ん中カイザーブルク。もぐりこめたとしても、あの厳重な警備をかいくぐって奪取することは不可能だ。さすがに敵の本拠地ど真ん中で事を起こすことも考えにくい。

 

「もうしばらくですね」


 フランツが懐中時計で時間を確認する。

 

「そうか。おかしなところはないか?」

「とてもお似合いですよ。クルト様」


 フランツは微笑を浮かべる。


「フランツに言われると嫌味にしか聞こえないな」


 この日のために燕尾服を仕立てたのだが、息が詰まる。

 美形のフランツは様になっているが、なんだか俺はぱっとしない。

 今夜は舞踏会でもある。俺のぎこちないダンスがどこまで通用するか。憂鬱だ。当然ルイーゼの接待という大仕事も待ち受けている。


「にしてもそうそうたるメンツだな。マールシュトローム公爵にベルクヴェルグ公爵。まさに帝国の大貴族がそろい踏みだ」

「ここは一見和やかに見えて、権謀術数渦巻く魔窟ということですか」

「まったくだ。気が滅入るよ」

 

 帝国諸侯たちの中でも特に目を引くのは二人。

 

 一人目は皇妃ラミリアの父親で東を治めるマールシュトローム公爵。やせていて隈で黒ずんだ目は鋭く、表情も険しい。少数の従者を除いて取り巻きもおらず、他の貴族たちも近づこうとしない。不気味だ。カタコンベで見たラミリアといい何を考えているのか分かったものではない。


 二人目は帝国一の金持ちで南を治めるベルクヴェルグ公爵はマールシュトローム公爵とは対照的だ。よほどうまいものばかり食べているのか、でっぷりと太っていて脂ぎっている。周りにはベルクヴェルグ公爵に取り入ろうとする貴族どもがわんさかいて、ベルクヴェルグ公爵は息つく暇もなくしゃべりたおしている。

 奴は自分の娘を嫁がせていた第二皇子を帝位につかせようとしていた野心家だ。ルイーゼとアルベリッヒ公爵に阻止されたが、まだ、あきらめていないようだ。大声で皇帝の批判を言っている。野心を隠す気がない。


 大貴族にはルイーゼやティナまでとはいかないもののやはりなにがしかの風格がある。それにこの時代の公爵たちは幸か不幸か全員、皇帝より器量も実力もある。敵に回せば厄介な連中だ。

 

 ただのパーティだったらば、どれほどよかったか。うまい者でも食って踊ってで許されるのなら一晩中踊り倒してやったものを。


「お待たせ。クルト」

 

 アリスが遅れてやってきた。その晴れやかな姿に俺のどんよりとした気分が払底する。


「似合っているな」

 

 俺は桃色のドレスを着た愛らしいアリスの姿に心奪われる。


「そう? ありがとう」


 アリスもうれしそうにくるくると回る。

 カタコンベで出会ったアリスの初めての友達イーディスが姿を消してから沈んでしまっていたが、少しは元気を取り戻したようだ。

 残念ながら、イーディスの足取りを追ったが、手掛かりはつかめていない。


「ごきげんよう」


 疲れた顔をしたミーナも来た。老執事ヘルベルトも頭を下げる。いつものように眠たげなエイルもさすがに今日はぴしっとドレスを着こなしている。


「ありがとう。ミーナ。二人のドレスを用意してくれて。礼をさせてほしい。俺にできることなら何でも言ってくれ」


 ミーナにはアリスとシャルロッテのドレスの用意でかなり世話になった。帝国貴族の女性は豪華なドレスを着るのが常識なのだが、男性用の画一的な燕尾服よりもかなりデザインにこだわっており、値が張る。当然貧乏なクラウゼ家には金がない。

 そのことを聞きつけたミーナがドレスを貸すと提案してくれた。おかげさまでただで用意することができた。


「そうですわね。ならば、今度はあのメフィストの首魁と渡り合ったクラウゼ伯と決闘を」

「それは……」

「ふふ。冗談ですわ。クラウゼ家のみなさんには何かとお世話になっていますし、お気持ちだけで結構でしてよ」


 ミーナは俺をからかうように笑う。

 まったく心臓に悪い。ミーナが言うと冗談に聞こえない。


「二人ともよく似合っているでしょう。アリスは私のおさがりぴったりでした。シャルロッテは少々だらしのない体のせいで時間がかかってしまいましたが」


 シャルロッテの言葉に少し嫉妬心にも似た怒気がこもる。


「ないものねだりは良くありませんよ。お嬢様」

 

 エイルが主人をなだめる。


「……ところでシャルロッテはどこにいるんだ?」

「そういえば、さっきまでは一緒でしたのに、どちらへ行かれたのでしょう?」


 広い会場内を見渡すと、料理を運ぶ給仕たちにくっついて歩くドレス姿の御令嬢を発見する。シャルロッテだ。


「まずは魚介から攻めるべきね。最後にお肉。それにあのきれいなデザート。持って帰りたいわ」


 シャルロッテは次々と運ばれてくる料理のチェックにご執心だ。


「おいおい。勘弁してくれ」

「いいじゃない。あんなにあるんだし」

「まったく、あなたは。クルト様の帝国諸侯としてのメンツに泥を塗るつもりですか」

「ふん。クルトもフランツもけちね。ならいっぱい毒見させてもらうまでよ。全種類ね」


 最初は恥じらいを持っていたシャルロッテだが、最近では食い意地のほうが勝っている。躊躇というものがなくなりだした。


「ほどほどにしておけよ……」

 

 まあ、でもいいか。明日からは帝国起源祭が始まる。起源祭の始まりは戦争の始まりを意味するかもしれない。そうなれば今日は最後の晩餐だ。俺も存分に楽しむとしよう。

 

「クルト。誰か来た」

 

 俺の横に引っ付いていたアリスが俺を小突いてくる。


「お噂通り仲がよろしい」

 

 翡翠色の法服を来た初老の男性が話しかけてきた。気品にあふれ、物腰は柔らかそれでいて威厳に満ちている。

 

「お父様」

 

 ミーナがお辞儀をするとエイルとヘルベルトも深々と頭を下げる。

 お父様ということはこの男、アルベリッヒ公爵か。


「これはアルベリッヒ公」


 俺たちもすかさず頭を下げる。

 

 四大公爵の一人にして帝国宰相。西の森ヴィントヴァルトを守るアルベリッヒ家の当主。

 アルベリッヒ公は野心を持たずこの不安定な帝国を支える貴重な人だ。

  ただ少々古いところもある。例えばこの貴族限定の舞踏会。爵位は持っていないが莫大な富を持ち、この起源祭にも相当な資金を提供している大商人たちからは文句の嵐だったらしいが、アルベリッヒ公爵は貴族だけの参加にこだわった。

 その判断が正しいかどうかは別としてアルベリッヒ公爵は従来の封建主義的秩序を重要視しているのだろう。騎士道娘のミーナの父親らしいといえば父親らしい。


「頭をお上げなさい。その節はうちのおてんば娘がとんだ迷惑を」

「いえ。とんでもありません。フロイライン・ヴィルヘルミーナには私たちもお世話になっております」

「お若いのに感心だ。うちの娘にもフレイヘルム公やクラウゼ伯のような思慮深さが欠片でもあればどんなに良かったか」


 アルベリッヒ公はどこ吹く風のミーナをちらりと見る。年の離れた娘が心配なのだろう。


「私など民を思い、不正を嫌い、秩序を重んじるフロイライン・ヴィルヘルミーナには遠く及びませんよ。彼女ほど優秀で誠実な令嬢はいないでしょう。立派な貴族であることに疑いようはありません」


 ミーナはじゃじゃ馬娘かもしれないが、誠実で良識にあふれている。貴族としても友人としても愛すべき存在だ。


「クラウゼ伯……」


 ミーナが顔を赤らめる。

 いつもならここで当然ですわ! と高笑いするところだが、調子が狂うな。俺まで恥ずかしくなってきたじゃないか。


「なるほど、フレイヘルム公がなぜ君に興味を持ったのか。よくわかった。これからも娘のことをよろしく頼む。私は陛下をお迎えに上がらねば」


 そういうとアルベリッヒ公は去ってしまった。


「わ、わたくしもほかの方にあいさつしなくては。それではまた後程」


 ミーナも足早に去ってしまう。


「クルトの浮気者」


 アリスが俺の足をヒールで踏みつける。


「いたっ! ま、待ってくれ。誤解だ」

「よくあんなに堂々と」

「クルト様の胆力には時たま驚かされます」


 シャルロッテとフランツが溜息を吐く。


 確かに相手の軽い社交辞令に正直に言いすぎたかもしれない。貴族の会話のマナーはいまだにわからん。

 その後も続々と貴族たちが訪れ、俺は親交の深い北部諸侯へのあいさつ回りに奔走する。

 ちょうど終わったころを見計らったようにフレイヘルム家の面々が会場に現れる。


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