第34話 実験成功体

シャルロッテと交戦していたというローブの男の顔をミーナの執事、ヘルベルトが確認する。


「間違いありません。我らの密偵が、作った人相書きと同じ。メフィストの教祖です」


 ヘルベルトの言葉に俺は納得できない。

 一応リアにも確認してみたが、フレイヘルム家の密偵が集めた情報でも教祖は男だという。


「シャルロッテ。やつはどの程度の強さだった?」

「団長さんと二人がかりでやっと。本人は大したことなかったけど、骸骨龍には骨が折れたわ。結局まだ練習中だったけど、あの技、使っちゃった」


 シャルロッテが使ったというのは、フレイガルドの闘技場で神器が暴走した時の力をコントロールし、神装顕現するというものだ。

 どうやら成功したようだが、肉体的、精神的疲労は尋常ではない様子。疲れ知らずのシャルロッテが、巨斧ディオニュソスを杖にかろうじて立っている。

 

「シャルロッテ殿のおかげだ。俺だけでは無残に食い殺されていただろう。しかし、あの男のどこに無数の骸骨龍を召喚する魔力が」

「魔王の力ですわ。すでにメフィストは魔王の魂、アペイロン・コアの封印を解き、その力を手にしていたようですから」

 

 エイルの治療を受けて目を覚ましたシャルロッテが言う。

 フランツと二人で調査したところ、すでに誘拐された子供たちは犠牲となり、儀式も終わっていたという。

 しかし、教祖を倒してもアペイロン・コアらしきものは見つからない。


「その男は教祖であるのが間違いないとしたら、アペイロン・コアを持ち去った黒幕がいたということになりますね」


 フランツが言う。


「ああ、そしてそれは十中八九。あの仮面の女だろうな」

「同感ですわ」

 

 仮面の女は、ミーナ、フランツ、アリスを打ち倒し、俺やほかの面々と相対してなお、余力を十分に残しているふうだった。実力は相当なものだろう。そしてその力の源泉はおそらくあの目玉のついた不気味な魔導書と魔王の魂といわれるアペイロン・コアだ。

 

 そして、俺はこの目で奴の名を見た。ラミリア・フォン・マールシュトローム。皇妃その人だ。こんな大物がこのカタコンベにいて、途方もない力を使った。小規模なカルト集団にすぎなかったメフィストが、急成長したのもラミリアの支援あってのことだろう。


 しかし、この場で明言するのは避けた。ヒストリアイの力をばらしたくなかったし、皇妃が暗躍していたとなると皇帝の近衛である銀翼騎士団ももしかしたら一枚噛んでいる可能性があるからだ。

 

 アリスが俺の袖を引っ張る。


「クルト。この子」


 アリスが指さしたのは、ラミリアが連れてきたが、祭壇に置き去りされた子供だ。年はアリスと同じくらいの女の子。今はまだ眠っている。

 

 儀式は終わっていたはず、なぜこの子が祭壇に連れてこられたのだろうか。

 ヒストリアイを使って詳しく見てみる。


「まさか。アリスは離れろ」


 とっさにアリスに叫ぶ。

 

 この子には名前がない。いや、あるにはあったが、ヒストリアイが映し出したのは実験成功体000という番号だった。これは名前とは呼べない。

 ヒストリアイの仕様については未だに、よくわかっていないことが多いが、人名の表示に関してはおおよそ判明している。

 

 数か月前、子供が生まれたばかりの領民の家に祝いに行ったとき、ぜひ名前をつけてやってくださいと求められたことがあった。

 

 ヒストリアイでその子のステータスを確認すると、名前がついていない状態ではその欄は空白だった。

 俺が名前を提案して、両親も納得したところで、その欄に名前が浮かび上がった。誰かが名付けて、周りの人間が認識すれば、それが名前とされるのだろう。

  

 ラミリアに置いて行かれた子はどうやらかなり特殊な事情らしい。

 それに加えてこの子は既に人間をやめている。胸糞悪い話だが、ラミリアは孤児を死霊魔法の実験に使ったのだろう。ステータスの表示もいびつだ。子供にしてはかなり高い。


「大丈夫」


 アリスは優しげな表情でその子を介抱する。他人にあまり興味を示さないアリスにしては珍しい。


「その子を引き渡していただけますか。こちらで事情を聴かなければなりません」


 ミーナが言う。

 彼女たちは帝国宰相であるアルベリッヒ公爵の指示で調査している。この子もそこで保護してもらうのが筋だ。


「……だめ」

 

 アリスは頑として譲らない。


「すまないが、当家で預からせてもらえないか」

「何か理由でもございまして?」

「いや、同じ年くらいのアリスがいた方が、心を開いてくれるだろうと思ってな。怖い騎士ばかりの宮廷じゃ可哀そうだ。頼む」


 俺はミーナに頭を下げる。

 この子の正体を知っているのは俺だけ、もしかするとアリスも本能的に何か感じ取っているのかもしれない。

 もし不用意にラミリアのそばにこの子を置いておけば、決していい方向にはいかない。


「……わかりましたわ。では、お願いすることにいたします」

「よろしいのですか?」

 

 職務に忠実なヘルベルトが、ミーナに疑問を呈する。


「大丈夫ですわ。クラウゼ伯は信用できます」

「ああ、任せてくれ。何かわかれば真っ先に伝える」


 俺はドンと胸を叩く。

 アリスはうつむきながらも俺に礼を言う。


「ありがとう」

「気にするな」

「私が見つけたメフィストはお渡ししましょう」


 リアは苦悶の表情で氷漬けになった生首たちを床に転がす。

 彼女と鉢合わせしてしまった連中は運が悪かった。徹底した合理主義と法治主義を家訓とするフレイヘルム家に慈悲の二文字はない。犯罪者は、その場で処刑される。

 教祖やラミリアと違って下っ端には大した力も情報もなかったのだろう。

 それなりの数の生首だが、リアは汗の一滴もかいていない。

  

「あ、ありがたく受け取りますわ。はぐれた騎士たちの捜索が残っていますのでわたくしたちはこれで」


 ミーナはあまりの残酷さに顔を引きつらせながらも笑顔を作る。

 

「では、私たちは帰りましょうか」

「ああ。そうだな」

 

 俺たちはミーナたちと別れて地上に戻った。その後、リアとも途中で別れて、シャルロッテ、フランツ、アリスそして保護した子と一緒に屋敷に帰った。

 

 屋敷についた俺たちは、汚れた服を脱ぎ捨て、ペトラが作ってくれた暖かな食事で腹を満たす。

 うまかった。この世界に来てひとつわかったことがある。修羅場の後の飯はうまい。

 落ち着いたら疲れがどっと出てきた。

 

 俺は今日の戦いを振り返る。

 命をかけた戦いは初めてだった。リアはすでにこういう荒事には慣れっこなのだろう。あっさりと屋敷に帰ってしまった。もう少しねぎらいの言葉が欲しいところだが、リアの性格を考えるとそれは高すぎる報酬だ。


 冗談はさておき、俺はティナの言ったとおりになった。戦いながら死の恐怖を感じつつも、それ以上に高揚していた。

 

 『まるで子供が盤上遊戯ゲームで遊んでるみたいだ』

 

 ティナの言葉を思い出す。俺はまだ心の奥底ではこの世界はゲームだと思っているのかもしれない。

 だが、内なる自分と向き合っているような暇はない。むしろ戦闘には有利に働くのだからいいではないか。シャルロッテの闘技場での暴走とも関連性がるような気がするが、俺はそれ以上考えるのをやめてしまった。


 保護してきた女の子の様子を見るべく、部屋に向かう。

 今はアリスが見ていてくれているはずだ。

 扉を軽くノックしても返事がない。


「アリス。入るぞ」


 中に入るとベッドの横でアリスも眠っていた。


「そんなところで寝ていると風邪をひくぞ」


俺がアリスに毛布を掛けようと近づくと突然、少女が目を覚ました。


「お嬢様!」


 少女は血の気が引いていて、痩せている。色素の抜けきった髪で顔の半分を隠している。

 素早い身のこなしで、ベッドの上に立ち上がったかと思うと魔法陣を展開する。


「あなたは何者? ここはどこ?」

「落ち着いてくれ。敵じゃない」

「答えないというのならば、体に聞く」


 魔法陣が光るが、魔法をよける間もなく、魔法陣は消えてしまった。


「ぐっ、魔力が。申し訳ありません。お嬢様」


 へなへなと少女は倒れこむ。


「どうしたの?」


 物音で起きたアリスが、目をこする。

 

「この子が目を覚ましたんだが」

「お、お嬢様……」

 

 体に力が入らなくなり、高熱を発し、息が荒くなる。不思議と右半身だけからおびただしい量の汗が流れ出ている。

 魔力を消耗しすぎると人は高熱を出す。魔力を消耗する神器や魔法の運用は人体にかなりの負担だ。普段は食欲や睡眠欲が尋常でなくなるくらいの後遺症で済むが、自分の体に残った魔力の残りかすまで使い切ると倒れてしまう。


「ひどい魔力切れだな」

「だったら私が。展開」

 

 アリスは少女の額にやさしく手を乗せると魔法陣を展開し、自分の魔力を余すことなく注ぎ込み始めた。簡単にやっているように見えるが、たぐいまれなる魔力の運用能力と高い集中力を持つ魔法の使い手にしかできない絶技だ。弱冠十一歳という若さながらアリスは見事に使いこなしている。


「すぅ」

 

 少女が落ち着いた表情で寝息を立てる。


「大丈夫そうだな」

「……よかった」


 アリスは魔法陣を閉じた。人と積極的にかかわろうとしないアリスが、ここまでこの少女を介抱しているのは意外だ。単に道徳心がそうさせているのか?


「きっと、この子は捨てられたんだと思う。私と同じ」

 

 さっきの様子を見るに、少女はそのことに気づいてすらいない。健気に主人に忠義を尽くしていた。

 

「アリス……」


 俺はアリスに昔何があったかを詳しくは聞いていない。知っているのはフレイヘルム家での内乱騒動の時、ルイーゼによって両親が粛清され、その後、親の仇であるルイーゼに育てられたということだけだ。

 だが、真実はほかにもありそうだ。アリスがそのことに触れてほしくないというのなら、俺は追及しないことに決めている。


「だから見ていられなくて」

「その子は……」

「知ってる。ただの人間じゃない」


 アリスは手で、少女の顔の半分を隠す髪を払う。


「なっ」


 あまりの光景に言葉を失う。顔の半分は人間ではない。皮も肉もなく白い頭蓋骨だけがむき出しになっている。目が合った場所の奥には赤い光が宿っていた。

 この小さな少女に、神はどれほどの過酷な運命を科したというのだろう。

 

「この子を助けて、クルト」


 アリスが俺に縋りついて見上げてくる。

 

「ああ、ここで匿おう。ルイーゼや宮廷に知れたら、えらいことになる。フランツと相談してみる。大丈夫。きっとみんなも協力してくれるさ。さあ、今日はもう遅い。あとは俺に任せて、寝た方がいい」

「ん。ありがとう。でも、ここにいる」


 これはてこでも動きそうにないな。


「じゃあ、俺もいるよ。さて毛布を持ってくるかな」


 そのまま俺たちは二人で静かに少女を見守り続けた。

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