第33話 死の終着駅 6
なんだ。ここはどこだ。視界がぼんやりしていて前がよく見えない。
どうやら、まだカタコンベにいるらしい。
確か俺たちは魔王崇拝者メフィスト共が操る骸骨の兵隊に囲まれて、それで床が陥没して下に落ちてきたんだったな。
みんなはどこだ。
ん? 誰か倒れている? あのドリルロールは……ミーナじゃないか。それにフランツも。
手足に力を込めて何とかその場で立ち上がる。
二人ともボロボロだ。地面もえぐれている。
周りの惨状を見るに俺が眠りこけている間に大規模な戦闘があったようだ。あのミーナですら、やられてしまうほどの。
くそ。俺はいつも肝心な時に役に立てない。
「ミーナ、フランツ大丈夫か?」
俺はフランツのもとに駆け寄り、肩を抱き上げる。
「……クルト様。アリス様が……」
フランツが消え入りそうな声で、訴える。
「あら。ようやくお目覚めですか。いい御身分ですね」
聞きなれない女の嫌な声。
骸骨の仮面で目元覆った女。考えるまでもなく敵。
「お前が……」
腰に下げた軍刀に手をかける。
ただならぬ気配におびただしい魔力量。
間違いない。あいつがミーナとフランツを。
「ふふふ。あなたの探し物はこれかしら」
仮面の女が、目の前に浮いている目玉のついた気味の悪い本に手をかざすと女の背中の方から、巨大な人骨でできた腕が現れる。
その腕が握りしめているものに俺は目を見開く。
「クルト……逃げて」
「アリス!」
アリスは折れてしまいそうなほど細い体を握りつぶされそうになり、苦悶の表情を浮かべる。
「哀れな男。そこのこの娘の正体を見ているといいわ」
「う、ううう」
巨大な骨の腕がアリスを締め上げる。
「思わぬ収穫でした。面倒なネズミの中にこんなにいい道具が、紛れ込んでいるなんて」
仮面の女は顔を狂喜で歪ませる。
「さあ、あなたの本当の力を見せなさい。その体の中に隠しているものを私に……」
骨の腕はさらにアリスを締め上げる。
「やめろ!」
俺の中で何かが切れた。
恐怖心も痛みもすべてが怒りとともに黒い何かに上書きされて、大量のどろどろとした魔力が激しい心臓の拍動と共に血流にのって体の中を駆け巡る。
「クルト……来ちゃ…だめ」
アリスの頬に一筋の涙が流れる。
「ああ、素晴らしい。あなたも愛しているのですね。世界の何よりも彼を愛している。愛する彼の前では可憐な乙女でいたい。そんな気持ち。私にもよくわかります。そう、自分を傷つけられるよりも愛する誰かを傷つけられることが何よりの苦しみ。耐え難い痛み。あなたが強情にも隠し通すというのならば、あなたを愛という名の枷から解き放ってあげましょう。生きる希望を、生きる意味を奪ってあげましょう」
女は感涙で仮面の下を濡らすと高笑いしながら俺の方を見る。
「骸骨龍クノッヘンヴルムよ。その男を食い散らかしなさい」
巨大な魔法陣が瞬時に展開され、死人を冒涜するような禍々しい骨で構成されたムカデのような化け物が姿を現す。
「邪魔だ」
鞘に収めた軍刀の刀身に体の底からあふれ出る黒い魔力をありったけ乗せる。
骸骨の化け物が、その巨体をカタカタと震わし、奇怪な絶叫を上げ、俺の喉元を鋭い顎で食い破らんと迫る。
けたたましく鳴り響く心臓の鼓動とは裏腹に、俺は目を閉じ、山のようにじっと止まる。
音と風の流れから、敵の動きを読む。
「ここだ!」
骸骨龍の顎が俺の首を捉えたその瞬間、抜刀。
どす黒い魔力を纏った刃が、鞘から火花を散らしながら、抜き放たれる。
一刀両断。
骸骨龍の巨体は縦に真二つにされ、魔力を帯び実体化した斬撃は、地面をえぐりながら、飛翔し、仮面の女の頬をかすめ、カタコンベの分厚い骨の壁を切裂いた。
「ふふふ、どうしてかしら。あなたは私を殺したくてしょうがないでしょうに。あなたの体は私をどうしようもなく求めている。いいわ。存分に可愛がってあげましょう」
仮面の女はわけのわからないことを喚き散らすと、高笑いしながら複数の魔法陣を展開する。
魔法陣から作り出されたのはさっきの骸骨龍が三匹に、さらに骸骨騎士が十体以上。
数が増えようと、やることは変わらない。魔力を体内で循環させて、極限まで身体能力を高め、軍刀をふるい、目の前の敵を薙ぎ払う。
そして、一歩ずつ、あの女に近づいて、アリスを助ける。
敵を斬って、壊す。また、わいてきたやつを叩き潰す。全くキリがないが、敵ではない。もっとだ。もっと。よこせ!
「今の私には、たとえ帝国中の軍隊をかき集めようとも敵わない。あなたもいつまで笑っていられるかしら」
「馬鹿なことを言うな!」
俺が笑っているだと。この命をとるか取られるかの極限状態で笑っていられるやつなど変態か狂人だけだ。
俺は違う。俺は普通だ。
骸骨龍の頭を切裂いた時の衝撃は握りしめた軍刀から腕に伝わり、脳を震わす。
攻撃を防ぎきれなければ、骸骨騎士の槍が腕を足を背中を貫き、激痛が走る。
それでも耐える。仲間を救うためならば。
これはゲームなんかじゃない。残酷で無慈悲で救いようもない現実だ。
「ふふ、あれだけの数を一瞬で、ですが、残念。一歩及びませんでした」
「なにっ!」
足元に魔法陣が展開され、骨の槍が突き上げる。
避けられない。
「ぐはぁあ」
地面から突き出た八本もの槍が俺の肩を腕を腹を足を貫く。
俺は糸の切れた人形のように宙にぶら下がる。
乾いた白い槍を伝い流れ落ちた、俺の真っ赤な鮮血の池の上に、軍刀が力なく落っこちる。
血が流れすぎたな。頭がぼんやりしてきた。
こんなに大量の血を見るのは初めてだな。きれいだ。まるでルイーゼの瞳のよう。
血だまりに映る俺は目をぎらつかせ、笑っていた。
「これで終わりですね」
「クルト! クルト、クルト! 返事をして! 死なないで、行かないで、一人に……一人にしないで」
「ふふ、悲しいわ。なんて悲劇的なんでしょう。愛する人を目の前で失うなんて。私が憎い? あなたのすべてを奪い去った私が」
「どうして、どうしてお父様もお母様もルイーゼも、みんな私から奪う。友達も家族もクルトまで。ただ私は普通に暮らしたいだけなのに」
アリスの涙がしとしとと地面にしみこむ。
「それはあなたが奪わないから。奪わなければ何も得られない。見ているだけでは何も与えられない。さあ、奪いなさい。あなたの力で私のすべてを」
「憎い。あなたが。私からすべてを奪うものが」
アリスが泣き叫ぶ。
ダメだ。アリス。
休もうとしていた心臓が再び動き出す。
「くくく、ふはははは。おいおい、勝手に殺すなよ」
口が勝手に動くとそのまま魔法陣を展開し、魔力を放出。体に突き刺さった槍を衝撃波で粉々に砕く。
激しい痛みは心地の良い刺激へと変わり、傷口からあふれ出た黒い魔力が俺の体を覆う。
血糊がべっとりとついた軍刀を拾う。
「まだ軽口を叩けるとは、存外頑丈なようですね。しかし、そんなボロボロな体で、どうしようというのです。私の骨人形にして差し上げましょう」
仮面の女が魔法陣を展開する。
遅い。そんな鈍い魔法の使い方じゃ歯ごたえがなさすぎる。
死と隣り合わせの異世界に飛ばされてから一年以上たつが、実際命の危機に瀕したことはあまりない。
暴走したシャルロッテに斬られたときくらいか。
ティナ・レア・シルウィアに襲撃されたこともあったが、相手は命を奪うつもりはなかった。
明確に命を奪いに来る敵はこれが初めて。
信じたくなかったが、信じられずにはいられない。
今俺を突き動かしているのは高揚感だ。まるで新作のゲームに初めて触ったような体の芯がくすぐったくなるようなこの感覚。
感じた事のないような恐怖感も、歯を噛み砕いてしまいそうになるほどの怒りも、体をえぐられたときの激痛も剣をふるっているうちにいつの間にか消え去ってしまう。それどころか快感へと変わっていく。
元の世界にいたころとは比べ物にならないほどの充足感。
抑揚のない日々とは真逆、命を削りながら命を輝かすこの闘争。
この緊張感と痛みに病みつきになりそうだ。
猛り狂う俺の本能は求めていた。つまらない日常よりも刺激的で残虐な非日常を。
結局、ティナの言っていた通りだったわけだ。
自分がそんな狂った存在だったなんて、泣けてくるが、今は都合がいい。
アリスやみんなを救えるのならば、俺は鬼にでも修羅にでもなろう。
仮面の女が、魔法陣を展開し始めた瞬間、俺は地面を蹴って飛び上がり、巨大な骨の腕を斬り落とす。
「大丈夫か。アリス」
「うん。ありがとう」
懸命に力を抑えて、アリスをやさしく抱きしめ、仮面の女から距離をとって地上へと降り立つ。
「よくもこの私を。いいでしょう。全力で」
仮面の女の背に巨大なおどろおどろしい魔法陣がいくつも展開される。
俺だけならいつまでも戦っていられそうだが、ミーナもフランツも突っ伏したままだ。まずい。
軍刀を構えて、仮面の女と相対していると、後方の骨の壁が音を立てて崩れ去る。
「クラウゼ伯。ご無事ですか」
青髪の少女、リアだ。
「ヴィルヘルミーナお嬢さま!」
老執事、ヘルベルトに気だるげな従者、エイルも一緒だ。
三人とも無傷みたいだ。
「何人集まろうとも、このカタコンベにいる限り、私は勝つことは不可能」
余裕の笑みを浮かべる仮面の女の頭上、ドームの天井部分にひびが入る。
「たああああ!」
割れた天井の中から、骸骨龍とローブを羽織った人が落下し、続けて、巨斧を担いだ戦士と白銀の騎士が現れる。
「ふう。あれ、ここって。クルト? どうしたの? その姿」
シャルロッテは不思議そうに俺を見つめる。
「あいつがメフィストの首魁だ」
俺は仮面の女を指さす。
そういえば、まだやつのことをヒストリアイで見ていなかったな。
「くっ。ネズミ共がわらわらと。仕方ありません。実験は十分、ここは引きましょう」
仮面の女の足元に魔法陣が展開されると女は黒い霧となって消えていく。
消えゆく中で俺は仮面の女の名を見た。
ラミリア・フォン・マールシュトローム。
皇帝の妃の名だ。
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