第32話 死の終着駅 5


「ヘルベルト、エイル。どこにいますの。返事なさい」

 

 ミーナの声が、カタコンベの闇に空虚に響く。

 目が覚めた時には誰もいなかった。

 どこまで落ちてきたのか、どこを見渡しても同じような景色で、複雑に入り組んだ迷路のようなカタコンベでは、それすらも分からない。

 ここは敵地にど真ん中。とにかく仲間と合流するためにミーナはかすかな魔力の流れの変化を頼りに、薄暗いカタコンベの中を紫色の淡い光を頼りに歩く。

 

「ずいぶんと広いところに出ましたわ。あれは」

 

 ミーナはドーム状の開けた場所に出る。

 よく見えないが、人の気配。それも複数。

 大槍ゼピュロスを構えたまま、ゆっくりと進む。


「ヴィルヘルミーナ様。私です」


 見覚えのある男が力なく両手を挙げる。

 その隣には年端もいかない少女と倒れた一人の青年。


「クラウゼ伯! 大丈夫ですの?」

「ええ、アリス様が治癒魔法をかけてくださいましたから大丈夫でしょう。気を失っているだけのようです」

「それはなによりですわ」

 

 ミーナはほっと胸をなでおろす。

 

「あなたは確か……フランツでよろしかったかしら?」

 

 深い記憶の底から名前をひねり出す。

 いつもクラウゼ伯と共にいたのは覚えているがいまいち印象が薄く、忘れかけていた。

 相手に失礼がないように、一度会った貴族の名前は忘れないようにしているミーナにとっては珍しい失態だ。

 

「はい。覚えておいででしたか。光栄です」

「ええ、当然ですわ」

「知らなかった」

 

 アリスの一撃は感涙にほほを濡らしていたフランツの目から冷たい涙を流させるには十分だった。

 当然、アリスなりの冗談ではあったが、彼女は真剣な顔で言うので、クルト以外に冗談と受け取られることはまれである。

  

「えーこほん。仲間と合流してここを出ましょう」

 

 ミーナは一つ咳払いをして、話を戻す。

 

「いえ、お待ちください。あれを」

「祭壇?」


 ミーナがフランツの指さす方向に目を向けると、巨大な石の台座とそれを取り囲むように作られた不気味な骨のオブジェがある。

 

「おそらくここは敵の重要な施設でしょう」

「とすると」

「はい。カタコンベの中心部。魔王アペイロンが封印された場所」


 フランツとミーナの頬に冷や汗が流れる。

 魔王アペイロン。魔物を率いて人類と戦った最後にして最大の最悪の魔王。

 伝説通りなら、神器使い千人を退けるほどの力を持つ。帝国屈指の実力者であるミーナでも足元にも及ばぬ、人知を超えた存在。

 そんなものが帝国のど真ん中で復活してしまったら、人類は存続の危機に見舞われるだろう。


「わかりましたわ。少し調べてみましょう」

「アリス様。クルト様をお願いします」

「わかった」

 

 フランツとシャルロッテはクルトをアリスに任せて、祭壇に近づく。

 

「冷たいですわね」


 石造りの巨大な台座の上にミーナは手を置く。

 手の皮が張り付いてしまいそうなほどに石は冷え切っている。


「騎士と花の紋章。今は亡きブルグンティア王国のものですね」

 

 台座の横に刻まれた紋章はこれが古き大国のものであることを象徴していた。

 さらによく見てみると、紋章を中心に刻まれた文様にまんべんなく血痕が染みつており、床には台座がもとの位置からずれた跡がある。


「まさか……」

 

 フランツの最悪の想定が、ねっとりとした妖美な女性の声にかき消される。


「あら、ネズミがこんなところにまで迷い込んでいるなんて。メフィストの連中は何をやっているのかしら」


 暗い闇の底から子供と大きな書物を抱えた女性が姿を現す。

 目元に骸骨を模した仮面をつけていて顔はよく見えない。しかし、長く毒々しい紫色の髪の毛、ぴっちりとした煽情的なワンピースドレスに強調された豊満な体つきと深いスリットから見える細長く病的なまでに白い脚から女性だということがわかる。

 

 怪しげな風貌の女にミーナとフランツはすぐさま武器を構え、魔法陣を展開し、警戒態勢をとる。

 仮面の女が放つ禍々しく、おびただしい魔力に思わず足がすくむ。

 

「ヴィルヘルミーナ様。おそらく敵は神器を」

「ええ、そのようですわね。ただならぬ妖気。あなたが、メフィストの首魁ですわね」

「魔王崇拝者どもと一緒にされると不愉快極まりないですが、あなたたちにとっては同じ事かもしれませんね。あえて言うならば、私は彼らのパトロンと言ったところでしょうか」


 仮面の女はかつかつと赤いヒールで骨の地面をつきながら台座へと歩み寄る。

 ミーナとフランツは女を近づけさせないように立ちふさがる。


「行かせませんわ。その子供を開放しなさい」

 

 ミーナは女の仮面すれすれに長い槍、ゼピュロスの先端を突き付ける。

 

「この子を……? なるほど、カール大帝の封印を解くには、大量の生き血が必要。それもできる限り、若い生き血」


 小脇に抱えた子供一瞥して何か納得した後で、仮面の女は答えた。

 

「ということはこの骨は全部……」

「手遅れでしたか」

 

 ミーナは天を仰いで涙をこらえ、フランツも目を覆う。

 台座を取り囲むように無造作に作られた骨のオブジェ。よく見れば、カタコンベの大半の骨に比べて小さい。

 

「私の悲願まで今少し、試させてもらいましょう」

 

 仮面の女は子供抱えたまま、いったん飛びのき距離をとる。

 持っていた大きな本は女の手元を離れ、ひとりでに浮き上がり、開く。表紙についた大きな目玉をギョロリと動く。

 

「やはり神器でしたか」

「離れてください。ヴィルヘルミーナ様」


 異常な魔力を検知したフランツが叫ぶ。

 直後、仮面の奥からのぞく青紫色の霊眼が光り、亡者が絶叫する顔を模したかのようなグロテスクな模様の巨大な魔法陣が展開される。


「一体誰に言っていますの。わたくしは高貴なエルフの末裔にして、ヴィントヴァルトの守護者、アルベリッヒ公爵が娘。騎士の中の騎士。ヴィルヘルミーナ・フォン・アルベリッヒですわ。幼き民を見捨てては貴族の名折れ。私の名において、子供を開放すれば、帝国法に基づいた平等な裁判を約束しましょう。神装顕現」

 

 ミーナは、魔力を全開させ、ゼピュロスが作り出す風の鎧を纏う。


「くふふ。それも悪くないかもしれません。しかし、神器など、今の私にはもはや通用しません」


 仮面の女は甲殻を吊り上げて笑う。

 魔法児が妖しく輝き、カタコンベの薄紫色の魔結晶が共鳴して光る。

 

「ならばこの場で裁きを下しますわ」

「ここはカタコンベ。まさに死霊魔法の使い手にとっては絶好の場所。その身でとくと味わいなさい。ゲオルク写本と死霊魔法の絶技を!」

「そうはいきませんわ。発動前に叩けば!」

 

 ミーナは全魔力をゼピュロスに注ぎ込み、得意の突撃で仮面の女に迫る。

 余裕を見せる仮面の女とミーナの間に無数の骨壁が作り出され、ミーナの突撃を阻む。

 

「この程度でわたくしの突撃は止められませんわ」

 

 分厚い骨の壁はミーナの突破力の前に脆くも崩れ去る。

 壊れたそばからまた新たに生成されるが、それでもミーナは仮面の女との距離を縮める。

 

「もらいましたわ」

 

 暴風を纏うゼピュロスが、鋭く仮面の女の腹を貫く。

 だが、あまりにも手ごたえがない。まるで空を貫いたかのように。

 それに仮面の女の腹に空いた大穴からは一滴も血が流れ出ていない。


「ふふ、捕まえた。今度は私の番」

 

 仮面の女はか細い脚で、ミーナに蹴りを入れる。

 強烈な一撃にゼピュロスを手放して、後方に吹き飛ばされてしまう。

 間髪入れずに空中に無数の魔法陣が展開され、カタコンベを構成する人骨を吸い込んで槍を作り出す。


「仕留めなさい」

 

 骨の槍はミーナに追い打ちをかけるべく、魔法陣から何発も打ち出される。


「障壁展開。最大出力!」

 

 フランツは重ねあうように五つの魔法陣を展開し、魔力の障壁を作り出す。

 障壁にぶつかった骨の槍が、鈍い音共に崩れていく。

 

「ご無事ですか。ヴィルヘルミーナ様」

 

 手を前に突き出して、魔法陣を維持しながら、フランツは倒れたミーナに呼びかける。

 

「ご無事ではありませんが、動けはしますわ」

「ならば、逃げましょう」

「逃げる? 貴族であり、騎士である、わたくしが敵に背中を見せることなど」

「いまだお目覚めにならないクルト様をかばいながら戦うのは無理です」

 

 骨の槍を撃ち込まれ続けた障壁にひびが入る。

  

「もう持ちません。早く!」

 

 フランツは歯を食いしばる。


「わかりましたわ。わたくしが、敵を引き付けている間にアリスとクラウゼ伯を。その後、脱出しましょう」


 ミーナは立ち上がると再びゼピュロスに風を纏わせて、突進する。

 その動きに呼吸を合わせて、フランツもアリスとクルトの方に駆けだした。


「何度来ても同じこと」


 仮面の女は照準をミーナに合わせて槍を撃ち込む。

 ミーナは背を低くして槍をよけるように素早く女の方に迫る。

 フランツがクルトとアリスのところに到着したのを見計らってミーナは派手な風魔法を撃ち放つ。


「アリス様。クルト様は?」

「大丈夫。だけどまだ目を覚まさない」

「早く逃げましょう」

「うん」


 フランツはクルトを背負い歩き出す。アリスも魔法陣を展開して警戒する。


「敵の目をくらましましたわ。今のうち逃げてくださいまし」

 

 戦闘から離脱したミーナがクルトたちのところに駆け戻る。


「ヴィルヘルミーナ様は?」

「わたくしは残りますわ。民を見捨てるわけには行きませんもの。外に出たらお父様に援軍を。はあ、ルイーゼが帝都にいてくれればよかったのですが」

 

 ミーナは柔らかな笑顔を見せ、

 

「さあ、お行きなさい」

 

 とフランツの背中をたたく。

 

「では必ず、戻ってまいります」

 

 フランツとアリスは道がわからずとも、とにかく地上に上がるべく、上へつながる道へ走り出す。

 

「あなたのお相手はわたくしですわ」

 

 ミーナは再び大槍ゼピュロスを構える。


「ふふ、そう簡単に逃がすわけには行きません」

 

 仮面の女が魔法陣を展開する。


「なっ」


 フランツとアリスの目の前に巨大な壁がせりあがる。

 ミーナたちの努力もむなしくほかの場所へと通じる道はすべて骨の分厚い壁で閉ざされ、この骨のドームから抜け出せなくなってしまった。


「夜は始まったばかり、もっともっと私と遊びましょう」


 カタコンベの壁がうねり、崩れ、魔法陣によって瞬く間に再構成されて、三匹の巨大なムカデじみた骸骨の怪物が姿を現した。

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