第23話 市場
ペトラたちの活躍により屋敷は見違えるようにきれいになった。
替えが用意できなかったベッドはカビ臭いままだったか船旅で疲れていたせいか、一晩ぐっすり眠ることができた。
屋敷の管理はペトラたち従者に任せて、俺たちはさっそく帝都で頻発しているという誘拐事件を探るために街に繰り出した。
「朝飯は屋敷で済ませておいて正解だったな」
まだお昼前だというのに市場は人だらけだ。
さすがは帝都で最もにぎやかな場所といったところか。
人だけではなく、運河を利用して各地から運ばれてきた多種多様な商品が水路を通って、この市場の商店の軒先にずらりと並べられている。
「人が多すぎて、暑苦しいわ」
シャルロッテが額の汗をぬぐう。
春が近づいてきたとはいえ、まだ寒い日が続いているというのに、市場は人々の熱気に満たされてむんむんとしている。
「人込みは嫌い」
洪水のような人の流れの中ではぐれないようにアリスの手をしっかりと握る。
「私もなんだか気分が悪くなってきました」
部屋の中にこもれば、数日は休まずに仕事に没頭するフランツもここでは数十分と持たないらしい。
北部のド田舎出身の面々には帝都での暮らしは厳しいようだ。
慣れるまでには時間がかかるかもしれない。
「クルトはなんで平気そうな顔しているのよ。生まれも育ちも私と同じ北部じゃない」
「体質の問題だろ。俺はそれほどでもないな」
本当のところを言えば、俺は地球にいたころは都会に住んでいた。
休みの日は部屋にこもってゲームばかりしていたが、朝の満員電車には毎日のように乗っていた。
どちらかと言えば、人込みは苦手な方であるが、すし詰め状態の電車に比べれば、帝都の雑踏程度は気にもならない。
むしろ、この感じなんだか懐かしいくらいだ。満員電車での日々を思い出して浸るなんて悲しくなるが、それでも故郷は故郷だ。あの頃も苦労はしていたが、ここでの苦労に比べたら天国だっただろう。とりあえず命の保証はあった。
パワハラ上司なんて我らがルイーゼ様に比べりゃ可愛いもんだ。見てくれはルイーゼに軍配が上がるかもしれないが、今ならあの面にキスできる自信がある。
そんなことを言っても実はそれほどルイーゼのことは嫌いじゃない。むしろ命の恩人であるし、現在進行形でかなりルイーゼには助けられている。
パワハラは現代の倫理観から考えれば、常軌を逸しているが、あのカリスマ性には強烈にひかれるし、あんな真の通った人物を見たことがない。歴史の偉人にかかわるというのはこんな感じなんだろうか。
もしかすると俺はうまい具合に飴と鞭でルイーゼに飼いならされてしまっているのかもしれない。結局、俺は異世界転生しても根っからの労働者だ。
「うまいもんでも食って元気出せ。少しくらいなら買い食いしてもいいぞ」
「ほんと!」
シャルロッテの目の色が変わる。
「……!」
アリスも表情こそあまり変わらないが、肩がびくっと震えた。
そうだ。鬱屈とした気分はみんなで飯を食って変えてしまおう。
失ったり苦しかったりするが、ここで得られた仲間と充実感は失い難いものだ。
「帝都では入用だと思って少し多めに持ってきている。長旅で疲れているだろうし、ちょっとは贅沢しても許されるさ」
「じゃあ、私、魚。海の魚が食べたい。それとあの……あれは」
「あれはエビだな。あのぐねぐねしているのはタコ、白いのはイカだ。貝の酒蒸しもうまいらしいぞ」
北部には海がない。
川魚は捕れるが、泥臭くて海の魚よりもおいしいとは言えないだろう。
もともと俺は魚より肉を食べるタイプだったが、こっちに来てから魚介類にはめっきりありつけなくなっていた。あったとしても塩漬けにされていたり、干物にされていたりと新鮮なものは出回ってこない。
そうなってくると無性に食べたくなってくる。
「じゃあ、さっそく買ってくる」
「あまり買いすぎるな。それとペトラに頼まれた食材も忘れるなよ」
この世界の人間はとにかくよく食べる。
魔法で体の魔力を使うと、とにかく腹が減るのだ。魔力を使うにも栄養が必要なのだろう。
特に神器からあふれ出る魔力を扱うシャルロッテのような神器使いはかなり体力を消耗するらしく、いつもおなかをすかしている。
非常に燃費の悪い神器使いがいると食費だけで財政が圧迫される。
俺もこの世界に来てから食べるようになったが、シャルロッテには到底かなわない。
アリスまでもシャルロッテ並みによく食べる。小さな体のどこに大量の料理が吸い込まれていくのは不思議で仕方がない。
シャルロッテとアリスが稽古した後、屋敷の厨房はさながら戦争状態だ。
「ええと、財布はあれ?」
ポケットをまさぐるが、大事な銀貨を入れた袋が見当たらない。
顔から血の気が引く。
「もう、貰った」
アリスが銀貨の入った袋をひらひらと見せ、にやりと笑う。
「なっ。いつの間に」
「でかしたわ。アリス」
するとそのまま、シャルロッテと共に雑踏をかき分けて露店へと向かってしまった。
まったく。二人は仲がいいんだか悪いんだか。
いたずらっ子なところはあるが、アリスに任せておけば、使いすぎるような真似はしないだろう。
「しかし、帝都も内陸部にあるのにずいぶんと魚介類が充実しているな」
帝国の東や南には豊かな漁場がある。東部直送だとかとれたて南部産とかが、売り文句だ。
「なんでも魔導艦に積んである大型の魔道具で冷やしているんだとか」
フランツが言う。
なるほど。でかい冷蔵庫付きの魔導艦もあるのか。
冷蔵庫があるなら、屋敷にもほしいところだ。今度、探してみるか。
どこから手を付けたものかと市場をぐるりと見まわしていると気になる店を見つける。
「フランツ。あそこの店を見てみよう。面白いものが売ってるぞ」
市場の少し奥まったところにオリエンタルな雰囲気の店がある。
美しい白亜の象牙細工に、極彩色の絵付けがなされた白い陶磁器、細かな幾何学模様の刺繍が施された絹の絨毯。豪華な品揃えだ。
「待ってください。クルト様。誘拐事件の調査忘れてませんか」
「なら、最初はあそこで話を聞いてみればいいじゃないか」
「先が思いやられます……」
少しは息抜きもしないとやっていられない。
帝国起源祭までは時間がある。鬼のルイーゼも多少の寄り道くらいは許してくれるだろう。
「これは東方由来のものか?」
帝国の東部、アヴァルケン半島よりさらに東、その地域をこの国では東方と呼ぶ。
東方には豊かな国がいくつもあるらしい。この商店に並んでいる品々はどれも東方でしか作られていない貴重なものだ。
「いらっしゃいませ。お客様。お目が高い。どれも東方の特産品で一級品ですよ。ここでは手に入らないものばかり。貴族街の商店だってうちほどのいい品ぞろえはありませんよ」
売り子だろうか、饒舌な青い髪の少女が手を擦りながら店の奥から出てくる。
美女ばかりのこの世界だが、その中にあってもひときわ美しい。
どこかの鉄仮面とは違い愛想もいい。
店の奥にも何人か従業員がいるが全員作り物のように整った顔立ちだ。
「俺が貴族だとわかるのか」
「それはもちろん。お客様からは貴族の気品があふれ出ていますから」
俺のみすぼらしい恰好をみて貴族の気品とはとんだ社交辞令だが、どうやらやり手の商人らしい。
「この東方の品々はどちらから仕入れてこられたのですか。最近はめっきり入ってこなくなったと聞いていますが」
フランツがいぶかしげに商品を見る。
確かにおかしい。
帝国東部の大部分を占める皇帝直轄領アヴァルケン半島が、主要キャラクターの一人、ティナに占拠されてから東方との交易は途絶えているはずだ。
いくらやり手でも一介の商人が、大量の魔導艦を保有するティナの防空網をかいくぐってこれるとはとても思えない。
「いっぱしの商人なら秘密のルートの一つや二つ持っているものですよ。貴族様。教えることはできませんが」
青髪の少女は片眼を閉じて、人差し指を口元にあてる。
危険な境界線を越えてくるとはどんな、からくりだ。
俄然、この商人たちに対して興味がわいた。
とりあえずはヒストリアイで見れば何かわかるはずだ。
俺はヒストリアイを起動すると少女を視界に入れる。
「なっ!」
思わず声が漏れてしまい慌てて口を覆う。
とんでもないステータスの高さだ。すべてのステータスがSランクを超えている。
こいつら、ただの商人なんかじゃない。
そもそも人間ですらない。
恐る恐る店の奥にいるやつらもヒストリアイで見る。
やっぱりか。
こいつら全員人間じゃない。ステータスはまるで調整したかのように揃っていて、店先の少女同様、化け物じみている奴もいる。
間違いない。こいつらは古代エルトリア帝国の遺産。
人間によく似た人形だ。
アヴァルケン半島を制圧している正統エルトリアのティナの手先に違いない。
「クルト様?」
「い、いや。なんでもない。悪いが今日は持ち合わせがないんだ。また今度買うよ。行くぞフランツ」
「はい」
俺はフランツを引っ張りすぐにその場から離れようとする。これはリアに報告しておかないとまずい。連中がこの時期に帝都のど真ん中で商人のふりなんかして潜伏しているということは良からぬことを企んでいるに違いない。こんな連中は俺たちだけでは手に負えない。
こっちの招待がばれないうちにとっとと退散だ。
「ちょっと待ってよ」
不意に声を掛けられ、振り向くと店の最奥で座る中性的な顔立ちの少女――少年にも見える――の黄金に輝く瞳と目が合う。
「ぐわああああ」
目が合った瞬間、視界が光に覆われ、眼球を図太い針で貫かれたかのような激痛が走る。
目が焼けるように熱い。どうなってる。ヒストリアイがはじかれたのか。わからない。魔法的な何かか。
いままで誰にもこのヒストリアイを見抜かれたことはないのに。
「お客様。どうかなさいましたか」
売り子の少女の声が聞こえる。
やはり気づいてるのか。
「クルト様。大丈夫ですか!」
「大丈夫だ。フランツ。少しめまいがしただけだ。すまないが、やっぱり今日は帰らせてもらう」
「また、どうぞ」
売り子の少女が平然としたままだ。
俺はフランツに肩を借りながら逃げるようにその場を離れる。
あの店の奥にいた俺に声をかけてきたやつ。閃光に照らされたように視界が奪われてステータスまでは見られなかったが、名前だけはほんのわずかに見えた。
黄金の瞳を持つ少女。二人目の主要キャラクター。
古代エルトリアの正統な後継者にして、魔導機械(マギアマキナ)たちの主。
ティナ・レア・シルウィアだ。
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