第15話 褒美
「そういえば、賭けの褒美がまだだったな。貴公はなにを望んでいたか覚えているか?」
ルイーゼは一瞬の静寂の後に唐突に話題を変えた。
「いえ、何を口走ったのかは覚えておりませんが、お忘れください。褒美はもう十分に頂きました」
なにを言い出すかと思えば、その話か。
俺はシャルロッテに斬られた後、ルイーゼに駆けに勝利した褒美はどうすると尋ねられたのはぼんやりと覚えている。
その時は生きるということを諦めていたし、意識ももうろうとしていたので何を言ったかは記憶にない。
死に際に変なことを口走っていなければいいが。
とりあえず、フレイガルドに来た最大の目的であるルイーゼの会談さえできれば俺としてはもう十分だ。
願わくばこのまま同盟締結までもっていきたいが、ここはいったん引く。
「無欲な男だ。だが、私に恥をかかせるな。フレイヘルム家の当主として話しただけで褒美とあっては沽券にかかわる。覚えていないのなら私がとっておきを用意しよう。アリスを連れてこい」
アリス? 誰のことだ。
フランツとギュンターに目配せするが、二人とも首をかしげる。
ルイーゼから明確な返答が得られぬままに、一人の幼い少女が連れてこられた。
金髪碧眼のお人形のような少女で、ルイーゼよりも小柄で幼く、年齢は成人である十五歳に到底達していないだろう。
「アリス。自己紹介しろ」
「私はアリス。アリス・フォン・ヴンダーラント」
アリスという少女が無愛想に自己紹介する。
かわいい顔してルイーゼに対してもつっけんどんな態度なのは恐れ入る。
「ヴンダーラント伯爵家はフレイヘルム家の家臣の中でも古くからの名家。その最後の生き残りが、この娘アリスだ」
ルイーゼは表情一つ変えることなく淡々と説明する。
由緒正しきヴンダーラント家、その最後の生き残り。
おそらくヴンダーラント家はフレイヘルム家の内乱の際にルイーゼの敵側だったのだろう。
その最後の生き残りということは、アリスという少女の家族は皆、粛清されたということだ。
他ならぬルイーゼの手によって。
どんなに素晴らしい理想を掲げていようがルイーゼが、やったことは人殺しだ。
分かりきっていたことだが、ルイーゼが犯した罪の生き証人を目の前に改めて実感させられる。
ここはファンタジー世界で、同時に残忍な世界でもある。数々の戦いが身近で起き、人の命は現代日本よりも何倍も軽い。
会談に同席しているフレイヘルムの家臣たちもギュンターだって人を殺してきたはずだ。いまさら悩んでも仕方がないが、これからもっと殺し殺されることになるだろう。
これからその人殺しに加担して、生き残ろうというのだから、俺もろくでなしに違いはないが。
当のアリスはどこ吹く風という感じで特にルイーゼを憎んでいる様子はない。
興味がない。そんな顔をしている。
まだ幼かったころの内乱騒ぎは覚えていないのだろうか。
「結婚しろ」
「は?」
突然のことに思わず変な声が出てしまった。
結婚だと。間違いなくルイーゼとではない。だとすれば、この幼い少女と結婚しろというのか。
いや、驚いてしまったが、冷静に考えてみれば不思議ではない。
この世界では貴族同士が結婚して家のつながりを深めることはよくある。いわゆる婚姻同盟というやつだ。貴族たちの間ではむしろ恋愛結婚の方が珍しい。
「正確には十歳のアリスが、成人するまでの間は婚約だ。アリスは私の養女となっている。すなわち私の娘、フレイヘルム家の人間だ。功を立てれば、私の直轄領となっている旧領を回復し、ヴンダーラント家の復興も認めよう」
「よろしく。旦那様」
アリスは少しスカートの裾を挙げてそっけなく挨拶する。
現代人の俺からすれば、こんなに幼い子と婚約だの結婚だのはかなり抵抗がある。
彼女の意思がまるで尊重されていないのではないか。
「クルト様。なにを迷うのです。ご決断を」
黙ってしまった俺にフランツが語気を強める。
アリスはルイーゼの養女という扱いになっている。
そのアリスと婚姻すれば、ルイーゼは俺の義理の母親となり、フレイヘルム家と強固な同盟を結んだことになる。
承諾すれば、今回の目的を完全に果たしたと胸を張って領地に帰れる。
「アリスはまだ幼いが、器量の良い娘だ。領内でも美人と誉れ高い。男にとってこれほどの褒美はなかろう。まさか、貴公は私だけでなく幼いアリスにまで恥をかかせる気か」
ルイーゼに痛いところを突かれる。
この世界の常識に照らし合わせれば、おかしいのは俺だ。
感情や人権といった問題で断っても倫理観の異なるこの世界では政治的意図を勘繰られてしまう。
その上、多くの家臣がいるこの場で断れば、アリスという少女自身の尊厳も傷つけられることになる。
まだ婚約の段階だ。面倒なことは結婚までの五年の間に考えるとしよう。
「はっ。願ってもないお話。喜んでお受けいたします」
俺は面倒事をすべて未来の自分に押し付けて、目先の利益を取った。
これでフレイヘルム家との強固な同盟が結べるのならば願ったりかなったりだ。
「クラウゼ伯。またチーズを持ってきてくれ。あれはなかなか良い。癖になる」
ルイーゼはそう言って不敵な笑みを浮かべた。
底知れない人だ。改めてルイーゼという人間の大きさに感服した。
話がまとまってすぐ、俺たちは逃げるようにして屋敷から出た。
「おめでとうございますと言ったほうがよろしいのでしょうか」
フランツも少し困惑気味だ。
「これで御屋形様も立派な男になるわけだ。お世継ぎが楽しみですな」
「勘弁してくれ……」
ギュンターはいやらしい笑みを浮かべる。
都市の差でいえば五歳程度だろうが、あんな小さな子と……考えらえない。
「ふう。緊張が解けたら腹が減ってきたな」
ルイーゼの問いに対して、どうするかに悩まされ続けていたので気にしていなかったが、二日ぶりに目覚めたというのにまだ何も口に入れていない。
気が抜けて、体全身に力が入らなくなり、疲労と空腹が、怒涛の勢いで押し寄せてきた。
「これからは何度もお会いすることになるでしょう。慣れなければなりませんね」
いつにもまして青白くなったフランツが苦笑いする。
「俺はもう御免ですがね」
ギュンターは口ではそういうもののあまり疲れていないようだ。
俺たちとは比べ物にならないくらい修羅場潜り抜けてきただけはある。
「旦那様」
金髪碧眼の少女アリスが旅衣装に着替え、小さな袋を持って屋敷から出てきた。
婚約という段階なので、アリスはフレイガルドに残るものと思っていたが、ルイーゼの鶴の一声でクラウゼ伯領に住むことになってしまった。
断るわけにもいかず、受け入れる準備をどう整えようかとフランツと話していると、アリスは準備をしてくるから少し待つようにと言ってきた。
まさかとは思ったが、これから領地に帰る俺たちについてこようとはフットワークが随分と軽い。
「アリス。頼むから旦那様はやめてくれ」
婚約したとはいえ、こんな小さな少女に旦那様と言われるとこそばゆい。
それに旦那様で定着してしまったらどうしようもなくなる気がする。
「クルト」
「ああ、それがいい」
アリスは意外にもあっさりと受け入れた。
にしても名家の出身でルイーゼの下で育ってきたのにあまり貴族らしくないな。
ルイーゼに対しても敬語ではなかったし、俺もまさかの呼び捨てだ。
まあ、子供に強要する必要はないし、俺も気にしないがヴォル爺あたりがうるさそうだ。
「荷物はどうする。馬車に積み込むか」
「いらない。荷物はこれだけ」
アリスは紐のついた小袋と白い子ウサギのぬいぐるみを掲げる。
仮にも貴族の令嬢がこれしか荷物がないのか。薄着を二、三枚詰めただけでいっぱいになってしまいそうな袋が一つと汚れたウサギのぬいぐるみが一匹。
「もっと服とかもっていかなくていいのか」
「うん。これだけあれば十分だから」
そっけない態度でアリスはうなずく。
一体ルイーゼの下でどんな生活を送ってきたのだろう。
まさか、裏切り者の娘だからと衣服や食事をろくに与えられていないのか。
だが、ルイーゼの名で命を助けた以上、悪いようにするはずがない。
それにいい環境で育たなければ、どんなに元がよくともアリスのような豊頬の美少女には育たないだろう。
「まあ、ないならないでいいか」
アリスは得体が知れない。まだ幼いが、ルイーゼのスパイとしての役割を担っている可能性も十二分にある。注意する必要があるが、とりあえずは保留だ。
今はシャルロッテのことが気になる。
「フランツ、ギュンター。帰りの支度をしておいてくれ。俺はシャルロッテと話してみる」
「もう浮気?」
くりくりとした碧眼を潤ませ、寂しげな表情をしたアリスに脇腹を小突かれる。
「ち、違う。少し家臣と話をするだけだ」
なにも後ろ暗いことはないのに、罪悪感でキュッと心臓が締め付けられる。
そんな俺を見てアリスは舌をぺろりと出して、おどけるとまた平然とした表情に戻った。
この年で、人を弄ぶようなことを。
さっきまで無表情だったのに突然そんな顔をされては、子供相手に虜になってしまいそうになる。
「これは将来が楽しみですな」
「私はどちらかというと不安ですよ」
ギュンターとフランツが言う。
アリスか。まったく、不思議で末恐ろしい子だ。
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