第14話 会談
一歩をまたいだだけで空気がガラッと変わった……ような気がする。
全方向からの押しつぶそうような圧に吐き気を催す。
元気になった俺の姿が見たいと向こうは好意的に迎えてくれているのだからこちらが、緊張しすぎているのだろう。そうだ。そのはずだ。落ち着け。
部屋の内装は屋敷の外観と同じく質素なものだが、百人ほどは軽く入ることができそうなほど広い。
真正面の壁には巨大なフレイヘルム家の炎華の紋章の旗が飾られている。
そのすぐ前の玉座とも呼ぶべき豪華な椅子に、燃えるような赤毛の少女が足を組んで座っている。
両脇にはリアや闘技場で見たザンドのほかにも多くの家臣たちと護衛が控えている。フレイヘルム家勢ぞろいだ。
ヒストリアイで盗み見るとステータスは軒並み高い。化け物ぞろいだ。ステータスを見ずとも一人一人が並々ならぬオーラを放っていることがわかる。
訂正しよう。これは好意的ではない。高圧的だ。
「ルイーゼ様。クラウゼ伯をお連れ致しました」
メリーは主人に頭を下げると家臣たちの列に加わった。
数少ない風格のある年上の家臣たちよりもルイーゼに近い場所に控えている。実力至上主義と粛清による人手不足で若い家臣が目立つフレイヘルム家だが、メリーは特別だ。
なぜメイド服姿なのかはよくわからないが、序列はフレイヘルム家のナンバーツーで間違いない。
「クラウゼ伯よく来たな。怪我はもうよいのか」
椅子にもたれかかったルイーゼが言う。
ルイーゼが来いというので来たのだが、命があるのは他ならぬルイーゼのおかげなので感謝するしかない。
「はい。おかげさまでなんともないようです。命をお救い頂き、感謝に堪えません」
まるで俺のことを品定めでもするかのように周りに居並ぶ家臣たちがじろじろと見てくる。
だが、これは嘘ではない。まごうことなき本心。恐れることなど何もない。
「到底返しきれぬ恩ではございますが、ささやかながら、お礼をお持ちしました。どうかお受け取りください」
「ほう。成人パーティで、そこの黒毛からなにかしらをすでに貰ったが」
ルイーゼは不機嫌そうに顔をしかめる。
あまり物欲のないルイーゼは、金品で取り入ろうとしてくる貴族たちを嫌う。
四大公爵であるルイーゼにとってはその程度の金品など、吹けば飛ぶようなものだ。
うちのチーズなんて覚えてすらいない。
わずかな金品よりももっと価値あるもの。例えば政治、軍事的な見返りや珍しい技術、人材をルイーゼは欲している。
俺にはどれも揃えられないものばかりだが、俺にしか用意できない贈り物ならばわがままな彼女を充分に満足させられるだろう。
「ギュンター。あれを」
「はいよ」
ギュンターが、運んでいた荷を解く。
すると中からうす汚い額縁に入った大きな絵が出てきた。
その絵を目にした家臣たちから感嘆の声が上がり、ルイーゼも思わず立ち上がる。
「おお、素晴らしい。素晴らしいぞ。これは間違いなく、私が今までに目にしてきた中で最も素晴らしい絵画だ」
ルイーゼの顔は一気に晴れ、少女らしくもない凶悪な笑みを浮かべている。
この絵こそ俺が一か月もかけて描き上げた秘密兵器。帝都の地図だ。
しかも、ただの地図ではない。他人は見ることができないヒストリアイの画面に映し出された詳細な地図をすべて書き写した特別製。
帝都の近くを流れる川や地形、城壁の構造、建物や道の配置に至るまで、この世界の未発達な測量技術で作られる地図とは一線を画した代物だ。
ヒストリアイでもさすがに内部構造まではわからなかったが、皇帝の居城カイザーブルクも上から見た構造がすべて記されている。
紙はなんとか用意できたが、金に余裕がなかったので、額縁は粗雑なものになってしまったが、問題なさそうだ。
「やはり面白い男だ。貴様のような男を一人見つけられただけでも、児戯にも劣るくだらないパーティを開いた甲斐があったというものだ」
ルイーゼは赤黒い美しき妖眼でじっくりと地図を眺めると再び席についてそう言った。
「どうやってこれを作ったのかというのは野暮な質問だな」
ヒストリアイの能力は俺の唯一の切り札。
教えたところで信じるとも思えないし、これだけは教える気もない。
「ですが、パンゲア大陸の地図ならば、どのような場所でも用意できると断言できます」
「ふむ」
ルイーゼは小首をかしげて、あごに手を当て少し考えた後で言った。
「クラウゼ伯。この世界は腐っておると思わぬか。古臭い帝国のもとで特権的な貴族が高貴な家柄とやらにあぐらをかいて民衆を搾取している」
ルイーゼは立ち上がるとゆっくりと歩き始める。
いつになく饒舌だ。
「私がまだ幼子だったころ、よく屋敷を抜け出してスラム街に見物に行った。メリーをよく困らせたものだ。スラム街はひどいものだった。ろくに住む場所もなく食べるものもない。親を亡くした子供は盗みを働かなければ生きていくこともできん。父上は善政を敷いていたが、度重なる戦争によって民は疲弊し、スラムも拡大する一方であった。私は考えた。どうすれば民がみな豊かに暮らしていけるのかと。この不条理をなくせるのかと」
ルイーゼは立ち止まると俺の方を見た。
「お前はどう思う?」
「はっ……。戦……戦がなくなり、平和になればあるいは……」
戦がなくなれば平和になる。
当たり前の話だ。だが、それが根本的に格差や貧困を是正することにはなりえない。
長い歴史を紡いできた地球でさえ、その答えを見いだせずにいる。
「そうだ。戦がなくなれば人々は豊かになる。だが、それだけでは足りん。あらゆる国を一つにしなければ、戦は再び起こる。生産性のない特権階級の貴族どもを引きずり降ろさねば、民は豊かにならん」
ルイーゼが話したことが本心なら素晴らしいことだが、そんなことできるはずがない。
すべての国を滅ぼして、一つの国を作り、理想郷を実現する。
空想の世界の話だ。
「私はな。クラウゼ伯よ。この不条理な世界を正し、新しい秩序を作る必要があると考えている」
ルイーゼの発言に家臣たちがどよめく。
不条理な世界、すなわち神聖エルトリア帝国。
新しい秩序はルイーゼが作り上げる世界そのものを意味する。
これは皇帝への明らかな反逆だ。
ルイーゼの野心はそこが知れない。
神聖エルトリア帝国だけでは飽き足らず、すべての国を飲み込もうとしているのかもしれない。
理想郷実現のために。
「よろしいのですか」
流石のメリーも動揺を隠せていない。俺たちのことを心の底では全く信用していないのだろう。あの優しげな笑みも社交辞令に過ぎない。
「構わん。知らずに、のこのこやってきたわけではないだろう。相応の準備をして覚悟を持ってここまできた。そうであろう」
「はっ。フレイヘルム公のため、少しでもこの身がお役に立てればと」
俺とフランツ、ギュンターは片膝をつきルイーゼに平伏する。
爵位の上下はあれど帝国諸侯クラウゼ伯が、帝国諸侯フレイヘルム公に平伏することは本来あり得ない。帝国諸侯が唯一膝を屈するべき相手は皇帝だけだ。
しかし、弱肉強食の時代においては強者が絶対。名目は対等であっても実力は天と地ほどの差がある。
「私は嘘が嫌いだ。回りくどいこと言うな」
どうやらルイーゼには気にくわなかったらしい。
見え透いた嘘では、倒せそうにない厄介な相手だ。
こちらもわざわざ閉じてもらった腹を割って話すとしよう。
「近く戦乱が起きます」
言ってしまった。もう後戻りはできない。
「戦乱か。私が起こすとでもいうのか」
ルイーゼの刺すような視線が俺の心臓を突き刺す。
周りの家臣たちの視線も体中をえぐってくる。
白々しい。さっきの口ぶり、必ず戦を起こすつもりだろう。
だが、戦乱はいずれ必ず起きることだ。この世界はそう運命づけられている。
「いえ。戦乱が起きるのは歴史という大河の大きな流れのなせるものでしょう。先帝の崩御、賊によるアヴァルケン半島の事実上の独立」
ひとつずつ根拠を示していく。
皇帝の代替わりによる混乱と主要キャラの一人、ティナ・レア・シルウィアによるアヴァルケン半島の独立は、ほかの帝国諸侯やフランツ達も知るところだ。
「そして、西の龍の民、南のサルバシオン教」
ルイーゼの真っすぐな瞳が微かに揺らめく。
帝国より南や巨龍連山より西にある国々の情勢については、普通の北の諸侯なら詳しくは知らない。
だが、俺は違う。ゲームの事前情報とヒストリアイの情報をもとに今どうなっているかはおおよそ把握している。
遊牧騎龍民族の長ドラガ・ガガルガは危険極まりない相手だ。今も勢力を拡大し続け、略奪と征服によって得たその国力は帝国にとっても無視できないものになりつつある。
聖女アリシア率いる新興宗教勢力サルバシオンもまた、次々に国を教化し、世界に衝撃を与えつつある。
「龍の民にサルバシオン。よくそこまで調べたものだな」
ドラガが活動しているのははるか南。北部諸侯である俺が知っているのは驚きなのだろう。
「帝国はいずれ、そう遠くないうちに戦乱の渦に巻き込まれることは自明。されば私たち弱小貴族は知恵を絞らなければ、家を領地をそして民を守ることができません」
「民を守るか……。それで私を頼ってきたということか」
「無論、できる限りお役に立てるように力を尽くします」
再び、床に頭をこすりつける。
正直なところを洗いざらい話した。これでだめならお手上げだ。
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