第10話 疾風と猛牛
見たこともないくらい多くの人たちの目の前で私は、神器ディオニュソスを握っている。
「決闘開始!」
闘技場を埋め尽くす観客たちの熱狂的な歓声が銅鑼の音とともに耳をつんざき、戦いへと私を駆り立てる。
私、シャルロッテ・フォン・ミルセは主であるクルトのせいで、疾風令嬢の異名をとる、騎士道大好き娘、ヴィルヘルミーナ・フォン・アルベリッヒとの決闘ごっこに付き合わされる羽目になった。
決闘に至る経緯を聞かされたときは、あきれたけれど、私はあの日クルトを必ず守ると誓った。
守るといってもこの決闘のチップは貴族としての名誉だけ。それでも誓いを立てた以上は全力でやる。
ギュンターたちやフレイヘルム家の兵と練兵場で訓練していたけれど、ちょっと物足りないところだったし、ちょうどいい。
にしてもクルトが貸してくれた神器ディオニュソスが、こんなに早く役に立つとは思わなかったわ。女心を弄ばれた甲斐があったみたいね。
ただ相手は相当の手練れ。
神装顕現なんて見たことがなかった。
いつもなら全身に身体能力強化の魔法をありったけかけて突っ込むところだけど、あの風の鎧、うかつに近づけば、八つ裂きにされちゃうかも。
「そちらから来ないのなら、こちらから行かせてもらいますわよ。風を纏いなさい。ゼピュロス」
騎士道娘が、大槍ゼピュロスを構え、いくつもの魔法陣を展開して、全速力で突っ込んでくる。
ヴィルヘルミーナは、ただでさえ神装をその身にまとい、全身に暴風をまとっているだけでなく、神器によって風属性魔法を極限まで強化して展開している。
魔法陣から吐き出される爆風の助けを得たヴィルヘルミーナは、まるで迫りくる竜巻のように速い。
さすがは疾風令嬢。高度な風属性魔法をしかもあれだけの魔法陣を組み合わせて使っている。神器の力もあるかもしれないけど、魔法の技術も並大抵じゃない。
クラウゼ一の魔法の名手フランツでも及ばないかも。
身体強化の魔法ぐらいしかまともに使えない私にはとてもじゃないけどまねできない。
この子、ただの騎士道娘なんかじゃない。今まで戦った誰よりも素早くて、誰よりも強い。
久しぶりに負けちゃうかもしれない。けど、全力を出せる相手なんて久しぶり。最高に楽しい!
見たこともないような強力な敵を前に私は、全身を熱くする今まで感じたことのないような高揚感に包まれている。
私も迫りくるヴィルヘルミーナという暴風に対抗するためにありったけの魔力を体の中で循環させて、身体機能を極限まで強化する。
身体強化の魔法だけは誰にも負けない自信がある。
それにどんなに速くて強い攻撃でも、避けてしまえば問題にはならない。
「そんな直線的な攻撃じゃ当たらないわ」
私はぎりぎりで身をひるがえして、飛び上がりヴィルヘルミーナの攻撃をかわす。
危なかった。ヴィルヘルミーナと槍が纏う鋭利な風に、少しでも触れていたら、切り刻まれていたかも。
でも、これで後ろは取った。あの大技ではすぐには立て直せないはず。
「もらった」
背中が、がら空きだ。
空中で体をひねり反転。着地と同時に、地面を蹴ってミーナの背中に一直線。全体重と魔力をディオニュソスに注ぎ込み、大上段から必殺の一撃をたたき込む。
勝てると確信した瞬間に蒸発していた理性が戻り、背中から冷や汗が噴き出る。
調子に乗って、威力を出しすぎた! 模擬戦で人を真っ二つにしたら大変ことになる。
間に合わない。放たれたディオニュソスはヴィルヘルミーナの背中を直撃する。
やっちゃった。一瞬、青ざめたが、手に伝わった感触は軽い。まるで油で滑ったようだ。
そこにヴィルヘルミーナの姿はなかった。彼女はディオニュソスの衝撃を受け流し、受け流した方向にくるりと飛び退いていた。
「当然。後ろに回り込まれることも想定済みですわ」
ヴィルヘルミーナの背中に魔法陣が展開されている。
どうやら風に乗せて、ディオニュソスの力を受け流したらしい。
無事なようで安心する。でも悔しい。全力を込めた一撃を躱されるなんて、いつぶりだろう。
師匠であるギュンターにも負けなくなってから、クラウゼの人間で私よりは強い人はいなくなってしまった。
だから人間相手に本気の一撃を放ったことすら、久しぶりかもしれない。
最初は公爵家のお嬢様だ。なんて馬鹿にしていたけど、全然違う。戦っていて、楽しい。この子になら私は全力以上の力をぶつけられる。
「素敵な笑顔。私もあなたと同じ。とっても楽しんでいますわ」
ヴィルヘルミーナも清々しい笑顔を浮かべ、再び、ゼピュロスを構える。
「そうみたいね。私も楽しい。でも、もう終わり。何度も、同じ手は効かないわ」
「ええ。確かにわたくしは正面突撃以外の戦い方を知りません。しかし、それでこそ騎士。鎧に身を包み、馬にまたがり、槍を持って戦場を駆ける騎士、貴族のあるべき姿。私の鎧はこのドレス。馬は風ですわ」
ヴィルヘルミーナは魔法陣を地面に複数展開する。
地面の魔法陣から巻き起こった荒れ狂う豪風が、壁となって私とヴィルヘルミーナの一直線上に一本の真っすぐな道を形作っている。
まだ、これだけの魔法陣を展開できるなんて、しかも、この魔法陣。これじゃあ、避けられない。
ヴィルヘルミーナは自らの退路を断ち、そして私の退路も断った。
騎士らしく相手を粉砕するために完璧な舞台を整えちゃったってわけね。
これだけの魔法の才能があればもっと器用なことができそうなものなのに。
「まったく、とんだ騎士道狂いね」
そうはいっても私もヴィルヘルミーナと同じで器用な戦い方はできない。私にできるのは強力な一撃をもって相手を正面から粉砕する一撃離脱戦法だけ。
結局、ヴィルヘルミーナを打ち倒すには力で競り勝つしかない。
「アルベリッヒの風をその身に受けてみなさい」
ヴィルヘルミーナは皿に魔法陣を展開。魔法陣から吹き荒れる爆風を推進力にまるで放たれた一本の矢のように突っ込んでくる。
「正面からくるならこっちだって」
私はヴィルヘルミーナを迎え撃つべく自分より大きな斧、ディオニュソスを大上段に構え、体の中とディオニュソスとに魔力を激しく循環させる。全身が芯から熱くなり、体から蒸気が出る。心臓は強く拍動し、血が激流となって全身を駆け巡る。
研ぎ澄まされた感覚が私にすべてを教えてくれる。
風のわずかな流れを敏感に肌で感じ取り、ヴィルヘルミーナの細かな動きを目で捉える。観客の歓声やクルトたちの応援の音は完全遮断され、耳はヴィルヘルミーナの心臓と呼吸の音だけを聞き分ける。鼻はこの闘技場に充満する闘気のにおいをかぎ分ける。
時間の流れも空間も世界のすべてが、この瞬間だけヴィルヘルミーナと私という二人の人間の間にだけ存在しているような感覚。そして確実に彼女もそう感じている。
まだ、使い始めて間もないディオニュソスを未熟な私は全然使いこなせていない。神装顕現も使えない。
でも、この瞬間だけは、神器と私は一体になっている。
これなら勝てる。
「「はぁああああああ!」」
巨斧ディオニュソスと風を纏う大槍ゼピュロスが、激しくぶつかり合う。
その衝撃波は巨大な円形闘技場を揺らし、爆風は砂塵を巻き起こし、地面には無数の亀裂が走る。
莫大な魔力のぶつかり合いは限界に達して、噴流となって空を穿つ。
くっ。やっぱり強い。一瞬でも気を抜いたら、押し負けてしまいそう。
「あっ」
ぶちっと筋肉が断裂する音が聞こえた。今までにない大きな負担に体が耐え兼ねて、悲鳴を上げた。腕に力が入らなくなりディオニュソスを握る手が一瞬、緩んだ。
「きゃああああ」
刹那、力の均衡は一気に崩れて、私はディオニュソスと一緒に、後ろに吹き飛ばされた。
体が壁にたたきつけられる。その痛みで一気に現実に引き戻される。
ああ、そういえば、これ、クルトの決闘だったんだ。負けちゃったな。もう、体がばらばらになりそうなくらい痛くて動けそうにないし。
でもそれ以上に楽しかったから別にいいか。クルトならきっと笑って許してくれる。
「いい決闘でしたわ」
歓声で闘技場が沸き上がる中、ヴィルヘルミーナは地に伏した私に手を差し出す。
「えっと……」
「ミーナ。ミーナでいいですわよ」
「ありがとう。ミーナ。悪いけど。もう、そんな力も残ってないみたい」
腕を伸ばすこともできない。
ああ、本当はもっと戦っていたい。全力の真剣勝負をしていたい。血沸き肉躍るような戦いを。
私にもっと力があれば。
今までにない感情の高ぶりが、私の体を駆け巡る。
ディオニュソスがドクンと拍動する。黒くドロッとした魔力がにじみ出てくる。
「どうしましたの?」
「なにこれ、なんなの。いや、こないで」
黒くてドロドロした液体が手を這い、首に絡みつき、やがて私を支配した。
これがディオニュソスの本当の力。
力が、途方もない力が沸き上がってくる。まるで生まれ変わったかのよう。ああ! なんて気持ちがいいの。
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