第7話 穏やかな朝
カーテンの隙間から差し込んだ光で、気持ちよく目が覚める。
そういえば、フレイガルドに来ていたのだったな。泥のように眠っていたので、すっかり忘れていた。格好も昨日のままの旅衣装で髪もぼさぼさだ。
いつ何があってもおかしくはないこの世界の見ず知らずの場所で、ぐっすり眠ってしまうとは不覚だった。でも、疲れはすっかり取れた。それに無事、生きているので良しとするか。
「クルト様。クルト様。起きてください。ご朝食の準備ができていますよ」
心地よい目覚めと同時に廊下から俺を呼ぶ声がする。
この明るい声。ペトラだな。
ペトラは俺たちの身の回りの世話をしてもらうために連れてきた従者の一人だ。
もともと屋敷に従者として雇われていた村娘で、ステータス的には智謀が少し高い程度で見るべきところはないのだが、働き者で洗濯や掃除をてきぱきとこなし、料理の腕は抜群だ。ヒストリアイでは測りきれない魅力を持った少女だ。
ペトラのことだ。今日も朝早くから働いていたのだろう。ならば待たせるわけにはいかない。
俺は適当に身支度を整えると部屋を出る。
「ペトラ。おはよう。朝から精が出るな」
「クルト様、おはようございます。――――って髪がぼさぼさじゃないですか」
「すまん。すまん。でも先に飯にしよう。夜から何も食っていない。腹が減ってしようがないんだ」
「駄目ですよ。ここはクルト様のお屋敷じゃないんですから。身だしなみはしっかりしないとほかの貴族様に馬鹿にされてしまいます」
俺はそのまま、ペトラに部屋に押し戻されて、椅子に縛り付けられ、あれよあれよという間に身支度を整えられてしまった。寝癖もきちんと直っている。
この世界に来たばかりの頃、クルトと同じように貴族だからとペトラに身支度を整えてもらっていたが、自分でやったほうが早いし、ペトラも楽だろうと断ったのに、このありさまでは、とんだ二度手間だ。
「はい。これで完璧です」
「ありがとう。もういいか。腹が減った。行こう。今すぐ行こう」
「あ、置いていかないでください」
今度こそは朝飯だと朝食会場に急ぐ。
広い食堂にはポツンと寝起きのフランツだけが座っている。
おかしいな。ここにはもっといろんな貴族が泊まっていると思ったがフランツだけか。
「おはようございます。クルト様」
いつもは切れ者のフランツも朝には弱い。
主君の前だからと背筋を伸ばしているが、目はとろんとしている。
「おはよう。フランツ。ほかのみんなはどうした?」
「会っていません。みなさんまだ寝ているんですかね」
フランツは寝ぼけて、力なく皿の上に乗ったソーセージにフォークを刺した。
「何を言っているんですか。フランツ様。寝坊助なのはクルト様とフランツ様だけです。ギュンター様もシャルロッテ様も、とっくに朝食を召し上がって、兵隊さんたちを連れて練兵場に行かれました」
呆れた顔でペトラが、説明する。
朝早くに目覚めたと思っていたが、どうやらかなり出遅れたらしい。
「どおりで誰もいないわけだ。なら早く食べよう。お前もまだだろう。ペトラ」
「いいんですか」
「ああ、お前には迷惑をかけたし、それに今はみんな、フレイヘルム家の客人だろう」
「ありがとうございます」
ペトラは満面の笑みを浮かべる。
普段から苦労を掛けているからこんな時ぐらい労ってやらねば。
それに大貴族ならいざ知らず、小さなクラウゼ家ぐらい主人も家臣も従者も同じ食事を囲んで食べていいじゃないか。むしろ、見守られながら一人で食べているほうが、現代人の俺からしたら不自然だ。
「にしてもここの飯はうまいな。ペトラは腕がいい料理という感じだが、ここのは素材がいいという感じだ」
ふかふかの白いパンに、色とりどりの野菜がふんだんに使われたサラダ、肉のぎっしり詰まったしかし、さっぱりとした絶妙なソーセージ、程よく火の入ったスクランブルエッグ。
どれを食べても裏切らない。見た目通りのおいしさだ。
ペトラたちが作る料理も素朴でおいしいが、ここの料理はさしずめ高級ホテルの朝食だ。
「ほめても何も出ませんよ。だけど、本当に食材が新鮮です。冬だっていうのに生野菜がおいしい」
ペトラはフォークで刺したみずみずしいトマトをまじまじと眺めた後で、ほおばる。
「フレイガルドが豊かな証拠です。生野菜は魔導技術のたまものでしょう」
ここには温室でもあるのだろう。同じ帝国内でも文明レベルが違うようだ。
俺たちはフレイヘルム家の料理人が腕によりをかけた朝食をたらふく食べた。
「ふー食った食った。さて、どうしたものか」
腹ごしらえが済み準備万端といったところで、実はやることがない。
パーティは明後日の夜でそれまでは暇だ。
シャルロッテとギュンターは兵士とともに訓練だし、フランツも情報収集をしてくると商人風の装いに着替えて出ていってしまった。
せっかくフレイガルドまで来たのだから有意義に過ごさないともったいない。
ここは当主らしく、ほかの貴族と交流を深めるとするか。外交の幅は広いほうがいい。
「よし。ペトラ。出かけるぞ」
「はい。お供します」
「いや、いい。それよりもほかの従者たちとゆっくりと休め」
俺はポケットから銀貨の入った麻袋を取り出し、ペトラに手渡した。
ペトラは少し袋を開けて、隙間から中をのぞくと目を見開く。
「こんなに……。受け取れません」
「大丈夫だ。宿代が浮いたからな。少しだけ余裕があるんだ。みんなで使ってくれ」
「はい。では、村では手に入らないものを仕入れてきます」
ペトラはぺこりと頭を下げると大事そうに銀貨の入った麻袋を握り締めて、ほかの従者たちを呼びに行ってしまった。
「働きすぎるのも毒なんだがな」
家臣たちは従者に至るまでみんな働き者だ。
疲れ切った現代人とは違い、この世界の住民は活力にあふれ貧しいながらも意気揚々としている。二十四時間働く往年のビジネスマンのごとき彼ら彼女らを見ていると俺も働かずにはいられなくなる。
働き方改革が叫ばれるべきだとは思うが、平和な日々が訪れるまでは、甘えさせてもらうしかない。
にしても村で手に入らないものを仕入れるか。まだ、若い村娘のペトラが咄嗟に思いつくとは、統治や軍事の才能はなくとも商人の才能が意外とあるのかもしれない。
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