第6話 フレイガルド
帝国歴1655年4月。
鉄血令嬢ことルイーゼ・フォン・フレイヘルム公爵が治めるフレイヘルム公爵領。
帝室の分家であるフレイヘルム公爵家が代々、この地を治め、北の大国ルテニア大公国とスカンザール王国に睨みを利かせている。
俺たちの住むクラウゼ伯領はクラウゼ家、ミルセ家、ヴァイル家が、統治する三つの村から成るが、フレイヘルム公爵領は比較にならないほど大きい。
ルイーゼとその叔父による後継者を巡る内乱の前、フレイヘルム家の領土は忠誠を誓う百を超える家臣の領地によって構成されていた。その広大な領地はルイーゼの粛清により、今はルイーゼと二十ほどの家臣たちだけで支配されており、中央集権化が著しく進んでいる。ゆえにルイーゼの権力は絶大なものだ。
さらにフレイヘルム公爵領は鉱山を複数抱え資源に富み、ルイーゼの改革で芳しくなかった農業生産力も大いに伸びている。
フレイガルドはそんなフレイヘルム公爵領で最も大きな都市で、フレイヘルム家の政治、軍事、経済の中心地。ルイーゼのお膝元だ。
俺の住む村は粗末な木造の家しかなく、道路もまともに整備されていないような寒村だが、それとは対照的にフレイガルドには三十万人近くの人々が住み、都市は理路整然としている。
レンガ造りの家々が立ち並び、道路も石畳、大都市特有のスラム街も存在しない清潔感溢れる町並だ。
都市の中心部から離れた場所にはなにやら工場のような研究施設のようなレンガ造りの近代的な巨大建造物が立ち並び、高くそびえ立つ煙突から、絶え間なく煙を吐き出し続けている。それでいて不思議と空気はまったく汚れていない。なにを製造しているのかまではわからないが、優れた魔導技術を持っていることは疑いない。
ルイーゼの成人を祝うパーティに招待された俺たちは、狭い馬車に詰め込まれて、そんなフレイガルドにやってきた。
メンバーは俺、フランツ、シャルロッテ、ギュンターと護衛の兵士と従者たち。全部で二十人ほど。ヴォル爺は高齢のため、ここには来ていない。
人が増えればその分経費も掛かるのでクラウゼ家の財力ではこれくらいが精一杯だ。
帝国伯爵という身分を考えるならば、全軍、引っ張てきても足りないくらいなのだが、合理性を重視するルイーゼのパーティなら見栄を張らずとも馬鹿にされることはないだろう。
フレイヘルム公爵領は広大なだけあって、ほとんど隣接しているにもかかわらず、フレイガルドへの旅路は一週間も続いた。なかなかの強行軍だったが、日が暮れる前までには到着することができて一安心だ。
慣れない馬車での長旅でへとへとだったが、無駄がなく美しいフレイガルドの街並みに思わず見入ってしまう。
「素晴らしい街ですね。人通りも多く、城壁もない」
フランツがまわりを見渡し、呟いた。
日が暮れれば、俺の領地は真っ暗になってしまうが、フレイガルドはまだ大勢の人が出歩いていて、建物にも明かりがつき始めている。眠らない街というやつだろう。
「まったく、すぐ隣は敵国だってのに危なっかしいことこの上ないですな」
戦の経験が豊富なギュンターは驚いている。
攻める側にとって城壁があるのとないのとでは雲泥の差がある。
「城壁はフレイヘルム公が、街づくりに邪魔だからと撤去してしまったらしい。その時の資材が、石畳の道路に流用されているんだろう」
大都市にも関わらず城壁がないのもパンゲア大陸では珍しい。外敵からの侵入には弱くなるが窮屈な城壁はないほうが、都市の拡張性が増し経済的だ。それだけ軍事力に自信があるという裏返しでもある。
「せめて私たちの領地まで道路が敷かれていれば、こんなに苦労をすることもなかったのに」
シャルロッテは肩を落としてうなだれる。
一応、フレイガルドと帝国の中心部にある帝都ヴァッサルガルトをつなぐ街道は多少、整備されているのだが、我が領地はそこからは大きく外れていてあまり恩恵を被ることはできない。
「フレイヘルム公と仲良くなった暁にはぜひとも石畳の道路を敷いてほしいもんだ」
冗談を言う気力も次第に無くなり、俺たちは重たい体を引きずりながら大通りを進んで、宿に向かう。
貴族が泊まるには安すぎる宿らしいが、フレイガルドの宿ならうちの村よりは豪華だろう。
なぜかじろじろ見られているような気がする。よっぽど田舎者だと思われているに違いない。恥ずかしくない格好で来たつもりだが、都会人のお眼鏡にかなうものではなかったらしい。
「坊ちゃん。ありゃ、フレイヘルム公の兵ですかい。ずいぶんいい身なりですなあ」
ギュンターの示す方向に兵士の集団が見える。
十人ほどの小集団で皆、光沢のある黒い兜をかぶっている。兜は頭頂部にスパイク状の突起が付いたヘルメットのような形をしており、前面にはフレイヘルム家の炎華の紋章が金メッキであしらわれている。
兵士たちは首元と手首の部分の赤色が特徴的な黒を基調にした軍服に身を包み、肩から掛けた魔導式ライフルは銃剣付きの最新式だ。
先頭に立つ白い軍服の端正な顔立ちの少女がひとり異彩を放っている。
武器も銃ではなく、腰に差した一振りの軍刀だけだ。
「フレイヘルムの実力主義というのは本当のようですね。あんな若い娘が、指揮官とは」
「あの子、相当強いよ」
「ただもんじゃないな。隙がねえ」
フランツの指摘通り、先頭に立つ白い軍服の少女は立ち位置から言って隊長格で間違いない。
シャルロッテもギュンターもステータスを見ることはできないが、相手がどれほどの実力者かを見抜くことはできる。シャルロッテの天性の動物的勘とギュンターの長年の経験からくる勘はヒストリアイより、よほど信用に値する。
それにヒストリアイを使わずともわかる。
新雪のように白い肌。肩まで伸びた美しい白みを帯びた青い髪。
そして星々がきらめく夜空のように恐ろしくも鮮やかな輝きを放つ、深い瑠璃色の瞳。
間違いない。
「フレイヘルム公の重臣。シュネー伯爵の末娘、リア・フォン・シュネーだ」
「シュネーというと変人一家で有名なあのシュネー伯ですか」
「ああ、そうだ。その中で唯一まともな人格者と言われているのが、あそこにいるリアだ」
シュネー伯爵家と言えば、シュネー伯とその妻、長女はいかれた錬金術師、次女は冷酷な戦士として北では少しばかり名の知れた有名人だ。
そんな家族のもとで育ったリアはシュネー家で唯一まともだと言われている。きっと父や姉を反面教師にして育ったのだろう。
もっともステータスはまともではなく、その武勇はAランクとシャルロッテに一歩遅れるが、統治A智謀Bと内政にもたけるかなり優秀な人材だ。
「まともですか。クラウゼ帝国伯爵にお褒め頂けるとは光栄ですこと」
リアの敬意が全く感じられない冷たい一言が俺に突き刺さる。どうやら聞かれていたようだ。
「もっとも、父上やお姉さまと比べられてまともでは、あまりうれしくはありませんが」
丁寧な口調かと思いきや、この毒舌だ。どうやら小さな隊長さんは本音と建前というものを知らないらしい。
爵位から言えば帝国伯爵である俺はただの伯爵に過ぎないシュネー家の娘よりもだいぶ格上のはずなのだが、リアには帝国の権威というものは通用しない。彼女の忠誠は帝国や皇帝ではなく、すべてフレイヘルム家に向けられている。
実力から言ってもシュネー家の所領はクラウゼ家の何倍も上なので、舐められても仕方がないが。
「こっちこそ驚きだ。まさかうちのような弱小の名前をわざわざ知っているなんてな」
「当然です。今回招待した北の諸侯の方々は厚く遇するようにとルイーゼ様から命じられておりますので、よく調べさせていただきました。なので、警戒する必要はありませんよ」
リアが軽くシャルロッテとギュンターを見る。
シャルロッテは左手に嵌めた指輪から手を放し、ギュンターも剣に添えていた手をひらひらと振って頭の後ろで組んだ。
さすがはフレイヘルム家の実力者。二人とも違和感なく臨戦態勢を整えていたのに、いともたやすく看破した。
「これは失礼を。なにぶん田舎者で都会に慣れていなくてな」
「ええ、クルト様。私も人に酔ってきてしまいました」
フランツが力なくよろける。
この場をうまく収めるための嘘なのか、それとも本当に酔っているのか。
いや、出不精のフランツならば、あながち嘘でもないだろう。
彼は真実に少しの嘘を混ぜるのがうまい。
「いえ、お構いなく。ルイーゼ様より、あなた方を宿にお連れするようにと言われておりますので、ご案内させていただきます」
一喜一憂したが、リアはさして気にしていないようだ。そこまで侮られると俺のちっぽけな自尊心はさらに細かく砕かれてしまう。
だが、ここは挫けずに貴族らしく威厳を保つためにも胸を張って歩こう。
「なにやってんのよ」
シャルロッテに気持ち悪いものを見る目に激しい自己嫌悪感と少しの快感を覚えて俺はうなだれた。
そのまま、リアとフレイヘルムの兵に先導され、俺たちは迎賓館に案内された。
ルイーゼが最近になって建てたものらしく、装飾は控えめで質素な感じだ。それが逆に雅やかな雰囲気を演出している。
「クルト様はこちらのお部屋をお使いください。なにかあれば、なんなりと従者にお申し付けを」
「ああ、ありがとう。できればフレイヘルム公にご挨拶したいところだが、こんなみっともない恰好を見せるわけにはいかない。フレイヘルム公に申し訳ないとお伝えしておいてくれ」
「承知しました」
そっけないリアと別れると俺はそのまま皆とも別れて部屋に入った。
俺や貴族階級の家臣には一部屋があてがわれ、ギュンターや従者、兵たちは迎賓館の隣に建てられたそこそこ立派な宿舎を与えられた。
弱小貴族に対しては異例の厚遇だが、何か裏があるのだろうと思うと純粋には喜べない。
しかし、部屋に足を踏み入れてから、疲れがどっと出て、考えを巡らせる間も着替える間もなく、ベッドに倒れ込んだ。
さすがはフレイヘルムのベッド。ふかふかの一級品だ。
そのまま、俺は気を失うように眠りについた。
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