女装に関するある一つの回想

 教室に帰ってきた学級委員・松井君の申し訳なさそうな顔を見て、彼のクラスの九割が察したという。ただ彼はその時丁度机に突っ伏しており、気付くことはなかったらしい。

「抽選ダメでした……ということで屋台は無しで教室実施ってことになります……」

 半ば義務のように、えー、とかあー、といった声が上がる。軽いノリにしなければならないという同調圧力みたいなものである。特に「しゃーない! しゃーない!」とを野次を飛ばしているのは、宇治原というクラスのムードメーカー的存在の男であった。一方、その騒ぎを見てようやく事態を把握し起き上がったのが、彼、こと滝本であった。

 彼は所謂陰キャである。名は滝本卓也、××西高校二年三組出席番号24番。クラスメイトには稀に「滝本」とか「滝本君」などと呼ばれている。友達は少ないというか、いないといって差し支えない。もちろん彼女もいない。運動はあまり好きではなく、一応コンピューター同好会に所属している。察しの通り視力は悪く、眼鏡をかけている。また彼は良く見積もっても自分がせいぜいフツメンだという彼なりの自覚を持っている。一応そこそこの進学校であり、理系志望、成績はいつも120/240くらいで、得意教科も特になく、苦手教科はほぼ全て、高一からずっとなあなあで塾に通っているが特に成績が伸びる兆しもなく、まあ上手いこと地方旧帝に滑りこめれば御の字という所である。

 しかし、彼はモブキャラではない。

 漫画などではよく自分のことをモブキャラと自虐する脇役がいるが、それはメタを捉えているわけではなく、あくまで俯瞰で見たつもりになっているだけのことである。思考している各々が主人公であると捉えることになんの問題も無いのである。それがたとえどれほどしょぼくれたストーリーであろうとも。


 ・喫茶

 ・メイド喫茶

 ・和風喫茶

 ・和風メイド喫茶

 ・うどん

 ・流しそうめん

 ・クレープ

 ・かき氷

 ・フロート

 ・パフェ

 ・ワッフル

 ・チャーハン

 ・おこのみやき


 ・おばけやしき

 ・アトラクション

 

 営利にするということは満場一致の挙手で決まった。滝本は「正直どっちでも良い」と思っていたが、大勢に合わせて営利の方に挙手をしておいた。彼は非営利に美徳があるとも思っていなかったが、どれだけかも分からない臨時収入のために必死になる程の気力は理解できなかった。また、彼は自分が大して運営に協力もしないだろうと見込んでおり、その自分がちゃっかり山分けされた利益を受け取るのもなんとなく気持ち悪いと感じていた。

 黒板に何を出すかの案が記載されていった。それを、

(こういうのは先にラインで決めておけよな。早く帰ってグラブりたい。塾あるけど)

 などと考えながら、彼は無気力にやり過ごしていた。

(どうせ俺は多いとこに手あげるだけだし……でも食いもんの方がマシかな……まあアトラクションとメイドは無いだろ)

 黒板に挙がったこれらの中から三つ選んで挙手することになった。その結果、

 ・メイド喫茶 多数

 ・フロート 多数

 ・パフェ 19

 ・チャーハン 18

 が残った。

 実の所、滝本は軽度のオタクだった。だからこそ、彼にとってメイド喫茶は時代遅れの賜物でしかなかった。そもそものメイド喫茶、和風メイド喫茶とまで食い下がるこの提案から多数の得票まで、おそらく一部の女子生徒達の主導であることは明らかだった。教室の半分にはどことなくしらけた雰囲気が漂っている。しかし決定だった。

 その後、役割分担の班分けが行われ、滝本は迷わず雑用班に入った。あとは行動的な生徒達が勝手に話を進めてくれることだろう。

 滝本は積極的に参加する気も無かったし、いざとなればPC同好会の企画準備という言い訳の名目があった。そちらにせよ結局意欲的な部長が適当にやってくれるだろうし、同好会自体、滝本にとって教室よりは居やすい空間だった。

 その後クラスラインを見ると、件の彼女達は自分達だけでなく、

『新規性を考えて、男子もメイド着よ!』

 という話を進めているようだった。発言者は、何らかのマスコットの写真をアイコンにした『さくらい』というスクリーンネームの女子生徒であった。彼女の名は櫻井莉緒、家庭科部と茶道部と生徒会を兼部しており、顔は中の下と言ったところだが明るく友人も多いらしい。

(……いや、女装メイドに新規性は無いから)

 塾の自習室で滝本は一人内心でぼやく。

『着る笑』

 そうすかさずコメントを返したのは、『K大宇治原』というスクリーンネーム。宇治原健翔は、茶髪でいかにもチャラチャラした格好に見合う顔面を持っていたが、とてもじゃないが京大は無理筋な成績や、悪くは無いがずば抜けて良いという程でもない運動神経、SOS同好会といういかにもな地雷部活に進んで加入するといった自分から強引に笑いを取っていくスタイル、何より野次入れや合いの手を入れていくことで皆からムードメーカー的に親しまれ、『ウジケン』『ウジ』などと呼ばれていた。滝本も、宇治原と直接的に絡んだことは殆ど無かったが、彼に対して比較的親しみやすい方だろうとは感じていた。

(まあ、俺はやるにしても多分調理番だから関係無いし。にしても女装とかマジで誰得ってか寒いだけなんだけど……内輪ウケの極みだろ。無難に女子のにしとこ? 女子のメイド服ならそこそこ見たいし。岡さんとか)

 岡さんとは、女子バドミントン部の同級生だった。本名は岡夕衣。欅坂に居そうな垢抜けた容姿と、噂によれば運動能力もかなりのものらしい、それ故の自信と余裕、彼や他生徒がつけているクラス内女子のランキングでも三位以内に入る、もしカーストというものが存在するなら間違いなくトップクラスであろう生徒である。その岡さんなら十中八九着るだろうなということを滝本は察していた。

『いっそ女装だけにすんのは?』

『勘弁してー笑』

 なんだかんだ女子もメイド服が着たいのだ。

(でもやるんだろうなあ、あいつら。女装メイド)

 そんなことを考えながら復習という名の宿題をしていた。

 数日後。

 滝本が朝教室に入ると、早速メイド服を着た男子生徒が黒板の前に居て、それを女子生徒達と一部の男子生徒が囲んでいた。滝本は二度見して自分の席に着いた。

 中路という前の席の男子生徒をつついて尋ねる。

「あれナニ?」

「矢部に着て欲しいって女子の要望らしくて」

「あ、ああ確かに可愛い方だもんな……」

 今前髪にヘアピンをつけて女装メイド姿を披露している矢部航大という生徒は剣道部だったが、小柄で童顔なことで普段から可愛いと持て囃されることはあった。

 滝本は覗き見る。

(うわあ、ドヤってる……)

 櫻井を始めとした囲いの女子に可愛い似合うと高い声で言われている矢部は全く悪い気はしていないようだった。まあ確かに可愛いっちゃ可愛いし似合ってる方だとは思う。

 そしてその囲いの中に岡さんが居ることを発見して、滝本はげんなりする。もちろん、岡さんが他クラスの誰々と付き合っているという噂を知らない訳では無かったし付き合いたい訳でも無いのだが、気分が悪くなるのはやむを得ないことだった。滝本は目をそっ閉じした。

(女装する奴なんてカマホモか変態かナルシストか自己顕示欲のカタマリかウジケンみたいな半分芸人志望の陽キャかその全部だって相場が決まってるワケ……いや矢部君がそうだというつもりは無いけどね? うん)

 うつ伏せる滝本に、困ったように中路が声をかける。

「あと女装して前夜祭のクラス発表で踊るから……」

「あ……ステージ発表だったっけ」

「●ンパンマンのテーマにするって」

「……えぇ……」

 中路陽樹は滝本の唯一と言ってもいいクラス内の話し相手だった。体育でペアを組まされることがあればほぼ間違いなく暗黙の了解で一緒になる程度の仲。互いに深い話をすることはなく、滝本も彼が帰宅部で勉強も運動も今一つで、おそらくオタク系ではないという事くらいしか知らない。滝本は彼を「ギリギリ友達ではないだろう」と思っていた。余り物同士、数合わせにつるんでるだけだと。滝本としてははっきり言えば中路との付き合いは妥協であり、おそらく向こうも向こうで妥協だと思っていることだろうと考えていた。

 その時だった。

「中路、ちょっと良い?」

「あ、うん」

 近付いて話しかけてきたのは土田遥という男子生徒だった。山岳部らしいが、いかにも質実剛健といった日焼けした容貌で、口数は少ないものの、人当たりの良さや堅実さで、多くの生徒に信頼され頼りにされている生徒だった。何より常に学年10位以内をキープする成績の良さは周囲に一目置かれていた。

「後でハンズでメイド服まとめて買ってくるんだけど、中路ってMで大丈夫?」

「う、うん大丈夫だと思う」

「わかった。ありがと」

 それだけ会話すると、土田は戻っていった。

「え? お前着んの? マジで言ってんの?」

 滝本は思わず尋ねてしまった。中路の容姿は、小太りで、肌荒れがひどく、愛嬌も無い方だった。

(何よりコイツ、俺と同じ陰キャなのに……)

「や、やっぱやめた方がいいかな……」

「い、いやいいんじゃね!? 俺は止めないよ!? まあ俺は絶対着ないけど!」

(つーか周りも止めろよ! アレ!? 周りって俺か!?)

「……うん、着る。土田君も着るって」

「へ、へえ……ガンバ……」

(いや……ツッチーは良いけどお前は違うだろ! 立ち位置も! 何もかも!)

 そこで中路との会話は終わった。授業が始まる。

 滝本は気まずくなった。なんとなく、自分の言動で、中路との距離が、というより中路の自分に対する距離を遠くしてしまったような、この先も消えない溝を作ってしまったような気がした。それでも、三年になってクラスが変われば自然消滅する程度の仲だし、体育でペアを組むのもおそらく不可抗力的に変わらないはずだと滝本は納得することにした。

(しかしなんでまた……俺らみたいなポジションの奴に出る幕無いのは中路だって分かってるだろうになァ……まあやるの俺じゃないから好きにすれば良いけどさ……)



 そして前夜祭の日が訪れた。体育館で全校生徒が集まって行われる前夜祭では各クラスが宣伝を兼ねて簡単なステージ発表またはビデオ発表をすることになっていた。これには発表賞もある。特にビデオ発表は時事ネタ等を混ぜ込んだクオリティの高くウケを取れる映像を作りやすく、なおかつ手軽なことで人気があった。

 そんな中、滝本のクラスである二年三組はステージ発表をすることになっていた。

「やば! やば! これ絶対滑る奴じゃん!」

 クラスごとに固まって座っている中、女装した宇治原が小声で叫んでいた。前クラスのクオリティの高いビデオ発表が続いた中で、二年三組は既にお通夜ムードになっていた。

(企画する前に気付けよ……まあビデオ発表になったらPC部の俺が任されることになりそうだったしそれよりかは良いんだけどさ……陰キャで良かったァ)

「行ってきます!」

「「が、頑張れー!」」

 ついに自分達の番になって、宇治原達は努めて明るくするように宣言して飛び出して行った。その中には中路も居た。暗くて分かりにくいものの、おそらく見れた見た目ではなかっただろう。

 ●ンパンマンのテーマが流れ出す。

 そして終わった。

 滝本は終始顔を上げられなかったが、とにかくダダ滑りだった。冷え冷えだった。「うわぁ……」「てかなんでこんなことしてんの」というクラスの女子達の声も聴こえてきた。

 戻ってきた宇治原達も、あからさまな葬式ムードを醸し出していた。「お疲れ!」「お疲れ様!」「仕方ない!」「よく頑張った!」と声が飛ぶ。滝本も小声でお疲れと言った。

(勇気あんなあ……)

 と滝本は素直に思った。

(すごいな、あんたら。中路も……)

 当然ながら、発表賞は取れなかった。


 学祭前日ということで、クラスは出店準備の追い込みにかかっていた。

 そんな中、滝本は手持無沙汰で、教卓に置かれた女装用メイド服を見ていた。もし自分が女装メイドをやっていたら、ということを考えていた。

 中路の女装メイドは、誰に触れられることもなかった。当たり前だ。見栄えが悪い上にイジリやすい性格でもない陰キャの中路に対しては、そっとしておく以外のリアクションは取りにくいのだ。

 それでも、中路は悲しそうながらも妙にスッキリした顔をしていたし、明日も懲りずに着ると言っていた。

 中路は何をしたかったのだろう。何を変えたかったのだろう。でもこれだけは知っていることがある。

 何も変わらない。変わったとしても、悪くなる。

 そう滝本は思った。

「おっ、滝本君じゃん」

 そうしていると、宇治原に声をかけられた。見られていたのかと、滝本は慌てて顔を上げる。

「え、何?」

「ひょっとして今暇?」

「いやそういうわけじゃ」

「暇ならさ、外側の装飾の人員足りないって」

「……あ、分かった……」

 滝本は後ろめたくなると同時に宇治原に感謝した。宇治原はちらっと衣装の方を見て言葉を続ける。

「それさ、滝本君も着る? 着たかった?」

「違……うケド」

 滝本は反射的に否定した。

「着りゃえーやん。シフト交代あるし、せっかくだし」

「……着ないって。てか調理だから」

 滝本は今まで以上に全く着たくなくなっていた。宇治原は少し笑って滝本の肩を叩く。

「へぇそーなん(棒)。ま、明日はよろしくやってこーな!」

「あ、うん、よろしくー……」

 宇治原は去っていった。

 滝本は外装飾の手伝いに行く振りをしてトイレに駆け込んだ。

(わざわざ話しかけてくんなボケ!)

 そう心の中で毒づくが、流石にこれは八つ当たりがすぎるなと滝本も思った。

 

 文化祭当日。

 準備万端とは正直言えないものの、教室はすっかりお祭りモードとなっていた。滝本がぱっと見る限り、宇治原、土田、矢部、それと学級代表の松井がカツラを被ったり髪型をアレンジしたりして女装メイドになっていて、女子の方は櫻井と取り巻きの女子数人がメイド服に着替えていた。

(岡さん着てないんかい!)

 岡さんはなぜか学校指定ジャージだった。髪をポニーテールに結んでいて可愛い、どうやら最終作業に取り掛かっているらしい。

「あれ、中路いいの?」

「あ、僕は後で着るから」

 一応中路に聞いてみると、そういう返事が返ってきた。

 そうしていると、不意に教室がざわめいた。入ってきたのは堀北亜美果という女子生徒だった。メイド服を着て、恥ずかしそうに目を伏せている。

「亜美ちゃん可愛い! 写真撮らせてー」

「う、うん……」

 すぐに櫻井達が駆け寄ってスマホを向ける。

(あっ、堀北さんええやん……)

 滝本は素直にそう思った。

 堀北はただでさえ女バスで背が高い上にぶっきらぼうな態度で、近寄りがたい雰囲気のある女子だった。まあ近寄りがたいも何も、大抵の女子と話す機会は滝本には無いのだが。しかしメイド服を着た堀北さんは太腿が良い感じになっていて、表情にも今までに無い感じの柔らかさがあり、まあ実行はしないが、自分も写真を撮っておきたいと滝本は思うのだった。

 それから細かい作業が続き、ついに開場二十分前になった頃、宇治原がクラス全員を教室内に集めた。

「じゃあ、いっぱい収益出るように頑張っていきまっしょ!」

(円陣て……)

 宇治原達陽キャのノリで、全員で円陣を組む。大体の同級生は、苦笑しつつも割と本気なようだった。茶番なことはほぼ皆分かっているが、それでもやるムードというのはあるらしい。


 滝本は学祭の喧騒の中、一人途方に暮れていた。一応、PC同好会が占拠している教室(ポスターやPCで作ったゲーム等の作品の発表と簡単な茶菓子の販売。滝本もペイントで描いたロボットや猫耳女のイラストを数枚寄せている)に行けば取り合えず時間は潰せるが、あまりたむろするのも他の部員や顧問教師の目が痛く、ある程度したら出て行く他ない。かといって一緒に周る人間も居なければ別に誰かと回りたい訳でも無く(女子なら別だが)見たい物も無い。体育館で学祭バンドでも見ておけば良いのだが、あのうるささと痛さに耐えられる気もしない。二日目のダンス部の発表だけは見ておこうとは思う。

(暇ならシフト入れろよって話だがそれは面倒なので逃げたい)

 腹が減ってきたので、滝本はバザーに行き、事前に買ったチケットとから揚げ弁当を交換した。第二体育館に敷かれたシートに胡坐をかいてぼっち飯をする。出店で焼き鳥でもなんでも買って食う方がよっぽど楽しいだろうが、なぜか注文に並んで金を払うという度胸が持てないのだった。

 バンドの爆音がここまで響いてくる。

(去年の学祭の時もこんな感じだったっけ? いや去年はもうちょいアクティブだった気もする……。何やってんだ俺は……)

 そんな思いが浮かんでくるのをこらえて取り合えずグラブルをやっているうちに、弁当を食べ終えてしまった。しかしゲームの辞め時もなかなか無く、二十分以上シートの上でダラダラしていたところで。

(よしっ、漫研でも見に行くか!)

 と滝本は決めた。そして漫研の発表場所に来た。去年も来たのだが、相変わらず代わり映えしない。ちょっとしたイラスト展示と黒板のお絵かきコーナーと謎のアクセサリーの販売と、十年分くらい溜まった一冊100円の部誌が陳列されている。

 ちょうどその時店番をしていたらしい黒縁眼鏡の女子生徒に滝本は見覚えがあり、記憶を辿る。

(藤嶋さんだ、確か)

 今のクラスの同級生なのだった。しかし特に滝本に顔を向けることもなく椅子に座って足を組んでガンガン系列の漫画を読んでいて、声をかけるのもしがたい。

 滝本は取り合えず一通り見て回る。滝本よりは上手いが一般的には上手いとは言えないイラストが並び、一枚10円で販売されている。部誌は、滝本は去年買ってみてがっかりしたのだが、厚さこそあるが漫研と言いつつほとんどが二次創作を含めたイラストの一枚絵(場合によっては謎のポエム付き)、あとは部員紹介くらいで、もう滝本は漫研に金は出さないと断じていた。それでも気になってはしまうのだった。

 その教室を出てから、滝本はしばらく一階から四階をどこかに立ち寄るでもなくうろうろしていたが、それにも疲れ、PC同好会の展示室に戻り、漫画を読むかグラブルをして過ごすことにした。充電にも限りがあるが、他にすることもない。本当は宿題が溜まっているが。

 無心でマルチをしていると、いつの間にか四時を過ぎていた。その時ガラッと扉が開き、滝本はビクッとした。展示室に入ってきたのは、先程の漫研の藤嶋だった。

「あ、いた! 滝本君、シフト!」

 藤嶋は見て分かるくらいイライラしているようだった。滝本が慌ててラインのシフト表を確認すると、確かに四時から滝本のシフトが入っていた。むしろ『今どこ?』的メッセージがあまり仲良くない誰かから入っていた。

「え? ああ……すまん。今行く。ほんとすまん」

「いいけどさ……」

 藤嶋に連れられるように滝本は楽園を出て行く。

「滝本君来ないなら来ないでスルーされて後々白い目で見られるとこだったのをわざわざ呼びに来てあげたんだから、感謝してよね」

「ぃや呼ばれんでも行くつもりだったし……」

「遅刻してんじゃん」

「すいません……」

「私に言われても仕方ないけどさー」

 階段を上りながら、滝本には目を合わせずに藤嶋は愚痴る。

(あ……喋り方オタクだ……)

 藤嶋の一つ縛りの黒髪の後ろ姿を目で追いながら滝本は思う。

(どんくらい売れてんのとか聞いとく? 興味ないけど……いや別に後でいいか……)

 半袖シャツとベストの制服に黒地のエプロンをつけた格好の藤嶋を見て、ひょっとして自分のシフト終わったのにわざわざ呼びに来てもらったのかと思うと申し訳なくなる。しかし滝本の口をついて出たのはもっとどうでもいいことだった。

「藤嶋さんは着ないんですか、メイド服……そういうの好きそうっていうか……」

「は?」

「あっ、いや」

 振り返った藤嶋は微妙な顔をしていたが、すぐに向き直る。

「いやゆって所詮学校のイベントだし、まあそういうのは趣味でどうぞって感じ……って滝本君なんで知ってるの」

「あ、いや漫研だからそうかなって……看板の絵とかも描いてんの見たし……」

「あ、そーゆう。まあいいや」

(どういう意味のリアクションなんだ)

 教室の前に着くと、ちょうど二人の同級生が並んで立っていた。

「おっ、来た来た!」

 明るく手を振るのは、メイド服を着た岡さんだった。隣はサンドウィッチマンをやっている学級代表の松井君がいる。

「お、岡さん……」

「さっきウェイターから外回りに交代したから、今日はあとちょっとだけど頑張って宣伝してきまーす。そっちも頑張ってー」

 岡さんはそう言ってサンドウィッチマンと逆方向に離れて行った。

 滝本はぼーっとした。岡さんは可愛かった。いつも以上に確かに可愛かった。だけどこんなもんか、と納得する感じもあった。

「早く行けよ」

 藤嶋に背後から軽くどつかれた。

「あ、ごめん」

(あっそっかそっかシフト俺の前だったかー早く行っときゃよかった……)

 しかし教室に入ってエプロンと三角巾をつけ調理に取り掛かる居たたまれなさは、岡さんのメイド服姿を見れたという一瞬の喜びを完全に叩き落とすのだった。

 その時の女装シフトは矢部だったが、とにもかくにもオワコンだったはずの女装有りメイド喫茶はそれなりにウケているようで、それなりに盛況のようだった。


 そんなこんなで二日間は終わり、閉会式の後、後夜祭を迎えた。後夜祭は任意参加だが、学祭バンドが跋扈し、やたら会場の盛り上がりが激しい。正気を保ってはいられないような場所だった。一年目でそれを把握した滝本は、そそくさと体育館を出て帰ろうとした。一応ちらっと中路の方を確認したが、中路は普通に後夜祭に出る気のようだった。他の奴と普通に仲良さげにしていて、仕方のないことだと分かっていてもイライラする。

 土田も体育館を出て行くようだった。土田も帰るのか、確かにああいうので騒ぐイメージは無いなと思った。

「滝本帰るんだ」

「塾あるから……え、土田……は?」

 急に話しかけてくる土田に困惑して、滝本は聞き返した。

「いや便所」

「あ、そっか」

 滝本は自分だけ出て行くような感じがして気まずくなる。

「滝本明日の打ち上げ出ないの?」

「うん……塾あるから……明日も」

「大変だなー。頑張ってな」

(なんで俺より遥かに成績良いやつにこんなこと言われなきゃいけないんだ……塾ないし明日は……)

 しかし土田の声には何の含みもない。良い奴だろうな、ということは分かる。

「あ、でもまだ余裕あるし、もし予定とか変わったら連絡していいから」

「どうも……」

 そして適当な返ししかできない自分にも情けなくなる滝本だった。

「今日はおつかれ」

「お、お疲れ様ですゥ」

 土田と別れた後、滝本は一人で校門を抜けた。歩きながら手持無沙汰でグラブルを立ち上げるが、いつもの通り起動が遅い。初夏だというのに寒々しい。

 滝本はセブンイレブンに寄った。土曜発売のジャンプを立ち読みした後、フェスガチャのためのitunesカードとMOWを買って出た。

(お祭りだってのに、なんでこんなに惨めなんだ……)

 今日の分の和訳の宿題には手を付けていない。塾に行ったらやらないといけない。やらないといけない。やりたくない。

 高校に入ってから、スマホをながら見しながら歩くのがすっかり癖になった。それでも滝本の足は、塾への決まった道をだらだらと進んでいた。

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