第25話 最終講義
最後になったが、この秋、石巻で一番幸せになった女の子の話をして、お開きにしようと思う。
私たちは丹野君の優勝を祝して、東松島野蒜海岸そばの民宿で、焼肉パーティーを開催した。
塾生のお父さんが経営している、ひいきの宿だ。
ご厚意に甘え、一晩貸し切りにしてもらう。
宴会代は塾から出していることから分かるように、名目は新人講師歓迎会になっている。
まあ、新人と言っても、よく知る人物だ。
サルトビ氏が本格的に石巻に居つくことになり、就職先として我が庭野ゼミナールを手伝うことになったのだ。古川パパを足止めした功労者でしょ、とプティーさんに言われ、断り切れなかった。
「講義科目は、忍術とナンパ術デース」と本人は吹聴していたけれど、英語その他の担当を、予定している。
本当は古川植木屋の職人さん、ママさんチアチームの全員を呼びたかった。チアメンバーはみんな家庭持ちで、「気持ちだけありがたく頂戴しておく」とみんな不参加だ。一次会だけ参加という条件で、リーダーの畠山さんが、唯一つきあってくれることになった。植木屋さんのほうは、親分に大政さん、それになぜかおばあちゃんが来てくれることになった。威勢のいい風体だけれど、古川親分その人は下戸だそう。対して、おばあちゃんはウワバミと呼ばれた酒豪だそうだ。
料理の一部、オードブルのたぐいは、プティーさんたちが担当してくれることになった。感極まったサルトビ氏が、余興として色モノ・チアチームの音頭を披露する、と宣言してた。配膳と皿洗いだけで帰るだけの予定だったテンジン君も、チームメンバーに「選抜」され、露骨にうんざりしていた。
宴もたけなわ、酒が回り始める前に、本日のメインイベントをすることにした。
海岸に面した中庭に出ると、涼しい風が心地よい。
私がわざわざ促すまでもなく、古川さんがウーロン茶片手に、続いた。
目を潤ませて礼を言う彼女に、私もしみじみ言う。
「……結局、最後の語られアプローチ、敢行できなかったねえ」
「最後の、語られアプローチ?」
「ほら。最初の練習前に、ノーパン・チラチラ写真を撮って、丹野君だけにアクセスキーを教えるって、ヤツ」
「もう、そういうの、必要じゃなくなりますから。第一、私、他の語られアプローチも、マスターしましたし」
ゴールテープを切ったあと、丹野君は、他の誰にも目をくれず、古川さんの元に駆けつけた。そして、彼をスタンドに追ってきたひとたちも、いた。一年生にして、一年二年混合の新人戦に優勝した彼は、いち早く斯界のホープとなったのだ。地元新聞社か陸上競技専門誌かのカメラマンが、写真を撮っていった。高校の新聞部が続き、そして陸上部の仲間たちも、パチリと一枚、欲しがった。せっかくだから私も……と古川さんは丹野君にスナップショットをねだった。
彼氏に肩を支えられ、ハードルを飛び越そうとするチアリーダーのあざとく可愛い写真は、早速ネットにアップされた。アンスコが見えそうで見えない絶妙なアングルのせいで、優勝したばかりの彼氏の話題とともに、瞬く間に拡散していったのだった。
「……チアの衣装も、もうそろそろ飽きたから、次はおじいちゃんに法被を借りて、オチャメな植木屋路線を考えてるんです。どうです、もう、庭野先生に頼らなくても、私、ちゃんと語られていけそうでしょう」
「ああ。それなら、語られアプローチ、最終講義だ」
「はい」
「もう、語られる努力は、やめなさい」
「えっ」
いま、これから告白されようとする人に、このアプローチは必要でなくなる。じゅうぶん、役割を果たしたのだ。
「それは……」
古川さんは、少し顔を赤らめて、下を向いた。
「語られアプローチの原理を説明したときのこと、覚えてるかな? メディア論と、アイドル論」
「はい?」
告白するひとと、される人の関係は、恋愛未経験のアイドルファンと、アイドルとの関係に、似ているよ、という話だった。アイドルファンのほうは受け身になるが苦手で、だからこそ、女の子のほうは、「られる」テクニックが必要だ、という講義である。女の子は「話され上手=聞き上手」で、「見られ上手」で、そして「語られ上手」であれ、と。
「でも、君には、もう一方的に受け身になる必要も、ない」
というか、一方的に受け身のままでは、恋愛が長続きしない。
「男女平等なんて、ヤボなことを言うつもりはない。男の子のほうも、時には気持ちをぶつけてもらえるほうが、嬉しいときって、あるってことさ」
どんな映画が見たいか、決まらないとき。
どこで食事したいか、決まらないとき。
プレゼントに何が欲しいか、率直に教えてほしいとき。
誰かに自分たちの恋愛を知ってほしいとき。
なぜ好きになったのか、改めて聞きたいとき。
そして。
どんなふうに告白してほしいか、知りたいとき。
「ウケを極めたからこそ、セメが分かる。恋愛の神髄は、案外BL同人誌の中にあるのかもしれない」
古川さんは、苦笑して、受け流した。
遅れてきた丹野君には、雰囲気ある逢引の場所を教える。
宮戸島まで続く、この幅3キロほどの砂浜は、夜、自動車の立入が禁止になる。ひたすら、空、海と、砂浜だけが続く。絵画の中に入り込んだような気分になる、静かな浜だ。
「こと、秋には月が大きく見えてね。絶景だ」
「庭野先生」
「なにかな、丹野くん」
「お互い、気持ちは分かりあっているのに、あえて言葉に出す意味は、あるんでしょうか」
「丹野くん、君は表彰台に立ちたくて、二年間、ストイックに練習に打ち込んできた人なのだろ」
「まあ、そうです」
「陸上競技というのは、こと、トラックレースというのは、一位がテープを切った時点で、結果はすぐに分かるもんだ。悲しさも悔しさも、嬉しさも楽しさも、本来はゴール地点ですべて味わうのが、本当だ。でも、君は表彰台にこだわった。自分ではどーすることもできない、恋の行方に、二年間、君と同じ年月だけ待って、苦しんできた女の子にとって、告白っていうのは、君の表彰台みたいなものなんだ」
「晴れ舞台……」
「そうさ。 誰も見てなくとも、いや誰も見ていないからこそ、彼女にとっては晴れ舞台なのさ。それと、もうひとつ。秋というのは、ことさら夜空がきれいな季節で、ここ、野蒜海岸は、ことさらそうなんだ」
「それは、たった今、聞いたばかりですよ」
「だからさ。月がキレイですね、なんていう、夏目漱石流の婉曲表現は、使うなよ」
「分かりました」
「最後に、もう一つ。陸上競技選手に、こんなことを言うのは何だが、フライングしろ」
「は?」
「いつまでも、古川、呼ばわりは、かわいそうだよ」
丹野君は、意を決し、きちんと古川さんに向き合うと、言った。
「アユミちゃん。そこの砂浜に、波の音を聞きに、行きませんか」
彼氏にゆっくりと手を引かれ、遊歩道に消えていく古川さんが、最後に少しだけ、後ろを振り返った。
私は小さく手を振って、見送った。
もう、声を出しても聞こえる距離じゃないけれど、それでも、私の励ましは伝わったことだろう。
がんばれよ。君の恋、先生も応援してるぞ。
(了)
腐ってる自覚はあるけれど、フツーの男の子を好きになってしまった女の子のための語られアプローチ 木村ポトフ @kaigaraya
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