第23話 勝負の行方
「ベンチウオーマー一枚じゃ、寒いかも」
「車、暖気運転しときゃ、よかったな。桜子、自販機で缶コーヒー、買ってきて」
私たちは、一目散に宮城野原を目指した。
「よく、ヨコヤリ・ママを味方にできたね、タクちゃん」
「いや、何。最初から協力する気、まんまんではいたんだ。空回りというか、明後日の方向の協力の仕方だったけど」
古川さんが、元気ない。
「……あんなに可愛いって言ってくれた、ポニーテール、切っちゃった。どうしよう、サクラちゃん」
「安心して、アユミちゃん。ぶん殴ってでも、可愛いって言わせてみせるから」
「そんなの、ダメだよ、サクラちゃん」
私が助け船を出す。
「安心しなよ、古川さん。君、髪を切ったところで、じゅうぶんかわいいよ」
「ホントに? 庭野センセ」
「ああ。本当だ。文科系女子から、彼氏にお似合いのスポーツガールになった」
運転しながらでは危ないので、くノ一への連絡は、すべて桜子に任せることにする。
「……こちら、桜子。脱出成功だよ。今、姫が王子様を助けに行くよって、丹野君に伝えて……何? 準決勝の結果、タイムの上では5位に後退? ダメじゃない。アユミちゃんも頑張ってるのに。ええっと。いい知らせと、とってもいい知らせと、悪い知らせ、あるんだけど。聞いてる?……いい知らせはね、ホラ、アユミちゃんと丹野君を脅しているネタの話……そう、フィットネスクラブの不正利用の件……小政さんがいくら騒いでも、なかったことにできそうなのよ。そう……そう、タクちゃんが交渉してくれて。条件はね……丹野君の3位入賞。県トップクラスのアスリートが、ウチのフィットネスクラブを利用してるってわかれば、いい宣伝になるからって。ホームページにも、載せるって。高校生だから、プロ契約とかはむつかしいけれど、一カ月前にさかのぼって、特別会員になったことにしましょうって。高校を卒業するまで、無料パスを支給してくれるって……。
ちょっと、悪い知らせのほう? 負けちゃったときのことよ。アユミちゃんのパパ、性懲りもなく、また街コンの企画してるみたいなのよ。まあ、それが仕事ちゃあ、仕事なんだけど。公私混同して、まだそろ、アユミちゃんと例の小政さんを無理やりくっつける、工作。
丹野君が試合に負ければ、フィットネスクラブ不正利用の件はそのまんまで、要するにアユミちゃんを脅すネタとしては有効のままで、パパと小政さんの思惑通り、カップリングされちゃうってこと。もちろん、アユミちゃんは精いっぱい抵抗するだろうけどさ、今シーズン短距離の試合はこれが終わりで、丹野君、次は半年後になっちゃうんでしょ。パパさんたちが、あの手この手の卑怯な手を使ってきたら、抵抗むなしく……てことも、あるかもしれないじゃない。ああ。おじいちゃんの話。そもそもフィットネスクラブの仕掛けをしたの、親分本人だしさ、負い目みたいなのがあるらしくって……丹野君が勝ってフィットネスクラブの件がチャラになれば、パパさんを懲らしめられるし、小政さんだってクビにできるぞーって、言ってる。……あ。まだ、電話切っちゃダメ。一番大事、とってもいい知らせ、残ってる。今、私たち、松島を過ぎて利府に入ったところ。あと15分くらいで、女神さま、ご到着だから、ねっ」
選手招集所でコールが始まり、出場者一同がスタートラインに案内されようとする、その時。
ようやく、古川さんは丹野君の元に到着した。
駐車場から全力疾走してきただけあって、ハアハアと息が整わない。昔とった杵柄というヤツて、私も続けて招集所にいく。なんでそんなに走れるのーっと、桜子が私のジャケットの裾をつかみ、情けない声をあげた。
試合に集中しようとしてか、丹野君は靴のつま先に視線を落としていた。
他の出走者7人に迷惑がかからぬよう、合図をおくる。
「……古川、ポニーテール、いったいどーした」
「脱出するとき、切ったの」
古川パパ、および金ヶ崎氏から逃亡したときの作戦の様子を語る。垂れた後ろ髪を掴まれ、こうするしかなかったことも。
「そうか……そこまでして……」
「そんな深刻な顔、しないでよ。涼しくなって、すっきりしたし」
「自慢のポニーテールだろ」
「誰かれかまわず、自慢したいわけじゃないよ。2年前、塩釜神社の縁日で、誰かさんがかわいいって言ってくれたから、しているだけだから」
「古川……」
出走係に促されて、丹野君は競技場内に入らざるを得なかった。私も、桜子たちを促して、スタンドに向かった。
「大丈夫かな。プレッシャーになってないかな」
「桜子、さっきまでさんざんあおっておいて」
「だってえ」
「400mHっていうのは、短距離種目の中では、一番根性が反映されるっていえば、そーなんだけど」
走行距離が短ければ短いほど、この手の熱意がタイムに反映しなくなっていく。力むより、リラックスが大事になってくるからだ。100m、200mは、走行中無酸素運動による全力疾走が可能だ。400m以降になると、この全力疾走が300m付近で切れる。丹野君が今、出場しようとしている400mHでは、もっとはやく切れる。ゴールまで、残りの100メートルちょいを、目いっぱい酸素を吸い込み、筋肉痛と戦いながら、悪戦苦闘する、そういう種目なのだ。
「……だから、ラストの50mくらいは、本当に根性というか、執念とかが、モノを言うんだ」
説明しているうちに、赤いスーツのスターターが、定位置についた。
いよいよだ。
パンっ。
ピストルの音ともに、選手たちがきれいな雁行で飛び出す。古川さんも、合わせてベンチウオーマーを脱いだ。観客はたいてい陸上競技関係者で、こんな気合の張り過ぎた格好の応援はいない。
第二コーナーから第三コーナーをまわるまで、実力は伯仲しているようだった。選手は階段状の並びを崩さず、ハードルをまたぎ超えていっている。予選あたりなら、ハードルをひっかけて倒したり、歩数が合わなくなって歩幅の調整をしたりする選手もいるのだけれど、さすがに決勝に残るレベルだけあって、誰もそんなドジ、取りこぼしはしないようだった。
バックストレートに入ってくると、わずかではあるけれど、順位がついていた。我らが丹野君の順位は……いかん。まだ四位だ。古川さんが、ノドをからして、声を張り上げている。少し涙ぐんでもいるようだ。最後のハードルを越える前から、丹野君の顔が思いっきりゆがんで見えた。苦しさがこちらにまで伝わってくるような、ブレブレのフォームで、無理やりを手を動かしている。
試合が一番盛り上がっているところなのに、携帯に電話が入った。
無視し、留守電に切り替わるのを待つ。しかし、相手はいったん電話切って、再びかけ直してきたようだ。
いったい、誰だ。
塾からの連絡かなと思い、しぶしぶ通話をオンにする。怒涛の勢いで、古川パパの怒鳴り声が聞こえる。いや、一方的に言いたい放題、まくしたてている。
どーやら彼も、宮城野原に現地情報源があるらしい。
丹野君の予選、決勝の成績を知っていて、イヤミたらしく、ののしってきた。
曰く、丹野君は、またしても表彰台に上がれないだろう。フィットネスクラブ不正利用の件を今度こそ公にして、あの若僧を二度と陸上競技の大会に出場できないようにしてやる。娘のことも、もうあきらめるんだな。来春とは言わない、年を越す前に、アユミはしかるべき男のガールフレンドになっているだろう。うんぬん。
「呪いの言葉、どーもありがとうございます、古川さん」
「ふん。そういえば、もう決勝をやってるんだったな。あの高校生はどうだ? いったん負け癖が゜ついた人間は、どこまでも負けてくもんだ。今度もまた、三位は無理だったんだろ。どーだ、図星だろ」
私は電光掲示板を凝視しながら、言った。
「ええ。三位じゃないです……丹野君、優勝しましたよ」
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