第22話 姫だって、ハードルを越えねばならぬ時がある
街コン会場の蛇田は石巻西郊、津波後急速に開発が進んでいるニュータウンである。
期せずして、陸上競技場のある宮城ノ原までの時間が、10分ほど短縮できる。
こちらでの合コンが始まる前に、我らがくノ一、富谷さんから連絡があった。
「予選はなんなく一位通過。でも、表情、かっちかちに硬くてさ……」
予選通過者のタイムを並べてみると、また四位。まあ、レースごとのコンディションはバラバラだし、決勝等に備えて、あえて全力を出さない選手も、少なからずいる。そのへん事情を、もちろん丹野君も知り過ぎるくらい知っているとは思うのだが……。
「なんか、ヘンなプレッシャーになってるらしくてさ。また四位か、とか、テントの壁に向かって、ブツブツ言ってるよ」
「ホントに大丈夫なの、それ?」
「うーん。古川ちゃんが来ないことで、集中力にイマイチ欠けてます? みたいな?」
「下手にアドバイスをするより、お目当てのガールフレンドを連れていくのが、一番の処方箋、かなあ」
「そうそう。それで庭野センセ、そっちはどーなのさ」
「受付が始まるところ」
ちなみに富谷さん自身は、下から七番目の記録で、予選落ちだったとのこと。
街コン会場は巨大スーパーの駐車場の一角を借りて、設えてある。
名目こそ街コンだけれど、単に野外でやる大規模健全合コン? というところかもしれない。
二十メートル四方の広場の真ん中に、高さ二メートルくらいのやぐら。唐草模様のおめでたい幔幕で飾られ、上には結構な大きさの和太鼓だ。正面北側に主催者テント。反対側、南面には大漁旗が一列に並んでいる。お祭り気分にはなるのだろうけれど、このシチュエーシヨンで愛をささやくのは、結構な力技がいりそうな気がする。東側にガーデンパーティ式の立食コーナーがあり、こちらはどうやら洋食主体、 ズバリおしゃれだ。参加者のみなさんには、三々五々飲み食いしてもらいながら、中央「ステージ」の出し物を楽しんでもらいたい、という趣向なのかもしれない。
腕章と鉢巻をつけた、ジャンバー姿のスタッフたちが、取り巻きの野次馬整理をしていた。大半は偶然来合わせたスーパーの買い物客なのだろうけれど、押すな押すなという勢いがすごかった。
古川パパは、主催者テント中央にて、神経質に携帯電話をしていた。
パイプ椅子の軋みが、十数メートル離れたこちらに聞こえてくるかのように、激しく貧乏ゆすりしている。
拡声器では、ネットで予約した参加者の人に、受付を呼び掛けていた。もう十五分で開会時間だというのに、誰も名乗り出てはいない。
古川パパの隣には、死んだ魚のような目をしたアユミさんがかしこまっていた。
いや、観客席からは見えない形ではあるけれど、麻ロープで拘束されていた。
買い物客に紛れて、桜子が彼女に近づく。
もう少し……もう少し……見つかるっ。
いや。
カッターを手渡すタイミングは、ギリギリだった。
般若顔をした中年女性スタッフが、結局、桜子をつまみ出した。
メンは割れてない。
とにかく、古川パパにさえ見つからなければ、いいのだ。
父親に命令されたのか、古川さんその人は、濃青の浴衣に椿の意匠の長羽織をまとっている。少しオバサンくさくはあるけれど、トレードマークの水色リボンのポニーテールを忘れていないのが、女の子らしいと言えば、女の子らしい。
そして、父親を挟んで反対側には、なぜか黒紋付の羽織袴姿で威儀を正した金ヶ崎氏が、得意満面に居座っていた。
父親が、受付の若い衆に、ささやく。
若い衆は、蝶ネクタイをきちんと直すと、マイクに向かった。
「当日飛び入り参加の受付、始めますー」
いら立ちが、そのまま声になったかのような案内が、スピーカーから流れる。
七三分け、額縁眼鏡、そして薄い唇に無表情という金太郎飴的なオッサンたちが、待ってましたとばかり、受付に集う。古川パパの手下に、間違いない。
「ちょっーと、待ったあ」
百メートル離れたスーパーの中までも響くような大声が、金太郎飴集団をとがめた。白髪、ねじり鉢巻き、黄色い法被に脚絆巻きの黒い地下足袋の男が、のっしのっしと歩いてくる。陸続と従う男たちも同じ格好で、いつものニッカボッカの代わりに、裁着袴姿だ。趣旨こそ違えど、ドレスコード通りの和装、これでは主催者もとがめられまい。
「……お義父さん」
古川パパが、あっけにとられてマイクを落とす。同僚一同の登場で、金ヶ崎氏もあんぐり口を開けたままだ。
「年齢制限もなかったが、既婚者が出てはいかん、という但し書きもなかったぞ。抜かったな、お二人さん」
ニヤリと笑う古川親分に、古川パパは地団駄踏んだ。
「くそーっ。正体不明のハッカー集団、お義父さんの差し金だったんですか。でも、ITのアの字も知らないようなお義父さんが……」
「ふふん。男子三日会わざれば、刮目して見よ」
続けて、野次馬の群れをモーゼのようにかきわけて、キレイどころが入場してきた。先頭はダンプ運転手のキモっ玉母ちゃん、畠山さんだ。副官の菅野さんが、彼女に続く。そして、その後ろには、我がママさんチアリーダー隊が並んできたのは、言うまでもない。塾に来るときには誰もが化粧気がなく、どこにでもいるオバサンな二人だけれど、ここぞとばかりバッチリメイクをしてきたのか、それなり美人になっている。こと菅野さんは花魁風のカツラをつけていて、背の高さも相まって、とても目立つのだった。宿敵であるはずの大政さんがピューと口笛を吹き、つづけて植木屋の若い衆がヤンヤと囃し立てると、彼女は珍しくも照れた。
何か言わねば、とオロオロ顔の司会者が、マヌケ顔で質問する。
「あのー。浴衣で、寒くないですかあ?」
「大丈夫です。しっかり、ウオーミングアップ、してきましたから」
「ウオーミングアップ?」
「街コンの趣旨通り、今から歌って踊ります」
宣言と同時に、菅野さんたちはカツラを取り、浴衣を脱いだ。
中身はもちろん、チアガールの衣装だ。植木屋の若い衆が、いち早くやぐらのタイコを占領し、間髪入れず鳴らし始める。
サプライズの演出の一種だと思ったヤジ馬たちが、盛り上がる。
古川パパのスタッフたちが、「危ないからやめてください」と、我がママさんチアを止めようとしていた。しかし、ママさんチアチームは、そもそも狭い勉強部屋で歌って踊ることを前提とした振付で踊っている。畳半畳ぶんのスペースで収まる舞踏なのに、観客の邪魔になりようがない。
古川パパは歯噛みした。
踊り狂うチアチームに吸い寄せられるように、野次馬買い物客が踊りの輪に加わる。ダイコンだのネギだのの入った買い物かごを置くと、パッパと衣服を脱いだ。下はもちろん、チアの恰好だ。チアの人数がどんどん多くなり、もはや最初からの参加者が誰か分からなくなった頃、古川パパは、ハッと気づいた。
隣でかしこまっていた娘が、いなくなっている。
パイプ椅子に残っていたのは、濃青の浴衣に長羽織、そして赤い鼻緒のゲタだけだ。チアリーダー団の中央に、踊りながら離れていく水色リボンのポニーテールを、古川パパは認めた。
そうか。人込みに紛れて、脱出するつもりか。
しかも、二人いる。
古川パパは、後ろで茫然としている金ヶ崎氏に、声をかけた。
二人で、手分けして、捕まえますよっ。
そして、有言実行で、先を走っているほうを、追った。
チアリーダーをかきわけ進んでいくと、ガタイのいい植木屋二人が、立ちはだかる。いや、よく見てみるると、いつぞやの外人だ。
「ちょっと、邪魔っ」
「パパさーん。この街コンのカップリング、男女じゃなきゃダメっていうルール、なっかったデスよねえ」
はっ。
古川パパが気づいたときには、エドアール君がガッチリ腕を組んでいた。顔面5センチまで顔を近づけたサルトビ氏が、ニタニタ笑いをしながら、パパの尻を撫でまわした。
「おい、やめろ。やめてくれ」
古川パパは、例のフィットネスクラブで、ニタニタ男がもう一人のほうにキスしていたシーンを、思いだした。一生懸命、手を振りほどく。娘が離れていく。他のチアが邪魔で、海底をもがいているような感覚に襲われる。外人二人も、しつこい。しかし、もう少しだ。
水色リボンのポニーテールに、もう少しで手が届く。
「よし。確保」
しかし、彼女が振り向くと……。
「よ・こ・や・り・ママですよ。街コンの主催者が、人妻に手を出してもいいんですか? ほれ。証拠写真ゲット」
私がデジカメのフラッシュを焚くと、古川パパは膝から崩れ落ちた。
「お楽しみは、コレからデース」
サルトビ氏は、エドの反対側から古川パパをがっちり掴み、しゃっきっと立たせた。
彼が彼にキスをすると、古川パパは顔面蒼白で、小さい叫び声をあげた。
対して、金ヶ崎氏のほうだ。
上司にして天敵、古川親分が、彼の前に立ちはだかる。
大政、石松という勝手知ったる仲間も、立ちはだかる。
あと詰めには、我がチアチームの総大将、畠山さんたちが控えている。
ガードは万全。
古川親分が、引導を渡す。
「いい加減、諦めろっ」
男たちは怒鳴り、金ヶ崎氏の羽織を掴んだ。
しかし、彼には彼なりの執念があったのだ。アユミちゃん母親に振られたあの日。社長の夢が遠ざかったあの日。社長の孫娘に慕われて、野望を募らせてきたこの十数年。
……古川親分の手に残ったのは、黒門付きの羽織だけだった。
「しまった」
親分たちが声を上げたときには、金ヶ崎氏の手が、古川さんのポニーテールをひっつかんでいた。
「アユミちゃんっ」
私も叫んだけど、もちろん声が届いただけだ。
古川さんは、先ほど麻ロープの拘束を切るのに使ったカッターナイフを取り出した。
「アユミちゃん、それはダメだっ」
古川さんは、中年ストーカーを害する代わりに、そのポニーテールを切り落とした。
自由になった体が、一瞬つんのめる。
そして、親分たちに取り押さえられた金ヶ崎氏を置いて、彼女は再び走り出した。
「レン君」
走馬灯のように、彼女の眼前には懐かしい風景が思い浮かんでいたという。
「レン君」
ダブルではあるけれど、デートをした、あの塩釜神社の縁日。
「レン君」
仙石線での、毎日15分だけの、逢瀬。
「レン君」
陸上競技場での、彼氏の勇姿。
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