第20話 勘違い、あるいはヒーローというキャラについて

 同級生の男子部員に付き添われ、丹野君はサブトラックのテントに戻った。カッコいいことを言って古川さんに背を向けた手前、気まずくて会いに来れないのかもしれない。

 肝心の試合が終わって、我が応援団の気分も緩んできた。

 午後三時のぽかぽか陽気に誘われ、私の肩によりかかって昼寝する桜子。

 予約しておいたエステの時間になるから、とテンジン君を連れて競技場を後にしたプティーさん。

 古川さんは、ブツブツと独り言が止まらない。

「これって、私のせいでしょうか」

 誰も何も責めてはいないのに、なぜか勝手に落ち込む。

「彼、戻ってきませんね」

「自分の試合が終わっても、他の選手のはまだだからね。ほら。あっち。付き添いしてる」

 この日の最終種目、マイルリレー予選のサポートにまわったらしく、私の指先で彼は荷物番をしていた。

「なんか……負けたにしては、顔が晴れ晴れしてる?」

「彼には、来年もあるから」

「中学の新人戦のときは、あんなに悔しがったのに」

「一年二年の混合だからね。少なくとも、一年生の中で二位だったよ」

「来年、レン君が二年になったとき、もっと強い一年生が出てこないとは、限らないのに」

「まあね。それを言ったら、キリがない。詳しい話は、帰りの仙石線の中で聞きなよ。塩釜まで、少しは話す時間もあるだろ。また、陸上部女子陣が、空気を読んでくれるさ」


 夜、ちょうど入浴の時間中に、古川さんから電話がある。

 丹野君に、私の携帯電話の番号を教えていいか? というシンプルな要件だ。

 もちろん、と返事をすると、電話はすぐに切れ、丹野君そのひとから連絡がきた。フロまで携帯を持ってきてくれた桜子が、なぜか出ていこうとしない。犬を追っ払うようなジェスチャーで、シッシッとすると、仁王立ちで、私も丹野君の話を聞きたいからという返事。石巻一の色男の肉体美を鑑賞したいのは分かるが、服が湿気でダラダラになるぞ、と私は姪の背中を押した。濡れた手で触らないでよ、と桜子は文句を垂れて出ていったが、やがて、バスタオルを体に巻いただけの姿になって、戻ってきたのだった。

「……試合、残念だったけど、新人戦なら来年もある。高校生活なら、二年半も残ってるわけでさ」

「庭野先生。白紙だったなって、思うんです」

「丹野くん?」

「勝負に臨む、心意気のことですよ。庭野先生、教えてくれたじゃないですか。もうすでに勝っていて、それを確認しにいくだけっていうパターンと、今現在負けてはいるけれど、当たって砕けて逆転勝利を勝ち取れっていうパターンと。自分は、どっちでもなかったなって。つまり、そういう駆け引きとか、何も考えずに試合してたなって」

「おう」

 そこまで自己分析できれば、次から心理面で負けていくことはなかろう。

「でも、たぶん、迷いがどこにあるか、分かったような気もするんです」

「ほう」

「最初から、勝負から逃げていたせいかなって。臆病になってたせいかなって」

「逃げるも何も、君、実際、決勝を走ってきたわけだが」

「いえ……ハードルのほうではなくて、古川のことですよ」

「茶々は入れないし、一方的にしゃべってみてくれ」

「ダブルデートのあと、本当はすぐに、映画の約束を果たすつもりだったんです。でも、そのあと、いきなり県四位になって……だったら、ついでに、三位入賞して表彰台に立ったあと、誘おうと思った。そのときは、サクっと決まるはずだったんです。こんなに待たせるつもりはなかった……で、待たせているうちに、なんだか自分に対して意地になってしまった。デートを言い出すタイミングも、なんだか失ってしまったみたいで」

 桜子が、横から口を出す。

「ねえ、丹野くん。今後もアユミちゃんを待たせるの? もう二年も待ってるんだよ。女の子として一番大事なときに、恋できないって、ツライってものじゃないよ」

「え。桜子さん? なんで? 庭野先生、フロに入ってるんじゃ、なかったんですか」

「入ってるけど、あんまり深く詮索しないで」

「……男同士、二人だけの話だと思ってたから、ぶっちゃけたのに……てか、一緒にフロ」

「丹野君、続き、続き」

「二年前、すでに勝利していて、それを確認するだけだと思ってました。古川をデートに誘う件です。でも、今は……」

「今は?」

「桜子。大事なところなんだから、ツッコムでない」

「今は……当たって砕けなきゃ、ならんのかなーって思ってます」

 弱気になった原因は、私たちのPRビデオだった。

「そうか。ちゃんと効果あったんだ」

 丹野君に、古川さんをほっておいているという後ろめたさがあり、イケメン外国人に言い寄られているのを見て、一種の敗北感を感じていたらしいのだ。桜子が言う。

「安心して。イケメンフランス人にはお嫁さんいるし、イケメンインド人のほうは、重度のシスコンでお姉さんの言いなりだから」

「……そして、イケメン塾講師には、グラビアモデルみたいな秘書がいる、と」

「おお。よくわかってるじゃないか、丹野君」

「タクちゃんは黙ってて。丹野くん、それを言うなら、かわいい姪がいる、だよ」

「えっ。そうなの?」

「一緒にお風呂入ってんのよ。察しなさいよ」

「ああ」

「桜子のざれ言を間に受けるでない、丹野君」

 話が脱線してしまった。

「そもそもさ、部活の勝ち負けと、彼女をデートに誘うのは、全く別々のことでしょ、丹野くん」

「分かってますよ、桜子さん。分かって上で、話してる」

 そう、丹野くんには、丹野くんなりの意地というのが、あるのだ。

「つまらない男のミエだと思うな。あのPR動画はさ、タクちゃんと取り巻きチームのフェイクだったわけだけど、いつか本物が現れて、アユミちゃんをさらっていっちゃうわよ」

「……覚悟は、している」

「だーかーらー。そこで、覚悟しちゃ、ダメなの」

「ごめん」

「私にあやまらないで」

「古川に謝るべきなのかな」

「アユミちゃんにも、謝っちゃダメなの。はー。これだから、男の子って」

「丹野君は、自分の心のつかえが分かったんだ。今度こそ、きっと表彰台に立てる。ゴールで待っている古川さんの胸の中に、飛び込んでいくさ。なあ、丹野君」

「今度こそ、開き直れると思います」

「でも、どっちにしても、来年の春なのよねえ」

 肌寒くなってきたのか、湯船にドボンと入ってきた桜子の代わり、私が質問する。

「なあ。丹野くん。もう一度確認だ。デート申込の後押しをしてほしいから、わざわざ電話をかけてきたのかい? それとも、試合のアドバイスが、さらにほしいとか?」

「古川が、オヤジさんに叱られて、家から出してもらえないみたいで」

 詳しい事情は、丹野君も知らされていないようだった。

「古川の狂言じゃ、ないですよね」

 つまり、応援に行きたくないから、古川さんがホラを吹いているかも、と丹野くんは疑ってるわけか。

「本人に、もう一度聞いたら?」

「聞けないです」

「なら、彼女を信じろ。てか、あのオヤジさんなら、やりかねない。彼女は必ず、私たちが連れていく」

 二人の両片思いは、これで確定だ。

 あとは、くっつけるだけだ。


 王子様の助けを待つ、囚われの姫というのは、ゲームの世界でも古い設定になってしまった。

 今どきの姫なら、監禁する兵士をバッタバッタと自らなぎ倒して、脱出すべきなのだ。

「ということで。頑張ってくれ、女スパイダーマン」

「タクちゃん。それを言うなら、スパイダーウーマン」

「どっちでもいいけどさ。窓からシーツを伝って逃げるって、古川さんの運動神経を考えたら、現実的じゃ、ないよな」

「……言いたい放題ですね。庭野先生。サクラちゃん」

 そう、私たちは、再び古川さんに連絡を取っていた。

「レン君の用事って、なんだったんですか」

「男同士の話だ」

「サクラちゃんも、一緒に聞いてたんでしょ?」

「ウチの姪は、男の子みたいなもんだ」

「ちょっとタクちゃん」

「いてててて。桜子、バスタオル一枚の姿で、ヘッドロックをかけるでない」

「……庭野先生。桜子ちゃん。まさか、一緒にお風呂ですか」

「一緒にプロレスの練習だよ、古川さん。で。お父さんに様子は、どーなの?」

「明日は朝から靴磨きをやるっていってます。要するに、玄関に陣取って、娘の外出を妨害してやろうって、魂胆なんですよ」

「逃げ出せない?」

「もう、丹野君の試合は終わったんだし、いいかなって」

「まだ終わってないよ」

「え?」

「高校だと、ハードル、もう一種目、あるんだよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る