第17話 続・語られ二回目半
「てやんでえ。小政。おめえには、仁義ってものが、ねえのかよ」
「これは、我々の間だけで、ナアナアで済ませていい問題じゃありませんよ、社長」
そう、古川親分と経理の金ヶ崎氏が、丁々発止のケンカをしながら、トレーニングルームに登場したのである。後ろには、おろおろ顔の若い兄ちゃんが、ついてきている。場にそぐわない紺のブレザーにネクタイスタイルだなあと思ったら、この塩釜支店の支店長代理、ジムのナンバー3だという。
金ヶ崎氏は、当たりに目もくれず、ずかずかと一直線に、アユミさんに向かってきた。
「お嬢。やっていいことと、いけないことの区別がつかないんですか? 別居中のあなたのお母さんに、どんな顔をしてあえばいいんだか……さあさ、支店長代理に、謝ってください」
えらい剣幕だ。
しかし古川さんは叱られている理由が分からないらしく、きょとんと小政さんの顔を眺めている。親分が、頭をかきかき、二人をとりなした。
「ウチの社員として、このフィットネスクラブに来いよっつったのは、ワシなのよ」
「社長。なんで、そんなことを」
「入場料、ワシらが立て替えるっつったら、そこの若いの、遠慮して来ねえかなって思ってよ。もともとタダのもんだから、と言っとけば、試しにやってみるかって気になるだろ。いや、なに、カネを惜しんでやったことじゃねえ」
「下の者に知れたら、シメシがつきません」
「分かってる。会社は会社だ。罰金とかあるなら、ポケットマネーから、ナンボでも出す」
「そういう問題じゃない」
親分と小政さんのやり取りを見て、支店長代理も穏便にとりなそうとする。
「割引ビジター料金をいたただければ、結構ですよ」
「ほら。店長も、ああいってくれてるぞ、小政」
「まず、一言謝って、頭を下げてください」
しかし、大人たちのやり取りを聞いていた丹野君の顔が、曇っていく。
アユミさんはおろおろするだけで、親分のお節介を、うまく説明できない。
「これ、どーゆーことだよ、古川」
「えーと、ね。私、レン君のこと、応援したくて、おじいちゃんに相談してたことがあったの。そしたらね……」
「支店長さん。これって、オレが不正をしたってことですよね」
支店長代理さんは、少しばかり渋い顔で、答える。
「規約違反があったとして、お話を伺ってる限り、どーやらあなたの責任ではないようです。出禁やペナルティ料金の徴収があったとしても、こちらの会社のかたたちと協議しますから。とりあえず今日のところは……」
最後まで言い終わらないうちに、二人目の敵が現れた。
言うまでもない、古川パパだ。
「お前、仕事はどーした?」
親分の頓狂な声に、古川パパは憎々し気に答える。
「仙台で研修があって、その帰りですよ。ちょっとタレコミがありましてね、心配して立ち寄ってみれば、これだ」
古川パパは、支店長代理に如才なく頭を下げると、小政さんとアイコンタクトをとる。なるほど、密告に及んだ相手は明白だ。
心配そうな娘の視線に、古川パパは力強くうなずく。
そう、彼の主敵は、義理の父親だ。
「アユミを石巻に引き取ったとき、もうかかわらないでくださいって、言ったでしょう、お義父さん。学習塾への討ち入りなんていう暴力沙汰だけでもヒドいのに、今度はこんなサギまがいの不正まで。恥を知りなさい。それとも、もうボケたんですか」
「クソ。黙ってりゃ、言いたい放題、言いやがって。そもそも、お前が父親として頼りないから、ワシがこーやつてなにくれと世話を焼いてんだろうよ。お前こそ、恥を知れ」
親子ゲンカは果てしなく続きそうで、私たちが止めに入る余地はなさそうだ。
同じルーム内でトレーニングを続けていた他の会員さんたちが手を止めて、固唾をのんで見守っている。支店長代理が仲裁に入っているのが見えるから、誰も止めに入らない。
夫婦喧嘩は犬も食わないというけれど、義理の親子喧嘩はどーだろう?
不毛な言い合いに立ち会っている支店長代理の顔は、みるみるうちに曇っていった。
桜子が近寄って、古川さんの横腹をヒジでつつく。
「おばあちゃんに電話をかけなよ。苦しいときの、ババ頼み」
「あ。そっか」
古川さんが携帯電話をかけ直すこと、二回。ようやく頼みの綱に連絡がつく。石巻に行っていた孫からの電話ということで、受話器の向こうはたいそうご機嫌だった。
「アユミ。手が離せなくて、ごめんね。ホットケーキ焼いたげるから。仙石線に乗る前に、食べていきな」
「……おばあちゃん。それどころじゃ、なくって」
古川さんは手を伸ばして、親分の耳元に、無理やり携帯電話をあてがった。効果てきめん、目の前でいがみ合っている義理の息子を無視して、おじいちゃんは語り始めた。声のトーンが落ち、ぴくぴくしていてたこめかみも、落ち着いていく。
「やった」
今度は父親のほうに、携帯電話を向ける。
しかし古川パパは沈静化するどころか、電話に向かってイヤミを言い始めたのだった。おばあちゃんの声が、おろおろし始めた。
「ちょっと、そんな言い方はないでしょう」
古川パパは仁王立ちになって、目いっぱい娘をにらみつけた。
「アユミ、お前はどっちの味方なんだ」
見かねた丹野君が、古川さんの後ろに立って、抗議をしてくれる。
「レン君」
嬉しそうに振り向く愛娘の顔を見て、パパさんは一喝した。
「じいさんと一緒に、娘をたぶらかしたのは、お前かっ」
目の端のほうに、満足気な小政さんの笑みが見えていた。
電話口から、優しそうなしわがれ声が続く。
「あら。それを言うなら、たぶらかそうとしているのは、アユミのほうですよ」
いまや、この場の誰もが、怒ろうとしていた。
古川親分や古川パパだけじゃなく、支店長代理も、古川ばあちゃんも、アユミさんも桜子も、そして丹野君も、誰もがカンシャクを起こしていた……。
収集がつかない。
しかし、そのとき。
「苦しいときの、姉だのみって、どう?」
桜子の肩を、後ろから、ポンと叩く女性がいた。
「お姉ちゃん」
よく見知った顔が、なぜかここにいる。
「どうした、梅子」
「梅子じゃなくて、プラムって呼んでよ。私も、ここの会員なのよ。忘れた? 私、職場もアパートも、隣の多賀城なのよ。ここ、市境に近くて、交通も便利で。ウチから、クルマで十分かかんないくらいのところなの。そんなに驚くことじゃ、ないでしょ」
「作戦のこと、どーやって知ったんだ」
「ああ。知ったっていうか、連れて行ってくれって、応援団……ううん、タクちゃんのチアのひとたちに頼まれて」
「ママさんチア? 畠山さんとか、菅野さん?」
「違うわよ。色モノのほう」
梅子の合図とともに、我が女装チア軍団が、ぞろぞろとトレーニングルームに入ってきた。
「テンジン君。エドアールに、サルトビさんまで」
「オールスター、参上よ」
「ワタシ、早速、アユミを守りマース」
サルトビ氏とテンジン君が、古川さんの前にズズずいっと、出た。
古川パパが、いきり立つ。
「あなたたち、なんですか。親子の問題に、口を出さないでください」
「私たち、愛のキューピッド、デース」
「愛の天使にしては、顔も体もずいぶんイカツイような」
「愛の弓矢は、引っ張るのにパワーがいりますから。とりわけ、わからずやのパパがいる場合には、重いデース」
「あんたねえ」
「アユミ、駆け落ちデース。駆け落ち、しましょう。卒業っていう映画、見たことありますか? ウエディングドレスのアユミを、ここから連れ出すのデース」
達者な日本語使いのはずのサルトビ氏は、わざとフランス語交じりの意味不明なことを言って、古川パパをケムにまこうとしていた。
「あんた、いい年して、高校生に手を出そうとするのか」
「ノン。私、すでに、お嫁さん、イマース」
「ああ。マリーさん」
「ノン」
指でチッチッと否定のジェスチャーをすると、サルトビ氏は、エドアール君のほっぺにキスをした。
私は、梅子に聞く。
「なんでわざわざ、連れてきたんだよ」
「私がわざわざ連れてきたんじゃなくって。この人たちが、勝手に多賀城まで来たの。プティーさんたちちが同伴じゃなきゃ、無視してもよかったんだけどさ」
「へええええ。で、我がフィアンセは?」
「マリーと一緒に、エステいってるわよ」
「……なにしに、来たんだろ、プティーさん」
「だから、エステでリフレッシュしに、でしょ。彼女たちも、呼ぶ?」
「これ以上、話をややっこしくして、どーする?」
皆が怒鳴りあって疲れたころあいになって、最終兵器が登場だ。
ベンチウオーマー姿のヨコヤリ・ママが、ニコニコしながら、この混雑極まるトレーニングルームに降臨したのである。他のジム会員の人たちが、三々五々、退出していく。支店長代理は、彼ら彼女らに頭を下げるのが手一杯で、異変に気がつかない。
ヨコヤリ・ママは、木下先生に近づき、アユミさんに近づき、そして丹野君に近づいて、何事か、ささやいた。いやな予感がして、私自身がヨコヤリ・ママに挨拶しようとしたときは、すでに遅かった。彼女はウオーマーの紐をといて、前をはだけようとしていた。何も身に着けてない真っ白な肌が、瞬間、丹野君の眼前に現れる。
「うっ。よ・こ・や・り」
梅子・桜子の姉妹がタイミングよく飛び掛かって、公然ストリップを最小限で食い止めた。場が静まり返った一瞬、支店長代理の重い声がした。さすがに、堪忍袋の緒が切れたようだった。
「全員出ていってください。今後一切、出禁にします」
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