第16話 語られ、二回目半
丹野君を塩釜のフィットネスクラブに引っ張ってきたのは、新人戦も間近、という秋10月のことだった。
私は姪と秘書を連れ、我がハイエースで乗りつける。
親分が手を回してビジター用の割引券を調達してはくれたものの、自腹は自腹に違いない。木下先生のグラマーなレオタード姿を拝める代償としては安いものか、と私は一人自分を慰めた。空は、寒さが車内まで入り込んでくるような、憂鬱な灰色だ。塩釜まで、国道45号線を上る一時間、我が姪は、幼稚園児みたいに車窓にかじりついていた。秘書のほうは、後部座席で白河夜船である。
ヒョウのような大粒の雨が、時折、車の天井を叩き、機関銃みたいな音を立てていた。
「雨乞いがきいたのかもね」
桜子がやけにウキウキしながら、言う。
そう、計画を立てたはいいものの、肝心の雨が降ってはくれなかったのだ。
私はあのミーディング以来、毎週、桜子に袖を引っ張られて、日和山神社にお賽銭をあげにいった。観光客か何か、事情を知らない老夫婦が、テルテル坊主をさかさまにして、絵馬と一緒に奉納しようとしている私たちに、びっくりする。
農業か何かやってるひとですか? と老婦人のほうに、心配される。
桜子はキリッとした表情で、返事をした。
ええ。日照り続きで、イロイロと困ってるんです……。
まあ。オコメか何か?
いいえ。愛を育ててるんです……。
こうやって、バカなことばかり言って、他の参拝客を困らせること、数回。私は別な意味で、はやく雨よ来てくれと、神様仏様に懇願したのだった。
受付のあとは、すぐにロッカールーム兼更衣室に案内される。植木屋さんの面々、古川親分の手下たちは、岩沼で臨時の仕事が入ったとかで、みんな出払っているらしい。ジョギング用にと一年前に買ったジャージを着てみた。少し太ったのか、腹のあたりがキツい。恋愛作戦に限らず、このスポーツジムに通ったほうがいいのかなあ、と私は一人ボヤく。機械器具のある、お目当てのルームは、そんなに広くない。後でパンフレットを見直して分かったことだけど、温水プールがあり、そちらがどうやらこの塩釜支店の呼び物らしかった。
やがて、桜子が来た。
我が姪も、色気のカケラもない学校ジャージのまんまだ。首から下げたカードで、一日見学の素人と分かるのか、常連さんたちらしき筋肉ムキムキのオッサン・お姉さんたちに、慇懃丁寧に無視される。私たちは、インストラクターのつかないコースを頼んでいた。
主役たちが登場したのは、それから二十分もしてからだろうか。
丹野君はTシャツにレーシングタイツ、古川さんもTシャツにスパッツ姿だ。
桜子が言う。
「よく考えたら、これって、二人の初デート?」
「例のダブルデート回を除けば、実質そうなんだろうけど……丹野くんのほうは、デートとは思ってないだろうな」
作戦の位置づけとしては、二回目と三回目の中間となる。
つまり、丹野君に嫉妬を起こさせて独占欲をかきたてたあと、告白するまでの下準備時間だ。
「具体的には?」
「まずは、彼氏のほうに、これをデートと意識させるところから、はじめよう。二人の共通の知人が、デートとは仲がいいね、とか何とか、恋愛を意識しちゃうようなことを、語りかけるってのは、どーだろう、桜子」
「私、丹野くんと話したこと、ないなあ」
「丹野君情報処理検定2級くらいは取れそうな桜子が?」
「知ってることと、しゃべったことがあるかどーかは、別」
「しまった。くのいちを連れてくるべきだったなあ」
ボヤく私に、桜子が、見当はずれのことを、言う。
「ねえ、タクちゃん。サイフ、持ってきてる?」
「なんだよ」
「あそこ、あそこ。プロテインミルクとかいうの、売ってる」
姪の指さす先、廊下につながるスイングドア付近に、怪しげな自販機が、確かにあった。
「お前は食欲しかないのか。分かった。後でおごってやるから、まずは親友の心配しろよ」
躊躇していても、はじまらない。
桜子は、さっそく古川さんに挨拶にいく。ベンチプレスを始めた彼氏のそばで、我がヒロインはつくねんとしていた。
「やあやあ、アユミちゃん。奇遇だねえ。こんなところで、彼氏とデート?」
古川さんが、桜子のヘタなウインクの意味をくみとって、明るく返事しようとした矢先、丹野君の不機嫌な声が、下から届いた。
「練習中です。お静かに」
「丹野君って、亭主関白?」
桜子は、他愛のない会話を続けようと、頑張った。けれど、ストイックな丹野君は、一分一秒がもったいないらしく、形式的な挨拶以上のことを、してくれない。
我が姪は、そうそう諦めて、戻ってきた。
「お手上げ」
「少し様子を見て、休憩時間に行こうか」
丹野君と交代で、古川さんがマシーンにつく。こちらはとことん運動音痴、というか非力な感じだ。ウエイトなしのシャフト、20キロが持ち上げられないらしく、ひーひーふーふー言って、丹野君に助けてもらっている。
「一応、映像を残しておいて、どこかでネタに使うか。箸より重いものを持ち上げたことのない深窓のお嬢様、古川アユミ、とか何とか」
「スポーツマンと恋するなら、自分もそれなりに鍛えておかなくちゃ、ですね」
涼やかな声に後ろを振り返ってみると、タンクトップにスパッツ姿の木下先生が、腰に手を当てて、当の二人を眺めていた。出るところはしっかり出て、引っ込むところはしっかり引っ込んでいる、理想的なスタイル。リクエスト通りのレオタードは着てくれなかったものの、じゅうぶん過ぎるほど色っぽい。てか、当たり前のスポーツスタイルなのに、ここまでエロく……いや色っぽく着こなすのは、感動ものだ。
鼻の下を長ーく伸ばしている私の耳を、桜子が引っ張る。私の声なき声が届いたのか、丹野君が我々に気づいた。なんだか、気まずい気分だ。こんな形で初対面の挨拶というのもヘンなものだけれど、目が合ったのでは仕方がない。私は頭をかきかき、丹野君に声をかけた。
「古川さんの塾の先生をしています。よろしくね」
「知ってますよ。古川の宣伝ビデオに出てた人ですよね」
よく考えると、いやよく考えなくとも、私と丹野君に共通の話題なんてない。場違いとは思いながら、塾講師らしく、少し勉強の話をしてみた。
桜子が、私の袖を引っ張る。声なき声で、私を詰問する。
「タクちゃん、陸上部の大先輩だって、言ってたじゃない」
「それは、何かあったときのために、最後の切り札として、とっておきたいんだ」
彼氏の、私に向ける目が、何やら険しい。
そんなに練習の邪魔をされたのが、気に食わないのか?
古川さんが、ママさんチアの話まで持ち出して、必死でとりなそうとするけど、やっぱり丹野君は気に食わない表情のままなのだった。彼氏の三角形に尖った目がゆるんだのは、我が秘書が、背中からおずおずと歩み出てからだ。
木下先生は、当初の打ち合わせ通りの行動をする。
左腕にすがって、その豊かなバストを押しつけてくれる。
そう、名づけて「恋人のふりして、丹野君に古川さんのことを意識させる」作戦である。
これも仕事のうち、といえば素直に従ってくれる我が秘書に最大限に感激しながら、私はすがられた手を優しくふりほどき、彼女の腰に回した。
うーん。役得、役得。
私は、鼻の下が、びろーんと伸びるのを自覚する。
驚くことに、丹野君の表情が、ぱっと輝いた。お年玉を二回もらった子どものような、ちょっと歪んだ笑みだ。
丹野君の好みは、黒髪ロング・ストレートの正統派和風美人だとばかり思っていたけれど、マリリン・モンローばりのグラマーにも、弱いというとこか。いや、世の健全な男子高校生たるもの、プレイボーイ誌のグラビアから出てきたような美人に見とれて、当然か。
ちょうどいいので、木下先生に主導権を握ってもらう。古川さんたち理系ガールズの間で、休憩時間にお菓子を持ち寄って、お茶するのが、マイブームになっているそう。彼女たちの一押しは、ママさんチアチーム副将、菅野さんの作るティラミスで、東京仕込みのその味を堪能するときには、木下先生もお相伴にあずかるそうな。ガッチャンガッチャン、筋トレ用マシーンが無機質な音を立てていて、女子トークという雰囲気でもないけれど、当の女の子たちは、夢中で気がつかない。
しかし、それでいい。
なにより丹野君の目が優しくなっている。
これなら、蛇ににらまれたカエルみたいに、古川さんが委縮することも、あるまい。
あとは若いお二人で……となったとき、古川さんが、あまり高そうでない女子力をめいっぱい発揮できそうな気がする。
ああ。
しかし……。
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