第14話 閑話休題
味方の味方が、味方であるとは限らない。
せっかくの親分のシナリオだが、やんわりと反対してきた人がいた。
古川親分の懐刀、小政こと経理の金ヶ崎氏だ。
アユミちゃんはともかく、その丹野君という高校生を社員割引で入れては、マズイでしょう……と、至極当たり前のことを言ったそうな。入会規約を杓子定規に解釈すれば、もちろんアユミさんその人もペケ、である。しかし、金ヶ崎氏の脳内では、その二人の間に、カッコたる線引きがあるらしい。ダメと言ったらダメです、ととりつく島もないという。
「飼い犬に手を噛まれた気分だよ、庭野先生」
古川親分が沈んだ声で電話をかけてきたときは、何事かと思ったくらいだ。まあ、立場上、親分の無茶ぶりの後始末を何度となくしてきた金ヶ崎氏である。さらなるトラブルはごめんだ、という気分なのだろうと、思っていた。
「親分。私が植木屋さん本社にお邪魔して、小政さんに直談判してはダメですか」
「ムダだよ」
親分はいつになく気弱で、ため息をつくだけだった。
「昔っから、ウチの娘やアユミのことになると、ガンコになる男でなあ。一度ダメって言ったら、ぜってえ譲らねえ。能面みたいに無表情になって、テープレコーダーみたいに同じことを繰り返しやがる」
「かわいさあまって、憎さ百倍って、言いますね。まさか、十数年前、アユミちゃんのお母さんと結婚できなかったことを、今でも根に持ってるとか」
「さあな。女の話さえでなきゃ、イイヤツなんだ。ヤツに小政っていう二つ名をやったのは、伊達や酔狂じゃねえ。脳みそのデキとキップの良さが、あったからよ。今でこそ事務屋だが、植木屋としての嗅覚もしっかりある。ワシの仕事を継げる数少ない男と見込んでは、いたんだ」
「親分が見込んでも、娘は見込まなかった」
「ああ。今更だ。庭野先生。ワシはな、植木のことなら、一から十まで知っとるが、惚れた腫れたの話は、得意じゃねえ。さんざん期待を持たせて、ヤツを婿にとらなかったのは、今でも悪かったなと思っとる。しかし、こればかりは、どーとなるもんじゃ、なかろ」
「まあ、そうです」
「……ヤツ、本当は、ワシのこと、恨んどるのかなあ」
「私に聞かれても」
「そりゃ、そーだ。クソジジイの独り言だ、忘れてくれ、先生」
「小政さん、アユミちゃんとは仲がいいですけど、そういう感じだと、娘婿さんとは、犬猿の仲ですか?」
「慇懃無礼。冷戦状態。他に、なんて言ったら、いいかな。そうだ。大政の野郎が言ってた。冷笑仲間」
「なんです、それ」
「お互い心底軽蔑しあってても、友達にはなれる、だとさ」
「お互い心底軽蔑しあってたら、友達になんかなれませんよ」
……作戦の一切合切が終わったあと知れたことなのだけれど、この反対には、金ヶ崎氏の野望が関係していてた。そう、植木屋さんの時期社長の座を、彼は「いまだに」狙っていたのだ。もちろん、アユミさんの母親相手に、一度は失敗している。けれど、状況は悪くない、と彼は踏んでいた。小さいころからの遊び相手ということで、金ヶ崎氏はたいそうアユミさんになつかれていた。アユミさんの塩釜に残った理由を勘違いし、古川親分が社員たちに見合いまがいのことをさせても、いた。そう、勘違いの下地は、じゅうぶんできていたのだ。けれど、常識的に考えて、自分の母親と同い年のオジサンに、恋する女子高生がいるものだろうか。
丹野君の存在を知って、金ヶ崎氏は自分のあやまちに気づいた。しかし、認めたくはなかった。母親のみならず、娘も自分を裏切った……と彼は認めたくなかったのだ。
あんなにかわいがったのに。心底世話もしたのに。
また、ポッと出の若僧に、さらわれてしまう。
金ヶ崎氏は、自分を裏切った女たちに、復讐を誓った。
母親でした失敗を、また繰り返さないぞ、とも誓った。
そして、内に秘めた怒りを、ちょっとずつ、ちょっとずつ、形にしていくことにした。
この、金ヶ崎氏のささやかな抵抗が、のちのち、親分のシナリオ、そしてアユミさんの恋に、大きく影響してくるのである。
金ヶ崎氏が、ひょっとしたら敵かもしれない味方なら、無自覚にうちに敵になっちゃっている味方もある。
古川パパである。
アユミさんの進学と同時に石巻引っ越しを決めるなど、物語の節々に関わってきた、キーパーソンの一人。けれど、誰もが積極的に語ることのなかった男。それは古川パパの押しの弱さのせいなのだけれど、ここに来て、そう、娘の恋愛という場面になって、発揮しなくていい意志の強さを、発揮してきた。
古川さんが塾をやめるときに、書類手続きのお願いということで、初めて直接電話で話した。
いや。
一方的に、まくしたてられた。
「庭野さん。ウチの娘は、もう塾には通わせません。どんな営業したって、ムダですよ」
「あ。いえ。退塾なさるんでしたら、書類をお願いしますという連絡なんですが」
「ウチの義父に何を吹き込まれたかは、知りませんがね。未成年の娘っていうのは、親元にいるのが、普通で、自然で、当たり前なんです。そう、娘は塩釜でなく、石巻にいるべきだ。爺さん婆さんと一緒に生活したって、楽しくはないでしょう?」
「はあ」
「親の目が届かないから、悪い虫もつく。庭野先生。私はね、知ってるんですよ。あなたが、その下世話な作戦をやってることもね」
「塾のアフターサービスですよ」
「とにかく。アユミは、彼とは、恋をすべきでない」
「……仄聞したところ、お父さんも、親に反対されての恋愛をした人とか。それなら、娘さんの苦しい気持ちを汲んであげても……」
「私は私、娘は娘だ」
「丹野君は、あなたが考えているよりも、しっかりした青年かもしれませんよ」
「義父に見込まれた男なんぞ、どんなにしっかりしてても、お断りだ」
「そんな」
「どーせ、年よりウケのいい、アナクロな男なんでしょう。それに庭野先生。あなたは塾の先生であって、見合いあっせん業者じゃないでしょう」
「そりゃ、そうです」
「アユミに結婚相手が必要になるときには、私のほうで、本当に見込ある人間を連れてきますよ」
「同年代の男子で、丹野くんくらい、彼女と親しく、頼もしい男子、私は知りませんけどね」
「ふふん。なにも、同年代の男に限ることは、ない。丹野君より、もっともっとアユミのことをよく知ってる男、私は知ってるんでね。なんせ、私は父親だ」
もちろん彼の姿形は見えもしなかったけど、電話先でニヤリと笑ったのが分かった。
「……書類の話をしたいので、お母さんのほうと、話せませんか」
「私が難攻不落だから、妻を攻めようったって、ムダです」
……金ヶ崎氏同様、とりつくしまがない。
古川パパは、言いたいことだけを言って、結局電話を一方的に切ったのだった。
まあ、彼の態度が分からないでもない。
私は、古川親分の回し者、と見なされているのだ。
それで、古川パパは反発したのだ。
前述のとおり、丹野君その人が気に入らないのにつけ、今までの欲求不満の反動もあるのだろう。
舅は巌のようで、押しても引いてもビクともしない。
嫁はポヤンとして、のれんに腕押し。
その点、娘は押しがいがある。
アユミさんとしては、いい迷惑だけれど、ようやく「春が来た」父親に、まっとうな父親らしさを自覚させるまで、要所要所で苦戦させられることになる。
古川さんを苦しめる最後の一人は、味方であることを押し売りする敵である。
ズバリ、ヨコヤリ・ママだ。
前回、渡辺啓介くんに横恋慕した経緯から、今回も、彼女、丹野君相手になにか企んでるのかなと思っていたのだが……。
当の渡辺君から、意外な相談があった。
男子トイレの中、連れションしながらという、無粋極まるシチュエーションで、相談があった。
「なにかな、渡辺くん? マキちゃんとケンカでもしたのかな? それとも、恋愛がうまくいきすぎて、先生と生徒っていう一線を超えそうになって、困ってる?」
そもそも彼氏彼女をくっつけたのは、当の私だ。
「いえ。塾長。恋愛相談ならともかく、一線を越えるときには、自力で頑張りますよ。サクラちゃんが言ってましたけど、そもそも塾長、高齢童貞なんでしょう?」
「ぎゃふんっ」
「ヨコヤリ・ママのことなんです」
「またぞろ、ストーカー行為でも、してる?」
「逆です。すっかり改心した、と本人は言ってます」
「たしか、西くんからも、そんなようなこと、聞いた」
「僕たちだけでなく、古川くんの恋愛も応援する、と言ってるんです」
ママさんチア・チームから古川さんの恋愛の詳細を聞いた彼女は、二人の恋を応援することにした。なんせ古川さんは、渡辺啓介の理系クラスでも有名な理系ガールズ六人衆の一人である。面識があるどころか、ある意味友達つきあいみたいな間柄である。
「それで?」
「塾長が女装チアという道化をやってるのも、古川さんのため、ひとえに世間を耳目を引きつけるためと聞いて、彼女も一肌脱ぐ気になったらしいんです」
「それも、西くんに聞いた」
「で、慣用句というより、文字通り字義にそって、ヨコヤリ・ママ、一肌脱ぎました」
「それも聞いた……いや、見た」
そう、ノーパンミニスカでの練習だ。
ヨコヤリ・ママにとっては、息子の勉強部屋で踊るための、恰好の練習にもなる。彼女の心意気は買うけれど、尻丸出しでのCM動画は、どうか考えてもやり過ぎである。一般人の……丹野君の注目どころか、怪しげな男たちの注目まで浴びてしまう。もちろん、迷惑だということをオブラートに包んで言えば、何倍もの反論が返ってくるだろう。自分のことを棚に上げて、と言われれば、反論はむつかしい。古川さんのために泥をかぶっているだ、と泣きを入れられれば、ヨコヤリ・ママの味方をする人だって、現れるかもしれない。
「塾長が知ってるのは、そのへんまででしょう。その、全部のいきさつ、ツイッターとかでつぶやいてるのは、知らなかったでしょう」
「そうなの?」
「塾長は、極悪非道のハレンチ・セクハラ魔、扱いです」
ヨコヤリ・ママ曰く……息子の塾の先生が、生徒と禁断の恋をしようとしたので、彼女は止めに入った。彼女の「義挙」をエロ魔人である塾長が咎めた。人の恋路を邪魔したバツとして、彼女はいい年してチアガールの恰好をしろと命じられた。彼女がしぶしぶ従うと、セクハラ魔人は大変喜び、さらに唄って踊るように命じ、最後にはパンツを脱ぐようにと強要した……。
「ひどいなあ。第一、常識で考えて、生徒の母親にパンツを脱げなんていう先生、いるわけないじゃないか。ねえ、渡辺くん」
「……」
「渡辺くん?」
「……マキちゃんにちょっと聞いたんですけど。塾長、彼女に恋愛のアプローチ技を授けるとき、ノーパンミニスカにしたとか」
「えっ? え? なに? 聞こえなーい」
「……まあ、いいでしょう。後で伺います。さっきのツイッターの続きです。ヨコヤリ・ママがチアの写真を挙げて、すごい数のフォローが入りました。そして同時に塾長への非難も」
「みんな、口車に乗せられて」
「いえ。それが、自作自演っぽくて。正確には、息子さんに、別のアカウントで書き込ませているっぽい。まあ、つられる人も、少しはいるっぽいですけど」
「ははあ」
「一番最新のつぶやきは、ここまで頑張ってる自分のご褒美として、フィットネスクラブで美容体操とエストをする、でした」
「あちゃー。それも、漏れてるのか」
こうして、彼女は我が作戦の攪乱要因になっていく。
私も含め、誰も表立って彼女の行動をとがめだてしなかったのが、いけなったのかもしれない。もちろんヨコヤリ・ママは作戦チームの一員でも何でもなかったのだけれど。
アロマオイルエステで美肌になって……とか何とか、色々勘違いしたセリフとともに、この厄介なママは、古川親分の作戦に介入してくることになるのだ。
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