第7話 語られ、一回目
「大事な孫娘にハレンチな恰好をさせたのは、キサマかっ」
古川さんが泡を食って報告を入れてきた、カッキリ一時間後。本当に、古川さんのおじいさんは、我が塾に乗り込んできた。後ろに続く一ダースあまりの弟子たちは、背中に屋号紋と「古川函太郎商店」なる店名の入った、そろいの黄色い法被姿である。現場から直に駆けつけた人もいるらしく、半数のひとは、臙脂色のニッカポッカと黒い地下足袋が、赤土で汚れていた。
とりあえず「土足厳禁ですよ」と玄関口でお歴々をけん制する。
私がおじいさんとにらみ合っているうちに、秘書の木下先生や、学生講師の渡辺啓介君たちが、駆けつけてくれる。私は二人に、通塾してくる生徒さん、下校する生徒さんの保護をお願いした。
顔を真っ赤にして怒っていたのは、大将以下二人くらい。あとのお弟子さんたちは、困った表情をしていたり、苦笑いだったり。それでも、獲物を手にしている以上、侮れない。武器代わりになっているのは、おそらく、それぞれ普段使っているであろう仕事道具だ。カケヤにレーキにスコップにジョレン。中には何を思ったか、熊手やら竹ホウキやらを持ったオッサンもいる。
討ち入りだ。
古川さんのおじいさん自身は、どこで調達してきたのか、白さやの日本刀である。
「摸造刀だとしても、危ないから、やめなさいって」
「てやんでえ。若造が、エラそうな口をききやがって」
相手がどんな無礼でも、慇懃にあいさつを返すのは、ビジネスの基本である。私が名刺を差し出すと、古川親分は、名前の確認もせずに、ぱちんと右手ごと叩き落したのだった。
「刀の錆にしてくれる」
地面に落ちた私の名刺は、親分の後ろに控えていた青白い青年が拾った。普通の名刺交換のマナー通りに、両手で胸のところにかかげる。どうやら、会社勤めをしたことがあるひとが、一人はいるらしい。
「私を成敗する前に、一言、理由を教えてくれませんか」
先ほどの青白い青年が、代わりに言う。
「そりゃ、チアガール姿ですよ」
そもそもは古川さんのリクエストをかなえるため、やったことなんだが。
動画をネットにあげたとたん、殴り込みなんて。
「おい、コイツにコト訳、言って聞かせてやれ、小政」
私の名刺を拾った青白い青年が、名刺を懐から取り出して、丁寧にあいさつしてきた。
「経理担当の、金ヶ崎です」
「あれ。でも、今、社長さんが、コマサって……」
「社長、清水次郎長の大ファンでしてね。まあ、ペンネームならぬ、仕事ネームみたいなものです」
「小政ですか……大政、森の石松と並ぶ、三大ビックネームじゃないですか」
正直のところ、清水次郎長に出てくる任侠の徒というよりは、漱石の『吾輩は猫である』に出てくる、うらなりセンセイのイメージだ。
「たまたま、社員の中で上から三番目の年かさで、唯一の大卒だから、重宝されているだけですよ。権力もなければ、色男でもありません」
「さいですか。でも、三番目の年かさって……その若さで……ベテランさんたちは、暖簾分けで、独立しちゃった?」
「私、こう見えても、41歳ですよ」
なんと、私より年上かよ。
「お嬢がチアガールになる話、実は、本人から直接、聞いてました。アルバイトの一種で、ネットに映像を挙げることも。そもそもは、お嬢に便宜を図るために、塾長先生が企画されたことも」
「……小政さん、信頼されてるんですね」
「お嬢が小学校に上がる前から、遊び相手になったりしてましたから。私、お嬢のお母さんの同級生なんですよ。子どものころから勉強だけはよくできたので、若いころは、植木屋の婿候補の一人、と言われてました。まあ、お嬢の母親からしたら、私は眼中にもなかったようですけど」
なにやらキナくさいほうに、話がいく。
詳細を聞いてドツボにはまるより、まずは殴り込みストップの算段だ。
「アユミさんのチアガール姿、ハレンチと決めつけられれば、返す言葉もございませんけど。高校野球、見てないんですか? 甲子園のアルプススタンドを見りゃ、今どきチアガールのいない高校なんて、ありませんよ」
「それが……炎天下の野球場で黄色い声を張り上げてるっていうなら、健全でしょうけど。いい年した人妻の、卑猥なダンスにつきあったりしたら、せっかくの清純派の評判が、地に落ちますよ」
清純派……ホモのカップリングについて語りだしたら、止まらないような古川さんが?
「ウチのお嬢は、今の今まで、彼氏もボーイフレンドもいたことはありません。クリスマスだろうがバレンタインだろうか、節目節目を二次元キャラクターと一緒に祝うくらいで」
そういう物悲しい現実を、いわば身内、おじいさんとそのお弟子さんたちの前で公表しちゃうのは、どーかと思うが。
「いんや、小政。ワシは、そもそも、あのメリケン女みたいな恰好が、大嫌いぢゃっ」
「社長、落ち着いてください」
「いつから、大和なでしこの貞操観念は、地に落ちたのじゃーっ」
古川親分の絶叫をさえぎるように、腹に力のこもった声がする。
「ちょーっと、待ったあ」
ドタンバタンと、床が抜けるような重量感ある足音とともに、我がチアリーダーチームが玄関口に出てきた。先頭を案内してきたのは、桜子。講座の世話役、畠山さんが、続く。
「何が、誰が、ヤらしいって」
この日の受講者二十人あまりが、全員出張ってたらしい。事情を知っている生徒さんはともかく、往来の通行人は、我が熟女チアガール部隊に好奇の目を向ける。
「あんた、講座に参加してるお母さんたちの、事情も知らないくせに。好き勝手、言ってくれるじゃないのっ」
畠山さんの後ろに控えていた、巨漢の……いや、女性だから、漢はおかしいか……ふくよかで背の高いお母さんが、援護の声援をあげる。
「アタシたちはねえ、好きでこんな恰好してるんじゃないわよ。子どもの勉強のために、恥を忍んで、血のにじむ思いで、チアダンスしてるに決まってるでしょ。少しは想像力ってモノを働かせなさい、カボチャ頭」
「カボチャだとう。このアバズレがっ」
「ちょっと、社長」
「菅野さんも、抑えて、抑えて」
菅野さんは旦那さんと一緒に洋菓子屋さんをやっているご婦人で、オシドリ夫婦かつノミの夫婦として、ご近所で評判だ。東京の有名ホテルでパティシエ修行してきたとかで、果物てんこ盛りの絶品のティラミスを作る。そして同時に、腕っぷしの強さ……高見山を思わせる「ぶちかまし」でも、また有名なのだ。反抗期に入った娘さんの「お父さんのパンツと私の服、一緒に洗濯しないで」という一言にキレた菅野さんは、頭に血がのぼったまま、娘さんに会心の一撃をぶちかました。姑さんに説教された菅野さんは、心を入れ替えるべく、このチア講座に参加しはじめたのだった。
しかし……。
ウラナリ君ではらちがあかないと思ったのか、ごま塩頭の初老男が、大将と菅野さんの間に割ってはいる。
「社長、話し合いに来たんですから、穏便に。そっちの、アンタも」
「なによっ。大の男が、御大層な武器を構えたまま、淑女に向かって、穏便にもヘッタクレもないでしょっ。このヒヨットコ爺が」
「ちくしょうめ。オレがヒョットコなら、おめえはオカメじゃねえか」
「なんですってえ」
金髪にねじり鉢巻きの若い衆が、列一番右端に控えていた、妙に色っぽいチアに話かける。スナックのチーママをしている渚姐さんだ。彼女のほうで誘惑したのか、はたまた色香に惑わされた金髪にーちゃんが、ふらふらっと近づいたのか。
「きゃーっ」
渚姐さんの甲高い声を合図に、乱闘が始まる。
手に手に得物を持ったオッサン軍団が優勢かと思いきや、そうでもない。そもそものケンカの原因にシラけていたせいもあるし、相手が無手の……いや、ポンポンだけのご婦人がたということで、遠慮もあったのだろう。
「どすこーい」
菅野さんのツッパリで、油断しきっていたゴマ塩頭男が、ふっとぶ。
ごま塩頭の助っ人に駆けつけた他のオッサンたちも、同じようにあっさりぶっ飛ばされる。
雑魚どもを蹴散らすのは菅野さんにまかせ、畠山さんは頂上作戦を敢行していた。
白鞘の日本刀を抜かせまいと、連続キックだ。
「くらえっ。大根足キーック」
自虐だか本気だか分からないネーミングだが、威力は本物だ。大将を助けようとした護衛のいぶし銀たちも、ふがいなく尻もちをついた。
「オオマサーっ」
どうやら、植木屋最大戦力も、ダンプ母ちゃんの敵ではなかったらしい。
植木屋軍団が、もう白旗を挙げるという段階になって、真打が登場した。
「お嬢」
「アユミちゃん」
そう、古川さんだ。
はて?
さきほど、あわただしく塾長室に飛び込んできたときは、ブカブカのメンズ・ジャージにジーンズ姿だったのに。いつの間に着替えたのか、マキシ丈のグレイのワンピース姿になっている。
「アユミ……お前は、お前だけは、ワシらの味方じゃろ」
「お嬢。あの年甲斐のないオバハンたちと、キッパリ手を切ってくれ」
もちろん、チアガールたちも、一心に古川さんを、見つめている。
彼女は、黙ったまま、しばし両勢力に視線をやった。
バサっ。
水色リボンのポニーテールがふさっと宙に舞った。
大きな音を立て、古川さんはワンピースを脱ぎ捨てた。
燦然と輝く真っ赤なチアの衣装を見て、古川親分はガックリ膝をついたのだった。
「いやー。いい絵が撮れたッスねえ。まさか、塾長がシナリオ書いて、演出したとか?」
「んなわけ、あるか。常識で考えなさい、西くん」
渡辺啓介と並ぶ、もう一人の学生塾講師、西くんに命じて、この一場面は、すべて撮影した。あまりに生臭いやり取りになれば、もちろん即、ボツにするつもりだったけれど、それは杞憂に終わったようだ。
「植木屋さん軍団も、チアガール・ママたちも、キャラ、立ってるっスねえ」
「全くだ」
二勢力の争いは、我が塾で、これ以上古川さん出演のCM動画をアップしないことをもって、手打ちになった。
打ち身ねんざ、肩こり頭痛、その他の被害は圧倒的に植木屋さん側が多かった。しかし殴り込みなんて暴力沙汰を起こして返り討ちにあった以上、文句の一つも出なかった。
「でも、この動画はCMじゃない」
「そうッスねえ」
「動画は流さないと約束したが、静止画をアップしないとまでは、約束していない」
「塾長、悪者っスねえ」
「まったくだ」
ユーチューブに投稿、塾のホームページはもちろん、古川さんの同級生たちが……いや、ズバリ丹野君が目にしそうなところには、漏れなくリンクをはった。
なぜか事情を知らされてない理系ガールズのうち、オタサーの姫にしてコスプレーヤー、丸森さんがチアガール講座に参加したがった。
同じ理系ガールズでも、「私なら、ああいう人前で足を出すのは、イヤ」と勉強の虫・角田さんが、拒否反応を起こした。六人のうちの残り三名は、無反応、無関心だった。
塾内の反響も似たりよったりで、これは、母親チアリーダーを、見慣れ過ぎた結果かもしれない。
好意的な「語られ」が功を奏したのは、学校のクラスメートのほうである。今まで、話したこともなかったような女の子たちが、友達になってくれと申請してきた。冷やかし半分・好奇心半分の男の子たちも近寄ってきて、「馬子にも衣装だな」と遠回しに褒めてくれた。
古川さんのそんな報告を聞いて、出だし順調と私は安心した。
「人寄せパンダみたい気分だけど、いいんです。色モノだけど、人気ものになったから」
「てか、肝心の丹野くんの反応は、どうだろう」
「それが……噂は聞いてたらしいですけど、肝心のCM動画は見てなかったらしくって」
通学の15分が、視聴タイムになった。
植木屋さんたちの殴り込み動画を見て、「じいちゃん、相変わらずの血の気だな」と苦笑したそう。
CM動画の中心人物を見て、「ずいぶんと若い母ちゃんが混じってるな」と首をひねりも、したそう。
「それ、若いママじゃないよ、ピチピチの女子高生だよって、教えてあげました」
「それで?」
「よく見れば、確かに高校生くらいに見えるなって。トボけてるんじゃなく、どうやら本気で言ってるんですよ。水色リボンのポニーテールを見れば、顔なんか確認しなくても、誰だか分かりそうなものなのに。だから、こっちも、知らないふりして、聞きました。どう、なかなかかわいい女の子でしょ? て」
「ほほう。丹野君の反応は?」
「そうだなあ、古川、知り合いなら、紹介してくれよ、ですって」
「天然なのかね? 丹野くん、なんか、いい味出してるな」
私よ、目の前にいるじゃない、と古川さんがニッコリすると、丹野君は、あんぐり口を開けて、驚いたそうな。
「ツカミばっちりです、庭野先生」
「ああ。次のシナリオ、開始だ」
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