第4話 方法論原論

 場所は変わって、私たちの自宅。

 そう、桜子の祖父が残してくれた、童話図書室だ。

物珍しさでキョロキョロする古川さんを、まず落ち着かせる。

「古川さん、なにか、飲む?」

 桜子の姉、梅子が、せんだって帰省して、様々な種類のジュース類を置いていった。焼酎を自分で割ってチューハイにしようとしたけど、うまくいかなったらしい。おすそ分け、というかおさがりの割材には、普段飲まないような珍しいのもある。グレープフルーツにレモン、ピーチ、なんでもある。

「あ。庭野センセ、私はミネラルウオーターで」

「タクちゃん。私も」

「二人とも、水か。近頃の娘は、砂漠のラクダより水が好きなんだよな」

 かくいう私は、豆乳だ。

「タクちゃん、ジジくさっ」

「何回も言われてるし、リアクションは省略しとくよ」

 私は右手に4K動画が撮れるデジカメ、左手には古川さん用チアリーダーの衣装を持っていた。

「信じる者は、救われる。さあさ、この特製応援団コスチュームを身に着け、ノーパンミニスカに……」

 なりたまえ。

 最後の一言は、私の口の中で、血反吐とともに、散った。

「桜子、パーンチ。パンチパンチッ、パンチーッ」

 もう、ええっちゅうの。

「痛いじゃないか、桜子」

「まだ反省足りてないみたい。ごめんね、アユミちゃん」

「あの……庭野先生?」

「川崎マキ君も、ここで連日、ノーパンミニスカになって、修行したのだよ。私、ウソは言ってない。だよな、桜子?」

「アユミちゃんが想像してるのとは、全く違うから。てか、今回、本当にパンツ脱ぐ必要、あるの?」

「趣味と実益を兼ねて……」

「また、それか。てか、実益、何割くらいよ?」

「ええっと……一割くらいかな」

「ほとんど趣味ってことじゃないの。恋する乙女の純情につけこんで、破廉恥するなんて。女の敵。クズ。馬に蹴られて、死になさい」

「私は、彼女にだけ、そんな無理を強いるつもりはないよ。ほら、見なさい。ここに、特注の男性用チアガールの衣装がある。もうすでに試着すみの。私もノーパンになって、だな……」

「タクちゃん、サイテー」

 北斗の拳ばりの連打が、私の顔面を襲った。

「ひでぶ。降参だ、桜子」

「ちゃんと納得のいく説明してよね。アユミちゃんが告白受けるところまでいかなきゃ、死刑よ」


「まずは、基本理論。アイドルとメディア、について話します」

「タクちゃん。むつかしい話で、ケムにまこうとしてない?」

「分からなかったら、分かるまで、しつこく質問してくれ、とかしか、言いようがないんだけどね。……始めるよ。古くは瓦版から始まって、今のテレビ・ラジオ・新聞等に代表される情報流通のあり方を、マスメディアといいます。他方、昨今のインターネット、個人がブログで情報発信したり、ツイッターでつぶやいたりするのをソーシャルメディアといいます。現在は、マスメディアから、ソーシャルメディアへの過渡期、と言われています。もっとも、ソーシャルメディアが社会の情報流通の主役になっても、マスメディアが完全になくなるわけでは、ありません。ここまで、質問は?」

「今のところ、大丈夫よ、タクちゃん」

「私もついていけてます、庭野先生」

「では、続き。アイドルについて、です。アイドルは、タレントではありません。タレントとは英語で才能という意味も持ちますが、アイドルに、メディアに出続けるための特殊な才能がいるわけではありません。また、アイドルは女優でもありません。女優さんはその演技力を評価されて、メディアに出演したりしますが、アイドルには演技力等も、必要ありません。もっといえば、アイドルは人間である必要も、ないのです」

「えー。タクちゃん、なにそれ」

「ボーカロイドとか、バーチャルアイドルとか、客観的に見ればデジタルデータでしかないアイドルが、立派にアイドル活動してるじゃないか。続けるよ……では、アイドルと、アイドルでない人間……人間でなくていいって、今言ったばかりだから、キャラクターとしようか。アイドルとアイドルでないキャラクターの違いはどこにあるのか。それは、異性に、恋人にしたいと思わせる魅力です。昨今は男の娘アイドルといった、女装が似合うアイドルもいれば、ゲイやバイのアイドルファンもいるでしょう。タカラヅカの男役は、立派な女性ですが、女性ファンを大勢獲得しています。でも、主流派は今でも、一般的な異性愛者でしょうから、話を簡単にするために、異性をひきつける魅力、としておきます」

「なんか、前置き長くない、タクちゃん」

「本論に入るころには、最初の話、忘れてるかもしれません、庭野先生」

「まあまあ。その時は、復習するから。コホン。続けます。次に、アイドルに憧れたり、アイドルを応援したりする男の子のことを考えます。もちろん、女の子だって、アイドルファン活動します。話を簡単にするために、今は男の子に絞ります。彼は、アイドルファン活動をすることで、どんな欲求を満足させているのでしょうか。ちまたのアイドル論では、疑似恋人関係、なんていう言い方をしたりします。彼は、アイドルとの結婚を夢見ているのか。そういう人は少数派でしょう。では……ええっと、年頃の女の子前では言いにくいですが、エッチな想像をするときのネタとして使ってるのでしょうか。そういうエロい妄想に使っている男子もいるでしょうが、それなら、相手は必ずしもアイドルである必要はない、わけです。また、疑似恋人関係なんて言い方をしますが、アイドル女性が、ファン男性のことを認識しているわけではない。認識させたいファン男性の心理につけこんで、握手会なんていう商売方法も成り立っているのだから、確かです。そもそも人間でないアイドルなら、ファン男性のことを、認識しようがない。つまり、アイドル応援活動の疑似恋人関係は、実は、疑似片思い関係、だろうということです」

「ちょっと強引じゃない、タクちゃん」

「でも、ここんところを認めてくれないと、方法論が成立しない。……続けます。では、この片思い関係、川崎マキ君が、ウチの渡辺先生にしていたような、指をくわえて遠くから眺めているだけのような、関係か? 違いますね。アイドルファンは、コンサートに行ったり、握手会に行ったり、ブログを見たり、といった経済活動をします。さっき言った、疑似恋人関係、なんていう言葉になぞらえて言えば、疑似デート関係、とでもいうべきモノです。では、片思い関係を解消するには、どうしたら、いいのか? 日本で一番ポピュラーな方法は、ズバリ、愛の告白でしょう。フラれて関係が壊れるにせよ、めでたく恋人関係になるにせよ、これが契機になるのは、間違いありません。しかし、前に説明したように、アイドルファンは告白がとても難しい立場です。結論。アイドルファンが、アイドルに対する心理状態とは、デート以上告白未満の、恋人のような恋人でないような関係である」

「デート以上、告白未満……」

「そう。川崎マキ君に続き恋愛相談にきた、どこかの誰かさんと同じ、微妙な男女関係って、ヤツだね」

「でもさ、タクちゃん。さっきからのタクちゃん説明、男子の例じゃない?」

「そりゃ、もう。古川さんの求める勝利条件は、相手男子からの告白だからね。自分が告白するほうじゃ、ない。さっきからやっている説明でなぞらえて言えば、古川さんをアイドルに、そして丹野君をアイドルファンにする。そういうことだね」

「私が、アイドルかあ……」

 古川さんが感慨にひたっている間、ツマミを取りにいく。

 天童の東海林先生の奥さんから贈られた、モモがある。

 カロリーを気にする娘ッコたちも、本場の果物には弱い。上手に皮を剝き、二人が直接かぶりついたところで、説明再開だ。

「……万人向けじゃなく、丹野君だけの個人的アイドル、だよ。さて、続き。今度は、そのアイドルファンの男の子の分析。ええっと、古川さんの大・大・大得意分野、ウケとセメについて、少し考えます」

「ちょっと庭野先生。私、そんなに大がいっぱいつくくらい、ホモが好きなわけじゃ、ありません」

「まあまあ。そんなご謙遜を」

「謙遜なんて、してません」

「アユミちゃん、いいから、いいから。タクちゃん、続き」

「日本の演劇界にはユニークな伝統があります。男同士が男女の恋愛を演じたり、女同士が男女を演じたり。いうまでもなく、歌舞伎とタカラヅカです。双方とも、役者さんの演じるのは、異性愛。そして、こんなことを言っていいか分からないけれど、女性向けの同人誌におけるホモ関係は、この裏返しのような気がします。つまり、舞台では……絵として表現されているのは、同性愛関係。けれど、中身の役者さん、女性同人誌の場合、主役キャラたちだけど、双方、きちんとチンチンはついているけど、やってることは異性愛だろう、と。つまり、片方は中身、女性のキャラクター」

「そうなの? アユミちゃん」

「そういう評論、どこかで読んだこと、あるかも」

「この場合、ウケのほうが女性側、セメが男性側、ですね。で、今度は、この、ウケ、イコール女性、そしてセメ、イコール男性、という意味について、考えます」

「……タクちゃん。私、最初のほうの話、忘れたかも」

「古川さんが大丈夫なら、ウチのアホ娘は放っておいて、話を進めるけど」

「庭野先生、お願います」

 モモの糖分で、頭の回転が良くなってる?

「ちょっとお。アユミちゃん」

「……男性をセメ、女性をウケ、なんていう例えは、言葉は色々と違えど、日本では古くからあります。中国から道教が渡ってきて、神道が成立し、そんな時代からあります。男女を陰陽、なんていう言葉で表現するやり方です。もちろん昔だけでなく、今現在も根強く生き残っている考え方です。今言った、女性向け同人誌だって、その影響下にある。男女和合の際の、生理的なあり方なんかも、関係しているかもしれません。女性は男性の何倍もの快感があるといいますから。男がイカせる側、女がイク側」

「タクちゃん。途中まではよかったのに。エロネタに走っちゃ、ダメ」

「ええっと……思春期突入したての、男の子の恋愛観、について語りたかっただけなんだけどね。男女交際を幾度か経験してきた男性、あるいはそうでなくともそれなりの人生経験を積んできた男性なら、こういった、伝統的、生理的な、固定した役割分担がすべてでない、と分かります。男がウケで、女がセメの場合もある。けれど、恋愛未経験、人生初めての体験に夢中な男の子には、そういう余裕もほとんどないだろう、ということです。で、ここでアイドル論に戻る」

「アイドルに夢中になる男子は、セメ?」

「ウケという言葉を、受け身と言いかえてみましょう。アイドルの特徴の一つは、外見がいいことです。最初の説明に戻って言えば、タレントさん・俳優さんたちは、必ずしも美男美女である必要はない。でも、アイドルは、万人受けしなくとも、どこか異性をひきつける外見がいります。で、ウケセメの範疇で考えると……男子ファンは見る側、アイドルは見られる側。他の女子に抜きん出ていることを考えれば、アイドルは見られ上手、と言えるかもしれません」

「見られ、上手」

「言葉は、少し熟さないけどね。さらに続けましょう。この見られ上手という特性、実は、現代に特徴的である。過去には主流派じゃなかったし、未来でもそうかもしれない。正確に言えば、もう最盛期をちょっと過ぎた考え方じゃないか、と思うのです。何を言いたいかというと、アイドル、イコール、見られ上手という特性は、マスメディアという情報産業のあり方と、密接に関連している」

「わ。タクちゃん。一挙にむつかしくなった」

「一番最初の説明ですよね、庭野先生。マスメディアの時代から、ソーシャルメディアの時代になった」

「その通り。ちょっと前まではマスメディアの時代で、今は過渡期だろう、という説明をしました。で、見られ上手、要するに、女性の魅力が美人、かわいいという言葉で説明されるのは、今現在、つまりマスメディア全盛期だからこその現象だろう、と私は言いたいのです」

「そうかなあ。いつだって、美人は美人で、もてるに決まってるじゃない」

「では。説明のために、マスメディアがなかった時代の美人像を考えてみましょう。メディアという言葉を日本語に直すと、仲介とか媒介とかいう意味になります。そう、この場合、アイドルとアイドルファンのなかだちになるもの、という意味です。このなかだちがない、イコール、マスメディア以前の昔の話です。アイドルとアイドルファンとは、直接コンタクトをとることができていました」

「庭野先生。ピンときません。今でいう、地下アイドルみたいな感じですか?」

「職業として、あるいはアルバイトとしてのアイドル、という存在がなかった時代の話ですからねえ。まあ、微妙に違うでしょうね。浮世絵なんかには、お茶屋のウエイトレスさんが、取り上げられていたりして、これが今でいうアイドルの走りだろう、と言われていますね」

「あれ。でも、庭野先生。確かそれなら、歌舞伎役者さんのブロマイドとかが、あったって聞いたことがありますけど……」

「さっきの論で言えば、それはアイドルではなくて、俳優でしょう。で、昔も今も、女性に対する誉め言葉は一緒で、美人とかかわいいとか、言っていました。けれど、この美人という言葉、当時はそのまま即、性格美人を意味していました。顔とか、スタイルとか、関係ナシ」

「えー。じゃあ、顔とかスタイルとかがよくて、ひねくれた性格の人って、美人じゃないんですか?」

「容姿を褒めるときには、器量よし、という言葉が別にあったんです。ちなみに、このへんの議論は、橋本治という小説家兼エッセイストの受売りです。私らの世代の人ならみんな知ってるし、熱狂的なファンもたくさんいたひとだけれど、今の高校生くらいだと、読んでないひとが多いかな?」

「タネ本、あとで貸して下さいね。……で、器量よくないアイドルの話は?」

「美人は三日で見飽きる、なんていうことわざもあります。古川さんのクラスにだって、容姿はイマイチでも、世話好きだったり、明るく和やかな人柄だったり、要するに性格美人で、男女問わず慕われるクラスの人気者の女の子が、いたりするでしょう? メディアがなかだちしないアイドルって、そーゆーことですよ」

「なんとなく……分かったような、分からないような」

「マスメディア時代の情報流通には、メディアとしての特性のほかに、もうひとつ特製があります。マスという部分、つまり一つの情報源から、多数の人に伝播するという特性です。受け手の多数が、情報の発信元に返信しても、発信元は多すぎて処理しきれません。自然、多数の受け手、この場合アイドルファンのほうは、見ることしかできない。見ることが、精いっぱいのコミュニケートの仕方になります。でも、マスメディア以前なら? 情報が一方的に流れてくるだけでなく、双方向のやり取りが可能です。なんせ情報流通量が、各段に少ないですから。具体的に言えば、言葉のキャッチボールができる。この場合、視線は関係ありません。アイドルは美人でも、アイドルファンがイケメンとは限りませんから。アイドルがファンの容姿を堪能することは、基本、ないのです。で、マスメディアのアイドルが、見るー見られ上手なら、マスメディア以前のアイドルは、話すー話され上手、と言えるかもしれません」

「話され上手」

「あえて受け身形にしたんで、逆に分かりにくくなったかな? 一般的な言葉で言えば、聞き上手、かな。今現在問題にしているアイドルファンの男子、恋愛未経験の初心者は、ウケができなくて、セメだけだってこと、思い出してくださいね。自分のことをもっと知ってもらいたい、あるいは相手のことをもっと知りたいと思うアイドルファンの男子は、残念ながら、未熟者ゆえに、一方的に捲し立てるので、精いっぱいなのです。マスメディア時代のアイドルが、もっと見たい、見ていたいという気持ちを起こさせるなら、それ以前のアイドルは、もっと話したい、話していたいという欲求を起こさせる、ということなのです」

「なるほど? 分かったような、分からないような」

「ええっと。ここまでのまとめ。マスメディアのアイドルが器量よしなら、マスメディア以前のアイドルは、性格美人である」 

 トイレ休憩をすることにする。

 一方的にしゃべり続けた私は、豆乳のお替りをすすって、喉を潤した。

 我が姪は、台所に下がると、今度はカタイものが食べたいと、海苔巻きだのカリントウだのを調達してきたのだった。

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