第3話 相談者とターゲットについて
古川さんと同じ中学出身。陸上競技部部員にして、ハードラー。角刈りの似合う、ちょいオッサン風味が入っている昔風のイケメン。それが、今回のターゲット、丹野レン君である。
古川さんとは、残念ながら、学校でのクラスが違う。彼氏は我が塾生でもない。
そして古川さんは幽霊美術部員、部活での接点もない。
「幽霊部員で、美術部に所属してるんなら、思いきって退部して、陸上部に入り直せば、いいんじゃないのかな。スポーツ苦手なら、マネージャーとかで」
「レン君、そういう不純な動機で陸上をやる人、許せないと思うんです」
「ほほう」
古川さんたちは、塩釜の出身だ。
私のころは、高校受験に学区制があって、石巻地区の中学生は石巻の高校に、仙南の中学生は、仙南の高校にしか、進学できない仕組みになっていた。十年くらい前に、この線引きの開放があって、全県で一学区になった。けれど、通学時間等の制約から、旧学区を越境する高校生は、ほとんどいない。その数少ない例外も、石巻から仙塩地区に、は有りえても、仙塩地区の生徒さんが石巻に、というのは聞いたことがない。つまり、丹野君は、例外中の例外なのだ。
「いわゆる進学校で、陸上競技が強いの、ここと仙台三高だけ、なんだそうです。レン君は、高校生活、部活三昧の青春を送るために、あえて誰も選択しない道を選んだんです」
「うむ。さすが、詳しく調べてあるね」
「いえ。本人から、聞きました」
入学早々、古川さんは、仙石線の中で痴漢にあった。
相手は日焼けした、精悍な感じのサラリーマンだったそう。だけど、これが、往生際が悪かった。「このブス、オレが触るわけないだろ。自意識過剰なヒステリ女め」等々、さんざん古川さんをけなして、逃亡しようとしたそうだ。偶然一緒に乗り合わせていた丹野君は、痴漢の胸倉をつかんで、叱りたおすと、駅員に突き出したという。
そしてその日以降、朝の通学時には、同じ時間帯同じ車両に乗り合わせ、彼女を守ってくれるように、なったという。
「うんうん。いいよ、いいよ。なんてベタな展開なんだ。でも、ボーイ・ミーツ・ガールの運命の出会いとしちゃ、悪くない。うん、悪くないよ、古川くん」
「いえ、庭野先生……私とレン君、もっと前から知り合いですけど」
お茶菓子のしょうゆせんべいを、私のぶんまで平らげた桜子が、言う。
「アユミちゃんも、越境組よね。ひょっとして、その丹野君を、追いかけて?」
「ううん。お父さんが石巻に転勤になったから、それに合わせて。私も、もちろん、こっちに住むことになってたんだけど」
「どーゆーこと?」
「ウチのお父さん、いわゆるマスオさんなの。母の実家に、ずっと同居してたの」
古川さん家は、江戸時代から連綿と続く庭師の家、なのだそう。庭師と言っても、植木の剪定をするのだけが仕事ではなく、池を掘ったり、観賞用の巨石を運搬配置したりもする、いわば作庭家だ。
現当主、古川さんのお爺さんは昔気質のひとで、家長第一みたいな家庭生活を家族に強いていたから、入り婿であるアユミ君のお父さんは、ずっと肩身が狭い思いをしていたらしい。
「おじいちゃん、母と私にはめっぽう甘い人なんだけどね……職人肌だから、言葉遣いもキツくって……よく、おばあちゃんが男二人の間に入って、お父さんをかばってた。仕事の話になれば、公務員って食いっぱぐれがなくて、いい商売ですよって、褒めもしてた。おじいちゃんは、そういうのも、とにかく気に入らなかったみたい。本当は、お母さんに自分の弟子の誰かをめあわせて、後継者にしたかったみたいで。もちろん、今さらの話だけど、ギクシャクしてた」
県東部事務所、要するに石巻への栄転が決まったのを機に、古川パパはさっさと家族ごと引っ越しを決めた。通勤時間といっても車で片道一時間ちょい、通えない範囲ではない。要するに、奥さんの実家から、なんとしてでも出たかったのだろう。
「私は高校受験と入学手続きがあったから、少し遅れてお父さんたちと合流することになっていた。でも、レン君が一緒に通学してくれることになって、気が変わって……自分の部屋からきれいな庭を眺めるのが好きだからってゴネて、結局、塩釜に居座ることにしたの」
お父さんは、寂しがった。
おじいちゃんは大喜びで、今までの3倍のお小遣いをくれるようになったという。
「でも、いいことばかりじゃなくてね。おじいちゃんが、さりげなく弟子の人たちを連れてきて、私に見合いみたいなことをさせるのよ。お母さんで失敗した、後継者の夢、再びってところ。私、高校生になったばかりなのに」
「さっさと、その丹野君とくっつかなきゃならない、事情があるわけだ」
「ねえ、アユミちゃん。その弟子って、どんな感じ? イケメン?」
「それが、来る人、来る人、オジサンばっかで」
「オジサンにだって、カッコいいひとはいるよ、アユミちゃん」
「そお? サクラちゃんて、実は、毛色の変わった趣味?」
「違うよ。普通だよ」
「まあまあ、お二人さん」
接点……二人が、二人だけの時間を意識できるのが、通学電車内の30分だけというのは、作戦を立てる身として、ちとつらいな。
「実際はもっと短いですよ、庭野先生。矢本あたりから、クラスメイトが、ぽつぽつ乗ってきますから」
「告白までもっていくつもりなら……そういや、ダブルデートしたこと、あるんだっけ」
「ああ、あれ。正確には、別れ話の立ち合い……ううん、別れない話の立ち合いって、いうか」
「どういうこと?」
丹野君の親友が、ガールフレンドから別れを切り出された。遠距離恋愛中の彼女に好きなひとができて……という、ありがちなパターンだ。
「彼女が気持ちをひるがえすように、説得して、とか言われて」
「ほほう」
「ちょうど、塩釜神社の縁日の日だったから、私、浴衣を着て、目いっぱいおしゃれして、行ったんですよ。頭もちゃんとポニーテールに結って、ちょっと恥ずかしかったけど、水色のリボンまでつけて。でも、待ち合わせ場所にいたのは、困った顔のレン君と、ブーたれた顔の彼女と、半べそかいた彼氏と。しかも、みんな普段着のまんまで。レン君なんか、塩釜一中陸上競技部ってプリントの入った、Tシャツですよ。一生懸命おしゃれしていった私が、バカみたい。でも、せっかくだからって、露店を見てまわりました。綿菓子食べたり、金魚すくいしたり。でも、つまらないんです。彼女のほうが、彼氏にチクチク嫌味を言って、ちっとも会話がはずまなくって。本命くんなら、クルマを出してくれて、ついでに松島のほうも回ってくれるのに、とか。本命くんなら、射的ゲームで、ぬいぐるみでもプレステのソフトでも、好きなものをゲットしてくれるのに、とか。ホント、うざかった。浮気者のくせに。浮気者のくせしてーっ」
「まあまあ。過ぎたことだし。心の叫びは、そのへんで」
「……レン君の提案で、三人して役割分担して、その浮気者を説得することになりました。ナダメ・スカシ・オドシっていう、アレです。ヘタレ彼氏がナダメ役、レン君がスカシ役、そして私がなぜかオドシ役でした。男の人のほうがコワモテだから、オドシ役には向いてるんじゃないのって、思いました。でも、レン君、笑って言うんです。今の古川、鬼の形相になってるよ、すげえこわいよって。私もつられて笑って、開き直りました。それでは、てことで、私、彼女を脅しました。アンタのせいで、せっかくのデートが辛気臭くてつまんないものになっちゃったじゃないって。ふつう、そこまで言われたら、少しは反省しますよね。でも、あの浮気者、ずうずうしく反論してきたんですよ。なによアンタ、私抜きでめいっぱいデート楽しんでたくせにって。復縁のために説得に来たんなら、少しはそれらしいこと、しなさいよっ、とかなんとか。キーッ」
「まあまあ。もう終わったことでは、あるんだ゜し。それより、その彼女の話より、丹野君との後日談が聞きたいな」
「私、レン君にも怒ったんです。ダブルデートとは言え、これが私のデート初体験だったのに、この仕打ちはないんじゃない? て。私のほうは、浴衣を着て、めいっぱいオシャレもしてきたのに、その汗臭そうなスタイルは何って」
「汗臭いは、ちと言い過ぎだなあ」
「でも、私、悔しかったから。レン君も、分かってくれたみたいです」
「……そもそも、丹野君、なんでそんなダブルデートに、君を誘ったんだろうね。古川さんが話術たくみで、説得力のあるタイプだから? 丹野君に女の子の友達があんまりいなくて、選択肢がなかった? 本命中の本命を、こんなデートに誘うかな? いや、でも、照れ隠しな男子なら、これをチャンスとばかり、本命を誘うことも、ありうる?」
「……レン君、最初は陸上部の先輩に声をかけたそうです。同じ短距離をやっていて、仲のいい女子。でも、きっぱり断られちゃったって、話です。いくら恋愛的なニュアンスがなくても、彼氏に誤解されると困るからって。レン君、ショックだったって、言ってました。その、先輩に彼氏がいたことも、キッパリ振られる形になったってことも」
丹野君は、その先輩と気まずくなっただけでなく、他の陸上女子みんなと、なんだか気まずい雰囲気になったそう。先輩がダメなら他の陸上女子にというのも、失礼な話だ……と同級生女子部員も相手にしてくれなくなったという。
「なるほど。丹野君が仙塩地区の高校を避けて、石巻に来た遠因かもしれないね、それ。こっちにくれば、陸上を続けるにせよ、その気まずい女子たちと、一緒にならずにすむ」
「タクちゃん、話、脱線しないでよ。もう少しで、一段落なのに」
「おう」
「私、レン君からその話を聞いたとき、思わず言っちゃいました。私、その先輩の代わりなのかって」
「それで、彼氏の返事は?」
「直接の返事は、なかったです。でも……誘って、あっさり断られそうな、仲の悪い女子なんか、最初から誘わないって、言われました。デートって、誘われる側の女子にそれなりに覚悟がいるってことは承知してるけど、誘うほうの男子も、それなりに覚悟してるんだぜって、言われました」
「なるほど。中学生なりに、大人な返答かな、と思う」
「私だったら、納得しないかな」
「そういうのは、彼氏を作ってから言え、桜子」
つまらないダブルデートの埋め合わせに、そのうち映画をおごると、丹野君は約束してくれた。
「……このあいだのダブルデートは、デートじゃない。単にアイツらのデートに、ついていっただけだ。だから、今度オレと一緒にいくデートが、お前の初デートだ。映画に浴衣姿は、ちとムリかもしれないけど、また、水色リボンのポニーテール、結ってきてくれって、言われました。かわいかった、て。初めて、レン君に、かわいいって 言われた瞬間です。褒められたの嬉しかったし、初デートは楽しく盛り上げてやっからよ、て言ってくれて……ま、レン君を許すことにしたんです」
「よかったじゃないか、古川くん」
「あれ。アユミちゃん。でも、その初デートどころか、いつでも水色リボンのポニーテールだよね。トレードマークみたいに」
「レン君へのプレッシャーよ、サクラちゃん」
「ふうむ。確かに、いい年したオッサンから見ても、かわいさ20パーセント増しに見えるかも」
「わ。褒められた」
「ちょっと、タクちゃん。まさかアユミちゃんを口説いたり、しないわよねえ」
「口説いてない。褒めただけ。男子校出身だからな。バンカラかつ豪快に、かわいい女の子にはかわいいと言うのだ」
「はい、はい。それなら、少しは私にも、言ってよね。さ。アユミちゃん、続き」
「そんなこんなで、約束だけはしたんだけど。その本当の初デートが、いつになっても実現しなくって」
その年の秋の新人戦で、丹野君は県四位の成績を収めた。表彰台まで、本当にあと一歩。今まで、素材こそいいが地味な選手と呼ばれていた丹野君が、いきなり脚光を浴びることになった。OBがぴんぴんとコーチに来てくれ。県の強化合宿にも呼ばれた。代替わりの際には、副部長にも選ばれた。そして……三位までの0.2秒を縮めるために、丹野君は日曜祝日を犠牲にして、練習に励んだ。
「でも、結局、翌年の県中体連でも、四位止まり。一度でいいから、表彰台に上がりたいって、何度も何度も言って。部活で負けて、本気で泣いているひと、初めて見ました。しかも、並みの選手なら、堂々胸を張れる、立派な成績なのに。レン君の努力は、立派だと思います。けど、一日くらい、息抜きの日があったって、いいでしょう? 私、今のいままで、約束の映画に連れてってもらってないんですけど。以上です」
「はー。でも、見込みありそうな気がするけどなあ」
「そうですか?」
「たとえば、丹野君が、また別の友人に頼まれて、ダブルデートするはめになるとする。今度は、陸上女子とか、迂回しないと思うな。現状で、丹野君がいの一番に誘うのは、古川さん、君だよ」
「単なる便利屋ってことですよね、それ」
「どーして、恋人候補、暫定一位、とか思えないのかな」
「レン君の好みのタイプって、ずっと年上の、しっとり美人タイプって思うからです」
「根拠は?」
「レン君が、ダブルデートに最初に誘った先輩が、まさにそんな感じの女子だったんです。高校でも、やっぱり、そういうタイプを意識しちゃってるのかなって。私、違うクラスだから、噂で聞いただけなんですけど、レン君、クラスではほとんど男友達としかしゃべらなくって、美人タイプは漏れなく敬遠してるって。で、時折親しげに話す女子がいても、私みたいな三枚目タイプ、オッサン臭いガサツ女子、恋愛オンチな腐の者、それに筋肉モリモリの体育会系。おおよそ、女の子っぽさのカケラもないひとたちばかり、みたいで」
「アユミちゃんも、その一人だって、思われてるって、こと?」
「桜子、お前は間違いなく、丹野君の友達になれそうなタイプだな。彼の男友達に」
「タクちゃん、一言よけい」
「古川さん。相手の好みが分かってるなら、その、化粧とかして、彼氏憧れの先輩に、似せる努力をしたら、いいんでないかい?」
「姿形をいくら真似ても、魅力ない女子は、やっぱり魅力ないです。いくら髪を伸ばしたり、リップをつけたりしても、残念な顔は、そんなにかわりませんって」
「なるほど。結論。ありのまま、今のままの自分のままで、丹野君に好かれたい。てか、外見も内面も変わりようがないけど、恋愛対象の女子と、意識させたい」
「庭野先生。結論もなにも、最初から、そう言ってるじゃないですか」
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