第2話 私たちの近況
季節は秋である。
スポーツの秋。食欲の秋。行楽の秋。
秋にも色々あるが、私たち庭野ゼミナールの面々にとっては、もちろん勉強の秋である。
夏期講習の前後、国内大手予備校主催の全国統一テストがあった。秋口にはその結果が返ってくる。志望校には成績が足りなくて落ち込む生徒さん。まあまあの結果に胸をなでおろす生徒さん。悲喜こもごもの受験模様が、我が塾でも展開される。一喜一憂してないで、尻を落ち着かせて勉強しろ、と私たち塾講師は口をすっぱくして言う。けれど、受験まであと半年。時間的制約を意識すると、どーしても浮足だってしまうようだ。
そして、このあせりは、生徒さんだけじゃない。
親御さん……主にお母さん……との二者面談をすると、出てくる、出てくる。
怒りにまかせて、一時間も子どもを説教してしまう、お母さん。
朝から晩まで、一言も口をきかず、子どもを落ち込ませる、お母さん。
グーだのパーだので、ポカリと子どもの頭を叩く、お母さん。
私は、そんな、自分をコントロールできないお母さんたちを、必ずしも責めるつもりはない。
子どもを塾に行かせるために、パートやアルバイトを増やす、お母さんがいる。
両親高卒で苦労したために、子どもだけは大学に行かせたい、と、どこでも平身低頭するお母さんがいる。
そう、お母さんたちだって、彼女たちなりに一生懸命の戦いをし、彼女たちなりに臥薪嘗胆な苦労をしているのだ。
そこで、我が庭野ゼミナールでは、この夏から、「子どもを叱りたくなるお母さんのための応援講座」を開講している。
具体的に言えば、チアガール講座だ。
キャッチフレーズは、「怒りを踊りに、変えましょう」。
内容は、こうだ。
怒りたくなったら、チアガールの衣装に着替え、子どもさんの勉強机の脇にて、エールとともに、歌って踊る。怒りは踊りで発散し、しかも子どもさんにはお母さんの意図がストレートに伝わる。叱られればこどもは委縮するけれど、楽しげな応援を受け、お子さんのやる気は向上する。
費用も、そんなに、かからない。
チアガールの衣装(胸にローマ字で、お子さんの名前の刺繍付)、ポンポン、週2回×3週の振付練習で、税込み2万5千円。破格の安さだ。
赤字覚悟のサービスで始めた講座だが、少なからぬ利益を挙げてもいる。
もちろん、受講者からの評判は、上々だ。
いわく、「感情のバクハツ」がなくなっただけでなく、「フィットネス」効果もある。そしてもちろん、子どもが勉強するようになった。殺し文句は、「勉強しないと、同級生の友達の前で、踊るわよ」。
一石三鳥だ。
いや、半数の生徒さんたちから、「母親がチアガール姿で踊るようになってから、妙に両親の夫婦仲がよくなった」という報告があったから、実は一石四鳥かもしれない。
こうして、堅実に進む塾経営。
これに反して、我が結婚への歩みは、カタツムリのスピードである。
チベット系インド人、山田プティーさんとのダミー交際は、いまだ続いている。
一妻多夫主義者である彼女は、お盆前、彼女の言う「生ける証明」を連れてきた。夏休みを利用して、東京のコミックマーケット見物に来日したというフランス人、ジョルジュ・「猿飛」・モレル氏と、そのご一行である。プティーさんとは、さる匿名SNSで知り合ったそう。インテリオタクらしく、サルトビ氏は、日本語が達者だった。そして彼は、三人婚なる、フランス独特の結婚様式を体現していた。
サルトビ氏は、私とプティーさんたちの抜き差しならぬ関係を事前に聞いていたようなのだ。
「妻にボーイフレンドがいて、嫉妬しないものなんですか?」という私の疑問に、彼は、ウインクで答えたものだ。
「ノン、ノン。もう一人の妻で、もう一人の夫デース」
女と男、両方の味が楽しめるのが、三人婚の醍醐味でしょう、と。
初対面の人間に、堂々、バイであることをカミングアウトするなんて。
「さすがは、フランス人でしょう?」
私は思わず、プティーさんに聞いていた。
「私とあなたと木下センセの密約、しゃべったんですか?」
しかし、我が婚約者は何も言わなかった。
彼女はわけありげにウインクして、サルトビ氏の伴侶たちと、一妻多夫の良さを語りだしたのだった……。
東北四大祭り見物のあと、当初の目的のコミケを堪能、そして帰国する、というのが、サルトビ氏の最初の計画だった。
しかし、なぜか石巻に舞い戻り、プティーさん家に居候し始めた。
当初の目的は、私への「洗脳」だったろうと思う。けれど、おそらく本人の意に反して、彼らは我が『語られ』アプローチに巻き込まれていくのである……。
そうそう。
近況報告というなら、我が姪の話も、しておく必要があるかもしれない。
桜子の高校では、二年進級時に、理系文系とクラスが分かれる。一年の秋、ちょうどこの時期にアンケートをとることになっていて、助産師志望のウチの姪は、当然理系選択である。
迷う必要のない選択だと思うけれど、我が姪はグズグズし続けた。
曰く、高校のクラス分け前に進路を決めた確信犯、塾の一年理系ガールズ6人と、イマイチ仲が悪い(普通に接するのは、古川さんくらい? )。
曰く、姉にも母にも、勉強量の多さをさんざん聞かされて、今から憂鬱である。
生粋の塾講師として、相談に乗れないか、私は姪に言ってみた。
姪の返事は冷たかった。
「私をタイムスリップさせて。産婆さんが、呪術師だったり魔法使いだったりする時代に、戻りたい」
口の悪さは随一であるが、それでも愛すべき姪である。
私は、私なりのやり方で、応援することにした。
チアガールの衣装を特注で注文、一か月半の間、お母さんたちに交じって、ポンポンの振り方を練習した。そして二学期中間試験が近いという秋の夜長、桜子の勉強机の横で、15分も歌って踊ったのである。
姪は私のチアガール姿に、泣き笑いして、喜んだ。
そして、私の動画を撮った。
幸いなことに、インターネットに私の艶姿が流れるに至ってはない。が、そのぶん、姪に新品の自転車をねだられたことは、付記しておくべきかもしれない。
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