第16話 薄桃色
「ちょっと、ちょっとダメだってば! 」
午前、日の登った頃合いに、篠崎の声が病室に響く。まだ眠っている患者も多く、静まり返ったフロアにそれはよく響いていった。それを聞いて看護師が息を切らしてやってくる。
「どうしました⁉ 」
「あ、看護師さん。霧島さん、無茶しているんですよ。」
止めてください、と半泣きで縋ってくる篠崎の指さす先には、比較的無事だった左足を上げ下げして運動に勤しむ霧島だった。しかし治りかけの肋骨が痛むらしく、時折顔をしかめている。
「霧島さん、無理しちゃダメじゃないですか! それじゃあ治るものも治らないんですよ! 」
「か、看護師さん、っ……ふう、俺は、昼間にぐっすり眠りたいんです。できるだけ長く、夢を見ないといけない。」
「は、はい……? 」
困惑する看護師に、「変わるよ」と声をかけたのは仮眠明けらしき恩田だった。あくびを噛み殺しながら、霧島のベッド脇にある椅子に腰かける。
「それで、できるだけ夢を見たいっていうのは、娘さんの夢の事ですか? 」
「そうなんです。娘が言うには、夢で会えるのもあと一か月なんだ、って……。だから、昼間にぐっすり眠って沢山話ができるように。沢山、あの子に思い出を持たせてあげられるようにしたいんです。」
「そうですかぁ。ふむ……。」
顎に手をあてて考え込んだ恩田に、哲也は怪訝そうな顔をむける。今までの話の中に何を悩む要素があっただろうか? それとも、頭を打ってイカれたとでも思われているんだろうか。
「霧島さん。」
「はい。」
「あのですね。僕には年のいった両親と、兄夫婦と甥がいまして。そりゃあまー、両親はちょっとしたことで骨折なんてざらですから、くどいくらいに足元に気をつけろ杖を持てと言っているんですよ。治りを気にしていないわけじゃあない、何かしていないと気が休まらないって言って動き回るからって言うのもありましてね。甥っ子もおんなじなんです。いろいろやりたいことがあるからって、骨折っても平気で色々やってこじらせる。ほんと、治りが悪くなると何度言えばいいのかわかったもんじゃありません。それで霧島さん、僕はね、骨折箇所を動かすのに猛反対なんですよ。なぜかって? 安静にしないと治りも遅いし後々また折れやすくなる。一時の欲望で後々苦しむ羽目になる。それがわかりきっているからです。だから僕はそうやってむりくり動かす甥などを見ていると怒るし悲しみます。あなただって娘さんが同じことしていたら怒り悲しみ、指導するでしょう。まさか子どもが同じことを思うはずがないとお思いですか? 思うんですよ、実際ここに親に対して思う人間がいるんですよ。今あなたのしていることが娘さんを喜ばせる事じゃない、悲しませることをしているんです。それがわかったら即刻辞めて治療に専念してください。」
恩田は一息に言い切った。言われた霧島も、同室の二人もこんな恩田は見たことが無いようで呆気に取られている。はっと我に返ったように、恩田は気まずそうな表情で
「で、ですからきちんと安静にして、しっかり治してくださいね。筋トレは無し、するなら日中の散歩ですよ。いいですね? 」
「は、はい……。」
「うんそれなら良し、それじゃ! 」
そう言って去っていった。
残されたのは、ぽかんと口を開けた患者三人。誰からともなく顔を見合わせて、頷きあう。——恩田先生を心配させるようなことは、やめておこうか……。
言葉をかわさずとも伝わった、以心伝心の瞬間であった。
〇
それからというものの、午前は恩田先生の無言の視察が度々あり気まずい雰囲気になりながらも、きちんと安静にして過ごした霧島だった。
とりあえずは微動だにせず、同室の二人と会話を楽しんだりやはり窓の外を眺めたりもしていた。朝の一件があったからか、早くも少しとろとろと眠気が来る。
……しかし、まだ眠れない。これではきっと浅い眠りに終わるし、なにしろ真っ昼間だ。見舞いの人の声や昼食の知らせですぐに起こされるのは目に見えていた。
ふわふわとした眠気に抗いながら外を眺める。外では木漏れ日の中で読書をしている人々や、紙風船を使ってキャッチボールを楽しんでいる車いすの少年などもいた。そんな微笑ましい光景を眺めつつ、しみじみと窓際のベッドをあてがって貰えてよかったなぁ、と思う。もし窓際じゃなかったら今頃退屈で痴呆のようにぼけっとしているか癇癪を起しているかのどちらかだっただろう。
——それに、菜々にたんぽぽを持って行ってやることもできなかった。偶然だろうが、このめぐりあわせに感謝をした。
しかし、眠りを深くするために午前は眠らずに動こうと思ったのは良いのだが。今日は別段佐々木たちが来る日でもなし。散歩に出たいのだが、どうしたらいいだろう——そんな疑問がふわふわと浮かぶ。やはり、ここは先輩である篠崎さんや持田くんに聞いてみるか。
「篠崎さん。」
「ふえいっ」
「……驚かせちゃった? ごめんね」
「い、いやっ、大丈夫! で、どうしたの、急に? 」
「いやぁ、それが。外に出て気分転換したいんだけど今日は佐々木たちが来る日でもないから……どうしたもんかなと思って。なにか手はない? 」
「あー、そういうことね。それならリハビリの人が連れてってくれるよ。看護師さんに言ってきてみるよ。」
そういって足取り軽くナースステーションへと向かっていった。……なんだか悪いことをしたな。手間とらせて。そんなことを考えていると、ぱたぱたという足音とともに
「今日のご飯前、三十分オーケーだって! 」
と報告をしてくれた。自分が外出許可をもらったように嬉しそうなのを不思議に思いながらも、お礼を伝える。
「いーえ! 気にしないで! 」
心なしか上機嫌に見えるのは気のせいだろうか。——もしかしたら、世話されるばかりのこの病院で、世話する側に周れたのが嬉しいのかもしれない。そう見当をつけて、考えるのをやめた。
〇
「桜、見事ですねぇ。」
「そうですね。……ああ、もう散り始めてる。」
膝上に乗った花びらを一枚摘まみ上げる。根元が少し赤みがかった薄ピンクのその花弁は可愛らしく、これに囲まれる菜々を見てみたかったな、などと考えた。
——そういえば、みやこはさくらも好きだったな。特に、舞い散る桜吹雪に飲まれるのが好きだった。少し変わった人だったな……。そんなことを思い出す。
「この周り一面が桜の花びらっていう状態がまたとない贅沢なんじゃない! 」
確か、そんなことを言っていたっけな。懐かしいな。——恋しいな。
あの笑顔がそのまま太陽のように暖かかった。どこか冷めきった自分の心の片隅にまで暖かさをともしてくれるような人だった。
でも、もういない。
その事実を受け入れねばならない。そろそろ——しっかりと自分の足で立ち上がらないといけない。
桜の花弁は、風に浚われていった。
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