第15話 パレット
「……できた! 」
「おおっ、おめでとう! 」
思わず室内に拍手が起こった。それというのも、以前佐々木たちが見舞いに来た時に手折った花を押し花にして使った、膨大な量の栞セットを作り終えたからだった。まるで色を全て閉じ込めたかのように色とりどりのそれらは、十分に見るものの目を楽しませてくれる。
「きっと娘ちゃん、喜んでくれるね。」
「ああ、これならきっと大喜びだ。篠崎さんもありがとう。」
「へ⁉ い、いやあ私はほとんどなんにもしてないんだし! 」
下手な謙遜に、霧島は苦笑いをこぼす。何にもしていないはずがない。押し花にするのに重い本を積んでくれたのも、ラミネートを均等に切るのを手伝ってくれたのも、篠崎だったのだ。それを本人も承知しているはずなのに、なんだかなぁ。
作り上げて大リングに通した草花を、日に透かせて覗いてみる。——うん。ガラスのような綺麗な色をも作り出している。率直に、綺麗だと思った。
ああ、腕がもっと自由なら、篠崎さんや持田くん、佐々木たちにもお礼として渡す余剰が作れたかもしれないのにな。なんとも不便だ。——はやくくっついてくれよ、と思う事しかできないのだけれども。
恩田が言うには、大体骨折だと一週間ほどで炎症が起き、その後一か月から二カ月かけて骨がしっかり治ってくるのだという。つまり霧島の場合、右腕、右肋骨、右大腿骨をやられているので自力で動くには早くとも一か月、遅くとも二カ月ほどの時間がかかることになる。
骨がくっついたら——といってもあと二週間ほどしたら、なのだが——何事も無ければ退院という話にはなっている。
とはいっても自力で動けないので介助の人間を呼ばなくてはならないのだが、両親に未だ告げていないのでなんとも気まずい。かといって他の親戚を呼ぶわけにもいかないし——。
仕方がない、両親に電話でもするか。そう思いながらも、とろとろといつもの微睡に溶けていく感覚に包まれていった——。
〇
「パパ! 」
「菜々、今日もご機嫌だね。」
「もちろんよ、パパに会えるんだもの。」
そう言って抱き着いて来る菜々を、両手でしっかりと抱き上げる。すると、なんだか菜々に違和感を覚えた。
「……菜々、何かあった? 」
「…………もう、私すぐばれちゃうのね。」
「俺譲りだから仕方がない。」
「そうね。……あのね、パパ。一つ伝えなくちゃいけないことがあるの。」
「何? 」
「それはね——……」
耳を貸して、と、他に誰もいないのに内緒話をするようにしてくる。子どもの可愛い内緒話、ついに来たか。そう思った。しかし。
「このマンションね、あともって一か月なの。」
余命、宣告。
突然ガンの告知をされた人などはこんな気持ちなんだろうか、と一瞬思考が跳ねた。マンションがもって一か月? どういう意味だ、それ。
「あのね、意味わかんないと思うんだけど。あと一か月もしたら、この場所自体が無くなるの。——もう、会えなくなっちゃうの。」
「な、なんで、っ、これは俺の見ている夢だろう⁉ 」
「夢でもあるけど夢でもないわ。……夢を介している、奇跡的につながった糸電話。それがここなの。」
「いとでんわ……? なんだってそんな」
「私たちは、パパも知っているでしょ? もう死んでいるの。あんまり長くはここに居られないの。……どれだけここに残りたくとも。」
「そ、そんな、だからってあと一か月なんて、なんでわかるんだ」
「それはね、秘密。」
「え……。」
「私とママで持ってっちゃう秘密よ。それだけは教えてあげない。」
「菜々……。」
「だから、ね、パパ。」
吹っ切ったようににっこりと笑って言う。
「沢山沢山お話しようよ、しんみりしていないで。ね? 」
〇
リビングのソファに背中を凭れさせて、話をする。風が吹き抜けていって、少し肌寒い。
「私ね。ちゃぁんと聞いていたのよ。」
「なにを? 」
「パパが優しく話しかけてくれていること。今日も頑張ったよ、はやく元気な顔を見せてね、って。あ、動いた! って言われた時には『生きているんだもの、当然でしょ』って気持ちだったわ。」
「あはは、そっかぁ。そうだよな、生きているんだから身動きくらいさせてくれよって思うよなあ普通。」
「そ。でもそれだけ期待して待っていてくれているんだなってぽかぽか温かかったわ。」
「そっかぁ。でもそうだな、全身全霊で受け止める覚悟があったよ。生まれたら、今持っているそのウサギのぬいぐるみで抱っこする形で写真撮ってやろうって企んでいたんだから。」
菜々はウサギをもにもにと揉みながら問う。
「あら。このウサギはママ代わり? 」
「ん? いやー、単に可愛いなと思って。現実の世界にはマタニティマークって言ってね、『お腹にあかちゃんがいます』って母親が赤ちゃんを抱き込んでいるマークがあるんだ。あれを再現してみようかと……って、そうだな。それだとママ代わりになるな。」
「やっぱりそうなんじゃないの。」
「いやぁ、無意識だったな。眠るときにこれがあれば安心―っていうぬいぐるみを持たせてやりたいなぁっていうところから出た案だったんだけど……これもそうだね、ママ代わりだ。」
「ふうん。それで私、このウサギ手放せないのね。」
「気に入っている? 」
「ええ、とっても。ふわふわで、おっきくて、とっても安心するの。」
「狙い通りだな。」
「悔しいことにね。」
そういえば、と思い出して、話をしながらポケットをまさぐった。あるかな。持ってこられただろうか。——あった!
「ああ、そうだ。今日は菜々にお土産があるのを忘れていたよ。——はい。」
「わ、すごく綺麗……。」
「押し花をしおりにしてみたんだよ。花の彩を沢山持ってきたら喜ぶかと思って。」
「うん、綺麗。とっても美しい場所なのね、外は。——いいなぁ。」
その最後の一言にずきりと胸が痛む。
「……じゃあ、またパパの子どもになってよ、菜々。うんと甘やかしてあげるから。」
「なぁに、もう次の予定があるの? 」
「いや、全く無いけど……。」
「ふふ、まあでも寂しがり屋さんなパパのためにその約束、考えておいてあげるわ。」
ウサギのぬいぐるみに埋もれながら話すその顔は、とても柔らかい、幸福で彩られたそれそのものだった。
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