第11話 彩

哲也は最近になってようやく器用に使えるようになった左手で、がりがりとメモに書きつけていた。これからやりたい事。やらなくてはと思う事。

病院独特のあのスライド式の小さなテーブルに、何枚ものメモが折り重なるようにして貼られている。それが病室に出入りがある度、風に揺れてひらひらとそよいでいた。


「あのぉー……霧島さん? 今度は何しているの? 」

「んー……? ん——……」

「駄目ですよ、集中しているとこ邪魔しちゃあ。」


あまりにも一心不乱にメモを量産していく霧島は、この二、三時間ずっとその調子だった。慣れてきたとはいえ扱いづらい左手で一生懸命に書き連ねていく。自然と自体は大きくなり筆圧も濃くなっていく。篠崎の場所からはかろうじて内容が読み取れるものもあり好奇心が擽られていたが、個人情報だ。そっとしておくことにしていた。


一方哲也は必死だった。菜々と話ができる時間は限られているのだ。今までは菜々が操作しているものとばかり思っていたが、前回の「もう、マンションのけちんぼ! 」という言葉を聞く限りそうではなかったことがうかがえる。

——ともすれば。ふと菜々が現れたように、またふと消えてしまう時が来るのではないか。実は、有限の時間をすり減らしているのではないだろうか。それならば、何かアクションを起こさねばなるまい。


「おや、霧島さん、どうしたんですか。何を書きだしているんです? 」


ノートでも持ってきましょうか、と恩田は言う。どうやら調子を見に来てくれたのにも気が付かなかったようだった。気が付けば、机の上はメモだらけ、右腕も力が入ってしまっていたようで、少し痛む。


「ありがとうございます。じゃあ、ノートをいただいてもいいですか。」

「ええ、もちろん。後で持ってきましょう。……ところで、体調はいかがです? 」

「あ、ああ、さっき書いている時に力んでしまっていたようで……。ちょっと右腕が痛いですね。」

「ああ、それは。今日は今後、あまり力を入れないようにしておいてくださいね。右足や肋骨はどうです? 」

「肋骨はやっぱり動いちゃうんで痛いですね。右足も、動こうとしない限りは大丈夫です。」

「経過良好ですね。……ならば、うん、良いでしょう。そろそろ気も滅入ってしまうでしょうし、車椅子で、にはなりますが散歩など出てみるのもいいんじゃないでしょうか。」

「散歩……いいですね、ぜひ。」

「わかりました。明日からになりますが、出られるよう整えておきましょう。」

「助かります。」


棚から牡丹餅。恩田先生の計らいで、病院内だが外にも出られるようになった。そうなれば、やりたかったことがひとつできるようになる。

ふとそこで、隣から声をかけられていた事を思い出し、すっと血の気が引いた。


「あ、あの、篠崎さんさっきはごめん、なんか聞いてきてたよね⁉ 」

「え⁉ あ、うん、……そのメモ、どうしたのかなーって思って。もちろん、言うのが嫌じゃなければでいいんだけど……。」

「ああ、これね。」


さっき集中していたそれが気になっていたらしい。無心で書き散らかしていたメモを整理しながら話す。


「これは、眠って向こうに行った時に話してやりたい事とか、持っていってやりたいものとか、思いつく限り書き出してたんだ。」

「へぇ! それ、いいね。……でも、なんで急に? 」

「……もしかしたら、向こうで菜々に会えるのも限られている時間内のことなんじゃないかな、って思って。」

「ああ、この前の最後の。」

「うん。そうじゃないと説明が付かないし、制限でもないとこっちでの俺は寝たきりになっちまうから。」

「なるほどねー……。」


そう、そのはずだ。でないと、説明が付かないんだ。——ならば、早くまとめておかないと、また後悔することになる。


「で、なに思いついたの。」


そう言いながらベッドから降り、こちらへ歩み寄ってきた。持田くんも静観していたものの、興味が出てきたらしく本の間からちらりと視線を寄越している。それに手招きをして、二人に相談を持ち掛けた。


「それで、これはどうだろう。」

「どれどれ? 」


菜々のところへ持って行きたいもの、してやりたいことの羅列。見られるのは少し恥ずかしいが、まあ仕方がない。貴重な時間をずれたものを持って行って浪費したくはないから。


「……うん、まあいいんじゃない? 菜々ちゃん、お花好きみたいだし。」

「それにしても、本当に持って行けるのかな。」

「……そこが問題なんだよなあ。」


メモには色々と書きつけてある。書きながら思った、様々な物をそのままに。

押し花をしおりにしてたんぽぽ、菜の花、桜、梅などを持って行きたい。その挟む本は、読み聞かせてやろうと準備しておいたもの——棺に入れられなかった本たちだ。

みやこの描いた絵を持って行ってやりたい。みやこは嫌がるだろうけど。

母子手帳と、エコーの記録を持って行ってやりたい。——菜々の、生きていた証拠を。

こんなにも楽しみにしていたんだ、君を待っていたんだと伝えようと思った。——でも。


「やっぱりこれはいいや。」


ぐしゃりとメモを一部握りつぶした。今更それを物で見せてどうなる。いままでを見せてどうなる。これからを作っていかなければ意味はない。隣から、小さく「うん、」と同意の声が降ってくる。

だから、押し花のしおりだけ持って行こう。君に季節を届けよう。鈍色の世界にいる君に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る