第147話 不穏な空気はすぐそばまで

「なんだと!?貴様、もう一度言ってみろ!」


時を同じくして現領主であるラウスの弟、クラウドが住む屋敷の一室では主であるクラウドの怒声が響いていた。

それはすでに屋敷で安らかな寝息をたてている人たち全員を起こすほどのものだった。

つまりそれのどまでに弟の怒りは大きかったと言う事である。


「あなた?どうかなさりましたの?」


夫であるクラウドの怒声を聞き付けた妻がネグリジェの上にカーディガンを羽織った姿で現れた。

となりには明かりを持った侍女を連れている。

クラウドは日頃から気が長い方ではないため声を荒げることは珍しくない。

だが、さすがにここまで声を荒げるのは初めてのことである。

いつもなら夫のすることには口を挟まない妻もこの時ばかりは好奇心が勝った。

ここまで夫を怒り狂わせるほどのことがあったのだろうか?

いくら政略結婚による結婚で愛がないとは言え、何年も連れ添っていればそれなりの夫婦にはなる。

なのでそれなりに心配にもなる。


「お前には関係のないことだ。私のことは気にしないで休んでいなさい。」


だが夫の返答はとりつく島もないほど冷たいものであった。

関係ないと言われてしまえば引き下がらざるを得ない。

夫婦とはいえ夫の方が持つ力は大きく女である妻が逆らえる道理はない。


「それならばいいのですけれど。あまり無理をなさらないでくださいね。」


そして妻の方も自らの立場をかんがみて素直に引き下がる。

悪どいクラウドには少々どころではなくできた妻である。


「で、さっきの話は本当か?」


妻が退出したのをきっかけに再び話を戻すクラウド。

そしてそれに答えるのはクラウドの懐刀とでも言うべき男、ロイス。

傭兵として数多くの死地を潜り抜けた男だ。

いろいろあり、今はクラウドに雇われている。

ロイスはレベルも去ることながら実践で鍛えられた戦闘センスはこの世界でも数本の指に入る。


「はい、我々の計画はどうやら領主の思惑の範囲内、むしろいいように使われたようです。そして当初の予定通りあの男を養子に迎え入れポワロ伯爵家との縁談もまとまったそうです。」


キリッとしたハリのある声で事実だけを淡々と話すロイス。

そこに感情は含まれない。

長い傭兵生活の中でも心を殺す、という手法を身につけた。

傭兵にとっては常に死は隣を歩いている、1日1日を生き抜く、そんな当たり前のことが何よりも難しい。

だから隙を見せてはいけない。


「あの忌々しい兄上めが。こちらの考えなどお見通しとでもいうのか。相変わらず癪に障る奴だ。ロイス、兄上の計画を止められぬならこちらはどうすべきだ?」


ロイスは死地をしぶとく生き抜いてきただけあって頭もいい。

そしてその能力というのは蛇のように狡猾であることに特化している。

実にクラウド好みだ。


「その男をこちら側に引き入れるのが得策かと。あの男の人格はともかく能力は本物です。特に彼が持っているスキルが本物だとすればそれだけですべてを思いのままにできるでしょう。」


「それはそうだがどうやって?そいつはすでにラウスの犬だ、簡単に忠誠は変えられん。」


そのくらいのことはクラウド自身ももちろん考えた。

だがこの前一瞬だけ彼のことを見たときにも思ったがあれは善人の顔だ。

こちらがどんなに取り繕おうと根が善人である奴は悪意に敏感である。

そして簡単になびくこともない。

ただ純粋に悪を拒絶するのだ。

それこそ自分がすべて正しいと思っている子供のように。

無垢であること以上に厄介なものはない。


「領主ではどうやっても与えられないものを与えてみればいかがです?」


「兄上では与えられないもの?つまり善にはなくて悪にはあるもの、ということか。面白い、考えておこう。準備ができ次第、奴を連れてこい。養子になるということは私の義甥になるということでもある。いくら警戒している相手とは言え義叔父になる男の誘いは断れまい。」


明確な道筋が見えてきたからか落ち着きを取り戻したクラウドはゆっくりと椅子に腰かけ、引き出しから葉巻を取り出し火をつけた。

そしてその煙をうまそうに飲みこみ、目の前で直立の姿勢を崩さないロイスを見据え一言。


「奴が誘いの乗らなかったらどうする?」


「私めが責任をもって排除します。」


特に気負うわけでも気怠そうにするでもなく感情のこもらない声でそれだけを言う。


「奴は九鬼門の一人を倒したほどの実力だと聞いているが勝算はあるのか?」


クラウドは煙の上から排除すると言い放ったロイスを見る。

その声は面白がっているようにも訝しんでいるようにも聞こえる。


「戦いなので絶対はありませんが負けるつもりはありません。」


目の前に立ち込める煙でロイスの表情を窺い知ることはできない。

だが声からはわずかながら自身が感じ取られた。


「面白い。では交渉が決裂した時はロイス、お前がリュースティアを消せ。」





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