第9話 北部の山にて
「落とせんか」
この地の亜人討伐軍隊長は歯軋りをする。
ローブル聖王国北部にも、未だ亜人連合の残党は巣食い続けており、未だ残党の暴挙を許していた。
参謀も、「はい」と固い声で事実を告げる事しかできない。
北部の山岳地帯に逃げ込んだ亜人連合の一派が居座るのは、山頂付近にある切り立った崖であった。そこに、
こちらが兵を進めれば、石礫が飛び、空からも強襲を受け、弓矢を放つも岩場の影に隠れられ、硬い亜人たちには防がれる。
奴等が山を下りて逃走する事は防げているが、かと言って攻めるには地形も悪く、この難所を攻略可能なほどの大軍でもない。
盾持ちに護らせて、
このままでは、こちらの損耗の方が激しくなり、いずれは包囲網を突破される恐れもあった。
作戦指令所の誰もが悩み、考え抜いているが、これまで様々な策を講じた上での現状なのだ。途端に良案が浮ぶはずもなく、取り得る手段は次第に減っている。
荒らされた国土から、それでもと徴収された貴重な糧食も心許無い。「崖にいる亜人どもは食料をどうしているのだ?」という当然の疑問もあったが、観測隊からは悪魔の姿も報告されていた。
「…悪魔共が、未だに亜人連合の傍にいるという事か」
「魔皇復活を目論んでいるというのが、噂ではなく現実味を帯びてきましたね」
「この聖王国を、まだ荒し足りないのか奴等め…」
怒りよりも、暗澹たる思いが場に満ちる。
「食料支援が悪魔からなされている為に、亜人らも継戦が可能なのであれば、余計に決着を早めなければならないでしょう」
「だがしかし、どうやって? 話は戻るが、攻め
重い沈黙が続く。
援軍も要請したが断られたのは、ここに集まる皆が知っている。また、何処も彼処もあらゆる人や物が不足している事も熟知していた。
南部を除いては。
立場が上の者であれば口にはしないが、北部の人や物資をこれ以上搔き集めれば、民が生きる
それを、人同士がいがみ合うなど愚の骨頂であるのに。
聖王国を護りたいのか。
それとも、聖王国の南部を護りたいのかでは、大きな齟齬がある。その国を割る規模の歪みは、さらに広がっていた。
隊長は内心の想いを気取られぬように、小さく息を吐いた。
その時、天幕の外から声が届く。
「伝令!」
「何事か?」
慌てて入って来た兵士が、敬礼をして報告する。
「只今、山を登って来る集団を発見! こちらに向かっています」
「何⁉」
即座に騒めく。
「まさか、亜人の援軍か?」
であれば、我が軍は挟撃される事にもなり兼ねない。
「いえ、人です。しかし、その…、外見から例の教団ではないかと思われます」
「…聖強教団か」参謀の声に、兵士は頷く。
う~む、と呻る様な声がする。
亜人の援軍だと全滅の危機だが、聖強教団も様々な点で困るのだ。
確かに、聖王国の為に力を尽している連中ではあるが、その目的が教団と聖王国軍とでは大きく違う。そして、軍の管轄においてもかなり特殊な権限を、聖王陛下より与えられているのだが、これも曖昧且つ複雑であり後々の問題に発展しかねない。さらに、聖強教団の手の者は北部のほぼ全域にいる為に、下手な事を言えない事にも注意が必要なのだった。
戦力としては、現在の聖王国最大規模であるが、味方にしては、扱いには困り厄介極まる。
「向こうの伝令はどうした?」
隊長の問いに、兵士は頭を下げる。
「申し訳ございません。集団からの伝令は確認しておらず、早急な報告と、こちらの対応をどうすべきか判断をお願いしたくあります」
「そうか…、そうだな」
亜人の行動には対応を細かく指示しているが、教団の連中にどうすべきかは想定外であり、観測、監視と伝令たちも、上が決めていない事柄には、先ずはどうすれば良いのかの確認が必要だろう。
隊長は周りを見渡すと、最後に参謀へ目だけで問う。
「教団側の代表と、ここで一度は話し合うのがよろしいのでは?」
「…よろしい」
今度は兵士を見つめ、決定を下す。
「向こうからの伝令があれば、代表をここに連れてくるように。残りの者たちは、待機所だ。以上」
「はっ!」
再び敬礼をし、兵士は天幕を出る。
「さて、教団の目的は、当然だが亜人共だな」
全員が異議なし、と頷く。
「隊長、どうしますか?」
「こちらだけでは、落とせん。悔しいがな。ならば、教団側の代表を待とう。兵を少し下げ、監視警戒態勢に移行、交代で休息を取らせよ。諸君らは…いま少し辛抱してくれ」
皆が苦笑する。安らぎは、誰もが遠くに置いてきたようだ。
「教団からの要求にどこまで応えるかは、一応の目安は欲しいところですが」
「聖騎士団の独立部隊なのに、その本体よりデカいとか、…なんなんだ?」
「権限もな」
「それだけの武力はあるのは、確かだろう」
「亜人討伐の成果もだ。どうやってあれだけの数を…」
「ともあれ、待ちに待った援軍だ。崖に居座る亜人共を殲滅できるのであれば、出し惜しみはせんよ」
それは、共通の想いだった。
勝利と平和をこの聖王国に、という宿願。
「それと、作戦指揮はどうされるのですか?」
一人の疑問に、参謀が隊長を窺う。
「戦闘に関しては、教団は独自の判断を聖王陛下により許されている。その点では、我らに指揮権はない。だが、我が隊への強制もまた、向こうは出来ない。作戦行動の如何により、どう協力が出来るか、だな」
そうこう話を進める内に、新たな報告が入る。
向こうの代表として、聖強教団の頂点、ネイア・バラハ本人が来た、と。
亜人討伐軍の待機地へと誘導された聖強教団は、すぐに
通常、こうした未開発の山には怪物も多く、人間の手を入れるには大きな危険が伴うのだが、皮肉なことに亜人共がこの周辺を必死で掃除してくれたようで、その姿はあまりない。
とは言え、襲われて要らぬ被害が出ないように魔物除けを配置しつつ、慎重に作業を進める。もっとも、頼りとなる護衛も5体、連れて来てはいるのだが。
聖強教団の使役する巨体を目にして、亜人討伐軍の兵士たちは口を開けて驚いていた。
整地をして自分たちの天幕を張る。周りの木や枝で枠を組み、蔓や蔦で結び、葉や草木を編み込んで、即席の屋根や柵なども作った。聖強教団の誰もがそれぞれの役割を分担し、堅実に仕事をこなす事で効率が上がり、迅速に準備が整う。
聖強教団の軍師の一人、リュクフ・カッシュが、作戦指揮所を設置する頃には、軍の隊長と会っていたネイアと警護の二人も戻って来た。
リュクフは指揮所に迎え入れる。
「こちらの用意は順調です、バラハ様。向こうはどのような様子でしょうか?」
常に仮面をしているためにその表情は読めないが、教祖の声は明るかった。これは特に問題がなく話し合いが終わったのであろう。
「亜人討伐軍の方々には、亜人が逃げ出さないように、包囲を固めていただく事をお願いしました。この先にある崖に攻めるのは我々で行います。作戦許可も取りました。早速ですが観測、調査班を送りましょう」
「はい。それで、軍からの情報提供は?」
警護役の一人、魔力系
「それは聞いてきたから、大丈夫だよ。任せて」
魔法の実力も上がり、記憶力も高いこの男は、用意してあった白紙に次々と周辺地図と情報を書いていく。
その間に、ネイアたちも作戦を練る。
「今回の相手は天然の要害にいる亜人たちです。近付けば石が飛び、防いでいると崖の上から強襲を受け、混乱しているところに近接戦を仕掛けられ、手痛い被害を受けるようですね」
「岩場に穴も作っているそうだけど、さすがに深くはないみたい。ただ、実際に確認はしていないから、詳細は不明」
「嫌な地形ですね、本当に」
地図を見ながらリュクフは唸る。
「ですので、亜人から攻めて来てもらいましょうか」
ペンを走らせ続けているスゥーホ以外の動きが止まったようであった。
「え? あいつらから出てきます?」ネイアは疑問を口にする。
「そう上手くいくかどうか、試してみましょう」
軍師はにっこりと笑った。
「まったくなんだってんだ、この
「俺らにだって分かりませんよ。臭ってきたと思えば、これなんで」
鼻を摘んでも強烈な刺激臭は辛く、目まで痛い。口で息をすれば、喉まで焼かれるようだ。咳き込めば、さらに苦痛が押し寄せる。
他の亜人たちも同様に、突然の臭激になす術もなく狼狽えている。
この崖に構えてから、作った穴倉も塹壕も自分たちの糞尿に塗れているが、ここまで物理的に鼻も眼も効かなくなるような臭いなどありえなかった。
だとすれば、原因は何か?
「…人間どもがやったのか?」
この崖は攻め難く、守り易い。それは人間も理解しているだろう。
だからこそ、搦め手で来たのか?
「いやいや、人間の街ではこんなきっつい悪臭はなかったでしょ?」
「そうそう、臭いっつーかコレはもう、痛い!」
確かに呼吸するのも、瞼を開けるのも厳しいほどだ。
「…連中、攻める算段を付けたのか? おい、
奥なら臭いも届かんかも、などとこれ幸いに数人が向かう。刺激臭は未だに離れないが、指揮する者がいなくなっては、他の連中も動けない。
ジャゴンは、涙で滲む視界を人間のいるだろう陣地の方角に向ける。
すると、何かがこちらの方に飛んでくる。
「なんだ、ありゃ?」
大きめの石に、括りつけられた縄と、繋がっている巨大な藁束…のようだ。
それがどんどんと投げられているのだが、自分たちの居る崖にまでは届かず、少し離れた位置に重なっていく。
「どうします? 石、こっちも飛ばしましょうか?」
傍の者が涙ながらに聞いてくる。
「いや、相手の狙いは判らんが、あんな藁に石をぶつけてもなぁ」
石喰猿である同族たちは、口にした石を吐き出して遠くを攻撃する事が出来るが、使用回数が決まっているので、無理をすれば使えなくなる。
干し草程度を標的にしては、無駄遣いにも思える。しかし、目的があるのなら、放置してもいい事はない。
どうすべきか悩むジャゴンの後ろから、重い足音が近付いてくる。
「酷い臭いだが、アレもいったい何だ?」
ここにいる中で最強の存在、
「わからん。が、人間共も何か仕掛けてくるつもりだろう」
「お」
言った傍から、木々の間から火矢が放たれ、藁束が燃え盛ると同時に白い煙が、まるで霧のように崖へと風で流されて辺りを包んでくる。
鼻や目に、今度は煙の刺激が追加される。
「ゲホ、ゴホッ…今度はなんだってんだ?」
ジャゴンは自分たちの上方を見つめ、声を張り上げる。
「おい、翼亜人よー! 奴等の動きが、見えるかー?」
上からも咳込む音が多数聞こえてくるが、やがて返事がくる。
「こっちも煙で見えん! あの火を何とか出来るかー?」
「やってみるか」
ジャゴンは喉の痛みを堪えて叫んだ。
「あの邪魔な火を石で吹き飛ばすぞ! 放て!」
同族たちが石礫を燃える藁束の火を消そうと、次々と吐き出す。しかし、消火には至る事もなく、煙は相変わらず崖全体を覆っているようだ。
「ゲヘ、ゲホッ! これは、この煙幕に乗じて攻めてくるかもだなぁ」
「さぁ、来い。相手になってやるぞ」
そうして一歩前に出て身構えた巨体に、更なる巨大な影が盛大な煙を突き抜けて迫ってきたのだった。
それは石喰猿の礫どころではなく、岩とか岩石と呼ばれる大きさの物体であり、鬼よりもなおデカく、質量の化け物であり、
間一髪か、幸運か、近くにいたジャゴンは、突然の巨石による鉄槌に言葉もなかった。そして、白い煙を引き裂き、連続して岩石が降り注ぐ。
地獄の始まりだった。
ネイア・バラハが上空から俯瞰して戦場を眺める。
立ち上る白煙が、
単純な指令で、投げる方向と力加減を調整しているだけなのだが、この場に転がっている巨石が飛び着弾すると、凄まじい破壊音が響いてくる。
それはそうだろう。
あの重量物が空から降ってくれば、人も亜人も磨り潰されて即死だ。
ヤルダバオトの隕石魔法ほどではないが、巨大な岩石が次々に投げ込まれるなど、悪夢以外の何物でもない。
状況の見えない遠方からの攻撃に対し、待機は死を意味し、かつ崖を背負っている配置は、現状では逃げ場もない。
では、相手はどう動くか?
岩場を掘って逃げ道を作るか、それとも……。
「総員,構え」
ネイアの声に、周りの者たちが弓に矢を番え、引き絞る。
狙うは煙のカーテンの向こう。そこから出てくる者たち。
ゆらりと揺らぐ影をネイアは見つけると、命じる。
「放て」
上空の有利な位置を占拠した弓使いの一斉攻撃に、崖から飛び出した
亜人らがこちらに気付いた時には、第二射が放たれる。
鴨射ちだった。
翼持ちの亜人らの姿が見えなくなると、
その時には、地上を走ってこちらに突撃する亜人たちが、次の標的となった。
崖にいれば岩が降り、煙から出れば矢で射られる。
動く影あれば、これを仕留める。聖強教団による亜人掃討戦。
特殊な錬金溶液を混ぜられた藁束が燃え尽きる頃には、動く亜人の姿は皆無であった。弓兵たちも魔法効果が消え、大地に降り立つと、地上班と合流して崖へと向かう。
「亜人に注意しつつ、前進」
進みながら生き残りが潜んでいないか確認し、息がある亜人には止めを念入りにしておく。調べられる範囲では、生きている亜人連合の残党はいなかった。
難攻の崖は、多数の巨石が刺さっており、戦いの前の景色とはまるで異なった。
ここからは、崖とそこに掘られた穴の調査と、遺体の浄化だ。前者は明日から、後者は亜人討伐軍の力も借りたい。向こうもこの地での勝利となれば、進んで協力してくれるだろう。
「それでは、今日はこれで…」
「バラハ様⁉ あれを!」
教団員の一人が、崖の上を指差している。
その先には、高く聳える岩場と、その上に座す巨大な怪物がいた。魔皇亜人戦争で目撃した者も多い、亜人連合軍を指揮していた悪魔の姿。
「…
ネイアが呟く。
その声が聞こえたのでもないだろうが、聖強教団の皆が見上げる中、邪悪な翼を大きく広げると、悪魔はその姿を一瞬にして消した。
「消えたぞ!」と、多くの者が
「亜人にまだ協力していたのか」
「しかし、どうしてここに?」
「まだ、戦争は終わってないんだな…」
様々な声と話が重なり合い、騒々しさが広がっていく。
ただ、ネイアは悪魔の消えたその場を、しばらくじっと見つめ続けていた。奴等の狙いは分かっている。
魔皇ヤルダバオトの復活だ。
もしかすれば、この山も魔皇復活に何か関りがあるのか、と予感が走る。
亜人討伐で終るかと思っていたが、この地にはまだ何かがあるのかもしれない、と。今度はこちらが
エンジェリック・ネイアー パクリーヌ四葉 @paku-yotsuba
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