第8話 聖騎士団長の苦悩

 ローブル聖王国では、信仰系魔法を行使し国の頂点である聖王を始めとし、神殿勢力とも繋がりの強い国柄でもあり、聖騎士を志す者達も多い。

 その聖騎士の地位も高く、国の重要拠点などに配置される国防の要であるが、ここ最近は南部貴族からの無闇な糾弾が多く、その活動も大きく制限されていた。

 それは様々な事が原因ではあるが、その一つが団員の不足だ。

 魔皇ヤルダバオトと、それに率いられた亜人連合軍によって引き起こされた魔皇亜人戦争の結果、戦争前は五百人規模であった聖騎士団も、激しい戦争の果てに八割を超える聖騎士たちが散っていったのであった。

 騎士団としては、全滅である。

 組織としての聖騎士団を到底維持できず、可能な任務は大幅に縮小され、戦争責任を貴族たちから追及され続ける日々を乗り越えられたのは、信念で耐えた聖騎士たちと、退団した元聖騎士が聖王国各地から駆け付けて来てくれた事、戦争を生き延び国の為にと立ち上がってくれた若き従士たちの新規入団と、なによりも聖王カスポンドの力強い後押しがあったからこそだ。

 南部貴族の批判…と言うより攻撃を跳ね除けたのは、確固とした聖王の決断だ。

 それが、より大きな反発となる事を理解していても、魔皇亜人戦争においての聖騎士団の活躍を、カスポンドは高く評価していた。

 こうした大勢の支えがなければ、正義を信奉し体現するべくあらんとする聖騎士であっても、その活動母体である聖騎士団そのものが無くなってしまっては、続く者たちを受け入れ、育む事も出来なくなってしまうところであった。

 ただ、生き残った聖騎士と、捕虜から解放した従者から聖騎士となった者を合わせたとしても、百二十名。従者二十七名。

 今年の新たな聖騎士従者二百名に、引退した者で基礎訓練や教育を受け持つ特別指導教官に志願した百名。

 それらをすべて含めても、四百四十七名だが実働に耐える者は百名にも満たない為に、王城ならびに王都の警備を維持するのが限界と言っていい。聖王国内の亜人討伐隊もあるが、そちらの負担も別にある。

 聖騎士たちの懸命の忠誠と働きは誇っているが、それでも発生する問題を前にして、聖騎士団長グスターボ・モンタニェスは溜息を吐いた。

 歴代聖騎士団長が身に着けてきた鎧の上から、胃の辺りを撫でる。こればかりは変わらないなと内心で諦めを抱きつつ。

「お疲れではないですか?」

 新たな副団長となった一人、ベラネラ・オルカッソが眠たげな眼を向けながら気遣ってくる。

 常に眠そうな顔の彼女に言われると変な気分になるが、そんな風に見えると言うだけで、ベラネラ自身はしっかりと起きている…はずである。仕事も正確にこなし、剣技においても突きの鋭さには瞠目する。

 本当に目が覚めているのか、判り難いけれど。

「次々と新しい問題が起こるからね。こうも他所から足を引っ張られると、聖騎士の本分を忘れそうになってしまう」

 グスターボ、二度目の溜息。

「多くは南部貴族からの横槍と、亜人討伐隊からのものですからね」

 貴族からは、聖騎士の勤務態度や怠慢さを事ある毎に責められている。立派に勤めを果たしているが、連日粗探しをされると皆も余計な疲労を背負わされる為に、やはり不満が募っている。

 聖王国軍を中心に亜人討伐隊を結成し、聖騎士団も前団長であるレメディオス・カストディオを隊長に三十七名を派遣している。…のではあるが、その隊長と軍との揉め事が多発しており、現場からのが報告書で多数届いているのだった。

 これは、聖騎士の失墜を目論む南部側の姑息な工作でもあるが、我々が苛立って剣を抜けば、それこそ騎士団はお終いだ。

 だが、聖騎士最強にして最も斬りかかる事に躊躇がない聖騎士亜人討伐隊隊長に関しては、彼女を止めている聖騎士たちの苦労が限界に差し掛かっている。

 心から判るよ、その苦労。

 だって私も、毎日だったもの。

 元団長を全身全霊で止める日々は…。そうだろう、イサンドロ・サンチェス?

 グスターボは、九色の桃色を授かった、かつての副団長を思った。

 とは言え、亜人討伐隊の件は聖騎士団にも非がある。「堪えてくれ」と可能な限りの支援や人手を出してはいるのだが、いつ暴発するか非常に危うい状況は、問題の根幹であるレメディオス自身が変わらぬ事には解決が出来ない。

 はっきりと言えば、戦争から狂気に侵されているレメディオスは、団長の責務を全う出来ず、王城の警備にも置けない。その戦闘能力を発揮できる戦地に向かわせるしか、本人の活躍の場がないのだが、事が他者との軋轢になってしまっていた。

「それでも、見捨てる事など出来ない。そうではないか?」

 グスターボの言葉に、ベラネラも決して舟を漕いでいるのではない相槌を打つ。

 聖騎士として、レメディオス・カストディオを支えるのは、どれだけの負担があっても団の総意であった。苦悩溢れる現場報告も、「どうやって補佐すればより良いか?」を試行錯誤すればこそでもある。

 グスターボも神殿勢力に要請をして、亜人討伐隊にいる神官たちによる協力も取り付けてはいるのだが、戦争による人手不足は深刻なのだ。

 次代の聖騎士が鍛えられ育つまでは、まだ辛抱する必要がある。団員数が回復すれば、より多くの人々を守れるのだから。

 魔皇亜人戦争で甚大な被害に遭った北部の者は、お互いに一致団結する事が出来るのだが、南部の側とは意思疎通も難しくなっているのが現状だ。聖騎士団としても融和を支持しているのではあるが、「利己主義」「売国奴」「アンデッドの手先」とされ、通常の会話も難しい有り様は一向に改善へと進まない。

「南部の貴族であれ、聖王国中に未だ悪魔の影があり、亜人連合残党の組織化にも対処する方向に向かって欲しいのだが、どうも上手くは行かないようだな」

「はい、南部の民からも目撃情報や亜人に襲われた被害報告は出ているのですが、貴族からは対策しているの一点張りで、こちらの介入を拒んでいます。解決の意志がないのか、亜人連合より聖騎士団が憎いのか、その両方かでしょう」

 思わず零しそうになった息を、グスターボは飲み込む。

「もう一度、協力を各所に要請し、連帯を維持するように呼び掛ける。これでは、人同士の争いに成り兼ねん。そんな事態になれば、悪魔と亜人の残党もどう動くか、想像もしたくない」

 ベラネラが左右に目を走らせる。

 これは、彼女が寝惚けて「ここ、どこぉ?」と視線を彷徨わせたのではなく、周囲を伺ったのだ。

「団長。…南部貴族による北部侵攻の噂、どう思われますか?」

 潜めた声で副団長はグスターボに訊ねる。

 これは戦争の前から度々流れる話で、昔からの聖王国南北対立に纏わる性質たちの悪い冗談の類だった。、であり現在は信憑性を持って巷に流れている。

「ベラネラよ、私たちは何だ?」

 グスターボは言いつつ、自身の声が硬くなっているのを自覚する。

「はっ! ローブル聖王国の聖騎士団であります」

 その聖騎士団長は、ゆっくりと頷いた。

「ならば、聖王と共に国の民を守ろう。そこに南も北もあるまい」

 答えのようで、問題の本質には触れていない。

 それでも、見ているとこちらまで睡魔に襲われるような副団長の瞳に、決意が浮かぶ。

 グスターボとて、与太話が今そこにある危機となったこの問題を、考えていないのではない。すでにその局面でも聖騎士団が守護すべき者たちとは誰かを、決めているのだ。

 それが、ベラネラにも伝わった。

 正義とは、打倒すべきは誰かを選別する事の免罪符でしかない。だが、暴力で物事を片付けようとするような短慮は、余りにも不正義の極致だ。

「我々の求める最善は、争う事なく聖王国が一致団結する未来だ。その為に些末な騒動は避ける。王城の警備は、交代の感覚を再検討しよう。亜人討伐隊には、部隊の相談役となれるような方を探して、軋轢の解消を願おう」

 副団長は返事をすると、敬礼をして団長室から退出した。

 胸に溜まった疲れを、息と共に吐き出せないものかと思いつつ、グスターボは椅子に体重を預けた。

 こうして一人になると、最近は自分が団長に任命された時を思い出す。

 あれは晴天の霹靂であり、陛下からは「聖騎士団の継続は譲らぬ」とだけ、宮廷会議の結果を告げられていた。

 その言葉に聖騎士たちがいくらか安心して儀式に臨めば、官から「新たな聖騎士団長は、グスターボ・モンタニェスとする。レメディオス・カストディオは新設する亜人討伐隊聖騎士部隊隊長とし、聖剣サファルリシアを王家へと返上せよ」と宣言される。

 その一瞬の混乱の中、誰よりも早くふらりと立ち上がり、剣の柄に手を掛けようとしたのはレメディオスであった。反応が遅れたグスターボの全身に、怖気が走り痛恨も失敗をした事を瞬時に悟った。彼女をこの場に連れて来たのは、致命的に失敗だったと。

 だが、こうなるを予想していたのか、カスポンド陛下が魔法の指輪の力を発動し、レメディオスの身体は光の鎖で捕縛された。それでも爛々と怒りに燃える眼で聖王を睨みつける最強の聖騎士。

「この、聖剣は……カル、カ…様の…ッ」

 いったい何の魔法かも知れないが、途切れ途切れに話す事からもかなり強力な束縛効果の中で、それでも動こうとするレメディオス。また、それを拘束しようとする近衛を制して、聖王陛下は語られた。

「前聖王女への忠義、嬉しく思う。だが、それを守れなかったのは、紛れもない事実。故に、一度団長の座を退き、聖騎士団を再編せよ。それまでは聖剣も王家の元へと返すが良い。聖騎士が再び栄光の輝きに浴するまで、今は困難の嵐を耐えよ」

 カスポンド陛下の言葉にも、レメディオスは唸り声を上げるだけであった。

 貴族たちの猛攻から聖騎士団の存続を守ったものの、それだけでは静まらなかったのだろう。最強の聖騎士は政治の中枢から離され、聖王国の象徴とも言える聖剣は、今は王城の祈りの間の祭壇に封印されている。

 現実的に、前団長では聖騎士団の復活が無理である事は、周知の事実だった。団長自らが失態を続けるのに、全滅した騎士団の維持再生が可能なはずがない。

 その点では、グスターボが最適任ではあった。

 それでも剣の腕前の差から、貴族連中に騎士などと陰口を叩かれるのには、流石に心に来る物がある。

 聖剣も祈りの間にあるというのも、聖騎士としては屈辱である。

 ただ、その事は聖騎士団全員の想いを固める契機になった。「いつか、聖剣を」と、皆が団結した。

 グスターボも、そんな想いに応えたい。

 とは言えども、あらゆる物が不足している状況を脱しなければ、希望が夢のままで終わってしまう。

 実は、人も物資も聖騎士団内のある所には、

 それはしかし、個人資産のようなものであり、無理矢理徴収する訳にもいかない上に、助力を願うのも聖騎士団全体の信頼を損ないかねない危険もある。

 今や、一人で十万規模の集団を動かせる存在。

 ローブル聖王国唯一の聖弓士。

 ネイア・バラハ。

 彼女の軍勢があれば、問題の多くは解決する代わりに、聖騎士団が「あの魔導国とやはり繋がりが?」と確実に疑惑を持たれる。

 あれは魔導国に近すぎるのだ。

 どうも過剰な存在しかいないな、とグスターボは苦悩する。

 胃の痛みとは距離が近すぎる事も、未だに開放されない問題であった。

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