第3話 守川はなちゃんのおはなし

 三 守川はなちゃんのおはなし



 学校ですよ学校。

 自称進学校のうちの高校は、すごく勉強する人とまぁ勉強する人とあまり勉強しない人と全く勉強しない人と全く勉強しないし他人に迷惑かけるの大好きだぜぇって人がいる。まぁ幸いにも全く勉強しないし他人に迷惑しかかけない人たちは守川はなによって討伐されたけど。

 ところで全く勉強しないし他人に迷惑かけるの大好きだぜぇって人の他にもすごく勉強するし他人に迷惑かけるの大好きだぜぇって人もいるから困る。シマノンがまさにそういう感じの人で、いじめはするわシメるわ陰湿だわで大変な人だった。

 シマノンというのは島田乃乃のあだ名だ。

 美人でクラスの人気者で、それどころか学校の顔で、全国模試も十番台に入って、モデルにもスカウトされたし、バトミントンも全国三位でスーパーな活躍をしている女子高生だ。

 でも他人の心を操るのが大好きで、他人を自分の思い通りにしなければ気がすまなくて、いつだって人の上に立ちたい女子高生なのだ。

 クラスのバト部で気に入らない子がいたんだけど、シマノンはみんなをそれとなく扇動して、部活に居づらいようにしちゃって、それで先生まで味方につけて部活辞めさせたのを私は知っている。

 妙子はシマノンよりちょっと足が速かっただけで、別にバトミントンの強さでは強くなかったのにね。

 練習でハブられ、休憩時間でハブられ、帰り道でもハブられた妙子は、明るいキャラだったのにすっかり暗くなって、可哀想だった。普通だったら誰か、庇うようなものだけど、シマノンのやり方は狡猾で、妙子が虐げられているのを自然な状態にしていった。妙子がメソメソしていないとみんな怒りを覚えるようになっていったし、妙子をいじめることでますますみんなが団結していくようになった。ちょうど地区大会が近かったのも原因だと思う。

 シマノンの後輩たちが妙子を自転車で轢いて、足に怪我させたのだってシマノンがやらせたようなものだ。

 でも誰もシマノンのせいだと思わないし、むしろ妙子が懲らしめられてラッキーだと思っている。

 自分から部活辞めますって妙子が言い出して、お別れ会的なのをやったんだけど、シマノンはそこで「辞めちゃやだよ〜、妙子がうちには必要なんだって〜」と言って、泣いてみせて、みんなもその雰囲気に流されて泣き出して妙子まで泣いてた。「う〜ひぐっぐひぐ。ウチがいるとバト部の迷惑だからぁ〜もういない方がいいんだってぇ〜。ごめんねえ〜」

「ううん、そんなことないって。でも足、今怪我しちゃってるでしょ? 少し休んだ方がいいと思うな私。でもでも妙子が帰ってくるの待ってるから! みんなもそうだよね、ね!」とシマノンが言うと、バト部の面々はいかにも作ってますって顔で頷いた。妙子の元友達ですらそんな顔だった。妙子はそれを見抜いてしまう。それで妙子は部活には二度と来なくなって、学校まで休みがちになって、しまいには転校する。

 怖。

 シマノン怖。

 いやー尊敬するって。陰険さとか攻撃性とかって持って生まれた才能的な何かだと思っているから、真似しようとしても中々できることじゃないよ。

 大体実際に人をいじめることができるのがすごい。

 普通ブレーキかかったりするでしょ?

 でもシマノン系な人はそういうのがなくて、ふとした時に正気に戻るとかもなくて、ひたすら人をいじめたい欲が連続するのだ。

 そのパワーに引っ張られて、普段、いじめたい欲を胸に押しとどめている人も、耐えきれずにいじめに参加してしまうんだろう。いわばいじめのカリスマなのだ。シマノン系は。

 やっぱりすごいシマノン。


 六日ぶりの自分の席に座っていると、シマノンが話しかけてきた。

「あ、大丈夫、佐藤ちゃん。うわぁ、骨折じゃん」

「まぁ大丈夫じゃないけどね」

「痛そー。困ったことがあったら何でも言っていいよ。あ、左利きだっけ?」

「ううん、右利きだよ」

「じゃあ大丈夫かな〜嘘嘘。片腕使えないってすごい不便だもんね! 手伝うよ!」

 シマノンはめちゃくちゃにっこりしてる。目もキラキラしていて私に安心感を与えようとしている。でも私は知っている。これは私と仲良くなりたいってわけじゃなくて、私を知りたいだけなんだ。

 だって私はお母さん譲りの美形で、顔とか体のランクで言えばシマノンにも劣らないし、勝ってすらいるのだ。それはいつだって人の上に立ちたいシマノンにとって非常に大きなストレスだろう。自分を少しでも脅かす可能性があるものがいるなら、絶対気になるんだ。

 妙子は割と単純でわかりやすかったから、すぐに排除されてしまったけど、私のことはよくわからないんだろう。佐藤アンジェリーナ・ジョリーという名前だって異様すぎる。

「バド部じゃあんまり絡まなかったけど、佐藤ちゃん、そういえばなんでやめちゃったの?」

 シマノンが言う。

「特に理由は無いけど」

「えーでも佐藤ちゃん絶対上手くなったよ! 才能あるもん」

「スポーツ結構苦手なんだ」

「そんなことないよ〜アンジェリーナ・ジョリーだってアクション女優じゃん。あっ、名前のこと言ってよかった? ごめん〜」

「別にいいよ」

「いいなぁ。私もアンジェリーナとか外人の名前にして欲しかったなぁ。乃乃とか地味じゃない?」

 シマノンは私の名前を呼んだときの反応を探っている。この異次元DQNネームに劣等感を持っているか知ろうとしている。

 私は言う。

「島田さん。乃乃って良い名前だと思うけど」

 うらやましいとかそうは言ってやらない。大体アンジェリーナ・ジョリーだってお母さんが考えてくれた、意味のある大事な名前なのだ。シマノンが地味といった乃乃にも意味があるはずなのだ。

「えーそうかなー」

 シマノンはわざとらしく笑う。「佐藤ちゃんも、神ってインパクトありありじゃん。名前覚えてもらえそう」

 お、少しムカっときたのかな。

「そうだね。小学校の時の男子はやばかったなぁ」

 シマノンは私の言葉に笑ったふりをする。

「あはははは、やばそー」

 シマノンは目だけ笑っていないというよくある定型文とは逆で、目も笑っている。でもそれは本当に笑っているわけじゃなくて、演技をしているだけということが私にはよくわかる。

 私は人と話すとき人の顔をよく見る。私の好きなクズたちの顔には、これまで苦労してきたあれこれが刻み込まれていて、面白いのだ。

 シマノンの顔には嘘と自信しかない。

 矛盾しているようだけど、嘘をついて他人を支配できる自分に自信があるのだ。

「あ、シマノン佐藤さんと喋ってるー」とゾロゾロ村野、平井、根本がやってくる。

 うるせえー。

「痛そー」しか言わない村野と「車? 事故った?」と何度も訊いてくる平井、「賠償金とかとれんじゃねー」と適当なことしか言わない根本にうんざりする。こいつらは私と喋っているようで、自分らとしか喋ないのだ。喋っている内容をでかい声で何回も繰り返して仲間と共有するのだ。視線を窓際に移すと、林とか鈴木とかが聞き耳を立てているのが見える。ほら、私と喋ってないでしょ?

 そのぐらいでキレたりはしないけど、やっぱりうんざりする。

 これだったら、シマノンの方がほんのちょっぴり分はましだと思う。

 シマノンが三人の間を掻い潜って私に言う。

「ねえねえ、日曜空いてる?」

「何で?」

 言ってくると思った。シマノンは私の弱みをこの会話で知れなかったから、別の機会をもうけることにしたんだろう。

「この面子で、カラオケやるんだけど、佐藤ちゃんも来ないかなーって」

 シマノンが言う。

 またカラオケ?

「ごめん島田さん。医者から安静にするようにって言われてるの」

「えー」シマノンが周りに聞こえるように言う。

「佐藤ちゃん来れないのぉ!」

 うるさい三馬鹿が再びエントリーしてくる。

「大丈夫だって大丈夫だって。片腕でマイク持てばいいじゃん」「つーかシマノン、佐藤さんと仲良くなりたさすぎっしょ」「佐藤さん来なよー。シマノン佐藤さんラブなんじゃーん」

 シマノンは周りを味方につけて、必殺のえへへをする。

「えへへ、佐藤ちゃん、さっきからだけど、島田じゃなくてシマノンて呼んで欲しいなあ。あ、そうだ。私もアンジェリーナって呼んでいい?」

「あたしもいい?」「アンジェリーナ〜」とか三馬鹿も続いて言う。

 え? 普通に嫌だ。

 こいつらさあ、人の気持ちとか考えなって。仲良くする気もないくせに仲良くしようとするのはやめたらって話だ。

「アンジェリーナ行こうってカラオケ」

 うるさいって。

 うんって言わないと永久に離れていかなさそうだから私は言う。

「わかったよ何時に行くの?」

 すると三馬鹿は阿呆みたいに騒ぎ出す。「わひゃひゃひゃ」「うきゃーウキャキャ」「ぎゃぎゃぎゃぎゃ」

 シマノンは三人に合わせて笑っているけど、三人に比べてだいぶ上品で、自分の印象というのをよく考えている。「十時、十時に集合ね」

 私は黒板の上の時計を眺める。いつまでこいつらと一緒にいなければならないんだろう。

 そう思っていたら甲高い声が聞こえた。

「え、なになに、カラオケ? ボクも行きたいなあ」

 騒いでいた三馬鹿もシーンとなった。シマノンも冷ややかな目になって一瞬で元に戻る。ボクっ娘水瀬カケラはそのことに全く気づいていない。

「アンジェリーナもいいよね?」水瀬かけらは言った。

 呼び捨てかよ。

「まぁいいんじゃない」

「やったっ! テラー『恐怖』たるボクとカラオケ行けることに感謝するんだね!」

 うぜえ......。

 島田たちは完全に白けた表情をしていて、周りで聞き耳立てている人までそんな顔をしている。現実での中二病とかボクっ娘はうっとうしいことこの上ない。

「我が恐怖は全てを飲み込んでしまうのだ。覚悟するんだね」

「へー」

 恐怖って言葉がもったいないね。

「恐怖とは底のない闇。我が内蔵は闇へと繋がっている」

 シマノン的には今の話も一生懸命考えた設定も自分の話を遮られたことも気に食わないようだ。でも今のはちょっと面白いんで、続けてほら。

「この世のすべてのものは我の餌である。我がこの世界に誕生した時、周りの生物がいかに小さくに感じたことか。物質的な大きさではない、存在の大きさのことを言っている。我がたとえ地球を飲み込むことになったとしても、我にとっては米粒一つ分にすらならないだろう。なんと飢えを満たせぬ世界に生まれてきてしまったものだ。お前が、我の飢えを満たすことを願って、お、る、ぞ、......」

 水瀬かけらの声が面白いくらいにフェードアウトしていく。

 シマノンたちが私の席から離れてクスクスと笑っているからだ。水瀬は焦った顔をして、そっちのほうに向かっていく。

「ああっシマノンっ! ボクもボクもっ!」

 所詮はシマノンに群がる虫の一人だ。

 第一、水瀬の中二病的性格はシマノンに気に入られるために作ったものだし、ボクっ娘口調も自分の平凡さを隠すためのものだ。まああまり成功しているとは思えないけど。


 生物の授業があまりにもかったるいので、スマホをミュートして動画を見ている。生物ってほぼ暗記なのに理系科目ってどうなのって思うけど、そもそも数学だって公式を暗記して問題に当てはまるだけなのだ。やっぱり理系科目でいいようん、うん。私の左右でも机の中にスマホをかくして、カチャカチャやっている人たちがいっぱいいる。私は教科書の間に隠してるけど、こういうのってよくないんだろうね。一生懸命教えている先生たちがかわいそうじゃん。いや、一生懸命でもないのかな? 仕事でやっているだけかも。

 まぁ人それぞれかな。私はやりたいとも思わないけど、きつい仕事だと思う。だって先生はげてるし。それくらい、ね?

 ありとあらゆる掲示板とまとめサイトで魔剣13秒のことが書かれている。グロ注意グロ注意グロ注意......そんなのばっかだ。

 なーんか明らかに中学生たちが生首をサッカーボールにして遊んでいる。血で靴が汚れると汚いとでも思ったのか、生首はビニール袋に入れられていて、蹴られるたびにガサガサなっている。ビニール袋は焦げ茶色に染まっていて、黄色い液も浮かんでいる。中学生の一人がシュートすると、ブチャって壁に当たって、あまり跳ねずに地面に落ちた。

 ひどいなあ。

 コメント欄でもだいぶ批判されている。「でも死んでいるから何も感じないだろう」って言ってる奴もいる。「じゃあお前が死んだ後もサッカーボールにされて楽しいんかよ」て言う奴もいた。ニュースでも生首サッカーをしていた中学生のことをあーだこーだ議論しているらしい。中学生たちはどうして生首を蹴っていたのか聞かれると、「いいじゃんホームレスなんだから」と答えたらしい。

 最悪だ。

 みんな生きてるのに。

 わけわかんない。

 誰誰だから何かしていいっていうのが、おかしい。どんなに良いことしたって悪いことしたって偉くなったって、人間が人間に何かをするっていう権利があるのか。

 ああ〜。

 ムカつくってんだい。

 いじめんなよ死んでる人を。

 関連にあがっている魔剣13秒の殺人動画を観る。

 こう言うのってスナッフビデオって言うんだっけ?

 ま、呼び方なんて関係ないか。

 動画はどこかのフードコートっぽい場所で、昼に撮られたのか結構人がいる。そこの天井から影が落ちて来て、立ち上がると魔剣13秒になった。魔剣13秒は、スタスタと歩いて、うどんを啜っている人の前に来ると、剣を振るった。

「あなたは13秒で死にます。辞世を詠みなさい」

 魔剣13秒がそう言うと、13秒後、本当に首が吹っ飛ぶ。

 動画の中のおもちゃの剣で斬られた人は当然パニックになっている。

「えっ俺死にたくねえっバカバカバカっ嫌だ死にたくねえええええっ」

 その人は助けを求めるように周りの人に手を伸ばすけど、みんな遠ざかっていく。遠ざかっていくのに、視線はしっかりとその人を見つめている。

「あんたらなあーっ助けろって助けろよ。俺死ぬんだぞ!」

 その間ずっと魔剣13秒は13秒を数えていて、

「じゅうさーん」で、

 首が吹っ飛ぶ。

「さようなら」魔剣13秒が言って、消える。

 ちなみに動画のタイトルは「命乞いの瞬間笑」だ。笑じゃねーよ。

 あーなんでこんな動画見てるんだろう。そうだ。魔剣13秒が次どこに現れるか探そうとしていたんだ。

 殺人の法則が見えないから、動画とか漁って読み取ろうとしていたんだ。

 あまりに無差別すぎて、しかも人間離れしすぎている。リアルジェイソン。リアル殺人鬼。そういう言葉がぴったりだ。でもジェイソンだったら、湖の近くに来た人しか殺さないしわざわざ、別のとこに行ったりはしない。悪魔のいけにえだって結局主人公を取り逃している。なのに魔剣13秒は日本全国を回っている。セコいずるい。

 場所で考えてみよう。

 私が魔剣13秒と初めて会ったのは病院だ。そして私が入院していた病院では一人殺されている。これってどうなんだろう。病院で検索してみる。確認できている中で三十八人殺されていた。ここに共通点があるのかもしれない。

 病院といえば死にやすい人たち。怪我しているとか病気とか、入院とか。でも魔剣13秒は健康的な人とか殺しまくってるしなぁ。単に体が弱っている人を殺しているというわけでは無いかもしれない。まぁ実は何も考えていなくて、ただ単に殺したいだけとか、殺しそのものが理由ですとかあるかもしれない。

 そうだったらマジありえないけど。

 とりあえず病院にいっとこかなぁ。それぐらいしか考えられない。というか、推理小説だったら犯人とかトリックとか見つければ話は終わりだけど、犯人だって最初からわかっているし、しかもリアル殺人鬼だし。理不尽的なやつ。あ、つーか魔剣13秒、13秒って名前の癖に、きっちり13秒数えてないんだ。実際は微妙に早かったり、遅かったりする。動画でもそのことは言われている。殺人鬼なのに適当だなあと思う。もっと自分ルール守れよ。これじゃ魔剣15秒とか11秒じゃん。

 あーあ、殺人鬼とかマジ理不尽。

 私は教科書を枕にして、寝る。前の席の高柳がばかでかいので先生にはばれない。私は夢を見ないけど、代わりにケンゴさんとの思い出を頭に浮かべる。あの人もちょうどお父さんくらいの歳だったかもしれない。


 ケンゴさんは私が買ってきたあんぱんを受け取りながら言った。

「粒あんとこしあんの違いが俺にはよくわからないんだけどなぁ。いや粒が大きいとかそういう違いわかってるんだよ。でもさぁ、味変わらんだろ。いや、ほんとそれに尽きると思うんだよな。芋虫とエビの食感がそんなかわんないとかそんなもんだろう。いや変わるわ何言ってんだ俺」

 舌が回ってるなあケンゴさん。

 お酒飲んでる時だからね。飲んでいない時だと現実世界に押しつぶされて、非常に鬱々しくなる。

 いやあ、暗い雰囲気を持っている男の人ってかっこいいよね。

 うそうそ、ケンゴさんはただのホームレスだ。暗い雰囲気を持っていたところで中身がしょうもなかったりすることもまあ、ある。雰囲気なんて本当にあてにならない。そもそもケンゴさんは、アルコールの虚脱症状が酷いから余計にあてにならない。というかあてになるかならないかで人と付き合ったりしない。

「奥さんって美人なの?」

 私は訊いた。

「でらべっぴん」

「はは、方言」

「アンジェリーナもボンキュッボン目指して頑張れよ」

「余計なお世話じゃー」

「ちょっと痩せすぎだろ。お肉増やさないと、本家になれないぞ」

 めっちゃ笑うじゃん。

 そうそうこんな感じだったケンゴさん。懐かしい気分になる。ノスタルジー。ホームレスで臭いしだいぶ汚いケンゴさんにノスタルジーを感じる。

 私はケンゴさんとおしゃべりするのが楽しかった。学校の帰り道によって、一緒にあんぱんとかおやつを食べながらダラダラするのが好きだった。

 なんで私はそういう風に楽しめていたんだろう?


 昼休みになって、朝コンビニで買ってきたおにぎりとかを開けて半分ぐらいかじっていると、守川はながやってきた。

 でけえー大きいビッグ。

 わかりやすく教室が静かになって、みんな、守川はなのことを動物園のライオンでも見るみたいに注目している。

 守川はなは私を見つけると、あごをしゃくった。

 シマノンが守川はなに連れてかれる私を黙って見ている。まぁ端から見ればシメられる図に見えるかも。シメまくっているのはシマノンだけどね。

 教室を出て廊下を歩いていくと、生徒たちが次々に道を開けてくれている。守川はな効果だ。

「どこ行くの」

 私が言うと、守川はなは、

「飯」

 とだけ答えた。

 説明短すぎるよ。

 守川はなは途中の学食で手作り弁当を三つとお茶とおにぎりを買った。学食のおばあちゃんは「いつもよく食べるねえ」とわかった風にうなずいていた。

 学食ならあんま美味しくないんだけど。私は手作りじゃないおにぎりの方を選ぶ。シーチキンマヨネーズだ。マヨネーズ入っていると何でもおいしいと思う。どっかで聞いた話でおいしいものが体に悪いっていうのがあるけど、あれは本当ですな。私マヨネーズ中毒だもん。

 席に座ると、守川はなは相変わらずがががっとめちゃくちゃな勢いで食べて、全部食べ終わった後に「なんか腹減るなぁ」と言った。

 うげえ。

「死にまくってんな」

「うん」

「自衛隊とか出動しているらしいぜ」

「やばいね」

「でもわんさか自衛隊が探してんのに、見つからないんだ。......あたしがあいつの腕つかんだだろ?」

「うん、でも消えちゃったよね」

 そうなのだ。私たちが見ている目の前で魔剣13秒の残された腕は霧となって消えた。物理法則無視しすぎやろ。

「あーまじであいつぶん殴りてぇ」

 と守川はなさん。

「あのおばさんぶっ殺しやがって。つーかいろんな人殺しまくりやがって」

「そうだね許せないよ」

「あーマジでむかつくわ」

 守川はな、私より乗り気じゃん。

「あー胸糞わりぃ」と守川はなが言うと

 ぶんぶんぶんドンドンパラリラ〜って馬鹿みたいな音が聞こえる。

 うえーうるさい。

 食堂から見える校庭に単車が大集合していた。黒のタンクトップとかシルバーアクセとか刺青とかグラサンとか筋肉とかばっかだ。ヤンキー大集合の列の端っこに鼻を潰されたチャラ男がいた。

 あー復讐か。

 つーかこいつら何? ヤンキーそれとも半グレ? 暴力団?

 それを見た守川はなは目を輝かせていた。「ヨッシャー」立ち上がるとダッシュで校庭に向かっていった。

 あー、そういえば守川はなはクソ強ヤンキーだった。

 めくるめくお喧嘩タイムに私は何も心配していない。どうせ守川はなが勝つに決まっている。だから私は守川はなに行っちゃだめとか言わない。守川はなは女の子のくせに身長も筋肉もモリモリしていて、しかも凶器とかバンバン使ってるし私が心配する要素なんてどこにもない。

 守川はなは先頭にいるヤンキーだか、半グレの頭を金槌で横殴りした。躊躇なく思いっきりぶん回した。「おっしゃ」ヤンキーたちがナイフとかバットとか持って迫りくるけど、守川はなは単車を蹴飛ばしてバットを持ったヤンキーの一人をぶん殴ると、そのバットを奪ってガツンガツンとヤンキーを叩いた。楽しそうだけど怒っていて、まぜこぜになったその感情をヤンキー全員にぶつけているみたいだった。

 なんだかムズムズする。

 私もなりふり構わずにグワーッて暴れたくなる。

 守川はなも無傷と言うわけにはいかなくて、痣とか切り傷だらけになるけど、全く戦意が衰えないしむしろ勢いが増している。

 この暴力の波に食堂にいる人はみんな見入っている。

 当たり前だ。みんな暴力とかグロいことを見たがっていて、その見たいって感情を隠しているけど、間違いなくそれはあるんだ。だから魔剣13秒の動画は一日で百万回再生されたし、テレビだってどこだって掲示板だってうれしそうに話題にするんだ。

「誰か警察呼べよ」と誰かが言う。でも誰も呼ぼうとしない。そんなものだ。

 体育教師の松本がちらっと校庭を見て、早足でどこかに消えていった。そっちは校庭の方向じゃないですよー。女子とかは「何あれやばー」とか適当なこと言ってるけど、きゃぴきゃぴしてヤバさアピールしてるだけでほんとにやばいと思ってないでしょ。自分らが殴られてるわけじゃないしね。殴ったり殴られたりしてるのは守川はなだけだし、校庭からは遠いし、ガラスの向こう側からでしか暴力が繰り広げられていない。たったこれだけの距離で完全無欠に無関係だと思ってるんだ。

 シマノンがいつの間にか私の隣に来ていて、私に言った。

「大丈夫だった? アンジェリーナちゃん。マジでありえないよね。喧嘩とか。守川って危なすぎでしょ。ほんと卒業したらどこに行くんだろうね、大学だっていけないだろうし、速攻で警察に捕まったりするでしょ。アンジェリーナちゃんもあいつに殴られないでいてよかったよ〜心配したんだよマジで」

 そうですか。

「別に大丈夫だし心配しなくていいし」

「でもあんなヤンキーに絡まれてたんだよ? 怖くない?」

 シマノンが可愛さ全開で言った。

「絡まれてないよ。ご飯一緒に食べてただけ」

「守川がご飯?」

「そうだけど」

 守川はながもの食べなくてもいいロボットとか石像とかにでも見えてんのか。アホじゃんと思っていると、シマノンが髪をふぁさっとさせて、目を細め、言う。

「守川と友達なの?」

「なんでそんなこと聞くの」

「えー、別になんでもいいじゃん」

「じゃあ島田さんに言う必要なくない」

「わあーアンジェリーナ怒ってんの?」

「怒ってないけど」

「でもさぁ、言う必要なくないってひどくない?」

「そんなつもりで言ったんじゃないけど」

「ほら怒ってるって」

「怒ってない」思ったより低い声が出てびっくりする。うわーやだなあ。シマノンなんかに隙見せちゃったよ。

「絶対そうだってー」

「私を怒らせて何がしたいわけ」

 シマノンがニヤニヤする。

「怒らせようとなんかしてないって。アンジェリーナちゃん勘違いしてるよ」

「......」

「つーか答えてくれる」

「......」

「早く言ってよ」

「友達だけどそれが何か」

「うわヤンキーと」

「それが」

「別に何もないよ。ヤンキーとつるもうがどうでもいいんじゃない」

「喧嘩売ってるの」

「えー怖いってアンジェリーナちゃん。そんなわけないじゃん。なになにアンジェリーナちゃんって喧嘩とかしちゃう人なの?」

「......」

「ごめんごめーん。ちょっと聞いてみただけだよ、カラオケ楽しみだねーそれじゃ」

 と言うと、シマノンは席から立ちあがる。

 むかつく。

 守川はなみたいに顔面パンチすればよかった。でも別に私は顔面パンチされてないし、シマノンの顔をぐちゃぐちゃにつぶしても意味がない。

 シマノン、マジうぜえ。 

 とか思っていると、水瀬が弁当箱を持ってうろついているのが見えた。

 しきりにキョロキョロしていて、不安そうだ。私を見つけると、タッタカ走ってきて、

「シマノンどこ行ったか知ってる?」

 と汗たらしながら言う。

 私は素直に指で指した。

「あっち行ったよ」

「うわーんありがと」

 水瀬は飼い主が帰ってきて嬉しょんしている犬みたいに、ニコニコして私が教えた方に走っていった。

 あんなのと付き合っちゃ駄目だよ。脳みそと心と体が腐っちゃうよ。

 かわいそうな子だなあ。

 シマノンに依存しすぎていて、少しでも一緒にいないと不安になってしまうんだろう。......あほらし。


 十人目がぶっ倒れてピクピクしたあたりから、ヤンキーたちは逃げ始めてドゥルルンドゥルルンと単車を鳴らして正門から出て行った。そのうち不幸な一人は守川はなに追い打ちされて地獄を見た。かっこよくてでかくて重いバイクとトランスフォーム。守川はなはそれで満足したみたいで、バイク型トランスフォーマーを蹴飛ばして、ヤンキーの山を背中にして校舎に戻ってきた。

 血だらけの守川はなをスマホでコソコソ撮影している奴がいるけど、守川はなはそれを無視する。

「なんか運動したら腹減ったなぁ」

 私はそう言うと思っていたので、学食のあんまりおいしくないお弁当を差し出す。

「はいこれ」

「おっサンキュー」

「ヤンキーやっつけてくれたから、私のおごりね」

「そんならぼろい商売だな。ヤンキーなんてマジでそこらへんに転がりまくってるぜ」

 二十分かそこらで十八人のヤンキーたちを片付けた守川はなは、さっき食べたばっかりなのにはらぺこでガツガツお弁当を食べる。

 もうなんかかわいい。

 もぐちゅもぐちゅ。頬一杯にご飯を貯めて一気に飲み込む。体が大きいから、熊が小ちゃな木の実を食べているみたいに見える。

 守川はなの右瞼が切れてるのを発見した。血が結構出ている。

「それ」

「ああん?」

 守川はなは手の甲で血を拭って言う。

「飯食ってるから後でいいや」

「絆創膏持ってる?」私は言う。

「ブレザーのポケットに入ってる」

 守川はなが言った。

「じゃあ貼るね」私は右か左かどっちのポケットかわからなかったから、なんとなく勘で左の方を選んでみたら、一発で当たって、入ってた。で絆創膏をどくどく血流れている傷痕に貼るけど、これって先に消毒したほうがいいんじゃないかな。

 そう思っていたら、「消毒液あるから適当にかけといて」と守川はなが言った。

 ブレザーの右ポケットに消毒液が入っていたので、守川はなの瞼にちょびっとかけてポケットティッシュで拭き取ってから絆創膏を貼った。守川はなはご飯を食べるのに集中しまくっていて、全然動かなかった。

 ずけー。

 ずけえよ守川はな。あ、なまっちゃった。てかこんな方言ないし。でも守川はながすごいのはほんとだし。

「うし、帰るわ」

「午後出ないの?」

「もう机に座ってのんきに授業って気分じゃねーし」

「じゃあ私もそうしようっと」

「いいのかよ。お前真面目に授業受けてんじゃねーの」

「そうだけど。なんか私もどうでもよくなっちゃって」

 教室に戻ったら戻ったで、シマノンがうるさそうだし。

「ふうん。そんなら良いけど」

 守川はなはお弁当の容器を食器台に戻すと、学食のおばちゃんに言った。

「ごちそうさまでした」

 偉い!

 ごちそうさまでしたとか何年言ってないのかなあ。いや言ってはいると思うけど、毎日とか言わないし、記憶に残ってないくらいには、言ってないのだ。ごちそうさまでしたを明確に言っていたと思い出せる時期は小学生の頃で、その時は配膳室に行く度に、係の人と一緒になって「ごちそうさまでした。おいしかったです」と大きな声で言っていた。

 もうね、ごちそうさまでしたとか一々恥ずかしくて言えない。言うのが当たり前なんだろうけど。

 と思っていると守川はなが「帰るんじゃねーの?」と言う。ああ、そうだった。


 早退届も出さないでスクールバッグを教室から取って来て、下駄箱行って、とっくのとうに正門で待ってた守川はなと合流して歩きで帰る。その途中で、魔剣13秒が病院に来やすいかもしれないってことを話す。ネットに上がっている出現分布図も見せる。守川はなも納得したみたいで、黙って空中に顔を向けて頷いている。それでバスに乗って、国立病院に向かう。


 出現分布図の多くが病院を示しているからといって、魔剣13秒がそこに現れるとは限らない。そもそも出現分布図には、出現したという事実が載っているだけで、これから出現する場所を予測してくれるわけではないのだ。古臭くて黄ばんだこの病院のほかに、一体いくつもの病院があるって話で、受付の人に「獲物を物色している殺人鬼がそこら辺うろついていませんでしたか」とか聞けるわけないし聞いても意味がない。

 私は自分の浅はかな考えで病院に来てしまったことを後悔する。そこに守川はなを巻き込んでしまったことにも後悔する。いや別に本人がめんどくさいとか嫌がってるとかいうわけじゃないけど、ちょっと無駄な時間を過ごさせてしまったなぁっていう罪悪感だ。つーか、どこにでも現れる殺人鬼を、事前に張り込むのが間違いだったのだ。マジで無駄......。いやいや、無駄ではないでしょ。なんとかしようっていう気持ちがあって、実際に行動したわけだから、結果が出なくても気持ちの上では意味があるのだ。こんなの言い訳だ。まぁいいじゃん言い訳で。やるだけマシだよ。誰に話してるねん私。もちろん自分にだ。

 冷房が効いているとこから外に出て、すごい暑い。

 暑い。溶ける。

 よく生き物生きてられるよね。

「あぢいいいいい」と守川はなが言う。

 うんあぢいいいいいっす。

 大きな杉の木が中庭にあって、それを囲むようにベンチが並んでいたから、守川はなと一緒に座る。

「ま、そう簡単に見つかるわけないよな」

 と守川はなが言う。

 マジでごめん〜。慰めてくれないでいいって。

「昨日は北海道だっけ」守川はなが立ち上がって、言った。アイスクリームの自販機に行って、アイスを買って戻ってきた。チョコレートアイスを私に渡して、自分はジャンボモナカをかじる。ありがと守川はな。

「昨日13秒が現れたのは、北海道の稚内と諫早と伊賀と渋谷と六本木と道頓堀と木津川と海老名と姫路と久留米と小浜と成田と加賀だよ。一昨日は熱海と長野の安曇野と徳阿波市と鹿沼と京都と上越と諏訪と三沢と多治見と十日町と豊後大野と保谷と柳川だよ。今日は五人殺されてて、湯沢と武雄と下関と天草と滑川だよ」ニュースちらっと聞いただけで覚えちゃった私の記憶力どや。

「暗記してんのかよ」

「うん」

「成績とか良いわけ?」

「まあまあ」

「ふうん。ま、どうでも良いか」

「うん」

 その通り。

 勉強を生かすための勉強が必要だし、それを獲得するには豊かな人生を歩まなければいけないのだ。だから勉強なんかどうこう言ってもどうでもいいのだ。まあちょっと集中すれば見たり聞いたりしたものをパパッと覚えられてしまうんですけどね、私。すまん自慢。

 キュキュキュっと地面をこする音が聞こえた。なんだろう。振り向いてみると、杉の木の裏側に誰かいた。

 男の人と車椅子に乗った女の人。病院の患者かな。

 二人は恋人みたいでイチャイチャしている。指と指を絡ませて、お互いの耳元で囁きあっている。

 うわ、ハズい。

 人に見られたらどうすんの? イチャイチャが黒歴史的な感じで誰かの記憶にずっと残ることを考えたら、私だったら無理だ。こんな人前で指と指をくっ付けあったりとか肩を寄せたりとか鼻と鼻を合わせたりとかチュッチュしたりとか「好きだよ」「僕も」とか愛の再確認だとか無理無理無理だ。

 別にそうは思わなかったみたいで、守川はなはこんなことを言う。

「結婚すんのかね」

「ちょっと声が大きいよ。......でもするんじゃない、知らないけど。だって彼女さん病気なのに仲良さそうじゃん」

「病気は関係ないんじゃねーの」

「あると思うよ。多分」

「多分って、お前もわかってねーじゃねーかよ」

「うーん、あると思うんだけど」と私は言ってみる。「でもさ、自分の恋人が重い病気にかかったらめんどくさくない?」

「知らんわ。何がめんどくさいんだよ」

「思い出作りしなきゃとか、ずっと付き添ったりとかだよ」

「別にめんどくさくないだろ」

「でも疲れない? 死んじゃうまでその人のこと考えなきゃいけないんだよ。考えて楽しいことしたり、させたりしなきゃいけないんだよ? 疲れちゃうよ、きっと」

 守川はなは、無言になる。無言でジャンボモナカを食べる。

 しまったなぁ、空気悪くしちゃったよ。でも今のは結構私の本心で、つい言いたくなってしまったのだ。

 守川はなを見る。怒ってるんだかそうじゃないのか、わからない。やっぱり言わなきゃよかったと思う。

 ごめんね守川はな。

 私は遠くを見ているふりをして、時間がすぎるのを待つ。蝉が、じじじじじみみーんみーんみーん......と鳴き出す。

 暑い。

 アイスを食べ終わったところで、守川はながようやく、

「はあ......」

 とため息をついた。

「ん?」

「あの人たちさぁ、結婚したら子供産むよな、多分」

「そうだと思うけど」

「でさぁ、絶対子供を大事にするだろ」

「まあ普通は」

「殴んねーよなあ、普通は、親が子供を」

 え。何。

 何が?

 親が子供を殴んの?

 私は守川はなが唐突にそれを言ったことに驚く。

「殴るって?」

 私が言うと、守川はなは、

「そのままの意味だよ。前にあたしが、チビの頃、いじめてくる奴がいたって言っただろ。あれ、あたしの親父なんだよ」

「それって」

「変な同情とかするんじゃねーぞ。つい言いたくなっただけなんだからな。黙って聞けよ」


「あたしが初めて殴られたのは小学一年生の時で、それまではかろうじてなんとかウチの家族が家族の形ってやつを保ってたんだけど、親父があたしを殴ったその日から全部ぶっ壊れた。

 親父は嫌なことがあるとすぐに酒飲んでごまかしてた。まぁあたしも子供の頃だったからよくわかんなかったんだけどさ、親父がこれはお薬なんだよって言うからすっかり信じてて、毎晩お薬飲んで大変だなんて思っちゃってたよ。

 馬鹿みたいだろ?

 酒飲んでるときの親父は楽しそうだったよ。

 スゲェよくしゃべるし、つまみとかも分けてくれた。でもお袋は酔っ払ってる親父のことを嫌っていたよ。親父の前では見せなかったんだけどさ、親父がいない時は英語で愚痴ばっか言ってたよ。

 あたしはやっぱりバカだったから、親父とお袋が仲悪いのが嫌で、お袋に一回言ってみたことがあったんだよ。

 喧嘩するのはやめて仲直りしてよって。

 そっからお袋、ブチ切れて、親父に酒やめろって言ったんだよ。やめないなら離婚してやるって。

 親父はびっくりしてたよ。お袋にこんなこと言われたことなかったからさ。まぁでも納得してたよ。確かに小さい子供がいるのに酒ばっかり飲んでるのは良くないって。

 親父とお袋はその時は仲直りしたように見えた。

 でもそんなのはそれこそ形だけだったんだ。

 親父は一ヵ月もたたないうちに約束を破った。見事に朝まで飲み歩いて帰ってきて、玄関にゲロぶちまけて、財布もどっかで落としてきた。

 お袋はもう耐えられないって言った。

 親父は一応謝ってた。約束破ったのは親父の方だったからな。でもよ、親父が我慢なんてできるわけないだろ。あれだってもう大人だし、子供と違って欲しいものはみんな自分で買える。親父のお薬はコンビニにだって売ってるし、どこでだって買える。お袋以外に誰が親父を止めるってんだ?

 お客様、最近お酒飲み過ぎですから、今日は控えておきましょうとか、店員が言ってくれるのかよ? んなわけない。全部自己責任、自己責任だ。みんな他人のことなんてどうだっていいんだよ。だからそんな言葉があるんだ。

 そーゆーわけでお袋は、親父のことを諦めた。親父が酒を飲まなくなるようにすることを諦めた。親父と仲良くやっていくことを諦めた。アメリカ人だったお袋が、結婚するためにアメリカに帰らず日本に残った相手だったのに。それからお袋は親父を赤の他人同然に扱った。喋る時も敬語だし、弁当を作ったり世話を焼くことはなくなった。

 まぁお袋が親父を諦めたっていうのは、考えようによっちゃよかったかもしれない。少なくともお袋が親父に怒鳴りつけて、あたしが自分の部屋に逃げ込んだりは、しなくてすむようになったからな。

 でもさ、お袋と親父にとってはそれぞれ赤の他人で、一旦家族になったものがまた元に戻るだけだから、良いのかもしれないけど、あたしにとっては嫌だよそりゃ。お袋と親父がお袋と親父なのは、あたしが産まれた時から、自然な形で、それが壊れているわけだからさ。

 あたしは二人の仲を取り持つように頑張った。

 飯食う時とか二人が一緒にいるときは、共通の話題を振ってみたり、一緒にいない時も元のパパとママに戻ってって言った。

 あのね、パパとママはもう無理なのよ。ごめんね、はな。

 そうお袋が言ったこともあったけど、無理なわけあるか。無理じゃなかったから、あたしが産まれたんだ。

 あたしはある日、言った。仲直りしてくんなきゃ死んでやるって。台所の包丁、こっそり持ち出してさ。パパとママは驚いていたけど、冷静にあたしを止めようとした。

 あたしは自分が本気だってことを思い知らせてやることにした。包丁を自分の喉に刺したんだよ。ぴゅーって血が出て、予想よりも勢いがすごかったからあたしは気絶した。

 目を覚ましたときにはパパとママは泣いていて、元のパパとママに戻ってくれるって約束した。パパはアルコール依存症のセラピーに行くようになったし、ママはパパと元のように話すようになった。

 うれしかった。

 あたしの大好きな二人がまたお互い大好きになってくれたって。パパの病気は治って、もう薬を使わなくて良くなったって。これで終わればよかったんだ。だけど中毒は治らない。一生自分の影にへばりついてるんだ。

 その日はあたしの誕生日だった。

 ママが手間をかけた豪華な料理と誕生ケーキはもう用意してあって、後はパパを待つだけだった。でも七時に帰ってくるって言ってたのにパパは帰ってこなかった。

 パパから電話がかかってきた。ママが言った。

 何やってんのよ、あなた。早く帰って来てって言ったでしょ。

 もしもし警察です。お宅の旦那さんが線路に飛び込んだんですよ。いや電車も来てなかったし、かすり傷で済んだから大したことは無いんですけど、すごい酔っ払っててね。迎えに来てくれませんか。

 どうしてパパがあたしの誕生日にお酒なんか飲んだのかわからない。でもパパに裏切られたことが悲しかった。ママもそうだった。ママは悔しくて泣いた。

 ママはパパを車で連れて帰った。家の駐車場にパパを転がして、言った。

 どうしてそんなことするの。

 ごめん、二度としない。パパは言う。

 私に謝らないで、謝るのならあの子にでしょ。信じられない本当に。死ねばいいのに。

 どうしてそんなこと言うんだよ。俺だって治そうと頑張ったんだよ。

 どこが、じゃあなんでよりによってこんな日に、はなの誕生日にお酒飲むのよ。馬鹿みたい。死ね死ね死ね。

 うううやめろよ、俺だってなぁ俺だってなぁ。

 死ね死ね邪魔だから死んで。

 ママがそう言ったらパパがママを殴った。パパの目は猛禽類みたいな目をしていて、ママをにらみつけていた。

 やめてよパパ。パパはそう言ったあたしも殴った。

 お前も俺に死ねって思ってんのかよ。いなくなってほしいって思ってんのかよどうなんだよ。

 そんなことないよ。パパ大好きだよ。

 本当か本当かよ。ほんとに言ってるんだろうなそれ。ああっ証拠出せよ。証拠あるだろっ俺に出せっショーコショーコショーコ!

 あたしは思った。パパはとっくのとうに壊れてしまっていたんだなって。

 パパは仕事にいかなくなって、クビにされて、ずっと家に居るようになった。

 酒呑んじゃ悪いのかよ。なんで俺を助けてくれない。どうして俺ばっかり責めるんだよ。

 パパはそんなことばかり言ってた。

 それでものを壊して暴れてあたしたちを殴る。

 自分勝手で最低だ。

 パパが暴力を振るわない日はなかったし、あたしは家に帰るのも嫌になっていた。

 でもパパはあたしに暴力を振った後、必ず謝っていた。

 ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん......。

 あたしはわかった。パパは自分のためにしか謝っていない。楽になりたいから謝ってるんだ。惨めな自分を少しでも良いものに見せようとしたいから謝ってるんだ。

 あたしはパパを諦めた。

 小学二年生になって、ママはパパと離婚した。それからもうあたしたちはパパと会ってない」


 守川はなが話を終えた。手の中のジャンボモナカの袋が握りすぎて、ぐしゃぐしゃになっている。

 重いなぁ。

 これ喧嘩が趣味になるのも当然て感じだね。もちろんそこに至るまでには、今の話以上の陰惨な事件が起きているんだろうけど、そんなことわざわざ聞いてもしょうがない。

 あとさあ、私もわかったことがあるよ、守川はな。でも言わない。

 守川はなが空を見ながら言った。

「悪かったな。こんなクソみたいな話して」

「ううん。いいよありがと」

「ありがと? なんで」

 守川はなが眉をひそめる。

 そうだね。何でだろ。嘘、冗談。

 私は言う。

「だって辛い思い出話してくれたでしょ。こんな辛い話、他の人に話さないよね? だからありがとう。私に話してくれて」

「別に辛くねーよ。もうずっと前だし」

 守川はなはそう言って私をじっと見つめる。

「なんであたしがこんな話したかわかるか?」

 わかんないです。私は首を横に振る。

「お前、親に殴られてねーよな?」


 私は首を横に振る。


「そっか。ならいいんだよ。あたしの親父みたいなクソ野郎がそう何匹もいるとか論外だからな。変なこと訊いた。ごめん、アンジェリーナ」

「うん、大丈夫」

「......帰るか。暑―し」

「うん」

「あちい......」

 そうねーあちいねー。

 さっきのカップルがまだイチャイチャしていて、目があってしまったので軽く会釈する。

 車椅子に乗っている、女の人の方が感じよく微笑んだ。つられて男の人のほうも笑う。

「あ......」

 何か言ったほうがいいのかな。

 病気治るといいですねとかいやこれはちょっとダメな気がする。目があっただけの他人に自分のことをどうこう言われて欲しくはないだろう。うーんどうしよ。

「頑張ってください」

 結局たいして変わらないこと言っちゃったよ。頑張れとか、こっちはもう頑張ってるんだよとか言われたらどうしよう。

 と思っていると、女の人が言った。「ありがとう。でももう頑張らなくてもいいんだ」

 カラッとした感じで、当たり前のことを言っているみたいだった。

「もうお姉さんね、死ぬの。全身ぐずぐずで、もうまともに歩けないし、薬打たなきゃ、痛くてしょうがないんだけど、今日は調子が良かったから外に出てきたの」

 私はうなずくことしかできない。なんて言ったらいいんだろう。

「私の自慢の彼氏くん。かっこいいでしょ」

 女の人が言うと、彼氏さんは照れたように笑う。

「私、いつ死んでもいいんだ。行人が私のことを覚えていてくれてるから。それに、死んだとしてもそれってかなり大きなことだから、ずっと行人には刻まれるよね。行人がいつか他の誰かを好きになったとしても、私が一番ってことは確定してるの。だから、死んでもいいかなあって。あはは、ちょっとおかしいこと言っちゃってるよね。久しぶりに彼氏くん以外と話すからさぁ」

 黙ってる私に代わって守川はなが、

「別におかしくねーよ。あんたもさぁ、絶対浮気するんじゃねーぞ」

 と相変わらず敬語なしで言った。彼氏さん困ってるよ。

「うふ、ふ、ありがとう」

 女の人がきれいに笑う。

 彼氏さんは彼女と手をつないでいる。その手がぎゅっと力を込めるのを私は見た。そっか、言われなくてもわかってることだったんだね。

 彼氏さんはこの会話に最後まで入ってこなかった。ずっと彼女さんに喋らせている。きっと、彼氏さんは彼女さんの残り時間を使いたくないんだろう。好きなようにさせたいんだろう。私は、彼女さんの腕がほとんど上がっていないのを見る。まともに動いているのは首から上と、指と、手首だった。彼女さんの自由な口は楽しげに話を続ける。それを彼氏さんは楽しそうに見ている。守川はなが何か言ったり、する度に、彼女さんはカラカラ笑う。私も何か言ってみたりする。それにも彼女さんは笑ってくれる。二十分くらい経つと、彼女さんは「バイバイ。お姉さん、疲れちゃった。生きてたら、また会おうね」と言って、車椅子を彼氏さんに押させて、病棟の方に進んでいった。

 うん。また会おうね。

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