第47話 黒き息吹

 私たちは会場を後にし、階段を上がってトルーシャさんの部屋に来た。

 それなりの広さがある空間。光沢のある机が置いてあり、奥の壁には騎士団の旗が飾られている。

 見たところトルーシャさんのプライベートな部屋ではなく、団長に与えられた仕事専用の部屋なのだろう。


「楽にしてください」

「失礼します」


 トルーシャさんの言葉に甘え、私とルガーさんは入ってすぐのところにあるソファに腰を下ろす。その対面にトルーシャさんが座った。


「えっと、アタシたちは立っとくね」


 後ろでバニラさんは苦笑いを浮かべる。

 ソファはそれほど大きくない。

 私とルガーさんが座っただけで、もうぎゅうぎゅう詰めになってしまう。

 トルーシャさんの横なら空いているが、先ほどルガーさんの発言で彼女に対する不信感が拭えず、バニラさんたち三人は誰も座ろうとしなかった。


「む……飲み過ぎた……」

「ん……?」


 なぜかここに来るまで、オボロさんの独り言が激しい。俯きながら足をモジモジさせたりと、挙動もどこかおかしかった。

 そんな状態を他のみんなも知ってると思うけど、オボロさんも子供から大人に成長する多感な時期ということで、デリケートなことには誰も触れようとしない。見守るような優しさが、逆に見ている側にとって毒なのだと、そう思わせてくれる。

 トルーシャさんは申し訳げなさそうに頭を下げる。


「急なことでしたので、席の準備ができておらずすいません」

「長居する気はない。手短に済ませる」


 ことの発端を作ったルガーさんはソファに肘をかけ、トルーシャさんの瞳を見据える。

 トルーシャさんもその視線に対し、鋭い目つきで睨み返した。

 ビリビリとした緊張感が二人の間に形成されているようだ。

 トルーシャさんの目つきはそのまま、早速本題に切り込んだ。


「さて、ルガー様は私を冒険者と、そうおっしゃいましたね」

「ああ」

「その根拠は何ですか?」

「その前に聞かせてくれ。なぜカイトと手を組んだ?」

「ルガーさん?」


 ここきに来て何を言い出すのか。

 トルーシャさんを冒険者と断言したその次は、カイトさんと手を組んでいるって。

 このことにはバニラさんたちも困惑していた。


「カイトって、ノノにとって因縁の相手よね? どうしてそれがよりにもよって騎士団長と結託する流れになるの?」

「同感だ。前提として、団長はカイトってヤツのことを知らない。辻褄が合わないぞ」

「……まずい……そろそろ限界じゃ……」


 なぜかオボロさんだけは顔を真っ赤にして、体をもじもじさせている。

 でも、そんなことより私はルガーさんの横顔を見上げて言った。


「私も二人と同じ考えです」

「だろうな。カイトとトルーシャが手を取る理由はオレにもわからねぇよ」

「……?」


 どこかルガーさんらしくない支離滅裂な発言だった。自分からそう言っといて、理由と呼べるものは存在しない。

 奇妙な感覚だ。

 トルーシャさんは肩を落とす。


「まったく。次から次へと何が狙いなんですか? まだ私からの質問を答えてもらっていません。私が冒険者だという決定的な証拠はどこにあるんです?」


 どこか苛立ちを込めて呟かれた。

 ルガーさんは相変わらず読めない表情で返答する。


「今の俺に、それを証明する術はない」

「ふざけておられるのですか?」

「事実だ。だが、俺は知っている。貴様が冒険者であり、カイトと密かに通じ合っていることをな」

「あなたは何を知っているのです……?」


 トルーシャさんの眉間にシワが寄る。


「全部だ。そもそもお前にカイトの存在を尋ねた時、カイトこそ知らぬフリをしていたが、性別は把握していた」

「名前で性別の検討くらいはできます。馬鹿にしているのですか?」


 こればかりはルガーさんが悪い。

 確かに私は永年大槍に来た当初、トルーシャさんにカイトさんのことを尋ねた。

 あの時間を思い出す。


 ーー「カイトという名前に心当たりはありませんか?」

 ーー「残念ながら、そのような男性は存じ上げておりません」


 男性というのは当たっている。

 しかし、それだけだと証拠は不十分だ。

 カイトなんて名前は一般的に男性に使われるし、トルーシャさんの主張ももっともである。


「お前たちの本来生きる世界の常識ではだ。果たして、この世界で適応されるかどうか。なんならその辺の住民に聞き込んだらどうだ? カイトというのは男性の一般的な名前かどうかを」

「時間の浪費は好きではありません。無駄話のお誘いでしたら、私ではなく他を当たってください」


 余計わけのわからないことを言い出すルガーさんに、トルーシャさんの怒りは限界だった。

 その時、体をもじもじさせて独り言をつぶやいていたオボロさんがバッと顔を上げ、


「ーートレイ! トイレはどこじゃ!?」


 口に出すのが恥ずかしかったのだろう。

 やや涙目野訴えに、トルーシャさんはわずかに戸惑ってから、


「あ、はい。お手洗いなら左に出て、突き当たりを右に曲がったところーー」

「もう我慢できん!」


 と、勢いよく部屋を出て行ってしまった。


「なんだ。オシッコ我慢してたんだ。ダッシュも昔、我慢しすぎて夜中おねしょした時期あったよね」

「あれは、この体での行為に抵抗があったからだ。今する話じゃないだろ……」

「めんごめんご」


 間の抜けたバニラさんの笑いが、ピリついていた部屋の空気を弛緩させる。

 軽く息を吐いたトルーシャさんは、改めてルガーさんに問いかけた。


「失礼。取り乱してしまうところでした」

「事実を事実と突きつけられて、我を忘れる人間に団長なんか務まるか」

「ルガーさん、もうやめてくださいって」

「やめねぇよ、ノノ。こいつは敵だ。騎士団にも、こいつを通じてカイトの息がかかってやがる。俺だけを信じていろ」

「そんなの言いがかりにしか聞こえませんよ」

「チッ……」


 ルガーさんは舌打ちし、床に視線を落とした。それからボソッと呟く。


「まあ、いい。いずれ全てが明らかになる」

「別にルガーさんを信用してないわけじゃありません。でも、完全には信用きしれませんよ。肝心なことは全部話してくれないし。何か私に秘密にしてることとかありますよね?」


 この話は何度目になるか。

 でもやっぱり、彼が教えてくれるのは。


「言っても信じねぇよ」

「言葉にしないと、信じる信じない以前にわかってもらえませんよ」

「……」


 やっぱり、ルガーさんは口を噤んだまま。

 ここに来ても、彼の内に抱える何かを知ることはできなかった。


「そろそろ、いいですか?」


 つい私たちだけで熱くなっていた。

 トルーシャさんがゆっくりと手を挙げる。


「話を整理します。ルガー様は私を冒険者と認識し、カイトなる人物と協力して何かを企てている。ここで疑問が一つ。あなたは私を敵とおっしゃいました。ならばなぜ、あなたは私との接触を望んだのですか?」

「確かめたいことがあるからだ」

「それは叶いましたか?」

「ああ。見つかったものは、どれも想定内のものだったがな」

「つまり、成果はなしと?」

「想像に任せる」


 ルガーさんは天井を見上げる。

 それからすぐに姿勢を戻した。


「次に俺からの質問だ。まず俺たち冒険者に何の用だ?」

「シャンガラを解放した礼として、本日の晩餐会に招待するためです」

「表向きは、な」


 いつもの冗談めかした声色はない。

 真面目なトーンでそう言った。

 トルーシャさんの片眉が上がる。


「どういうことでしょう?」

「とぼけるな。シャンガラを解放させたのは俺たちだ。俺はその情報を詰所の騎士に伝えた。だがそれから間もなく、お前は到着した」

「それがどうしたんですか?」


 私の率直な疑問に、ルガーさんは顎を引く。

 その答えを言う前に、後ろでバニラさんが声を上げた。


「あ! シャンガラから永年大槍まで馬車でも二日はかかった! なのに団長さん、街を解放してすぐに着くっておかしくない!」


 言われてみればそうだ。

 上りと下りなら高低差の問題で移動時間も変わってくる。だとしても、ここまでの距離を日単位どころか時間単位で来れるなんて、普通の馬だと考えられない。


「まあ、移動に使ったのが馬ではなく、別のものなら可能なんだがな」

「トルーシャさん、これってどういうことなんですか?」


 いくら問いかけても、彼女は答えてくれなかった。

 ただゆっくりと、腰の刀に手を添えていた。


「うん? 何か向こうが騒がしくないか?」


 ダッシュさんが耳をピクピク動かして、廊下を気にする。

 耳を澄ませてみたけど、これといって聞こえてこない。

 けれど次の瞬間ーー、


「うぎゃああああああ!?」


 とんでもない悲鳴がした。

 急いで立ち上がり、バニラさんと顔を見合わせる。


「ちょっと今のって!」

「はい! オボロさんの声ですよね!」


 ファントムさんの制御が利かなくなったのか。はたまた何者かに襲われたのか。その何者かがカイトさんかもしれないと思うと、脳裏にシュラウドくんが不意打ち合う光景が蘇る。


「行きましょう!」


 バニラさんとダッシュさんも立ち上がり、私はドアノブに手をかけた。

 しかしーー。


「心配はいらねぇ。ファントムがいる」


 着席したままのルガーさんが冷静に呟いた。

 対面に座るトルーシャさんは、いまだルガーさんの質問に対し応答はなかった。

 ずっと黙ったままで、まぶたも閉じている。


「諦めと沈黙は肯定を意味する」


 告げられたルガーさんの一言。

 それが何より答えだと悟った。


















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