第39話 家族

 〜10分後〜


「ようやく泣き止んでくれました」

「……す、すまぬ。手間をかけさせた」


 目元を腫らしたオボロさんが、私の腕の中から離れた。


「にしても随分な泣きようだったな。それほど長女になれて嬉しかったのか?」


 コンパクトモードを解除したダッシュさんの質問に、オボロさんは首を振った。


「そうではない。そうではないのじゃが……妙に暖かかったのじゃ」

「私の抱擁がですか?」

「誰かにあんなことをされたのは初めてじゃった。たとえ架空の家族だとしても、誰かに大切にされるというのは、悪くない経験であった」


 ……。

 何だろう、このモヤモヤは。

 まるで彼女自身が愛を知らないようだった。


「お主らに見せたいものがある」


 と言って、オボロさんはファントムさんを呼び出した。

 黒い煙が目の前に出現すると、ダッシュさんが警戒をにじませた。


「ノノ、離れろ」

「手出しはせんよ。黙って見ておれ」


 オボロさんを信じ、これから起こることを見守る。

 直後、天井から黒い液体が滴り落ちた。

 泥のようにドロドロしている。

 それは周囲の壁からも溢れて出ており、たちまち視界は闇に染まる。


「な、なんだこれは!?」

「慌てるな。足元を見ろ」


 ダッシュさんを落ち着かせたルガーさん。

 下を見ると、黒い泥が足元に到達していた。

 でも、靴は汚れていない。

 興味本位で落ちてきた泥に触れる。

 私の指をすり抜けて、そのまま床に落ちていった。


「これは虚像じゃ。触れることはおろか、お主らが干渉することも不可能に近い」


 周囲はすっかり泥に満たされ、元の子供部屋はどこにもなかった。

 真っ暗な場所に、私たちだけがポツンと立っている。

 光源がないのに互いの顔がハッキリ見える。

 この泥が現実のものでないと信憑性が得られた。


「これがファントムさんの力」

「恐れいったか? かく言うわしも、もっさんの力がどれほどなのか知らぬし、正直恐ろしい。さて、そろそろ映し出される頃じゃな」


 ふと、四方の壁に変化があった。

 闇色の中に、白いものが映っていた。よく見ると白いそれは、髪と服の色だった。


「あれは……オボロさん?」

「ーー」


 本人も何も言わないから、そうなんだろう。

 それぞれの壁に、オボロさんが映し出されている。

 それも暗い廊下を歩いているようだった。

 オボロさんに尋ねる。


「どこに向かってるんですか?」

「知らん。わしの実体験ではないからのう」

「じゃあ、これは一体……?」

「もっさんに見せられたものじゃ。たびたび夢に出てくる」


 確か前にそんなこと言っていた。

 家族に会いたいと、そう願ったオボロさんにファントムさんが見せた光景。


「あっ!」


 すると映像の中でオボロさんが転倒した。

 けれど、ただ転けたわけではなかった。

 苦しそうに呻いていた。

 さらには耳を手で塞ぎ、必死に何かを堪えているように見えた。

 時間が過ぎて手をどけると、今度は炎がオボロさんを囲んでいた。

 彼女は逃げなかった。

 結局は炎に包まれて、また辺りは闇に染まる。


「もっさん」


 その声で現実に引き戻された。

 床や壁を覆っていた泥は天井に吸い寄せられていく。

 時間が巻き戻されているようだった。

 泥に埋もれていた家具やカーペットも顔を出し、元の子供部屋になっていた。


「オボロさん、今のは?」

「それはこちらのセリフじゃ。もっさんに聞いてもわからずじまい」


 傍らに浮かぶファントムさんは、オボロさんを見下ろしていた。


「これは推測じゃが、さっきの光景はわしの過去に関係するものでないかと思っておる」

「過去って……」

「このゲームが始まる前ーーつまり、オボロになる前のオボロということか?」


 ようやくルガーさんが口にした。

 オボロさんは眉根を寄せる。


「この世界がゲームとな? まあ、どちらにせよ、わしが何者かの掌にいることは薄々感じておった。じゃが、今は置いておく。問題は、さっきの光景がわしになる前のわしが経験したことという仮説じゃ」

「待ってください。それだと辻褄が合いません! オボロさんが焼けちゃったなら、どうして今ここにいるんですか?」

「燃えてるように見えたが、実は生きてたとか?」


 ダッシュさんが考察する。


「あれが火事によるもので、後から誰かが救助にかけつけたら、オボロは死んだことにならない」

「それなら納得できますね。……あっ、わかりました」

「何がだ?」

「全部です」


 どこからどこまでを指す全部か、わからないといった風のダッシュさん。

 それはオボロさんも同じだった。


「何を閃いたのだ?」

「オボロさんの故郷が地獄ってことですよ!」

「わしに謝れ」


 小馬鹿にした目を向けられた。


「いえ、悪いものの喩えではありません。本当の地獄だったんです!」

「もうよい。付き合ってられん」


 覚悟してたけど、思ってたより突き返された。

 それでも挫けず伝える。


「思い出してください。この街がファントムさんに支配されたのも、オボロさんが家族に会いたいって言ったからですよね!」

「う、うむ。そうじゃ。その前に、なぜ地獄である必要がある?」

「この街の惨状ですよ。夜になると紅い月が出て、黒い城が建つ。そしてナイトメアも動き出す。地獄がどんな場所か見たことないですけど、誰もが思いつく地獄の風景にそっくりです」


 オボロさんは考える。


「つまり、もっさんは家族に合わせる前に、わしの故郷であった地獄を再現したと? 街一個を使ってまでも」

「そうです。そしてナイトメアの存在にもちやと理由があったんですよ!」

「理由じゃと? 外の生物を殺し回るのではなくてか?」


 私も最初はそう思っていた。

 でも、間違いだと気づいた。


「バニラさんですよ」

「なるほど」


 ダッシュさんも、私の考えにたどり着いたみたいだ。


「ナイトメアは、オボロさんの家族にふさわしい人を探してたんですよ! そしてそれが、バニラさんだった。だからバニラさんをここに連れてきて、オボロさんにとってのパパとママを用意しようとした」

「ナイトメアは殺戮兵器ではなく、パパとママを探す装置であったといいたいのか?」

「はい。殺すから血を求めていたのではありませ。パパとママの候補を見つけて、そうじゃなかったから殺されたんです。チェック項目に印をつけるみたいに」


 シャンガラに着いて間もなく、私たちはナイトメアに襲われた。

 その時、私たちに殺到するナイトメアの数は多かった。騎士団の馬車なら他にあったのに、すごい数が迫ってきていた。

 ルガーさんやダッシュさんといった強い力に引き寄せられているのかと思っていた。

 しかし、それは間違いだ。

 ナイトメアの狙いはバニラさんにあったのだ。


「バニラさんは無事ですか?」

「うむ。じ、じゃが返さぬぞ!」

「どうしてですか?」

「それは……」


 オボロさんは答えずらそうにする。


「ファントムさんの指示じゃないですよね? オボロさん個人の意見であって」

「……」


 オボロさんの手を握る。抵抗はなかった。

 隣からファントムさんの横槍もない。

 少しだけ、肩が震えていた。

 顔は俯き、髪で表情は窺えない。


「話してくれませんか?」

「あの娘と一緒におると、胸の奥が暖かくなる。初めての感情じゃった」


 透明な雫が床に落ちた。

 涙声のオボロさんは、ゆっくりと話す。


「今のわしに、家族との思い出はない。記憶もない。じゃが、バニラとおると家族を味えとる気分じゃった」

「オボロさん」


 私も家族については覚えていない。

 どんな人で、どこに住んでいるのかも覚えていない。

 いなくなった私を探してるかもしれない。

 心配かけてるかもしれない。

 でも、それだけだった。

 ルガーさん、バニラさん、ダッシュさんがいるから冒険の方に専念できた。

 おかげで家族を意識することはあまりなかつた。

 しかし、オボロさんは違った。

 ずっと一人で抱え込んできたのだ。

 家族に会いたいと、そう願うほどに。

 それがようやく叶おうとしている。


「オボロさん」

「何を言おうとバニラは返さんぞ!」

「ーーノノ!」


 ダッシュさんが叫んだ。

 後ろを見ると、首なし男が長剣を振り上げていた。ファントムさんが執行モードに入ったのだ。


「わしを邪魔するなら、たとえお主でも容赦はせぬ!」


 風を切る音がした。

 ファントムさんの剣が下されたのだ。

 ダッシュさんはこちらに急接近しているが、間に合わない。

 それに私は鎧を着ていない。

 ロクに鍛えてないこの細い体は、ほんの一瞬で切り裂かれる。


「オボロさん」


 だから私は、オボロさんを抱きしめた。

 私の肌に触れる手前で、剣はピタリと静止した。

 そこにーー。


「歯ぁ、食いしばれ!」


 到着したダッシュさんが拳を引く。

 ファントムさんに食いしばる歯はないが、剣を下ろしたままの状態なので、とっさに防御を取ろうと胸の前で剣を交差させる。


「ーーキングダムパンチ!!!」


 が、それもあっさりと砕ける。

 部屋に隕石でも落ちてきたくらいの衝撃が、背後で爆散。

 膨大なエネルギーに全身をなぶられ、弾丸のように吹き飛ぶファントムさん。

 壁を破壊し、さらに向こう壁を何枚も貫く音が聞こえる。

 何十枚目になっただろう。ようやく音はしなくなった。

 ダッシュさんは腕で汗を拭う動きをする。


「すっきりしたぜ」

「やりすぎですよ!」


 スペシャルスキルを使うタイミングがいつも絶妙すぎる。


「まともに言葉が通じない分、あれくらい力でわからせるべきなんだよ」

「なんですか、そのパワー思考は」

「あの状況を逆手に取り、オボロを盾にしたテメェが言うか」


 ルガーさんも来てくれた。


「何もしてない人に言われたくありませんよ。ダッシュさんみたいに助けにきてくれてもよかったじゃないですか!」

「こうなることを信じていた。だから何もしなかった」


 腕の中でモゾモゾとオボロさんが動く。


「よくもわしを利用したな……」

「いえ、ちゃんと愛のある抱擁です」


 嘘は言ってない。

 改めて彼女の目を見る。


「バニラさんは渡しません。代わりに、私がママになってあげます」

「とてつもなく魅力のない代替案じゃな」


 なぜか私の胸を見て言っていた。

 鎧を着てないので、胸のラインがいつもよりわかりやすい。

 平坦で真っ平らな。


「じゃあ、こういうのはどうでしょう。私がパパになります」

「なぜそうなる!?」

「胸に満足がいってないようなので」

「だとしても納得できん!」

「じゃあどうすれば……」


 差し出すものは何もない。

 どうしようかと頭を悩ませていた時。


「ーーずいぶんと好き勝手言ってるみたいね」


 ファントムさんが飛んで行った穴から、誰かが顔を出していた。

 見慣れた金髪、腕にはブレスレットがついている。

 見間違えるはずがない。


「ーーバニラ!」

「お。ダッシュじゃん。久しぶり」


 二人が再開する。


「バニラさん! 無事だったんですね!」

「まあね。部屋でヒマしてたら、急に何かが壁を突き抜けてさ。ひよっとしてと思って穴くぐってたら、ここに出た。てかアタシのことでだいぶ盛り上がってたね」

「聞いてたんですか……」

「厳密には聞こえてきた」


 そんなに大きな声で話していたのか。

 ともあれ、こうしてまた会えたのは思ってもみないことだった。


「ん? なにこれ?」

「これって……」


 バニラさんの腕に黒い煙がまとわりついていた。

 腕だけでなない。

 バニラさんを包み込むように黒煙が動いている。

 次の瞬間、バニラさんがすごい速さで引っ張られた。


「バニラさん!」


 オボロさんのところに連れて行かれる。

 その背後に、巨大な物体を見つけた。

 いや、あれは。


「ファントムだな」


 ルガーさんが断言した。

 オボロさんの背後に浮かぶ、黒くて巨大な人の上半身。

 頭はない。

 ダッシュさんが吹き飛ばしたはずのファントムさんが、新しい姿で顕現していた。

 黒い表皮から触手がウネウネ動いている。

 その一つにバニラさんが絡めとられていた。


「ギャー! 助けて! ダッシュ! ダッシュ!」

「あの野郎、まだ生きてやがったのか」

「あの程度で死ぬわけがなかろう」


 巨大化したファントムさんを従え、オボロさんが堂々と立っている。

 完全に勝ったつもりでいるらしい。


「私たちは戦う気はありません」

「ならば好都合。わしの夢の邪魔はさせん。ここで大人しく死に絶えるがよい」


 オボロさんは完全にやる気だった。

 いくら私が説得しても、今の彼女には通用しない。


「いいのか? 俺たちが傷つくとバニラは悲しむぞ」


 ルガーさんの助太刀が入る。

 珍しく武力ではなく、言葉で和解を求める姿勢だ。


「それは……」


 オボロさんはためらっていた。

 ファントムさんの動きもぎこちないものになる。

 それほどルガーさんの言葉は効果的面だった。


「年齢の割に賢いお前なら、これくらいわかるつもりでいたがな。俺たちの排除に意識が優先されすぎてて、理解が及ばなかったのか?」

「黙れ! 黙るのじゃ!」

「黙らねぇよ。おいバニラ」


 ルガーさんの視線が、触手に絡めとられたバニラさんにいく。


「な、なに? これ地味に湿っぽくて気持ち悪いんですけど。早く助けてほしいんですけど」

「お前からも言ってやれ。いい案、思いついてんだろ?」


 いい案? 


「あー、ないことはないかも」


 触手に不快な顔をしつつ、バニラさんはオボロさんを見る。


「えっと、よかったらアタシたちの旅についてこない?」

「旅じゃと? 永年大槍えいねんたいそうに行くというやつか?」

「そ」


 オボロさんは考えるように腕を組む。

 バニラさんの提案ということもあり、それなりの効果があったようだ。


「いいのか? わしも、お主らと一緒にいて」

「もちのろんさ! 旅の仲間なんて、何百人来ようが大歓迎!」


 いや、何百人はちょっと。

 それでも、この調子で押せばオボロさんはこちらにつく。

 バニラさんと同じく、これからのことを考えると旅の仲間はほしい。

 私からも提案してみよう。


「私も大歓迎です! 旅の中なら、私たちと一緒にいれますね!」

「一緒……」


 決断に渋るオボロさん。

 彼女の揺らぐ思いに影響してか、ファントムさんのサイズが一回り小さくなった。

 それにより触手の力も弱まって、バニラさんが開放された。


「よっと。あー、まだ感触残ってる。お腹の辺りがじめっとする」

「バニラ! こっちだ!」

「はいはい。わかってるよ、ダッシュ。でもその前に」


 ファントムさんは徐々に小さくなっていく。

 それでも警戒は緩めない。

 恐る恐るオボロさんに近づくバニラさん。

 ゆっくりと歩み寄り、手を差し出す。


「行こ?」

「いいのか?」

「当然でしょ。アタシたち、もう家族みたいなものじゃん」

「家族……」

「そっ。家族。どんなことでも一緒に支え合って生きていこ?」


 オボロさんの目が、私たちを順に見た。

 そして最後に、バニラさんを写す。

 また、わっと涙を流して。


「こんなわしでいいならっ……!」


 バニラさんの手を掴み取った。


「そんなオボロちゃんがいいんじゃん」


 二人はあつい抱擁を交わす。

 私の時よりも長いハグを。

 オボロさんはわんわんと泣く。

 おままごとでやった、母と娘が家族をやり直すみたいに。

 本物の親子みたいだとそう思った。


「もう、どれだけ泣くの」

「泣いておらん。この感情の抑える方法を知らんだけじゃ!」


 二人の頭上では元の大きさになったファントムさんが浮かんでいた。

 彼が何を思って二人を見ているのか。それは誰にもわからない。

 それでもオボロさんの新たな旅立ちを見守ってくれてるようだった。






































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