第35話 黒に願う

 ーー全ては唐突に始まった。


「……」


 地下空間に築かれた都市。耳にするだけだと、何とも作り物みたいに思えてしまう。

 都市は地上にしか存在しない。

 だが自らの足でその場に立ち、辺りに漂う土の匂いを吸い込めば、そんな固定観念はあっさりと崩れ去る。

 その衝撃で、ここが現実だと悟った。


「……」


 どうやらここは往来らしい。

 周りを人が行き交う。

 どう見ても人間ではないものもいる。

 顔は老けているのに、自分より背が小さい生き物。工具を担いで歩いていた。


 ーー「あれはドワーフ。この街では厚遇されている」


 誰かの声が脳に染み渡る。

 中性的な声で、性別はわからない。

 だが、その声とのは感じる。

 そして意識した。

 この体は、もう自分だけのものじゃないことに。


「ドワーフ」

「あん? なんじゃい?」


 無意識に口が動いてたようで、睨まれる。

 種族で呼ばれて気が立ったらしい。

 すぐに詫びて、先を行く。


 行く? どこに? 

 疑問が浮かぶ。

 邪魔にならない場所に移動し、考える。


「わしは、どうすべきなんじゃ……?」


 ーー「オボロ、君の望みは何かね?」


 また、頭の中で声がした。

 何者かに憑依ひょういされたみたいだが、悪いものでないと判断できる。

 根拠はない。


「望み……」


 ーー「あるいは、君の求めるものでもいい」


「うむ……わからん。お主なら、わからんか? わしが何を求めているのか」


 ーー「ーーーー」


「やはり、か」


 聞いてみて、声の性質がわかった気がした。

 この声は、この世界の知識を与えるものであって、道を示してくれるものではない。


「これからどうすればよいのやら……」


 不安が襲い、頭を抱える。

 こちらに足音が近づいてきた。


「おちびちゃん、大丈夫かね?」


 目の前に、中年のおじさんがいた。

 頭はハゲており、太っている。

 それでも服は上品に着こなせており、紳士っぽさを感じた。


「誰がおちびちゃんじゃ……」


 半目で睨むと、おじさんは朗らかに笑った。


「その様子だと、元気そうであるな! ところで、おちびちゃん一人かい?」


 ここは頷くべきなのだろうか。自分の中にもう一人別の誰かがいると言っても、信じてもらえそうにない。


 こちらの無言を、おじさんはどう受け取ったのか。

 おじさんは手を握ってきた。


「……触るでない。まさか変質者か? わしを狙った」

「まあ、そうなるわな」


 おじさんは苦笑する。

 そして、とんでもないことを言う。


「何があったのか知らんが、ウチに来なさい」

「……わしが叫べば、お主は児童誘拐で牢屋行き。その覚悟はできておるな?」

「おちびちゃん呼ばわりは嫌でも、児童なのは認めるんだな。叫びたいなら叫んでもいいぞ」


 呼んでも助けは来ない、とでも言いたげだ。


「どういう意味じゃ? うおっ!」


 おじさんに手を引かれた。

 強引に表に連れてこられる。


「ちょっ! 離せ!」

「離したら逃げるだろ?」

「逃げたいから離せと言ってるんじゃ!」


 そのまま手を引かれ、通りを歩いた。

 立派な犯罪スレスレなのに、おじさんは堂々としている。それが逆に気持ち悪い。

 意を決する。


「誰が助けて! このハゲオヤジに誘拐される!」


 周りに向けて精一杯叫んだ。

 何人もの人がこちらを注目。不安そうな目で、こちらを見る。

 そして、辺りは騒然とする。


 ーー終わりじゃ、変質者。


 おじさんは無事に逮捕されるだろう。

 こちらの勝ちを確信した瞬間であった。

 でも、その時、


「なんだオセットさんか」


 通りかかった青年が安堵していた。

 何かがおかしい。


「オセットさんが変なのって、いつものことじゃない。って、早くしないと仕事遅れちゃう!」


 やはりオセットさんとは、おじさんの名前なのだろう。

 女性は時間を思い出し、走り去ってしまった。

 代わりに、ドワーフの男が前に出た。


「オセットの旦那には世話んなってる。旦那が重度の変人ってのも、この街のみんなが知ってる。でもな、女の子の誘拐は街の外だと普通にアウトだかんな。まあ、今回は見逃してやる」

「は?」


 思わず声が出た。


 その後、誰も助けに来ることはなかった。

 おじさんは彼らに手を振り、機嫌よく進む。

 見捨てられた気分になりながらも、ついて行く。


「着いたぞ」

「……」


 街の中心まで来ていた。

 目の前には、巨大な門が構えている。

 中は広い庭に、大きな家が立っていた。


「ここが僕の家になる」

「金持ちか?」

「そんなところだな」


 そして、内側から門が開けられる。

 中に入って庭を通り、家の扉を開く。


「お帰りなさいませ」

「うむ」


 広い玄関にはメイドが出迎えていた。

 綺麗な人だった。

 怪訝な視線がこちらに向けられると、ため息をついた。


「旦那様の変態趣味もいよいよのところに来ましたか」

「誤解していないか? 元気なさそうにしておったので、連れて帰った次第」

「問題だらけですよ」


 街の人と違い、メイドは常識があるみたいで安心する。

 だが、


「まったく。用が済んだら、すぐあった場所に返してくださいね」


 裏切られた。


「おう」

「……」


 それから長い廊下を歩かされ、ある部屋に通される。


「僕の書斎になる。適当に座っててくれ」


 入り口近くのソファーに恐る恐る腰掛ける。

 奥には机と大きなイス。

 壁際には本棚があり、本がぎっしり詰まっている。


 おじさんは対面に座り、メイドがお菓子を運んできた。

 お茶とケーキを並べると、礼をして退室した。

 途中、メイドに助けての一言を言えばよかった。あれが助かる最後のチャンスであった。

 扉が閉まると、いよいよおじさんと二人っきり。ひどく緊張した。

 悪い人ではないが、普通の人でもなさそうだ。

 おじさんはお茶を飲むと、口を開いた。


「君、名前は?」

「オ、オボロ」


 本名ではない。

 あの白い空間で名乗ったものだ。


「オボロちゃんか。僕はオセット。一文字目が一緒だね」

「そ、そうじゃな」


 今日一番どうでもよく、世界一嫌な共通点だった。

 おじさんはケーキを一口で頬張ると、目を丸くした。


「食べないの?」

「……」

「毒とか入ってないよ?」


 毒の混入を疑っていたわけではない。

 食欲の問題だった。


「腹減っておらん」

「じゃあ、こうしよっか」


 おじさんはこちらのフォークを持つと、ケーキを半分に切り分けた。


「半分なら食べれるよね?」

「お、おう」


 おじさんは嬉しそうな顔をすると、自身のフォークで半分を口にした。


永年大槍えいねんたいそうで流行ってるだけあって、やはり美味しい。たくさん取り寄せといてよかった」

「えいねん……?」

「まさか知らないの? 帝国の都じゃないか。君、どこから来たの?」

「……」


 それはこっちが聞きたい話だ。

 できれば素性を詮索されて、怪しまれることは避けたい。

 なので話題を変える。


「お主は何者じゃ?」

「僕はここで都市長をやっている。だけど、人々から変人扱いされて困ってるんだよね」


 その割に笑顔なのはなぜだろう。


「ねぇ。庭に自分の像を建てるのって、どう思う?」

「む……変じゃろう」

「やっぱり」


 おじさんはニタニタと笑い、扉の方に目を向ける。


「何の質問じゃ?」

「いや、忘れてくれ。僕の知り合いにそんなことを宣うやつがいてね。今度、僕からも変とだけ伝えておくよ」

「そ、そうか」


 話も落ち着いたので、ケーキに手をつける。


「う、うまい……」

「だろ?」


 食欲がなくても、素直に美味しいと思える甘さだった。

 都で人気なのにも納得できる。


「で、オボロちゃんはあそこで何をしていたのかな?」

「何だっていいじゃろう」

「冷たいな。ところで、ご両親はどこに? この街に住んでるのかな?」

「ーー」


 ーーパパ。ーーママ。


「ん?」

「パパとママ」


 どうしてわさわざ、そんな呼び方をするのかわからない。ただ両親のことを聞かれただけなのに。


「ーーパパとママに会いたい」


 ーー「      」


 この願望が、内なるモノに呼びかけた。

 オボロの中で、何かが蠢動しゅんどうする。

 黒い煙が辺りを包み込み、闇だけが訪れた。


 だが依然として胸の奥には、何かが蓋をされて残っている。




















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