第32話 ナイトメアに遊ばれて
シャンガラの中心には都市長の邸宅がある。
夜、女王の城が出現する場所だ。
女王に目をつけられたこともあり、邸宅は普通の建物ではなくなっている。
扉の開閉は不可能。門を乗り越えることはできても、屋内に入ることは絶対にできない。
「内」と「外」という概念が、扉を境に強固になっている。
そんな邸宅を起点として、夜は禍々しい城へと姿を変える。
街を魔境へと変える、その元凶。
「ーーねえ、お腹空いた」
通常の方法では入ることができない内側に、のほほんとした声が上がる。
全身をクモの糸でグルグル巻きにされているバニラである。
身動きが取れないまま、壁に固定されている。
「…………」
部屋に常駐しているナイトメアは、バニラに反応して廊下に出た。
すぐに戻ってきた。
手には皿に乗ったホールケーキがある。雰囲気を作るために、ナイトメアはパティシエの帽子も被っていた。
「キモカワ系アニマルでも目指してるの?」
「…………」
無言。
腐ってこぼれ落ちそうな目が、バニラを見つめる。
「はあ……。ルームシェアの相手はうんともすんとも言わない爬虫類。せめて可愛い哺乳類がよかったな。まあ、悪いヤツじゃなさそうだけど」
「…………」
ここは都市長の書斎。
赤い絨毯が敷かれていて、本棚にはびっしりと本が詰まっている。
「無茶しすぎたかな。剣士で無双してやろうって考え自体、幼稚すぎだし」
昨夜のことを思い出す。
スペシャルスキルの効果時間が切れ、職業による恩恵を失ったバニラは、押し寄せるナイトメアを処理し切れなくなった。
ノノに借りていた剣は落とし、ナイトメアにはもみくちゃにされ、いつしか気を失っていた。
そして、目が覚めるとここにいた。
コイツと一緒に。
ケーキを持ったまま動かない。
「…………」
「あ、めんごめんご。お腹空いたって言ったのアタシだしね。食べるから、そんなじっと見つめないで」
「…………」
ようやく動いた。
こちらに近づいてくる。
襲われる、なんて発想はなかった。
街での彼らを知っていたから最初は怖かったけど、向こうは危害を加えてこない。
囚人と看守みたいな関係なのだろう。
試しに「頭がかゆい」って言ったら、素直にかいてくれた。
なお爪が尖りすぎていたので、頭皮が引き裂かれそうになったが。
それから、いろいろと要望をしたところ、あることを発見した。
糸を切ってくれや、ここから出してくれといった内容は聞いてくれなかった。
喉が渇いたとか、お腹が空いたとか、生存に関わるところだけは聞いてくれるらしい。
警戒心もすっかり解けて、今ではルームサービスのように扱っている。
ホールケーキが口に近づく。
「いや待って。これごといくの?」
「………」
ナイトメアの動きは止まる。
どう見ても一口でいけるサイズではない。
家族みんなで切り分ける大きさなのに、それを女の子一人で食べるなんて無理があった。
「ナイフで切ってくれたら嬉しいな」
「…………」
また廊下に出ようとする。
「ああ待って。ナイフならアタシ持ってるから」
調理用じゃないけど。
ナイトメアは進行方向を変え、ノロノロと接近。
拘束されたバニラをまさぐる。
「腰の辺りに……ちょっと!? どこ触ってんの! そこお尻じゃない! もうちょっと手前、ちょっ……! ーーそこ前!? 手ぇ入ってるから……ちょっと後ろ……うん、それ」
やっとナイフが取れた。
デリケートな部分を触れられ、バニラは頬を赤くする。
「よりによって初めて触られた相手がアンタって……」
「…………」
「そんな目で見てもダメだかんね。はぁ、疲れるわ」
それからナイフでケーキを切り分けるナイトメア。
不器用な手つきながらも、バニラの口に合う大きさにカットされた。
それをナイフで突き刺し、バニラの口に近づける。
「あーん」
舌を切らないよう注意し、食べる。
クリームの甘い味が広がる。
「うん、美味しい」
「…………」
また別のが用意された。
「何? お代わり? もう、これで体重増えたらアンタのせいだかんね。あ〜ん」
「…………」
「またぁ? もう、しょうがないな」
仕方なく、口に運ぶ。
もしかして、やめろと言わない限り永遠にこの動作を繰り返すのか?
「でもいっか。なんだか健気で可愛く見えてきちゃった」
いつか子供が欲しいなと思う。その時は、こんな世話の焼ける子がいいな。
「って、なにコイツに母性感じてるのかしらアタシ。子供どころか恋人すらいないじゃない」
差し出されたケーキを口にする。飲み込む。
「でも、コイツとなら別に……」
ワニと人間のハーフにゾッとして、頭をぶんぶん振った。
「いやいやないない!」
「…………」
「あ」
ナイトメアは残ったケーキを片付け、廊下に行ってしまう。
首を振った動作が、やっていることを中止しろと受け取ったのか。
「なんだか悪いことをしたな。向こうに感情がなくても、こっちが傷つく」
「ーーなら死神になってみない?」
バニラの隣で、女性が壁にもたれかかっていた。
「アンタ……」
「久しぶり」
部屋にはバニラとナイトメアしかいなかった。ナイトメアは出て行ったので、バニラ一人のはずなのだ。
蒼い槍を手にする女性は、ナイトメアと入れ替わるようにしてそこにいた。
いや、現れた。
「アナベル……?」
「そうよ、バニラ。どうしたの? そんな信じられないものを見る目」
「生きてたの……?」
アナベルは呆れたように息をつく。
「……人を勝手に死人扱いしないでちょうだい」
「め、めんご! でも、よかった。生きてたんだ……」
「だから、私がいつ死んだって?」
バニラはブレスレットの感触を感じる。
ノノとルガー曰く、これはアナベルの形見だそうだ。
バニラにしても、アナベルの死を間近で見た。
なのにすぐ隣で、彼女が悠々と立っている。
「でも、生きてるなら何でもいいよね」
「ーー目、覚ませよ」
バン! と鼓膜が吹き飛びそうな音がした。
紅いものが飛び跳ねる。
息を潜めて顔を動かすと、ルガーがいた。
バンドガンをこちらに向けている。
「ーールガーさん!」
その後ろで、ノノの声もした。
彼女は走り、バニラのそばで膝をつく。
頭を撃たれたアナベルに、涙を流す。
「どうして……どうしてここまでするんですか……」
「その方が手っ取り早い」
「アナ……ベル……」
バニラは死体に声をかける。
無論、返事はない。
ノノのすすり泣きしか聞こえない。
ーー鐘の音がした。
「え」
ゴーン、ゴーンと。
重い、腹の底に響く音が。
終末を告げる、終わりの音が。
「あ」
いつしか場所が変わっていた。
さっきまで部屋の中にいたのに、どこかも知らない真っ白な場所に。
見上げると、空があった。
果てしなく続く、
このままどこまでも飛んでいけそうな気がする。
でも、そんな暢気な感想を言ってはいられない。
「ルーー」
きっとノノはルガーの名を呼ぶつもりだったのだろう。
それは叶わなかった。
高速で飛んできた黒い何かが、ノノを存在ごと消し去った。
一瞬の出来事だった。
そこに生の残滓はない。
アナベルの死体ごと、黒い何かが抹消した。
「ルガー!」
突然の事態にバニラは叫ぶ。
ルガーなら、もしかしたら状況を覆せると信じていたから。
しかし。
「ルガー?」
彼は銃を手に立ったまま、空を見上げていた。
バニラも彼の視線を追う。
空は蒼かった。
ほんの一瞬前までは。
今、空は紅い。
この世の終わりみたいに。
「ーーーーーーーー」
「それ」はいた。
ルガーとバニラの見上げる空に。
一口で空を呑み込めそうなほど、巨大な「それ」が。
「それ」を一言で表すならーー獣だった。
骨格は、既存の生物で例えるならカエルが近い。
紺色の表皮には星のように無数の白点がある。
開かれた巨大な口には、おびただしい数の歯が生え揃っている。
目は存在しない。
そのことから、バニラはあることに思いを馳せていた。
視力のない生き物は、それを補うべく、代わりに他の感覚が優れていると。
「あれは……?」
全身の白点に動きがあった。ただの模様ではなかったらしい。
無数の点が蠢き、孔のようなものが出現する。
そこから黒い瘴気が漏れていた。瘴気は風に乗り、バニラたちのところへ流れる。
一番に浴びたルガーは平然としていたが、バニラは違った。
「あああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
脳が焼けるような激痛が走った。拘束されたままなので、頭を振り回してもがき苦しむ。
肉体的な痛みだけではない。精神にまで何かが流れ込む。
感情を司る部分が掻き回され、これまで経験してきた喜び、悲しみ、嫉妬、憎悪、それら全てが奔流となって駆け巡る。
精神が狂わされる思いだった。
その瘴気も風に流れて消えてしまった。
奇跡的に意識を保てたバニラは、あれを受けてなお平然としたままのルガーを見る。
どうやら「あれ」と戦う気はないらしい。
だが「あれ」に猶予を与えてしまう。
また鐘の音が鳴った。
ルガーが消えた。
ノノと同じように。
「何なのよ、これ……」
失意の中にバニラは求める。
次は自分の番だと。だから、彼を求めた。
頭にフワフワした感触がする。
「ーーよう」
「ダッシュ……」
やっと届いた。
この状況、バニラが渦中にいるのに、彼が馳せ参じないなんてことは考えられなかった。
「行ってくる」
「うん。全部、終わらせて……」
「ああ」
軽く頷き、バニラに背中を向ける。
拳をパキパキ鳴らし、呼吸を整える。
獣と対峙する。
そして。
「キングダムーーパンチ!!!」
…………。
何もかもが真っ白に染まる。
展開がどう転んだのか見届けられていない。
あるいは、そんなものすらなかったのかもしれない。
全部が幻想で、悪い夢で。
「ん……」
目を開く。
最初の部屋にいた。
白い場所も蒼い空もどこにもない。ノノたちやあの獣も。
バニラだけだ。
「やっぱり悪い夢だったんだ」
安堵する。
それにしても何のために、こんな部屋に閉じ込められているんだっけ。
「ねぇ、アタシを捕まえて何がしたいわけ?」
部屋の入り口に誰かいた。
バニラはナイトメアかと思って話しかけた。
返答を期待してたわけではないけど、今は話し相手が欲しかった。
しかし、違和感がある。
「誰……?」
輪郭からしてナイトメアではない。
身長からして子供だろうか。
さっきの出来事を除いて、部屋にナイトメア以外が訪れるなんて初めてだ。
小柄な影はバニラの元に進み出る。
目の前に近づくと、それは女の子だった。
バニラよりも年下だろう。
見た感想は「白い」ということだ。
白いノースリーブの服に、こっちも白いミニスカート。
病的なまでに肌は白く、裸足で靴は履いていない。
髪は絹を束ねたかのように銀色がかっていて、足まで伸ばされている。
ただ目の色だけは黒く、虚な目がバニラを無感情に見つめていた。
「…………」
「…………」
「いや、なんか言ってよ」
子供とはいえ、初対面の人に見つめられては緊張してしまう。
しかも無言のまま。
「まさかさっきのワニが子供に化けたとかじゃないよね……?」
「誰が子供じゃ」
「喋った!?」
小さい声だったけど、今確かにこの子が口を開いた。
「お名前は……? お父さんかお母さんはいないの?」
「だから子供扱いするな」
「えへ、可愛い」
どうやら、ちゃんとした人間らしい。
「でも、どうしてこんなところに? あっ、もしかしてアタシみたいに連れ去られたとか?」
「ちょっと様子を見にきただけじゃ」
「じゃって……」
年寄りみたいな話し方をする女の子に、バニラは戸惑う。
「様子を見にきたって、アタシを誘拐したのってキミ?」
「………」
「いや、だから何で黙るの!」
「わしの本意ではないからな」
「?」
本意ではない。
誘拐犯は別にいるのだろうか。
どちらにせよ彼女は犯人側の人間ということか。
「ねぇ、アタシをどうしたいの?」
「さあ」
「ダッシュって知らない? アタシの仲間なんだけど。犬の見た目した」
「昨日、城を荒らしてたのう。お主の仲間じゃったのか」
「え! ダッシュ来たの!」
「話で聞いただけじゃ。謁見の間にたどり着く手前ですぐに追い返されたらしいがのう」
「そうなんだ」
バニラを助けるべくダッシュは訪れた。
ダッシュが生きていることを知り、安心する。
ノノとルガーも無事かもしれない。
それだけでも希望が湧いた。
こんなところにいる場合ではない。
ダメ元でも説得してみよう。
「ねぇ、そこにナイフがあるでしょ? それでこの糸切ってくれない?」
「逃げたところで、外には出られんよ」
「またまた冗談を。お願い、言うこと聞いてくれたらお菓子買ってあげるから」
「お菓子……」
わかりやすく食いついた。
「そうお菓子。安いのから高いのまで何でもお姉さんが買ってあげるよ。何が好き?」
「モナカ」
「渋いね〜」
「あとわらび餅」
「うん、どこに売ってるか知らないけど、ここから出してくれたら一緒に探すから」
女の子がナイフを取った。
「そう、早く早く。早くしないと怖いワニがやって来て食べられちゃうよ」
「怖いって、どのくらい?」
「う〜ん……」
ふと、女の子の背後に目がいった。
そこにあるのは女の子の影……なわけなかった。
ほぼ光のない室内、とてもではないが影はできにくい。
じゃあ、あれは何だ?
黒くて、真っ黒くて、暗闇で、煙のような何が彼女の背後に佇んでいる。
人ではない。生き物ですらない。
口を突いて出た。
「あれくらい」
女の子は振り返る。
「あっ、もっさん」
見た目と名前のギャップが強烈な何かは、女の子の声に反応してユラユラ揺れる。
闇の一端は、女の子の持つナイフに重なった。
「ふむ……? 殺す気はない。逃してくれたらお菓子を買ってくれると言われた」
「ーーーー」
「なぬ!? 利用されていた! このわしが!」
どうやって会話してるのか知らないけど、もっさんにバラされてしまった。
女の子に睨みつけられる。
「騙したな」
「違う! 本気で買ってあげるつもりで!」
「タイミングを見て逃げるつもりだったと、もっさんは言っている」
……何でわかった!
「図星か?」
「近くに売っているお店があったら買ってあげるつもりでした」
「騙したな!」
もう言い逃れできなかった。
あの暗闇がまた揺れる。
「お? もう夜が来る? じゃあのう。いつもの任せた」
女の子の声で、影は床に吸い込まれるかのように消えた。
二人っきりになる。
「今の何?」
「お主で言うのところダッシュじゃよ」
「てことはキミ冒険者?」
「そんなとこじゃ」
女の子は扉に向かう。
取手に触れたところで、こちらに振り向いた。
「これ、返しておく」
近くの柱にナイフを突き立てた。
「あ、ありがと」
「じゃあのう」
そして退室した。
入れ替わりで、パティシエ帽を被ったナイトメアが入室した。
何をするでもなしに、部屋のど真ん中に立っている。
「それ、仕舞ってくれない?」
「…………」
柱に刺さったナイフを示す。
ナイフを抜いたナイトメアは、バニラの鞘に仕舞おうと急接近。
「いや、だからお尻触んな! そっちは前! ワザとやってんでしょ! この変態ワニ! そう、そこでいいの……全く」
お約束展開を終え、何とかナイフは収納。
またナイトメアは定位置に待機。
「はあ。ノノ、ダッシュ。ルガーでもいいから早く助けて。勇者の助けを待つお姫様って、こんな気持ちなのかもしれないわね」
それからボーッと時間を過ごす。
それにしても、あの現象は何だったんだろう。
ノノとルガーも消え、正体不明の生物が空からやってくる、あの光景は。
本当に幻だったのだろうか。あるいはこれから起こるーー。
「ふぁ〜、ねむ」
もう疲れたので、この微睡に身を委ねることにした。
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