第14話

 そこは紫煙で満たされた閉鎖空間だった。

 外の光は分厚いカーテンによって意図的に遮断されている。

 外界と繋がるバイパスは全て閉ざされており、外で走っているはずの車の音も聞こえない。


 室内を照らすのは天井にある淡い関節照明と、使い古されたラシャを照らすためだけに低い位置に設置された蛍光灯。

 そして店の脇に設置されたダーツ台が放つネオンのような彩光のみ。


 そんな中で俺は……


「行くよっ! スーパーウルトラギャラクティカシュートッ!!」


「やりますね里奈先輩! それなら私はシャイニングフラッシュアサルトスローッ!!」


 意味不明にアクロバティックな技を眺めていた。


 ちなみに彼女達がやっているのはダーツだ。

 円形のカラフルな模様がついたボードに一定の距離から小さな矢を投げて得点を競うあのダーツである。

 決してこんな大袈裟に小さな矢を投げつける競技ではない。


 ないのだが……


「よっ! 待ってました!」

「すごい技の応酬だ!」

「俺ももう少し若かったらなぁ!」

「咲ちゃんもすごいが、一緒にやってる娘も中々だな」

「今のは十点満点ですね」


 なぜか他のお客さんを巻き込んでお祭り騒ぎになっていた。


 もちろんダーツに芸術点は存在しない。

 二人がやっているのはゼロワンというゲームだ。

 普通に投げるのでも十分な種目である。


「はぁ……はぁ……中々手強いですね」


「さっちゃんもね!」


 二人は汗を拭いながら互いに讃えている。


 当然ながらダーツは汗をかくスポーツではない。

 極限の集中状態にあるプロとかなら別かもしれないが、ここで行われているのは単なる遊びである。


 ちなみに俺はというと、違う意味の汗をかいていた。

 冷や汗だ。


 今更人目を気にしてとかではない。

 とにかく辛い状況だ。

 それを必死に耐えている。


「あっくん、もう少しだからね! 頑張って!」


「吹っかけた私が言うのもなんですけど、飛鳥先輩ちょっとかわいそう……」


 ちなみに俺を憐れな目で見ているのは広井ひろいさきという後輩だ。

 紆余曲折あって今の俺達はこいつに用があるんだが……


 あ、やばいそれを説明できる余裕がない。

 もう我慢できない。

 我慢しすぎで走馬灯でも見そうな勢いだ。


 あ……で、で……る……


 $


 エリカの案内でビリヤード店にまで来た俺達は、恐る恐るその中へと入った。


 店の中はかなり暗い。

 灯りはあるが、意図して暗めにしてあるようだ。

 オシャレな感じだな。


 すぐそこにビリヤード台が並べられており、客もそれなりにいる。

 そのほとんどが大人だ。

 みんな静かにビリヤードをしている。


 暗さも相まって重苦しい雰囲気を感じる。


「いらっしゃいませ。初めてですか?」


「あ、はい」


 雰囲気に尻込みしていた俺達を出迎えてくれたのは、店の雰囲気とは全然違う爽やかなお兄さんだ。

 その店員さんの笑顔に緊張が少し緩む。


 この人が店員さんでよかった。

 渋いおじさんが出てきたら本格的に逃げたくなっていた所だ。


「ビリヤードとダーツ、どっちにします?」


「あーっと……」


 どうやらダーツもできるらしい。

 確かに店の奥の方にダーツ台があり、遊んでいる男女のカップルがいる。

 ……女の子の方はうちの制服を着ているな。

 学校から近いしそれ自体は不思議ではない。


 さて、店員さんにどちらか聞かれたものの、俺達の目的は遊ぶことじゃない。

 エリカが感じた邪気の残滓なるものの正体を掴むためだ。

 なのだが、何もしませんと言うわけにもいかないだろう。


 しかし俺に決定権があるわけでもないので俺達をここに連れてきた張本人を見ると、俺の意を察してかエリカが前に一歩出る。


「ここに悪――むがむひょむにょー!」


「ちょ、ちょっと待ってください」


 俺は咄嗟にエリカの口を押さえた。

 今こいつ悪魔とか言おうとしてたぞ。


 そういえばエリカは俺と初めて会った時も悪魔がどうとか言ってたんだった。


 店員さんのいるカウンターから店の入口まで下がった所でエリカの口を押さえていた手を離す。


「ちょっと何するのよ! こういうのも嫌いじゃないけど!」


「何してるはこっちのセリフだ。あとサラッと性癖暴露すんな!」


 他のお客さんからの視線が痛い。

 今時の若い者は的な目で見られてるぞ。


「あのな、いきなり悪魔だとか言って通じるわけないだろ」


「単刀直入に言った方が早いじゃない」


「ツンデレ属性持ちが何を言ってやがる」


 そう言うなら普段からもうちょっと素直になってほしい。

 めんどくさいよ。


「その邪気の残滓ってやつはどの辺から感じるんだ?」


「……あの二人から感じるわね」


 エリカが示したのはダーツコーナーにいる男女のカップルだ。

 女の子はうちの学校の生徒で、髪型はショートカットにしている。

 男の方は私服で……年齢は大学生かもっと上だろうか。


 これは大丈夫な組み合わせなのだろうか。

 高校生の少女が大人の恋に憧れてごにょごにょしているやつなのでは。


 ともかく、その邪気の残滓がさっきのツインテール悪魔のものであるならば、二人は何かしらの被害を受けている可能性がある……ってことなんだろう。


 しかしあの女の子の髪の長さではツインテールにできそうもないし、男の方もツインテール好きには見えない。

 いや、悪魔はもう倒したから呪いは解かれてるのか。

 とにかく二人とも何か呪いを受けたようには見えない。


「何も異常はなさそうだが」


「そうね、でもまだ分からないわ。どちらかが新手の悪魔の可能性もある」


「ふーむ、そうも見えないが。まぁとりあえず近くで様子でも見とくか?」


 どっちにしたってこのまま帰るのは微妙だし。

 元々今日は息抜きするつもりだったわけだし、ちょっとくらい遊んでもいいだろ。


 と、いうことで爽やかな店員さんに改めてダーツを申し込み、ダーツコーナーに案内してもらった。


「遊び方は分かります?」


「あ、私分かるよっ」


 店員さんの質問に自信満々に答えたのは里奈だ。

 そういえば里奈の家にはダーツボードが置いてあったな。

 でも店に置いてあるような立派な物ではない。


「機械の使い方も分かるか?」


「うん、パパにたまに連れてきてもらうの」


 それは俺も知らなかった。

 大聖さんダーツとかやるんだな。

 だから家にボードなんて置いてあるのか


「実はマイダーツとか持ってたり?」


「一応持ってるけど今は家だよ。なのでハウスダーツ貸してくださいー!」


「はい、三人分でよろしいですか?」


 おお、なんかそれっぽいオーダーを里奈がしている。

 ハウスダーツってなんだ。


 ともあれ、里奈は場馴れしてるようなので店員さんとのやり取りは任せることに。

 店員さんは最低限の説明らしいものを里奈にして、三組のハウスダーツとやらとドリンクメニューを持ってきてくれた。

 ここはワンドリンク制らしい。

 ダーツを始める前に三人で一枚のドリンクメニューを眺める。


「あっ、ラブラブコーラってのがあるよ! 私これ!」


「なんじゃそりゃ」


 名前からして嫌な予感しかしない。

 里奈が指す場所を見ると、そこには大きなグラスにストローが二本差してある画像が貼られている。

 つまりカップル向けの、ひとつのグラスで二人で飲む用のやつだ。

 大人な雰囲気のお店なのにこんなのも置いてあるのかよ。


「ってかワンドリンクなんだから二人用の飲み物頼むなよ。俺も別の頼むんだから」


「あっくんなら大丈夫だよ!」


「なにその無駄な信頼。そんなに飲めないよ」


 お腹たぷんたぷんになっちゃう。


「えへへ、一緒に飲もうね」


「ちょっとだけな。俺はコーラ以外頼んでおくか」


 里奈と食べ物飲み物をシェアするのは今更だし。

 他に飲みたいのあるけどコーラも好きだし。

 一石二鳥である。


「私もそれにするわ!」


「おいこら便乗するな」


「か、勘違いしないでよね! 一人で飲むつもりよ!」


 絶対そんなことないじゃん。

 エリカのツンデレパターンはもう見切っているのだよ。


 とはいえ、里奈はともかくエリカとの飲み物のシェアはいかがなものか。

 呪いが解けて俺への好意がなくなったら後でぶっ潰されそう。


 仕方ない。

 コーラは諦めよう。

 里奈のコーラだけもらってエリカ一人で本当に二人分のコーラを飲ませるのはなんか不憫だ。

 里奈にもエリカと同じ思いを味わわせればいい。


 いや、でもな……

 コーラが飲めないと思うと途端にコーラが恋しくなってくる。

 うーんどうしようかな。

 やっぱり里奈とエリカから一口ずつもらおうかな。

 口を付けないとそれはそれで二人から文句言われそうだし。

 いやしかし……


「お兄さんはどうしますか?」


 決めあぐねている俺に店員さんが問う。

 俺は迷いに迷った挙句、こう答えた。


「コーラください。普通ので」


「「…………」」


 なぜか二人の視線が刺さる。

 おかしいな、心当たりがない。


 いや、ここまでの俺の思考を言葉として伝えればきっとこんな感じで睨まれる気もするんだが、口に出してるわけじゃないし。


 まぁたまたまだろう。

 そんなことより俺達にはやらなければいけないことがあるのだ。


「…………」


 隣の台で遊んでいる男女の方を見てみると、こちらのことなんて気にした素振りを見せずにダーツに集中している。


 素人目だが二人とも上手だ。

 フォームが様になっている。


 二人がダーツを的に当てる度、ダーツ台上にあるディスプレイの数字がどんどん減っていく。

 とうとう女の子がその数字をゼロにした。


「やったぁー! 私の勝ちですね!」


「くそーやられた。咲ちゃん上手くなったなぁ。約束通りなんでも奢るよ」


「にひひ。それなら特製パスタで!」


 どうやら何か賭けて勝負をしていたようだ。

 勝った女の子の方の顔は明るい。


「てんちょーさん、特製パスタください! 大盛りで!」


「はい、少々お待ちを」


 女の子は元気よくカウンターに向かって注文する。

 その相手はさっきの爽やかな店員さんだ。

 店長さんだったんだな。

 爽やかな店長さんに昇格だ。


「お代は俺に付けといてね。んじゃ俺は戻るわ」


「はい。ではこちらの台でいいですか?」


 ダーツ勝負していたお兄さんはあっさりとビリヤード台の方へ行く。

 戻ると言ってもビリヤードの方へ戻るってことらしい。


 女の子とお兄さんは大人な関係なのかとも思ったが、こうもあっさりしてるとそうでもないのかもしれない。

 会話から感じる距離感も恋人って感じではなかった。


 女の子の方は勝ったのが嬉しかったのだろう、一人でニコニコしながら料理が来るのを待っていた。

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