第2話

 放課後。

 俺はお隣さんである里奈の家にお邪魔しており、リビングのソファに里奈と並んで座っていた。


「別にあっくんの家でも良かったんじゃない? というか、私はあっくんの家が良かったな」


「襲われちゃうかもしれないだろ」


「襲ってくれてもいいんだよ?」


「俺襲われる心配してんだよ」


 何故に男の俺が襲われる心配しないといけないのか。

 そうは思うが今の里奈はハメが外れている状態だ。

 油断はできない。


「あっくんは紅茶で良かったかしら?」


「香織さん、ありがとうございます」


「あら、お義母さんって呼んでくれてもいいのよ?」


「呼びません」


 里奈の母親――香織さんが紅茶を運んでくれる。

 なんだ今のリクエストは。

 完全に外堀埋まってんじゃねーか。


 にこやかに話しかけてくる香織さんの要望は華麗に拒否しつつ、ありがたく紅茶を受け取る。

 香織さんの所作はひとつひとつが丁寧で、思わず見惚れてしまいそうになるほどだ。

 外見も俺の親世代とは思えないほど若く見えるし、二十代だと言われてもなんの違和感もない。

 里奈が大人になったらこんな風になるのかなぁなんて想像が働いてしまう。


「むー、あっくんママのこと見すぎ」


「母親に嫉妬すんなよ」


「あら、そんなに見られると私も照れちゃうわね。でも里奈に嫌われたくないから退散するわ」


「そーだそーだー」


 里奈は頬を膨らませて香織さんが席を外すことに賛成している。

 だが、そういうわけにはいかない。


「いや、全然いてくれて構わないです。というか、是非いてください」


 俺が里奈に襲われるかもしれないので。


 香織さんも俺の秘密は知っている。

 だからこれから俺が里奈の解呪を試みるのを見られることになんの問題もないのだ。

 昔から家族ぐるみで付き合いがあったし、実は俺が里奈にカミングアウトするよりも早く知っていたらしい。


「それじゃ、満場一致のようだしまた後でね」


「俺の意見が加味されてないようですけど?」


 今、いてくださいって言ったばかりだよ?

 聞こえてなかったのかな?


「どちらにしても、私はパパを迎えに行ってこないとなのよ。あ、あっくん夕飯も食べてくわよね? 用意するから」


「いや、そこまでお世話になるわけにはいかないです」


 俺だって簡単な料理くらいはできる。

 それに里奈の親父さんとは少し顔は合わせづらい。

 できるだけやんわりと断りを入れる。


「あら、楽しみだなんて嬉しい。腕を振るうわ!」


「やっぱり俺の意見が加味されてないんですけど?」


「それじゃあね! 後は若い人達だけで楽しんで!」


「俺の話を聞いて!?」


 そして香織さんはそのまま居間を出て行ってしまった。

 里奈と二人きりを避けるためにここまで来たのに意味ないじゃん。


 どうすんだよこれ。

 そう言いたくなるが、もうどうしようもないな、これ。


 ……仕方ない。

 香織さんが帰って来る前に終わらせよう。


「もーママったら。もうちょっとあっくんの話聞いてもいいのにね」


「里奈も俺の話を少しは聞いてくれると嬉しい」


「うん、なんでも聞くよっ。あっくんの話ならなんでも聞きたいもの!」


「そうか、じゃあ里奈の気持ちは偽物だってことをまず自覚してくれ」


「え、あっくんの好きな所? 多すぎて答えられない!」


「三秒前の自分の発言覚えてるか!?」


 ちくしょう、いちいち付き合っていたら話が先に進まない。

 とにかくやるべきことをやらねば。

 早くしないと香織さん達が帰ってきてしまう。


「とにかく始めよう。ちょっと静かにしててくれ」


「うん、分かったよ」


 俺は隣に座っている里奈の方を向き、目を閉じて集中する。


 えーと、魔力の操作だな。

 前に親父に教えてもらったことを思い出しながら、いつも一人でやってる訓練のつもりで……

 身体の奥底からなんか引っ張ってくるイメージだ。


「ん……」


 すると目の前にいる里奈から声が漏れる。

 もしかして何か影響を与えたのだろうか。

 こんなに簡単だったのか?

 一人でやってても手応えなんて感じたことがないからよく分からなかったのだが……


 里奈の様子を確認するために目を開ける。

 そこには目を閉じて、俺に向けて口を尖らせている里奈の顔があった。


「おい」


「あいたっ」


 俺は顔を引くと同時に里奈のおでこにべしんと平手を食らわせる。


「どさくさに紛れてキスしようとすんな」


「チャンスだと思ったんだもん」


「油断も隙もないな!」


 里奈は俺に打たれた場所を両手で押さえて痛みに耐えているが完全に自業自得だ。


 そんな様子を無視して俺は上から里奈の細い肩をがしりと掴んで腕を突っ張らせる。

 これで里奈は容易に身動きが取れない。


「へっ? そ、そんな……あっくん、そういう強引なのも嫌いじゃないけど……」


 突然のことに里奈は痛みも忘れて目を見開くが、残念ながら里奈が期待しているようなことはしない。


「んー! あ、あれ? あっくん、動けないよ?」


「うん、そのために押さえつけてるから」


「もしかしてそういうプレイ!?」


「違うよ!?」


 どんだけ前向きなんだよ。

 どうやったらこれがプレイとして成立するんだ。


「里奈も目を瞑っててくれ。俺がいいよって言うまで」


「わ、分かった……!」


 こうして押さえつけた上で目を閉じれば里奈もそうそう変な言動はしないだろう。

 そう思ってこうしたのだが……


「んー……」


 里奈は懲りずにさっきのキス顔で俺を待っている。

 なにしとんねんこいつ。


 俺がじっくりと顔を見ても、里奈は動く気配はない。

 しかしこうしてまじまじと見てみると本当に美人になったな。

 少し化粧なんかして色気も出てる。

 リップで潤されている薄い唇が艶めかしい。


 思わず突っ張った腕を緩めて顔を近づけそうになる。

 すごい吸引力だ。

 ダイ○ンか。


「…………」


 いかんいかん。

 俺が魅了されてどうする。


 里奈は今魅了されているだけだ。

 その時の記憶は残り続ける。

 ここで俺がキスでもしてしまえば正気に戻った里奈は傷付いてしまうだろう。

 俺はそんな男になりたくはない。


 気を取り直して解呪をせねば。


「よし、行くぞ」


「うん……いつでも、来て」


 そっちの意味じゃねーよ。


 里奈の思わせぶりな言い方にまたツッコミを入れてしまいそうになったがスルーする。

 集中だ、集中。


 $


 約一時間が経過した頃。


「里奈、俺のことどう思う?」


「大好きっ!」


「だよなー……」


 試行錯誤しながら解呪を試みたのだが、全く効果は見られなかった。

 かれこれ十年近く魔力コントロールの訓練をしてきて今まで成果が上げられてないわけで、当たり前っちゃ当たり前か。

 いきなり成功しちゃっても困る。

 いや、それならそれで嬉しいけど。


「もう目を開けていい?」


「ああ、ありがとな。ってかよく一時間耐えたな」


 里奈は律儀に俺の言うことを守ってずっと目を瞑っていてくれた。

 こんな指示をずっと続けてしまうのが魅了の怖い所だ。


「そういうプレイだと思ったら全然平気だったよ」


「理由が生々しいわ」


 せめて「あっくんの為なら〜」みたいなことを言ってくれ。

 それはそれで申し訳なくなるけどさ。


「里奈にそっちのがあるとは思わなかった」


「あっくんの為ならエムにもエスにもなれるよっ!」


「オブラートに包んだ俺の気遣いを返せよ!」


 しかもこの流れで「あっくんの為なら」と言われても全く嬉しくない。


「あっくんがそうして欲しいなら私も攻めに回るよ?」


「遠慮させてください」


「いきなり敬語!?」


 だって嫌だし。

 一時間目を瞑り続けるとか無理。

 そうじゃなくても無理。


「まーとりあえず休憩しようぜ。俺も疲れた」


 なにせ俺もずっと里奈の肩掴んでたから。


 油断すると里奈は抜け出そうとするから全く気を抜けなかったのだ。

 なんで解呪を試みながら水面下でこんな攻防せにゃならんかったのか。


「それなら紅茶入れ直してくるね」


「おう、ありがとう」


 ソファにぐたりともたれかかる俺を見て、里奈はテーブルのカップを持ってキッチンの方へと歩きだす。

 里奈はこういう細かい気遣いもできる系女子なのだ。

 魅了されて見境さえ無くさなければキュンとくるのに。


「うーん……」


「どうした? ある物で全然構わないぞ」


 里奈はキッチンの中へは入らず、その周辺で何か探し物をしている。

 紅茶の茶葉が見当たらないのだろうか。

 別に紅茶に拘りはないし、他の飲み物でも構わない。

 むしろ飲み物を出してもらえるだけありがたい。


「裸エプロンしようと思ったんだけど、エプロンどこやったっけなって」


「余計なオプションサービス付けんな!」


「全裸は流石の私も恥ずかしいよお」


「エプロンをオプション扱いしてるわけじゃないよ!?」


 いや見たいけどね、裸エプロン。

 こっちとしては全裸よりも裸エプロンの方がいいまである。

 そんなことはさせられないが。


 結局里奈はエプロンを諦め、制服姿のままで紅茶のお替りを淹れてくれた。

 早速手をつけてみる。

 うん、うまい。


「はぁ……しかしどうしたもんかな」


「何を?」


 里奈は俺の隣に戻り、同じく紅茶を飲みながら質問を投げかけてくる。


「解呪だよ。なんか上手くやれる方法ないかなって」


「あっくんパパに聞いてみたら?」


「今向こうは深夜だからなぁ」


「あーそっか。時差があるもんね」


 親父は海外にいるので当然時差がある。

 日本での夕方は向こうの深夜だ。

 この時間に電話しても文句を言ってくるような親ではないが、連絡が繋がれば解決するわけでもない。

 結局は俺自身がなんとかしないといけないし、アドバイス自体は一緒に暮らしていた頃からもらっている。


「私のパパに聞いてみるとかは?」


「うーん……他に頼れる人もいないのは間違いないが……」


 里奈の父――大聖さんは教会の神父さんだったりする。

 ちなみに香織さんはシスターさんだ。

 二人は悪魔と戦ったこともあるらしい。


 戦う神父さんだな。

 うん、これもよくある話だ。

 作り話なら。


 ともあれ、そんな人が悪魔であるうちの親父と家族ぐるみで付き合うほど仲がいいというのも変な話なのだが昔に色々あったらしい。

 その辺の事情は詳しく聞いてないから分からない。


 親父にも何かあれば大聖さんに相談するようにも言われている。

 神父さんが悪魔の魔力制御のことにも詳しいかは分からないが、何か知ってる可能性は十分にあるだろう。


 しかし、俺が里奈にやったこと――呪いを掛けてしまっていることは大聖さんにとっては大事な一人娘を害しているのと同じだ。

 正直に言えば面と向かうのが怖い。

 かれこれ一年以上は正面から話をしていないのではないだろうか。


 大聖さんは里奈のことを目に入れても痛くない程度には溺愛してる。

 真剣に付き合ったとしても恐れ多いのに、それがチートみたいな魅了で娘をかどわかしてるなんてなったら刺されても文句は言えない。

 里奈曰く大聖さんの外堀も埋まってるらしいが、どこまで本当なんだか……


「でも、いつまでも逃げるわけにもいかないよな……うん、大聖さんに相談するか」


「うんうん、それがいいと思うよっ。パパもあっくんに会いたがってたし」


 よもや成仏させてやるとかそういう話じゃあるまいな。

 いや、悪魔だから浄化になるのか?

 よく分からん。


「ただいまー」


「あっ、ちょうど帰ってきたみたい」


 玄関の方から扉が開く音がする。

 それと共に香織さんと大聖さんの声も。


 やべ、めちゃくちゃドキドキしてきた。

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