微笑むは恋人

「アークライトには良く行くんですか?」

「マスターの顔くらいは知ってるかな、でもそれだけ」


 電動スクーターの後ろに、古い映画キネマのヒロインよろしく横座りしたセシリアがそう言って楽しそうに笑う。


「いいわね天井が高いって」

「天井?」


 言いながらケントも上を見上げる、地球の太陽光と同じスペクトルを吐き出すパネルライトに青空が投影されている。


「ああ、なるほど、確かに」


 本物の青空なんて見たことがある奴は、一握りの船乗り以外いないのにおかしな話だと思いながら、ケントは小さく微笑む。


「ところで、アークライトには良く行くの? 詳しいみたいだけれど」

「近くに住んでるんですよ、三ブロックほど先に」

「そう」


 港から十分も走れば安アパートの並ぶ居住地域だ、四メールほどの道を挟んで偽のレンガ模様が刻まれた軽金属の壁が並んでいる。


「つきましたよ」

「ありがとう、お礼にコーヒーでも奢るわ」


 ひらりと飛び降りたセシリアに、スクーターのさび付いたスタンドをおこしながら、ケントは歯を見せて笑った。


「ホットドッグ付きで?」

「了解、ホットドッグ付きで」


 腕にはめた通信機コミュでスクーターをロックして、店の扉を開ける。


「おやっさん、コーヒーとホットドッグ、ピクルスマシマシの玉ねぎ抜きで」

「好き嫌いはだめよケント。私はオレンジジュースとベーグルサンド」

「なんだ、ケント。女連れってのは珍しいな、彼女か?」


 二人を見て冷やかすように言うおやっさんにケントが言い返すより早く、セシリアがニコリと笑って胸を張った。


「そうよ、セシリア・メイフィールド。今日から下に住む事になったの、よろしく」


 ヒュウ、と口笛を引きながら厳つい顔をほころばせ、髭面の大男が差し出された手を握り返す。


「リチャード・アークライトだ。ケントは悪い奴じゃないが少々頼りなくてな、よく面倒みてやってくれ」

「ええ、そのつもり」


 電磁カタパルトから全力投射されたような速度で、思わぬ方向に突き進む話に全く追いつけず、目を白黒させるケントに二人の視線が突き刺さる。


「なあに? 私じゃ不満?」


 振り返ったセシリアが悪戯っぽく笑いながらケントを見つめる。


「え? いや、そんなことは無いですが」

「うん、じゃあ決まり、あとね」

「はい?」

「敬語禁止」


 途端、少女のような無垢な笑顔に切り替えたセシリアの茶色の瞳がケントを覗き込む。エンジンに直撃弾を食らったケントは素直に白旗をあげた。


了解ラージャ

「くっ……。ハッハッハッ。こいつはとんだお嬢さんだ、頑張れよケント」

「うるせえよ、おやっさん」


 ご馳走様とばかり、手をヒラヒラさせながら去ってゆく背中に、ケントは悪態をつくいてドカリと座る。


「いいお店ね」

「使ってる肉が合成肉シンセじゃなくて、培養肉カルチャーなのが自慢だけあって、ハムもソーセージも美味いんですよ」


 その答えに、むぅと頬をふくらませるセシリアに、ケントはしばらく考えてから頭をかいた。


「悪かった、敬語禁止……な」

「うん、わかればよろしい」


 その時、カランコロンとドアベルがなり、金髪の少女が入って来た。


「お帰りシェリル」

「ただいま、ケント、あれ? 今日はアンデルセンは一緒じゃないの?」


 あからさまにがっかりした顔の少女に、ケントとシェリルは顔を見合わせて笑う。


「アンデルセンなら、今日は家だ」

「そう……、えーと」


 飾り窓に言ったとも言えず、なんとなくごまかしたケントには目もくれず、シェリルの視線がセシリアに釘付けになった。


「ケントの彼女さん?」

「ええ、そうよ」


     §


「その日なら覚えてるわ、学校から戻ったら珍しく女のお客さんがいたもの」

「そうだな、シェリルはまだお人形さんみたいな子供だった」

「あら、もう十二才だったのよ?」


 ゴロリと寝返りをうって眩しそうに目を細めてから、シェリルがケントの頬に手を伸ばす。


「そうか、あんなにチビ助だったのにな」

「失礼ね、ケントだってこんなオジサンじゃなかったじゃない」

「オジサンか……まあな、あれから随分と経った」


 セシリアも同じように無精髭を撫でるのが好きだったなと、ケントは目を閉じて思い出そうとした。記憶の片隅に染み付いた薄れて消えそうな記憶のかけらにチクリと胸が痛んだ。


「ねえケント」

「なんだ」

「今でも彼女のこと愛してる?」


 シェリルの問いに、どうだろうと考えてからケントは小さく頭を振った。


「さあな、もう昔のことだ」

「ずるい人」


ため息を付いてケントは目を開いた。一面の芝生を照らす光がすこし柔らかくなっているのに気が付き、ちらりと時計に目をやる。


「ねえ、続きを話して」

「ああ」


     §


『次のニュースです、明日で独立宣言から一周年、独立宣言の発端となったケンタウルスⅧではまもなく記念式典が執り行われる予定です』


 ベッドに転がったまま、やる気無くテレビを眺めていたケントは小さくため息をついた。開戦から一年、ケンタウルスⅤの清掃宙域を中心に守りの一手を決め込んだのはいいが、戦争は完全に膠着状態だった。


「何時?」

「一〇三〇時」

「随分寝ちゃったわね」

「まあ、たまにはいいさ」


 腕を枕に眠っていたセシリアが小さく笑うと、猫のように頬をこすりつける。開戦から一年、急ごしらえだったケンタウリ星系宇宙軍は改装空母二隻、巡洋艦四隻、フリゲート艦二十四隻を手に入れていた。


「しかし、先週は忙しかったな」

「ええ、なんでまたあんなにまとめて」


 開戦当初、危ぶまれていた戦力は、小型のミサイル艇を入れれば三桁に届きそうな規模を揃えるに至り、今ではローテーションで休暇を取れるまでになっている。

 先週はケンタウルスⅢの直ぐ側に、二週間ばかり連続して述べ二十五隻がジャンプアウトしてくる大攻勢を食らったが、それでも対処できる程度の戦力が周辺には揃っていた。


「腹減ったな……」

「何にもないわよ、買い出しにいかなきゃ」


 セシリアが店を買ってから……ケントが彼女に告白されたあの日から、二ヶ月程立って同棲を始めた二人は、休暇の度にアークライトの地下にある古びたバーで過ごしていた。


「上にいきましょ、私はベーグルサンドとトマトサラダ。先に行ってて、お化粧するから」

了解ラージャ、注文しとく」


 ベッドから立ち上がろうとして、ケントは腕を引っ張られて引き戻される。


「ん?」

「んー」


 目を閉じて顎を上げるセシリアにキスをする。その後、見回して探しながら、ケントはベッド周りに脱ぎ散らかしていた服を拾いながら着込んでいった。


「夕方にはちゃんとした格好をしてね?」


 夕方には艦の連中を集めて開店祝いのパーティの予定だ。いまでは貴重品といえる木製のドアが取り付けられ、どこから手に入れたのか、火星ウイスキーまで棚に並んでいる。


「惚れ直すくらいにバッチリキメとくさ」

「バカ」


 ――指輪を買ったのは内緒だけどな。


 そう思いながら、テレビを消そうとケントがリモコンに手を伸ばす。画面には政府要人を載せた船だろう、二隻のフリゲート艦にエスコートされた白い高速客船がガイドレーザーに沿って港に入ってくるのが映っている。


「式典ねぇ、政治屋達はいい気なもんだ……先に行ってるから、なっ!?」


 電源ボタンを押そうとしたケントは、画面の中で起きた出来事に言葉をつまらせた。同時に祝典会場に集まっていた人々の悲鳴がマイクを通して響き渡る。


「……」


 エスコートしていたフリゲート艦が二隻同時に爆炎に包まれる。無人艦がジャンプアウトしてきたなら、もっと早く探知できたはずだ。


「戦闘機だと?」


 カメラがパンすると、爆炎をくぐり抜けた拍子にプラズマで光学迷彩を引き剥がされた敵の機体を捉えた。三角錐の後ろにフランクフルトのようなプロペラントタンクが四本、太陽系星系軍の宇宙戦闘機ライトニングⅢ。


「ケントこれ」

「ああ、今日のパーティは中止になりそうだな」


 テーブルに置かれた通信機コミュが二台、仲良く光りながら震えだす。緊急呼び出しを示すようにディスプレイは赤色だ。


「でも、どこから? あれ有人機よね?」


 『我々はいま、何者からか攻撃を受けています』と、わかりきった事を口走りながら髪を振り乱すレポーターの背後でサイレンが鳴り響き、宇宙港の窓に気密シャッターが次々と降りてゆく。一瞬後、大音響とともに画面がホワイトアウトすると中継映像はそこで途絶えた。


「ああ、何かを見落としたんだろう」


 テーブルから通信機コミュを取り上げて腕にはめる。残りの一台をセシリアに放り投げ、ケントはため息と一緒に言葉を継いだ。


「すごく大事な何かを、俺達は見落としていたんだろう」

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