最後の六隻
記されるは石壁
「マスター、シェリルさんがいらっしゃいましたよー」
「あら、まだ寝てるの?」
シェリルの声にケントは片目だけ開いて伸びをした。ちらりと時計を見ると、六時間ほどねていたようだ。
「約束、忘れたんじゃないでしょうね?」
「覚えてるさ、大丈夫だ」
「そう、ならいいわ。シャワー浴びていらっしゃい、でもコーヒーが冷めちゃわないうちにお願い」
眠い目をこすりながら身体を起こしたケントに、シェリルが手にした袋を振ってみせる。『カフェ・アークライト』とロゴが入った袋が、ガサガサと音を立てた。中身はホットコーヒーと
「ああ、すぐに行くよ、すまん」
ケントが寝床にしているバーの上階でカフェを営む彼女は、ご近所さん……というよりは、なんというかもう妹のような物だ。
「今日のは奢りでいいわ」
「ありがたい」
椅子の上から、輸送ギルドのマークが入ったジャケットを取り上げて立ち上がり、笑って出て行く彼女を見送ってケントは小さくため息をついた。
……娘は立派にやってるぜ、おやっさん。
§
「良かったの? ノエルちゃんすねてたみたいだけど」
「ああ、いつもの事だ。それに今日は新しくドアが届くからな、どのみち誰かがいなきゃならん」
メータの壊れたポンコツスクーターに
大昔、人間がまだ地球に住んでいた頃には一人に一つ墓があったと聞くが、アルファ・ケンタウリ最大のコロニーであるケンタウルスⅢでも、個人の墓を持てるのは大金持ちくらいの物だ。
そもそも、戦時中の食糧不足時など、遺体の八割方はプロテインスライムで再処理されていたとも聞く。
「ここはいつ来てもきれいね」
「そうだな」
戦死者への手向けというわけでもないだろうが、金持ちの住む新市街と庶民の住む旧市街をへだてるように作られた公園区画は、驚くほど良く整備されている。
独立戦争前はすべての居住区にあったという空模様を映し出すスクリーンと、それを透過して差し込む太陽灯に本物の芝生と木々。
「あらかわいい」
そう行ってシェリルが指さした先で、シジュウカラがさえずっていた。
「あれから十三年か」
「ええ、パパが店を残してくれたから、何とかやってこられたけれど」
「偉いな、シェリルはまだ子供だったのに」
「そうね、十二歳だったもの。どうしたらいいか途方にくれたけれど、セシリアさんのお母さんがお店を切り盛りしてくれて」
ケントの住処はもともと戦友だったセシリアの物だ。終戦後五年ほど経ってから、残された彼女の母が太陽系の…ガニメデだったかイオだったかに引っ越す際に、残債を払う約束でケントが引き取って住んでいる。
「今思えば、シェリルが一人で切り盛りできるようになるまで、いてくれたのかもな」
「ええ、とってもいい人だったから」
ケンタウリ星系の岩石惑星から、わざわざ掘り起こしてきたという黒曜石のモニュメントを見上げ、ケントは小さく首を振った。
「おやっさんに世話になってたのに、俺にできるのは飯を食いに行く事くらいだった」
「ケントだって十八だったじゃない。そういう時代だったのよ、きっと」
「誰もが何か役割を持って必死だった、そんな気はするよ」
ずらりと並んだモニュメントに沿って歩きながら、ケントは答える。
「あった」
戦死者の名が刻まれた巨大な石板、その十二基目の前で立ち止まりシェリルは手にした花を手向け黙祷する。
「ねえ、セシリアさんとアンデルセンさんのところにも……」
そこで言葉を切って、シェリルがケントを見つめる。肩より長いカールした金髪を、風が揺らしていくのを見て、ケントは綺麗になったなと思いながら小さくうなずいた。
「ああ、セシリアには店を壊しちまったのを、アンデルセンには銃を無くしちまったのを謝っておきたいからな」
ヒップホルスターに収めるには大きすぎるので、腰からさげて太ももに止めた、深い緋色に銀象嵌の
「どうしたの、それ」
「スカーレットから貰った、お礼だそうだ」
「相変わらずの女たらしなんだから」
「どういうわけか、昔からガキと婆さんにはモテるんだ」
残念だ、と肩をすくめてみせるケントにシェリルがクスリと笑う。ケントたちの住む旧市街からは考えられない、緑の匂いのする風が吹き抜けてゆく。
十三、十四、十五とびっしりと戦死者の名が彫られた石板が続き、十六枚目、最後の石板の前でケント達は立ち止まった。
「ここね、最後だもの」
「ああ」
最後の石板に綴られた戦死者の列は、半分と少しで途切れていた。残りの半分にはこう書かれていた。
『自由の為に死した戦士たちに、永遠の感謝を』
その文字を指でなぞりながら、ケントは巨大な石板を見上げる。
「久しぶりだな、みんな」
小さくつぶやいて、ケントはジャケットの内ポケットからスキットルを取り出して一口飲むと、墓石の前にそっと置いた。
「シャイアだ。こいつは
『シャイア』は戦前に、ケンタウルスⅡで作られていたウィスキーだ。
「まあ、
ケントはそう行って笑いながら、もう一度モニュメントに触れてから目を閉じた。空母ラファイエット第三飛行隊の十二機、終戦の六時間前に全滅した飛行隊の名簿のトップにはこう刻まれている。
KENT MTSUOKA MAJ
指さした先にケントの名を見つけてシェリルが固まった、それはそうだろうとケントも思う。初めてこの場所を訪れた時、二階級特進で少佐になっている自分自身の名を見つけ、ケントは腹が痛くなるまで笑い、そして泣きながら吐いた。
「ケント?」
「知らなかったのか? 誰だか知らないが事務所でズボンのケツをすり減らしてるやつのミスで、俺はもうあそこにいるんだ。笑っちまうだろ? ひどい話だ」
眼の前に立っている人間が戦死者リストに並んでいるという状況は、冗談にしてもなかなかに酷いものだ。
「ケント……大丈夫、大丈夫だから」
自分がどんな顔をしていたのかわからない。だが、名を呼びながらギュッと抱きしめてくるシェリルに身を任せケントは目を閉じる。ひと呼吸、ふた呼吸。
「大丈夫だシェリル。ほら、みんなに笑われるしセシリアに妬かれちまう」
抱きしめられたぬくもりが、心の隅に湧いて出た黒いものを溶かしてゆく。ああ、俺はまだ生きてる大丈夫だ。それだけを確かめ、ケントはシェリルを抱きしめ返してから身体を離した。
「ごめんなさい、わたしが取り乱しても仕方ないのに」
初めて出会った子供の頃のようにうつむくシェリルの肩を、ポンと叩いてケントは広場の隅にある飲食スタンドを指さした。
「あそこのワッフル、セシリアが好きだったんだ」
「うん」
顔を上げたシェリルにケントは笑ってみせた。
「行こう、それでな」
「うん」
「食いながら、少し話をしよう」
「話?」
子供にするようにシェリルの手を引いて、ケントはスタンド目指して歩き出した。
「ああ、お前が恋してたアンデルセンの話」
「ちょ……ちょっとなんで知ってるのよケント」
――ラブレター見せてもらったからだよ。
ラファイエットのベッドに座ってラブレターを読む、アンデルセンの嬉しそうな顔を思い出してケントは笑う。
「それに、セシリアの話」
「う…うん」
「あとは、そうだな、俺があそこに名前を刻まれることになった理由も……かな」
「あの、えーと」
戸惑うシェリルにケントは小さく笑ってから言葉を継いだ。
「誰かに聞いておいてほしいんだよ、シェリル」
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