嘲笑うはキャベツ

「っく……」


 殴られて気を失ったケントが目を覚ましたのは、タマネギの匂いが立ちこめる、ほこりっぽいコンテナの中だった。


「若いの、大丈夫か?」

「ああ、多分な……ケントだ、ケント・マツオカ」


 身体を転がすと壁に預けて上半身を起こす。


「ケント? お嬢がお気に入りの最後の六隻ラスト・シックスの生き残りってのはお前さんか」

「お気に入りかどうかは知らないが、生き残りってのは俺のことだろう」


 幸い歯は折れていないようだ。口を開けて顎の動きを確認しながら、ケントはタナカ総務部長の質問に答えた。


「で、ここは?」

「こいつに押し込められて、かれこれ三十分といったところかねえ」


 足下に転がっていたタマネギを、両足のつま先で挟んだナカマツ課長が器用に放り上げる。不自然な軽さでタマネギが宙に舞い、ケントの足もとにゆっくりと落ちてきた。


「この低重力は倉庫ブロックだな、少なくともエレベーターで二階層は降りた」


 フンと鼻を鳴らしてグエン主任が笑う。


「で、どうするケント君。きみ一人くらいなら我々で逃がしてやれるとは思うが」


 部長の言葉に少し考えてから、ケントは首を横に振った。負け戦なのは承知の上で残った戦いだ。連絡手段がないのは痛いがスカーレットに通信機コミュを渡したのは、こうなった時の事も考えての対応だ。

 身分証明に財布、事務所に船の認証キーとオールインワンの通信機コミュを取られてしまっては、あとあと面倒この上ない。


「いや、いい。スカーレットのことだ、これだけやられてタダで済ませるわけがない」


 そう言って軽金属製の壁にもたれ、ケントは目を閉じる。


「肚の座った若いのが、まだいるものだな少尉殿」

「部長だ、グエン。それに階級で言えば、その若いのは中尉殿だぞ立体映画ホロシネマの通りならな」

「ほっ、そいつは失礼した中尉殿。俺たちゃ民兵だからな勘弁してくれ」


 ケンタウルスⅡの青果市場しれいぶ攻防戦は、防衛艦隊を突破した太陽系星系軍の強襲揚陸艦が送り込んだ空間騎兵を相手に、運送会社と青果組合を中心に編成された民兵が徹底抗戦、あげくに空間騎兵を撃退したという独立戦争最大の地上戦闘だ。

 地の利を生かし、文字通り冷凍ニンジンすら武器にして反撃してくる民兵に、空間騎兵は大損害を出して一度は撤退する羽目になった。

 敵の主力艦隊が到着してコロニーごと吹き飛ばすぞ、と脅しをかけて降伏を迫るまでの間、民兵たちは実に十三日間戦い続け、降伏した時にはコロニーの三分の二が真空状態だったという。


「まあ、僕らがなんとか守ってあげますから大丈夫ですよ」

「お前はほんと優しいな、ナカマツ」

「だからハゲるんだぞ」


 ナカマツ課長の一言を、タナカ部長とグエン主任がまぜ返してツワモノたちが声を上げて笑う。

 目を閉じたままケントも小さく笑った、少しばかり胃のあたりが温かい気がするのは、スカーレットに飲まされた数珠のせいだろうか。


 彼女の柔らかな唇の感触をふと思い出す。


 ――ノエルにバレたら、大変なことになるな……。


     §


「やあ諸君、調子はどうかな?」


 体中に玉ねぎの匂いがすっかり染み付いてしまい、風呂に入ったらオニオンスープができるんじゃないかと思い始めた頃、コンテナが開いてミルドレッドの声がした。


「どうもこうも、タマネギでマリネにされた魚の気分だぜ所長。魚なんて生鮮食品フレッシュで食ったのは母ちゃんの腹の中にいたころだがな」


 グエン主任が吐き捨てるように言い放った下級労働者お決まりのジョークに、集光レーザーライフルを持った営業部員からも笑い声が上がる。

 見たところ軍警察の姿はなかった、なるほどミルドレットに……というより、その背後にいる何かにくみする派閥もいれば、スカーレットにくみする派閥もいて、今のところ綱引きは引き分けといったところか。


「それで、俺たちはどうなるんだ?」


 営業部員に引き起こされながら、ケントはミルドレッドに尋ねた。


「赤竜公女だの千年女王だの言われていても、所詮は彼女も女だねケント君」


 ミルドレットが小脇に抱えた携帯端末ターミナルをこちらに向ける。


「恋人の命と引き換えに取引を申し出たら、二つ返事で受け入れてくれたよ」


 そう言って下卑た顔でニヤリと笑った。


「それを、送ったのか?」

「ああ、メールに付けてね」


 携帯端末ターミナルの画面で、ドローンから撮られたらしいスカーレットとのキスシーンの動画が、繰り返し再生されるのを見てケントは眉をひそめる。


「いやあ、君の命とケンタウルスⅡの権益の半分、それに、輸送ギルドのルートを使っての麻薬取引の権利と交換するというんのだから、羨ましい限りだ」


 条件を聞いて、グエンが後ろで口笛を吹く。


「それで、俺達は帰してもらえるのか?」

「もちろん、彼女がこれにサインしてくれさえすれば、そのままケンタウルスⅢに帰ってもらって結構。ああ、そうそう、気の毒だが総務部の三人はリストラさせてもらうよ」


 それを聞いたナカマツ課長が困った顔をしてぼやいた。


「こまったなあ、もう少しで退職金もらえたのになあ……。仕方ないからケント君に口添えしてもらって、ケンタウルスⅢで働き口をみつけないと」


 課長の所帯じみたぼやきに、その場にいた全員が笑った。


「さて港湾事務所に行って、さっさと手続きを済ませるとしよう。社長はご存じないようだが、港湾部の人間も金でこちらに寝返ったよ、文字通り現金なものだ」


 二台のワンボックスが、低Gブロック特有の磁力吸引走行でゆっくりとやってくる。無事に……か……それを信じるほどお人よしではない。身にかかる火の粉を払うには、どうしたら良いかをケントは考え続けた。

 監視カメラだろうか? 倉庫の片隅に赤く光る動作ランプを見つけたケントは、ふと思い立ってスライドドアから乗り込む際に頭を押さえる手に少々抗った。


「痛ってえ」

「さっさと乗れ!」


 営業部員に後ろから勢いよく押され、入り口の角にしこたまぶつける。切れた額から血がにじんだ。


「なにしてやがる! 面倒な奴だな!」


 ゴッ! 営業部員にライフルの銃床で殴られて、ケントはワンボックスに押し込まれる。


「ひどい人ですね、最近の若いのは乱暴でいけない」

「そうか、そう見えたならそれでいい」

「?」


 額から頬に血が伝うのを感じながら、ケントはニヤリと笑った。


     §


 ケンタウルスⅡの最下層には巨大な動力部があり、その上には、地底湖と呼ばれる巨大な水の再処理系の施設がある。

倉庫区域と港湾区域はさらにその上に位置しており、貨物の積み降ろしが便利なように、〇・五G 程度に重力が抑えられていた。


「どのエレベーターだ?」

「奥から二番目、『キャベツ』だとさ」

「しかし、この爺さんたち強かったよな」

「そうかぁ楽勝だったんじゃね?」


 まだ二〇代になったかどうかといった所だろう、すっかり気の緩んだ営業部員達が、若者らしい無邪気さで騒ぐ様子を、タナカ部長は苦々しげに見つめてから吐き捨てた。


「腑抜けたツラをしおって」

「ふは、言い方がすっかり爺さんだぞ少尉殿」

「ほっとけ。しかし懐かしいな、覚えてるかグエン」


 『キャベツ』と、扉に大きく書かれた三十メートル四方の巨大なエレベーターが、ワンボックス二台を乗せて港湾部めがけゆっくりと登ってゆく。

倉庫区域から港湾部まで、十二台ある大型エレベーターにはそれぞれ野菜の名前がついている。この『キャベツ』は、最下層から第六階層の水耕栽培工場までつながる一番長いエレベーターだ。


「ああ、覚えてるとも。俺たちが最初に戦ったのは、このエレベーターだったからな」


 訓練された兵士でもテロリストでもない営業部の若者たちも、退屈しのぎに突然始まった年寄りの思い出話に耳を傾ける。


「そうそう、私あの時、キャベツの在庫確認で倉庫区域にいましてねえ」

「キャベツの在庫確認って、臨戦態勢なのに、なんで真面目に仕事してたんだよ」

「そのキャベツのおかげであの時は助かったんだから、いいじゃないですか」


 その話なら、ケントも若いころにネットニュースで見たことがあった。キャベツの在庫確認に行った青果組合員の一人が敵の侵入に気付き、手鉤でエレベーターの配電盤を壊したことで、敵のルートが一つに絞られ大損害を与えたとかいうものだ。


「まあそうだけどよ、おかげで俺たちの奮闘が教科書に載った時についたのが『キャベツ畑の戦い』って、おまえ、キャベツ畑だぞ? しまらねえったらないわな」

「でも、あの時の作戦はうまくはまりましたからねえ」

「ああ、そうだな。水耕区画から出荷前の野菜をぶち込んで、エレベータシャフトごと敵を野菜で埋めてやったからな、信じられるか若いの? トマトとピーマンを二五〇トンだ」


 大笑いするグエンに、運転席の若者とケントのさし向かいに座った社員が、たまらずふき出した。その時、ガクン! という小さな衝撃とともに、エレベーターが止まった。同時に、エレベーター内の電気が消えて真っ暗になる。


 ゴン! ゴツン! グシャリ! 


 暗闇の中、湿ったものがワンボックスの天井をたたく音が響く。


「おい、ヘッドライト!」

「お、おう」


 助手席の営業部員に言われて、我に返った運転手がヘッドライトを付けた。


「うわっ! や、やさいが、やさいが」


 エレベータホールに点々と、キャベツにレタス、トマトにピーマン、様々な野菜が転がっている。


「や、やべえぞ埋めらんじゃねーのこれ!」


 顔を青くする若い社員を嘲笑うように、バン! と大きな音を立て、フロントガラスをキャベツが叩き、ベシャリ! と完熟トマトが赤い花を咲かせた。

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