奉じらるは林檎酒

「あらあら、大勢で」


 一Gの人工重力と宇宙放射線防護、「人」ではなく「作物」のために環境が整えられた、贅沢な区画に建つ屋敷にリムジンが到着すると、メイド服に身を包んだ長い黒髪の少女が玄関の前で待っていた。


「クリス姉さま!」

「まあまあ、ノエルどう? その筐体ボディは?」


 駆け寄ったノエルを抱きとめて、クリスがノエルの頬を両手で挟むと顔を覗き込む。


「ばっちりです! マスターにご飯だって作ってあげられるし、喜んでもらっています!」

「そう、よかったわね。せっかく来たのだから、ちゃんと整備して帰るんですよ?」

「むぅ、どこも悪くないです。ね、マスター?」


 病院につれてこられた犬のように、情けない顔で助けを求めるノエルに、ケントは首を横に振ってみせた。


「ついでだからきっちり整備してもらえ、この間、機動甲冑パワードスーツと殴り合ったばかりだろ」

「まあ、この子ったらほんとにお転婆てんばさんなんですから、それでそちらの方は?」


 ケントの後ろに控えていたスカーレットを見て、クリスが小首をかしげる。


「ふむ、お主たちの父君の古い知り合いじゃよ。赤竜が借りを取り立てにきたと、ルドルフに伝えるが良い」


 カラカラと笑うスカーレットに、クリスが眉をひそめる。


「スカーレットさんはマスターの会社の社長さんでいい人です。クリス姉さま」

「いい人……ねえ、っつ!」


 尻をつねられて、ケントが飛び上がった。


「聞こえておるわ、馬鹿者」

「今のはマスターが悪いと思います」


     §


「ほっ、なるほどなるほど、確かに赤竜公女。久しぶりですなスカーレット嬢、お若いままで羨ましいことだ」


 客間に通された一行を見るなり、ツイードのジャケットを着た老人が嬉しそうに笑った。芝居がかったしぐさでスカーレットの手を取ると、そっとくちづける。


「ああ、久しぶりじゃなルドルフ。見つけたらケツに噛み付いてやろうと思っておったのじゃが、そうも老いぼれては、喰ってもまずそうじゃからやめておいてやろう」


 スカーレットが真面目くさった顔でそういってから、破顔一笑する。


「知り合いなのか?」

「いや、まあ、どちらかというと」

「腐れ縁じゃな」


 ケントの問いにそうこたえて、今度は二人してニカリと満面の笑みをうかべた。スカーレットの過去に関しては、正直ケントも良く知らない。初めて彼女と出会ったのはまだ軍の訓練生だったころだ。


「ルドルフの爺さん」


 ちょいと手招きして、ケントはルドルフに小声で尋ねる。


「なにかな、若いの」

「スカーレットって幾つ?」


 真面目くさった顔で首を横に振るルドルフの顔を見て、そうかと小さくうなずいたケントの腰に、スカーレットがしがみつき、ぐいと体を押し付ける。


わらわの愛銃で灼かれたいようじゃの?」


 抱きつかれた上半身の軟かな感触とは対称に、緋色のドレス越しに太腿にゴツンと当たる硬いものを感じて、ケントはスカーレットの細い腰に手を回した。体に似合わずいつも手放さないでいる、あのバカでかい熱線銃ブラスターで灼かれては、骨も残らない。


「ん?」


 意外だ、という顔をして見上げる少女の脇腹に、ケントはついと手をすべらせて思い切りくすぐってやる。


「ひゃっ! やめぬか、くすぐったいわ」

「マスター、エッチなのはいけないとおもいます」


 腹いせとばかりにヒールでケントの足の甲を踏みつけ、身体を離すスカーレットにルドルフが手を叩いて大笑いした。


「あらあら、みなさん楽しそうで何よりです」


 その時、奥から出てきたクリスが冷えた林檎酒シードルを持ってやってきた。みるみる結露してゆくほどに冷やされたグラスに、泡立つ液体を注いで回る。


「あれからもう二十五年になりますか」

「もうそんなになるかの」


 昔話に花を咲かせる二人の話をまとめると、その昔、ルドルフの艦載型転送門シップド・ゲート開発に多額の投資を行ったのがスカーレットの会社だったらしい。


「結局、わらわから金を引き出すだけ引き出してドロンじゃからな。酷い話じゃ」

「スカーレット嬢が欲しがる、星系間を単独で飛べる性能には程遠いものしか作れませんでしたからなあ。」

「まあそれは水に流してやろう、息災でなによりじゃよ。ルドルフ」


 グラスを一度かかげてから傾け、スカーレットが目を丸くする。


「うちの林檎で作った林檎酒シードルです」

「うむ、絶品じゃな。気に入った。妾にいくらか譲ってくれ」

「お気に召したのでしたら、お詫びに一樽さしあげましょう」

「くくく、半個艦隊が買える値の林檎酒シードルか、奮っておるの」


 二人のやり取りを聞きながら、ケントは黙って林檎酒シードルのグラスを傾けた。


「それで、スカーレット嬢、今日はどんなご用向きですかな?」

「ふむん、リディあれを」

「イエス・マム」


 グラスを置いたスカーレットが、リディから『ブラッドロック』の入った小袋をうけとると、ルドルフに差し出す。


「そこの娘が、お主ならコレが何かわかるかもと言うでな」


 大人しく座っているノエルを指して、スカーレットが言う。


「はて、合成麻薬……あたりですかな?」


 目を細め、赤い結晶をルドルフが窓の光に透かして見る。


「うむ。その通り、星系外そとから持ち込まれている合成麻薬じゃ」

「なるほど、合成麻薬……ですか……」

「それも、妾たち輸送ギルドの目をかいくぐり、なぜかケンタウルスⅡを中心に流通しておる」

「ふむ」


 ぐびりと林檎酒シードルを飲み干したスカーレットの瞳の奥に、凶暴な光が宿る。


「舐められたものよの、この星系は妾の庭じゃというのに」

「で、スカーレット嬢はこれが、普通の麻薬ではないと考えておられると?」


 ルドルフの言葉に、スカーレットがうなずく。


「妾はそやつが何か厄介の種じゃと思っておる。女の勘じゃがの」

「いいでしょう、借りがありますのでお引き受けしましょう。クリス、研究室ラボの用意を、ついでに筐体ボディを整備する間、ノエルにも分析を手伝ってもらいますが、よろしいか?」


 そう言って視線をよこしたルドルフに、ケントは小さくうなずいた。


「えぇー私はマスターと一緒がいいです!」

「余ってる筐体ボディはジェイムスン型だけだが、それでもいいんだね?」

「いやです、だめです、まっぴらです、だいたい可愛くないじゃないですか! ううぅ、マスタぁ、お父様がいじわるするんです」


 ジェイムスン型の筐体ボディは大昔の小説にに出てくる筐体ボディから、その名がつけられた簡易型の筐体ボディだ、四角いサイコロ状の本体に二本のフレキシブルアーム、それに車輪付きの四本脚。

 コストパフォーマンスは良いので、船外作業ユニットや街中の自動掃除機、軍警の監視ロボットではよく見かける。まあ、確かに可愛いとは程遠いな……と思いながらケントは笑いをかみ殺した。


「とりあえず、お前はちゃんと見てもらえ、整備が終わったらひとつだけワガママを聞いてやる」

「ほんとですね? 約束ですよ? 嘘ついたら反物質燃料飲ませちゃいますからね?」

「お前は俺を消し飛ばす気か!?」


 ルドルフから『ブラッドロック』を受け取ったクリスが、ノエルの手を引いて去ってゆく、名残惜しそうにこちらを振り向き、あかんべえをして去ってゆくノエルに、ケントは小さく手を振った。


「さて、俺たちはどうするんだ、スカーレット」


 できればここでゆっくりしていたいところだ。思いながらケントはグラスの残りを流し込む。


「まずは、輸送ギルドうちの出張所へゆくぞ、薬の流通経路を調べさせておるでな」

「りょーかい」


 ぴーひょろ、と間の抜けた音がして腕にはめた通信機コミュが震える。


「心配性なやつだ」


 トントンと画面をタップして返事すると、ケントは席を立った。


「OK、スカーレット。行こうかノエルをよろしく」

「ああ、あの子も随分といい経験をさせてもらっているようですな」

「いい経験ねえ、ノエル?」


 ブンブンブン!と振動して、通信機コミュの小さな画面に『dunno』(しりません!)とだけ表示されるのを見て、ケントは苦笑いして肩をすくめた。


「ほれ、なにをしておる、ゆくぞケント」

「イエス・マム」


     §


 商業地区のはずれ、どの建物も小惑星外郭の岩盤にへばりつくように建てられた一角に、輸送ギルドのビルはあった。分厚い樹脂製の窓と金属製の外郭は、この建物自体が気密されたシェルターでもあることを示している。

 独立戦争で真っ先に戦場になったケンタウルスⅡだが、人的被害が比較的少なかったのは、開拓初期に建てられたこれらの建物に民間人を収容できたおかげだ。


「いらっしゃいませ、どのようなご用件でしょうか?」


 リディよりもまだ三世代ほど前の型のアンドロイドが、ぎこちない笑顔で迎え入れる。


「所長のミルドレッドはおるかの?」

「アポイントはおありでしょうか?」


 アポなしか? というケントの視線に、当然じゃろう? という顔でスカーレットがとがった犬歯をみせて笑う。


管理者権限を要求リクエスト・アドミニストレータ

「権限を確認します、認証方式をどうぞ」

生体認証鍵バイオメトリック

「虹彩認証実行中……ギルドオーナーのスカーレット様本人と確認、ご命令をどうぞ」

建物中央制御セントラルへアクセス、全ドアロック強制解放」

「了解、全ドアロック解放します」


 ガシャンと電磁ロックの外れる音がして、入口の分厚い気密ドアが開く。


「リディは車で待機しておれ、なにかあれば全武装の使用を許す」

「イエス・マム」


 PDWを胸の前に抱えたリディが、玄関前につけられたリムジンへと戻ってゆく。


「おいおい、ヤバいのか?」

「念のためじゃよ」


 ケントの問いに悪戯っぽい笑顔で応えて、スカーレットがドアの中へと歩みを進める。まったくもって、貧乏くじだなと思いながら、ケントは戦友の形見の四十五口径リボルバーにそっと触れてから、彼女の後に続いて入った。

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