赤竜の城塞

見上げるは青空

「なあ、スカーレット?」

「なんじゃなケント」


 ラーニアの一件があってから二ヶ月ほどたったころ、スカーレットから急な用事ということで宇宙港に呼び出されたケントは、そのまま拉致されて彼女の宇宙ヨット『ユニコーンⅡ』の船上にいた。


「野暮は承知で聞くんだが」

「うむ」

「とりあえず、これ……アレだよな、ボーフォート・ロジティクスの」

「そうじゃな、このあいだお主が拾ってきた、あの子猫ラーニアの所のアレじゃな」


 全長九〇メートルほどだろうか、流麗なラインを描く真っ白な船体に巨大な太陽帆がついた宇宙ヨットは、地球圏の軍産複合体輸送部門、ボーフォート・ロジティクスの持ち物だったはずだ。


「しかし、推進器スラスタ無しでのんびり……って、どんだけ贅沢な船だよ」

「まあ、たまにはこういうのもよかろ?」


 ブリッジの真うしろ、透明なドームに覆われた長さ十五メートルほどのプールにプカリと浮かんで、星海をながめながらスカーレットから生返事がもどってくる。


「そりゃまあ、俺も文句はないけどな」


 その脇にしつらえられたジャグジーの横に置かれたデッキチェアで、ケントは投げやりに冷えた缶ビールを飲んでいた。


「……で、どうやって手に入れたんだ?」

「ふむん。そういう野暮は言いっこなしじゃ」

「まあ、あらかた見当はついてるが……」


 むぅ、と唸るケントにチラリと目線をくれて、ローティーンの少女にしか見えないスカーレットがクルリと身をよじらせ、プールに潜る。


「ぷは、冷えてしもうた」


 水しぶきを上げて顔を出したスカーレットがプールサイドにあがってくると、水をしたたらせてケントに歩み寄ってきた。


「風邪ひくまえに、ジャグジーに浸かったほうが……って、冷てぇ」

「うむ、温かい」


 濡れた金髪をかき上げて、いたずらっぽい笑顔を浮かべ、スカーレットがデッキチェアに転がるケントの胸にのしかかる。


「ほれ、ボサッとせずにわらわの髪を拭くがよい」

「わかったわかった、とりあえず濡れたまま抱き付くのはよせ。あとタオルをよこせ」


 最初に彼女に会ったころから十五年は経っているだろうか、全く成長しないスカーレットの柔らかな、だが少女らしい芯のある身体を押し付けられ、仕方なしにケントは上半身を起こすとあぐらをかいて、その上にスカーレットを座らせて髪を拭いてやる。


「なんじゃ、こんな美少女と肌を合わせておるというのに、甲斐性なしじゃの」

「そういうセリフはもう十年ほど育ってからにしてくれ」

「む、好き嫌いは良くないぞ」


 呵々と笑いながらスカーレットがサイドテーブルに置かれた、ケントの飲みかけのビールを一息にあおったところで、船内放送で一方が入った。


『オーナー、追跡してくる船影があります、KSR-2フランベルジュです』

「なんじゃ、思ったより早かったの、今からがよいところじゃと言うのに」

「スカーレット、からかうのもいい加減にしとけ、押し倒すぞ」


 じゃれるように首に腕を回してしがみついてくるスカーレットの髪を、ケントは高分子吸収シートで出来たバスタオルで拭いてやると、小さめのタオルでくるりとまとめて少女を横抱きに抱える。


「なんじゃ、やっぱりケントはロリコン船長さまじゃったのか……」

「誰がロリコン船長だ、このロリババアめ」

「妾は良いのじゃぞ? このまま、しとねまでエスコートされるのも悪うない、痛っ!」

 

 ふざけて耳に噛みつこうとするスカーレットに、軽く頭突きをくらわせて歩き出したところで、今度は派手に警報が鳴り響き、ドームを金属製のシャッターが覆い始めた。


「思ったより早かったの」

「ほら、風邪引く前に風呂につかってろ」


 そう言いながら、ケントはスカーレットをジャグジーの水面にそっと下ろして温かい湯に入れてやる。


「ほう、生きかえるようじゃの。しかし難儀な人形じゃ」

「まあな」


 そこまで言った途端、警報音がピタリと止まり、ドームを覆いかけていたシャッターがこんどは逆に開き始めた。


『オーナー! 船内システムがハッキングされました、通信系に電子攻撃、防ぎきれません』

「やれやれ。ケント、ヤキモチ妬きのお人形に言い訳はよろしゅう頼むぞ、妾は知らぬ」

「スカーレット!?」


 いきなりはしごを外されて、ケントは悲鳴をあげる。


「なあにちゃんと仕事じゃ、問題なかろう。そのままケンタウルスⅡまでつれて行けばよい」


 ため息をついて見上げたドーム越しに、星の海が広がっている。それを覆い隠すように背面飛行で一隻の高揚力飛翔体リフティングボディの宇宙船が並走していた。


『マスター! 私を置いて出かけたと思ったら、スカーレットさんとお風呂とか、事後ですか? 事後なんですね? ロリコンだとは思っていましたが、お巡りさんこの人です!』


 船内放送を乗っ取ったノエルの声がスピーカーから響く。


「ククク、甲斐性なしのダメ船長様じゃというのに、えらい疑われようじゃの」

『む、スカーレットさん、マスターは甲斐性無しのロリコンで、おっぱい星人だけど、ダメじゃないです!』


 どういう支離滅裂な突っ込みだよ! 思いながらケントは額を押さえる。明日から俺は商会の中でどんな扱いになってるんだろう……。


「そうか、悪かったの。陳謝しよう、ケントは甲斐性なしじゃが良い奴じゃ」

『わかってもらえればいいのです、速度そのままでお願いします、そちらに移乗します』

「ブリッジ聞いての通り、速度そのまま、一名移乗するぞ」

『アイ・マム』


     §


「それで、ケンタウルスⅡでの仕事ってのはなんだ、スカーレット?」

「え、お仕事なんですか? 恋の逃避行じゃないんですね?」


 それはもういい……と目線でノエルを黙らせ、ケントはデッキチェアにうつ伏せに伸びるスカーレット問いかけた。


「ブラッドロックという名を聞いたことはあるかの?」

「ああ、最近流行の合成麻薬の一種だろ」

「表向きはの、ほれ」


 そう言って、スカーレットがサンオイルのボトルをこちらに差し出す。先ほどまで星海に埋め尽くされていた透明なドームには、地球の南洋諸島の風景が(といってもケントは立体映画ホロシネマでしかみたことがないが……)映し出され、照明も地球の太陽光の波長を再現したものに切り替わっていた。


「表向き?」

「うむ」


 オイルのボトルを手にしたケントから、ノエルがひったくるようにボトルを取り上げる。


「お主はヤキモチ妬きじゃのう、安心せい、とって喰いはせんよ」

「いいから、話を進めてくれ」


 スカーレットの言葉に、むくれながらもオイルを塗り始めるノエルをよそに、ケントは話をすすめるよう手にしたビールの缶をチョイと掲げる。


「ここ数ヶ月で、そのブラッドロックの密輸量がえらく増えておってな」

「密輸? たかが合成麻薬を?」


 金持ちの道楽品、そう例えば高級な酒なら少々高くても買い手はつく。火星ウィスキーあたりはいい例だ、だが合成麻薬のように貧乏人相手のものを密輸するというのは、割にあわない仕事のはずだ。


「そうじゃ、たかが・・・合成麻薬を」


 あばらの浮いた脇腹をノエルになでられ、くすぐったそうに身をよじりながら、スカーレットがそう言ってうなずく。


「輸送ギルドを通さずに?」

「ああ、わらわを通さずに……じゃ」


 合法、非合法を含めケンタウリ星系の物流の八割を抑えている輸送ギルドを通さずに、物品を運べるのは地球圏のしかも軍に親しいルートだけだ、それこそ……。


「安心せい、ボーフォートにはすでに連絡をとっておる、ラーニアは知らぬと」

「そうか……」


 しかし、たかだか合成麻薬を星系外から密輸というのが引っかかる……そう思ったケントは、ひとくちビールを飲んで考える。


「なにか裏があるんだろうな」

「ああ、そうじゃな。そしてな、わらわは自分の巣に手を突っ込まれるのは好かん」


 そう言ったスカーレットの瞳孔が蛇のようにスッと縦に細くなるのを見て、ケントは大げさにブルリと身を震わせてみせた。


「だが、わざわざ自分で出張るほどのものか?」

「まあたかだか麻薬程度なら、誰かを動かして潰せば良いのじゃがな」

「そうだろうな」


 ケントの大げさな仕草に笑いながら、もういいと手をヒラヒラさせ、オイルを塗るノエルの手を止めさせたスカーレットがビキニの紐を解いてうつ伏せに寝転ぶ。


「ケンタウリ星系に、再び首輪をつけようとするカラクリを見つけてしもうたからには見過ごすわけにはゆかぬ、岩ばかりの住処じゃがそれなりに気に入っておるでな」


 そう言いながら、薄い乳房があらわになるのも気にせず、新しいビールを寄越せとスカーレットが身体を起こして手を伸ばす。


「見ちゃダメですマスター」


 ノエルに飛びつかれてひっくり返りながら、またろくでもない話に巻き込まれそうだなと、ケントは実際には一度も見たことのない抜けるような夏の青空を見上げた。

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