現れるは狼
「ジャンプアウト十秒前、総員対ショック」
ジャンプアウトした先に小惑星でもあろうものなら、木っ端微塵だ。ショックもなにもあったもんじゃない。ノエルの声に、そう思いながらケントは
「ジャンプアウト完了、マスター、航路局から通信です」
「こちらは、太陽系航路局。貴船のジャンプアウトを確認した。船籍データーと
「了解した。データ送信開始、こちらはケンタウリ船籍、『フランベルジュ』積み荷はタンパク質再合成粘菌だ、生物由来カテゴリーB、冷凍密閉貨物」
「
しかしまあ、スカーレットの手回しの良さには驚かされる。この短時間で正規の積み荷と荷受先を、まったくの綺麗な形で用意してくるのだから、大したものだ。
「ああ、間違いない」
「事故らないでくれよ、生物貨物は後始末が面倒くさいからな」
「俺もこんな奴らのエサになるのは、まっぴらごめんだ」
オレンジとも黄色ともつかない、タンパク質合成粘菌はケンタウリ星系ではメジャーな生物商品だ。タンパク質の合成効率はもちろん、『味』を良くするために、ケンタウリ星系内の企業が開発にしのぎを削り、いまでは地球圏から引き合いがくるほどになっている。
「良い旅を」
「ありがとよ」
§
「オーケイ、ラーニア。とりあえずは、お待ちかねの太陽系に到着だ」
ケントの声に副操縦士席で膝を抱えて丸くなっていたラーニアが目を開ける。
「
「ああ、そうだな、二日酔いの朝みたいな気分だ」
「……大人になってもお酒なんて飲まないんだから」
子供サイズの持ち合わせが無いので、スカーレットから借りてきた紅色の気密スーツに身を包んだラーニアが、うぇ、とした顔をするのを見て、ケントは声を上げて笑った。
「ノエル」
航路局への報告書は、乗員はアンドロイドを合わせて二名となっている。スキャンにかからないよう、活動を停止して、補助席でピクリとも動かないノエルの
船体外部からのスキャンを食らっても、気密スーツから欺瞞信号を放つラーニアが、ノエルとして認識されているはずだ。臨検しに直接乗り込まれれば事だが、終戦からこっち、そんな経験はない。
「アイ、マスター」
スピーカーから聞き慣れた声がする。人口声帯を通じて出された声との違いは、ほとんど無いはずだが、しばらくぶりに聞く『AI』然としたノエルの声に、ケントは少し違和感を覚える。
「流した
ケンタウリを出る直前、スカーレットが報道係者にボフォート・ロジテクスの次女で、多額の遺産を継承したラーニアが遭難、ケンタウリ軍警察で保護されているという偽情報を流した。
「面白いように尾ひれがついて拡散されています、海賊に襲われたとか、遺産狙いの殺人未遂だとか」
尾ひれがついて拡散されているというよりは、尾ひれをつけて拡散させた……というのが正解だろうとケントは思う。スカーレットが面白がっている姿が目に見えるようだ。
「まあ、騒いでくれたほうがありがたい、目立てば目立つほどケンタウリを探し回ってくれるからな」
「そうだといいのですが……航路情報出ます」
メインスクリーンにジャンプアウト地点から木星までの航路情報が表示される。
「おすすめは?」
ちらりとスクリーンに目をやって、ケントはノエルに尋ねた。
「最短距離ならルートBです、木星までの所要時間は七十六時間」
太陽系では、
「一番交通量が多いのは?」
「ルートAですね、今の時期だと途中まで、火星向けの航路と重なります」
「時間は?」
「九十二時間です」
ふむん、とケントは考える。交通量の多いルートのほうが、当然安全ではある。だが、スカーレットが時間を指定するからには、なにか意味があるはずだ。最短距離ならスカーレットに指示された到着時間よりも十二時間余分に取れる。
「ノエル、ルートBを選択、最短距離だ」
「途中に小惑星帯があり、待ち伏せには……」
「判ってるさ」
こちらの動きがどこまでバレているかによるが、うまくいけば小惑星に紛れてガニメデまで到着できるだろう。
「ノエル、近隣船舶の星系内回線をハッキングして、ラーニアの姉を呼び出せ」
「アイ・マスター、どの船を選択しますか?」
『フランベルジュ』のメインスクリーンに星系内回線がオープンになっている付近の船舶一覧が表示された。
「ラーニア、ちょっとこっちで、見てほしいものがある」
「ん?」
トコトコと補助席から操縦席までくると、ラーニアが子猫のようにスルリとケントの膝の上に滑り込んだ。
「ラーニア、ズルイです!」
「寝てるノエルがわるい、それに、一度操縦席に座ってみたかった」
「もめるのは後にしろ。ラーニア、このリストの中で、お姉さんに電話をかけて出て貰えそうな会社の船はいるか?」
適当にハッキングしてもいいが、できれば電話に出てもらえる可能性が高い回線の方がいい。商売でつながっている船があればラッキーだ。
「これ」
「火星船籍、ロイヤル・サファイア?」
「うん、お父様のプライベートシャトル、今はアルフレッドが乗ってる」
殺されかけたのだから当然とは言え、叔父を『アルフレッド』と呼び捨てた時の、言葉の冷たさにケントは息を飲んだ。
「ノエル、ラーニアが指定した船をハッキングしろ」
「アイ、マスター」
嬉々として返答するノエルにラーニアが目を丸くする。
「船をハッキング? ウソでしょ?」
「セキュリティBの民間船のシステムをハックするなんて、オムレツを作るより簡単です」
「ケント、ノエルって何なの?」
「ケンタウルスの亡霊さ」
ウィンクしてケントはラーニアの頭にポン、と手をのせた。
「ロイヤル・サファイアのサブ・コンピューターを制圧開始…………」
「行けそうか?」
「
「……サブ・コンピューターを制圧、通信系に割り込みを開始、終了、
得意げな声で報告するノエルに、ラーニアが琥珀色の瞳をまんまるにする。
「アンジェラ・ボーフォートの携帯を呼び出します。……出ました」
ウィン、とサーボの音がしてコンソールのカメラがラーニアをアップにする。
「何かしら、アルフレッドおじさま? いま、私とーっても忙しいのですけれど」
スピーカーから、えらく剣呑な声が聞こえると、
「ごめんなさい、アンジェラお姉様、ラーニアです」
「ラーニア? 無事なの? おじさまと一緒なの? 大丈夫なの?」
「わたしは無事。いま親切な人がお姉様の会社まで送ってくれてます」
プツン、と画面が切り替わり、ラーニアと同じ銀髪に琥珀色の目の、だが、抜けるような白磁の肌の女性が映しだされる。
「ラーニア心配したのよ? 怪我はないの?」
「わたしは大丈夫」
「その船、サファイヤじゃないわね、今どこ?」
ちらりとケントを見つめるラーニアに、首を横に振ってみせる。この携帯が盗聴されている可能性は高い。
「この回線ではいえません」
「……」
その一言で、画面に映ったアンジェラの目が、すうっと細くなった。
「サファイアには乗っていないのね?」
「はい、姉様。アルフレッドは信用できません」
画面の向こうでアンジェラが当然だという顔で大きくうなずいた。見事なまでの嫌われっぷりにケントは苦笑いする。
「とりあえず、会社に詰めてるから。また連絡するのよ?」
「ええ、姉様、そっちに向ってるところ。あと今年はご挨拶、一日遅れになるけど、ごめんなさいって言っといて」
悲しそうにそう言ってから、ラーニアが目を伏せた。
「マスター、気づかれました」
「回線を切れ」
「アイ」
§
十五分ほどして、あたりに航路局の巡視船が居なくなった所で、ノエルが水色の髪を揺らすと、んんんっと、伸びをして立ち上がり、副操縦士席に座る。
「マスター」
「なんだ?」
膝の上からラーニアをどかしてケントはノエルに視線をうつした。
「なんで、ハッキングばれちゃったんでしょう? 完璧だったのに」
「アンジェラの携帯が盗聴されてた証拠だろう」
「ああ、なるほど……そうですね」
膝の上からどかされて、猫のようにすねた顔で、膨れ面をする少女の頬を人差し指でつつくと、ケントはコンソールに足をのせる。
「ラーニアは
「ケントは?」
「俺はこの椅子がいちばん落ち着くんだ、ノエル、着替えを手伝ってやれ」
気密スーツを一人で脱いだり着たりするのは、慣れないと難しい。
「行きましょう、ラーニア」
「一人で大丈夫なのに」
与圧空間の方が少ない殺風景な船内に、申しわけ程度に設けられた
「今のところ、軍警察も正式な発表はしてないようです、マスター」
「ああ、奴らの無駄に慎重なところを俺達が利用しているわけだがな」
「ノエル、ルートBの詳細図を頼む、最新の障害物の情報もだ」
さて、こっちが太陽系にやってきたのはもうバレている、あとは相手がどう出るかだ。ケントは胸ポケットからタバコを取り出し、くわえると火をつけた。
「マスター、コックピットは禁煙です」
「勘弁してくれ。子供がいるから、しばらく吸ってねえんだ」
「煙は故障の元なんですよ? マスターはわたしが壊れちゃってもいいんですね?」
文句を言いながらも、ノエルが空調をいじったのだろう、ケントの前方から風が吹き始め、後方へと紫煙が吹き流され始める。
「おまえ、なんだかんだで、優しいのな」
「えへへ、もっと頼ってくださっていいんですよ?」
そんな
§
「マスター、マスター」
「んん? なんだ?」
小惑星帯を突っ切って木星への最短航路を進むこと三十八時間、標準時間で夜中の三時、ノエルがゆさゆさとケントを揺さぶった。
「どうした?」
「光学観測で後方にゆらぎをみつけました、つけられてます」
「明かりを」
コンソールから足をおろし、ケントは航路情報と、レーダーをチェックする。十五年落ちとはいえ、元々が逃げ足と索敵勝負の
「電波はひと通り試しました、指向性のはやってません、気づかれてもダメだと思ったので」
「いい子だ、それで何で気付いた」
夜間を示すコックピットの赤い光が、徐々に白へと変わると、各モニターが一斉に光を取り戻す。
「だって、マスターがこれを」
「ん? ああ」
自分が襲うならどこか?を考えながら、いくつかのポイントに丸印を打った航路図がメインモニターに映しだされる。今居る地点は二番目に赤丸を打った地点だった、機動回避がしにくい小惑星の隘路だ、枝分かれした一番細い航路で、ほかに通る船もいない。
「すごいです、マスター、なんでここだってわかったんですか?」
「すごいのはお前だよ、あれを信じて、ずっと全天光学観測してたのか?」
「「だって、わたしは、電気があれば動けますし」」
スピーカーと
「「……それに、マスターが喜んでくれると、うれしいです」」
やれやれ……思いながら、ケントはコンソールと
「撫でるのは
「そういうのは先に言え! ノエル、ラーニアを連れて来い、できれば気密服を着せてやれ」
スピーカーからの声に、照れ隠しに大声をだしてケントはコキリと首を鳴らした。そもそも、何が狙いなのかで対応は変わってくる。
「アイ・マスター、いってきます」
呑気な返事をして、
「いずれにせよ、先に一発かまさせてもらうさ。機関出力最大、いつでも逃げ出せるようにしとけ」
「アイ・マスター」
スピーカーから聞こえる乾いた声を聞きながら、ケントはキーボードを叩いて、メッセージを打ち込む。
「レーザー通信、最大出力、ゆらぎを発見した範囲に連続送信」
「アイ、連続送信」
―― 頭をかくしてても、ケツが見えてるぜ、お嬢さん
「マスター、品が無いです」
「そりゃもとからだ、来るぞ」
「……光学迷彩の解除を確認、艦影、データベース照合、旧データに適合なし、ネット検索……該当率八七%、フェンリル級巡航艦です!」
軍事サイトのトップを先月飾ってたような、最新鋭艦がお出ましとは、そりゃまた大した歓迎だ。ケントはニヤリと笑って操縦桿を握りしめる。
「ケント、どうしたの?」
眠そうに目をこすりながらラーニアが現れた。
「鬼ごっこだ、揺れるから座ってろ、ヘルメットのバイザーを下ろして、ベルトを締めろ」
さあ、本領発揮と行こうか。
「逃げるぞ、ノエル、出力最大、一番めんどくさいルートでぶっ飛ばせ」
「アイ、マスター、全力で逃げます」
何ともしまらない台詞をはいて、ケントは木星を目指して加速を開始した。
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