ガニメデの妖精

見上げるは星空

「や……だめ……駄目です、マスター」


 ギシリとシートがきしみ、ノエルが身をひねる。


「じっとしてろ」


 リクライニングシートの上にうつ伏せになったノエルの細い肩をケントは押さえつけた。


「だめ! マスター、壊れちゃう」

「少し我慢してろ」


 切ない声を上げるノエルに、ケントは少し大きめのそれを少々強引にねじ込む。


「ああっ」

「よし、全部入った」

「ひぅ……」


 旧式のコネクターに差し込んだ変換器コンバーターが、シャッターと干渉しないのを確認して、ケントはノエルの頭をポンポンと叩く。


「うう、もっと優しくして下さい、壊れちゃいます」

「なんで有線接続ワイヤードなんて、旧式の規格使ってるんだ」

「高速演算するのに、無接触送電テスラ・ドライブだと電力が足りないんです」


 ぷぅ、と頬をふくらませるノエルに、ケントはわかったわかったと、手をヒラヒラさせる。


「お前の筐体ボディが高性能なのはわかった、でも高速演算は艦の方でやってくれ、そんな電力を家で使われた日には電気代で破産しちまう」

筐体ボディに充電するのだって、有線接続の方が早いんですよ?」

「副操縦席を有線接続ワイヤードに改造してやるから、それまで我慢しろ。ああ、艦の方の電気はいくら使っても構わないからな」


 ここ半世紀でメジャーな存在になった自己増殖型セルフ・プロパの光ニューロコンピューターは、AIの性能に依存して経験を積みながら成長してゆく。

 演算装置プロセッサとメモリーの機能を搭載したコアは、外部から供給される材料チップと電力を餌に神経樹ツリーを築き成長するため、ある程度別々の環境で育てられると、もはやそれは大量生産品とはいえない物となる。

 その学習能力は中々のもので、ノエルに乗っ取られる前の封鎖突破船ブロッケードランナー『フランベルジュ』のAIは、こと逃げ足においては全自動フルオートでもケンタウリ星系内に右に出るものは無かった。


「うぅ、マスターはいじわるです」

「そういう人間なんだ、あきらめろ」

「マスター……」


 水色のショートボブを揺らして、深い蒼色の瞳が、じっとケントを見つめる。


「?」

「……うそつき」


 プイとソッポをむいたノエルに苦笑いして、ケントは操縦席に腰掛け航路情報ナビゲーションをチェックする。

 行き先は星系外縁の鉱業コロニーのケンタウルスⅦ、積み荷は幹部用えらいさん生鮮食品ナチュラルと、リサイクルプラント用のタンパク質再合成粘菌だ。

 軽い気持ちで引き受けた気楽な星系内輸送。せいぜい、メシ代にしかならない仕事だが、ノエルの筐体ボディの慣らしには丁度いいだろう。


     §


 運ぶものが安ければ、当然、経費も削る事になる。経済巡航エコクルーズでケンタウルスⅦに向かっている『フランベルジュ』は、亀のような歩みで慣性航行を続けていた。


「マスター、マスター!」


 コンソールに足をのせ、操縦席をリクライニングさせて仮眠をとっていたケントは、ノエルにゆりおこされて時計に目をやった。

 人口の九割がコロニーに居住するケンタウリ星系には標準時間が存在する。星系時間で〇二三五時、ケンタウルスⅢを出港して十五時間、丑三つ時だ。

 

「救難信号です」

「救難信号?」


 夜間を示す赤い照明がふわりと明るくなると、全てのスクリーンが起動する。コンソールから足を降ろし、上体をおこしたケントの膝の上に、ノエルがちょこんと腰をおろした。


「これか」

「はい、信号は微弱、救難ポッドと思われます」

「付近に船は?」

航路情報AISにアクセス、付近に船影はありません」


 膝の上でケントを見上げ、えへへと笑うノエルの頭にアゴをのせ、ケントはスクリーン上で点滅する緊急信号エマージェンシー輝点ブリップをタップする。


「ビーコンによると遭難時刻は八時間前か、付近に残骸は?」

「アクティブで全周囲探査……、識別圏内に母船、もしくはその残骸は確認できません」


 ノエルの答えに、ケントはリクライニングさせたままのシートにもう一度ひっくり返った。


「脱出ポッド内の生体反応は?」

「レーザー通信回路開きます、確認シークエンス。コールドスリープモード、生体反応あり、生きています」


 近くに母船は居ない、残骸もない……救命ポッドだけ……。どう考えても厄介事の匂いしかしない……。


「俺達以外にアレを拾えそうなのは居るか?」

「本航路を航行中の後続船は、鉱石運搬船『タレル1』、最接近時間は十六時間後です」


 ノエルの回答を聞いて、ケントは目を閉じた。


 戦争の終わる前日、撃墜され、不時着したケンタウルスⅡの上で見た星空を思い出す。刻々と減る酸素残量オキシメーターを眺めながら、諦めと恐怖の間で見た冷たい星空を。


「何をしている?」


 胸に重さを感じたケントが目を開くと膝の上に座っていたノエルがケントに覆いかぶさるように顔を覗きこんでいた。


「マスター、怖い顔です」


 ったく……黒目がちな瞳で見つめるノエルの頭をポンと叩き、ケントは小さく一つため息をつく。


「船を寄せろ、救難ポッドを回収する」

「アイ、マスター」


 鎧のような船外作業服を着たケントが準備を済ませて貨物室カーゴベイへ行くと、与圧されていない貨物室に薄い気密服を着たノエルが立っていた。


「わたしも一緒にいきます」

「一人で大丈夫だ」

「船外作業の練習です、がんばって沢山マスターの役に立ちたいです」


 投げたボールを取ってきた子犬のような顔でいうノエルに、ケントはやれやれと肩をすくめると貨物扉カーゴドアを開いた。真正面、三〇メートル程の位置に救命ポッドが現れる。


「お前、すごいな」

「えへへ、もっと褒めて下さい、燃料もちょっとしか使わなかったのです」


 床を蹴り、背負った推進器スラスタで救命ポッドに近づいてゆくケントの胸にしがみついて、薄い気密服のノエルがそう言って笑う。呼吸するわけでは無いので別に着てなくても良さそうなものだが、ノエルいわくお肌に良くないらしい。


「オーケイ、ポッドの側面につけ」

「はい!」


 名残惜しげに見つめてから、ノエルが手を放し、推進器スラスタを吹かす。 


「おい、まて、どこにいく、推進器スラスタを切れ、星屑デブリになりたいか」

「ちょっと待って下さいこれ、勝手がちがいます」


 救命ポッドを飛び越して、あさっての方向に飛んでゆくノエルを、ケントは命綱を掴んで引き戻した。

 

「ほら、落ち着け、あんなデカイ『フランベルジュ』は好き勝手振り回せるのに、なんで筐体ボディで宇宙遊泳が上手くできないんだよ」

「艦とちがって、いっぱいスラスターついてないんですよ? なんでそんな自由に……」

「ベクトル調整を噴射でするからややこしくなる、体をひねれ、腕を振れ、なんなら艦に演算補助してもらえ」

「やです、一人でできます」


 艦と筐体ボディ、バカみたいに高性能な演算装置プロセッサが二つもあるのだから、並列処理すれば楽勝だろうに、かたくなにボディだけで何とかしようとするのは、ノエルの意地なのだろう。


「ほら、いくぞ、そこの取っ手を持て、噴射、二秒」

「はい!」


 それでも二分もしないうちに、ケントと二人、救命ポッドの反対側を抱えてバランスを取りながら『フランベルジュ』へ戻れるようになるのだから、大した学習能力だ。


 捕まえた救命ポッドを、『フランベルジュ』めざして押しながら、ケントは小さく見える二つの恒星に目を細めた。あの日、酷く冷たく見えた宇宙そらが今日はそう悪くない眺めに思える。


     §


「それで、ケントよ、こないだのリンゴは土産としては良かったが、今度のこれはなにかの?」

「なにって、見ての通りの救難ポッドさ」

わらわを土産があると、わざわざ港まで呼び出しておいて? 救難ポッド?」


 スカーレットの呆れた目が痛い。なんだろう、子猫を拾ってきたら元の場所に戻して来なさいといわれている子供の気分だ。

 もっとも、ポッドの中身は可愛げのないオッサンかもしれないが……思いながらケントはスカーレットを片手で拝む。


「墜とされた時に、ケンタウルスⅡで眺めた星空を思い出しちまってな」


 ケントの言葉にスカーレットの紅玉の瞳孔ひとみが細くなる。ふむ、とうなずいてから肩をすくめ、後ろに控えているアンドロイドのリディを振り返った。


「リディ、事務所の倉庫に運んで藪医者ドクをよんでやれ」

「恩に着る」

「たこうつくからの?」

「ああ、わかってる」


 転移門ゲートのおかげで、コールドスリープが移動手段として使われなくなってから二世紀、事故発生時の漂流手段としては有効なので、技術喪失ロストはしていないが冬眠からおこすのに失敗すると即死するのは、黎明期と変わらない。


「ノエル、リディを手伝ってやれ、俺はスカーレットにもう少し話がある。」

「うぅ、やっぱりマスターはちっちゃい子が好きなんですね?」

「なっ……」

「そうなのかやケント? 早ういうてくれればよいのに」

「マスターのばか、ロリコン!」


 ちらりちらりと振り返りつつ、しぶしぶと言った体でノエルが『フランベルジュ』にむかって駆けてゆく。


「難儀なお人形を手に入れたもんじゃな」

「嫉妬深い以外は優秀なんだがな」


 頼む以上は、わかっていることは伝えておいたほうがよいだろう。ケントは手首の通信機コミュをタップすると、スカーレットにポッドから得られた情報を送る。


「太陽系、木星船籍『ユニコーンⅡ』とはの、これはまた」

「知っているのか?」

「ああ、妾のヨットがあるじゃろ?」

「あの、クソ豪華なやつな」


 スカーレットの宇宙ヨットは、一度招かれて乗ったことがある。大きさで言えば『フランベルジュ』の二割増ほどの大きさで、よくもまあというほど無駄に豪華なという船だ。


「あれを買う前にオークションに出ておってな、欲しかったのじゃがの、競り負けた」

「いくらで?」

「二二〇億クレジット」


 ニヤリと八重歯を見せてスカーレットが笑った。


「……中古の巡洋艦が買えるな」

「妾が参加したのは一二〇億クレジットまでじゃよ?」


 まったく、金持ちってのはよくわからん。思いながらケントはポケットから小さな包を出すとスカーレットに手渡した。


「なんじゃ?」

「ルベライト鉱石、ケンタウルスⅦじゃ鉱石くらいしか土産はないからな」


 ガサガサと無遠慮にスカーレットが紙の包みを開く。


「ふむ、綺麗じゃな、カットしてピアスにでもするかの」

「高いもんじゃなくて申し訳ないがな」

「お人形に叱られはせんかの?」

「あいつの分も買わされた」

「それはそれは」


 救命ポッドをトレーラーに積み終わったのだろう、ほめてもらおうと子犬のように駆けてくるノエルの胸元で光るアイオライトのネックレスを見ながらケントはため息をついた。


 昼飯はホットドッグにしよう、うんとマスタードの効いた奴がいい。あとは濃いコーヒーが欲しいところだ、シェリルの店で昼飯をくおう。


 じゃれついてくるノエルを片手でいなしながら、昼飯に思いを馳せるケントの隣を、宝箱かそれとも、怪物ミミックか、救命ポッドを積んだトレーラーが走り抜けていった。

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