第四話 私にも帰れる場所があると、その男は言った。

「貴方、どうしてその名前を……」


 浅倉アリアという名前は、もはや忘れられた名前のはずだった。

 この世界に来てから、アリア自身も含めて、誰もその名を口にすることなどなかった。


「アリアだと? 貴様、何を言っている!?」


 一方で面食らったのは騎士たちである。

 自分たちの知らない聖剣姫の名前を、こともあろうかこのわけのわからない男が呼んだのだ。

 しかし、既にゴーウェンとトリスティはその男に敗れ去り、騎士の誓いゲッシュの抜けた後遺症もありただ悔しそうに睨みつけるのが精一杯である。

 だが、もうひとりの騎士は違う。

 湖の女神からもたらされし神剣アロンディズを抜き放ち、壮烈な歩みでモービアと自称ケイウスの間に立ちふさがる。

 最強の騎士と謎の男が静かに対峙する。


「モービア様を奇怪な名で呼び、さらには、我らが聖剣姫の騎士団を侮辱した。これを見逃しては騎士の名折れ。よって貴様を私の敵とみなし、ここで斬り捨てる。貴様がどんな魔法を使っているかわからんが、私と、この神剣アロンディズは他の連中とは違うぞ」


 その自信を裏付けるのは、ランスローの手に握られた青白い光を放つ剣である。

 神剣アロンディズ。

 湖の女神の加護によって守られたこの剣は、あらゆる魔を弾き、すべての妖を切り伏せるという。

 数多の戦場で勝利をもたらしてきた、まさに最強の騎士にふさわしい最強の剣。

 その剣を前にしては、さすがの自称ケイウスもこれまでと違い、どこか気圧されているかのようであった。


「うーん、その剣、どうも苦手な雰囲気がするんですよね。あからさまに許諾魔法対策パーミッション殺しって感じで。しかもゲッシュの搦手も無理と来た。まあでも、こちらもやらねばならないこと高い報酬の仕事があるんで、いいですよ、受けて立ちましょう」

「ふん。いつまでその強気な態度が持つかな。見ていてください、モービア様。我が騎士の誓いゲッシュ『必ず勝利する』に賭けて、この無礼者をアロンディズの露と変えて見せましょう」


 それを現実のものにすべく、ランスローの切っ先がケイウスに襲いかかる。

 その剣は疾く、鋭く、そして強い。

 剣閃が奔り、必死に回避を試みる自称ケイウスのローブに裂け目を作る。


「うわっと、危ない。こりゃローブがなければ即死だったかな。しかも呪文耐性対象にならずこの剣の速さ先制攻撃だからな。やっぱり俺がいちばん苦手なタイプってわけか……。困るなあ、ほんと困る」

「まだそこまで口が回るとは、随分と余裕のあることだ!」


 さらにランスローの剣が自称ケイウスに降り注ぐ。

 しかしその戦いを見ていて、アリアは一つの違和感を覚えていた。

 確かに戦い自体はランスローの一方的な攻勢であったが、それでも、自称ケイウスはローブこそかなり切り裂かれたものの、彼自身はまだほぼ無傷といっていい状態である。

 逆にいえば、これだけ攻めているにも関わらず、ランスローはまだローブしか斬れていないのである。

 これではトーナメントの騎士たちの戦いとまったく同じ流れだ。

 その違和感にはランスロー自身もすぐに気付き、踏み込みを変え、剣の軌道を変え、攻撃のリズムを変えて致命的な一撃を狙おうとする。

 だがそのどれもが、やはりローブによって阻まれているような状況であった。


「……なるほど、どうやらまずは貴様より先にそのローブ自体を切り刻まないといけないらしいな……」

「うーん、さすが最強の騎士、もうバレれてしまいましたか。でも、なんとか時間稼ぎは完了しマナと手札は整いましたから、今度はこちらの番ですよ」


 その言葉と同時に、ケイウスはさっと間合いを離し、すぐさま懐から取り出した一枚の札を掲げてみせる。


「『全ての魔法具よ還れリコール』」


 ケイウスの声が二重に聞こえかと思った次の瞬間、ケイウスのローブやランスローのアロンディズが、音もなくどこかへと消えてしまった。

 手の中から突如質量が消失し、ランスローは思わず動きが固まってしまう。


「なっ?」

「ああ、ご心配なく、神剣は鞘の中にあります還っただけですよ。ただまあ、ありがたーい剣のご加護はもう今は全部消えていますけれど。というわけで……」


 同時に、自称ケイウスの顔には勝利の笑みが浮かび、さらにもう一枚の札が彼の手で輝く。


「『捕獲されよキャプチャー』」


 そしてそこから伸びた光がランスローを包み、それが彼の身体を地面へと縛り付けた。


「なっ、なんだこの力は……ぐっ……」

「これで勝負あり、あなたの負けですよ、ランスロー殿。それとも、その状態でもまだ続けますか? それならそれで構いませんが」


 身動きも取れず地面に転がったランスローを見下ろしながら、ケイウスが勝利宣言を投げかけてくる。

 抵抗しようにもランスローは身体を動かすこともできず、腰にぶら下がったアロンディズに触れることさえままならない。


「ま、まだだ……」


 それでも、騎士の誓いに賭けて敗北など認められない。

 だが、今の彼にはその声を絞り出すことすら精一杯だ。

 そんなランスローを横目に、ケイウスはアロンディズへと手を伸ばす。


「ほほー、なるほどこいつはいい剣だ。これは今後の仕事で使わせてもらいコレクションに加えておきますかね」

 

 そう言いながらケイウスはアロンディズになんらかの札を当て、その後、そのまま無造作に聖剣を地面に放り投げる。

 転がった先は、今のランスローにはどうあがいても届かない場所だ。

 目に見えてこそいるが、彼の元からアロンディズは失われたのである。

 それを悟った瞬間、誓い破りの罰が彼を蝕む。

 まさにそれこそが、彼が敗北したなによりの証明であった。



「まあ、勝負もついたことです。彼のゲッシュも解除してあげてもいいんじゃないですか」

「あ、ええ……」


 苦しむランスローを見ていられず、言われるがままアリアはタブレットでランスローの騎士の誓いゲッシュを解除する。

 それでも彼はまだ地面に縛られたままであったが、少なくとも誓い破りの苦悶からは開放されたようであった。


「はい、お疲れさまでした。これにて三騎士全員のゲッシュが解除となりました」

「えっ……」


 自称ケイウスの顔に浮かんだ意味深な笑みに、アリアは思いがけず声を上げてしまった。


「いや、ずっと待っていたんですよ。これでやっとあなたを連れ戻すこと俺の仕事ができる」

「連れ戻す? そうだ、貴方はいったい何者なのです? 少なくとも、ケイウスなどではないでしょう。私のあちらの世界での名を口にできるということは、貴方は以前の私のことを知っているのですか?」


 アリアのその問いに、自称ケイウスは小さく首を横に振る。


「うーん、まあ知っているといえば知っている書類の上でだけって感じですかね。さっきも言ったように、俺はあんたを連れ戻しに来たんです。時空のおっさんって、聞いたことあります? いや、俺はおっさんではないけれど」

「先程から連れ戻すって、いったいどこへ行こうというのです?」

「そりゃもちろん、日本ですよ」


 彼はこともなげにただそう言った。


「えっ、日本って……、今さら、どうやって……。そもそも、浅倉アリアはあの時の事故でもう死んだんじゃ……だからこうして転生を……」

「ところがどっこい、死んではいなかったんですよ、これが。医療技術もさることながら、最初から仕組まれていた転生だった向こうが殺す気がなかったのが大きい」

「仕組まれていた……転生?」

「そう、仕組まれていたんです、あの事故自体が。あんたをここに転生させるために最初から準備されていたんです。心当たりがあるんじゃないですか、例えば、周到に用意されていたチートアイテムとか。まあ、おかげでこっちもだいぶ楽になったんその過去ログを覗き見させてもらったんだけど」


 的確にそのキーワードを出されて、アリアは思わず言葉をなくす。

 考えてみればなにもかも都合が良すぎたが、まさか自分がこの世界にいた事自体が、最初から何者かの手のひらの上だったのか。

 

「しかしそれならどうして、元の世界の私を殺さなかったのですか?」

「そりゃ当然、最終的には元の身体に戻すつもりだったからでしょう。俺ではなく、その、転生を仕組んだ首謀者がですが。まあその頃にはあなたも、立派な工作員便利な手駒になっていたことでしょう」

「工作……員……?」


 思いがけない言葉に、アリアは思考が追いつかなくなっていた。

 すべてを忘れてモービアとして生きてきたはずなのに、浅倉アリアの最期が怒涛のように押し寄せてきているのだ。


「そこはあまり掘り下げないようにしておくその話はやめやめとして、いずれにしても、あなたは元の世界に帰ることになるわけです。なにしろ向こうには、生きているあなたを待っている人がいる。俺はそのために来たからわけですから」

「私に、待っている人なんて……」

「そのへんは俺の口からななんとも言えませんが、詳しくは戻ってから調べてみるといいんじゃないですか」


 自称ケイウスにそう言われても、アリアは誰も思い浮かばなかった。

 誰一人、自分のことなど待ってなどいない。

 だが、自分に戻ってきてほしくない人間ならひとり浮かんだ。

 大学のサークルの紅一点の座から自分を引きずり下ろしたあの後輩の顔だ。

 いつだって私を追い出そうと、なにかとちょっかいを掛けてきていた。

 私という目障りな瘤がなくなったことで、さぞかし楽しくやっていることだろう。

 そこに舞い戻って、彼女の狼狽する姿を見るのもいいかもしれない。

 思えば、このゲームも彼女から勧められて始めたものだったか。

 そう考えた時、アリアに一つ疑問が浮かんだ。


「ところで、私が元の世界に戻ると、この世界はどうなるのですか?」


 ここまで騎士団を引っ張ってきたこともあり、アリアとしても一応の責任を感じずにはいられない。

 それに、モービアのことも。


「さあ? それは俺の仕事の範疇では知ったこっちゃないので。ただ、これまでの経験から行くと、この手の世界は修正力が高いですバグにはパッチが当てられますからね。それこそ、が現れるんじゃないですか? ゲッシュを解除してもらったのもその一環ですし」


 一方の自称ケイウスの言葉は実に無責任なものだ。

 その口ぶりからして、ケイウスを名乗っているが、義理の妹であるはずの、ルリシアとはなんの面識もないのだろう。

 しかしアリアには、もうそれをどうすることもできない。

 ゲームは終わるのだ。

 

「それじゃあ、帰ろうじゃないですか、俺たちの世界へ」


 ケイウスがそう言って手を取ると、アリアの意識はそのままどこかへと浮かんでいきそうになる。

 ふと下と見ると、先程まで自分だったモービアが、漠然と立ち尽くしている姿が目に入ってくる。

 さようなら、私の愛した『私』。どうか幸せになってください。

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