第一話 ここはゲーム、私はヒロイン。そう決めた。

 は、モービア・ペンタゴンの15歳の誕生日にやってきた。

『私は、浅倉アリアである』

 突如その認識が頭の中に生まれ、そして、モービア・ペンタゴンの人格は浅倉アリアになった。


 浅倉アリアはかつて、現代の日本でごく普通の女子大生として生きていた。

 本人は自分がであるつもりだったが、実際には、そうではなかった。

 所属していたゲームサークルでは紅一点としてちやほやされていたのだが、新入生でもう一人女子部員が入ってきてからその状況は一変した。

 その新入部員は可愛くて、可憐で、賢くて、さらに気品と教養があった。

 そのうえ、なんでも日本でも有数の資産家の娘らしく、立ち振舞にもその片鱗が見え隠れしているのがアリアにもわかったほどだ。

 なぜそんな人物がこんなゲームサークルにやってきたのかはわからないが、それでも、彼女があまりにも特別な存在だというのは誰の目にも明らかだった。

 それまでアリアを構い持ち上げていた男子部員たちは皆その新入部員に流れ、アリアはサークル内でどこか浮いた存在になってしまったのである。

 一番彼女に気を使っていたのは、よりにもよってその新入生の女子だった有様だ。

 そんなこと、許されない。

 そして、そんな風にして追い詰められていったアリアを待っていたのが、あの事故であった。

 帰り道の、ヨボヨボの犬がいる家が印象的な交差点。

 普段は車の通りも少ない場所なのだが、あの日は突然、一台のトラックが飛び出してきたのだ。

 強い衝撃で意識が彼方へと吹き飛び、その後のことはほとんど覚えていない。

 だが、こうしてモービア・ペンタゴンになる前に、少しだけどこかでなにか話を聞いた気がする。



 トラックにはねられた衝撃の後、アリアがふと気がつくと、そこにはだだっ広い白い空間が広がっているだけだった。

 そのどこまでも続く白の中に、鈍く光る金色の身体を持った、巨大な竜の影が浮かんでいる。

 竜の影は、まるでアリアの心を読んだかのように、静かに語りかけてきた。


「おぬしは死んだ。トラックにはねられてな。ここはさしずめ死後の世界、といったところか。しかしお主には見どころがあるのでな。もう一度、別の機会を与えてやろうと思うのだ」

 ということは、この竜は神様なのだろうか?


「まあ、似たようなものだ。どれ、おぬしにはこれを渡しておこう」

 その言葉によって、アリアは自分の手の中に、一つの白く小さな四角い板があることに気が付いた。

 その板は一面だけが黒い鏡面となっており、その形状はまさにタブレットのようであった。


「うむ、使い方もおぬしの知っている通りのものだ。通話機能とインターネットは使えんが、他にも色々と機能があるのでな、充分に役に立つはずだ」

 その鏡面を押すと、表面、つまり画面に竜の顔と角をシンボル化したボタンが映し出される。


「それを押せば、我々の契約は完了する。おぬしは晴れて、新たな世界での人生を始めるというわけだ」

 その言葉にアリアは一瞬だけ迷い、それでもボタンに手を触れた。

 瞬間、世界が光に包まれ、自分の身体がなにかに飲まれていくのを感じる。 

 どこかへ流されるような、なにかが入り込んでくるかのような。

 溶けて、混ざり、自分が別の形になる。

 そして気がついたときに、浅倉アリアは自分がモービア・ペンタゴンであることを認識したのである。


 だがこうなる前から、浅倉アリアはモービア・ペンタゴンを知っていた。

 会ったことも話したこともないが、彼女はアリアのすぐ側にいたのだ。

 モービア・ペンタゴンは『サークルナイツ・ディスティニー』というゲームの登場人物で主人公のライバル、その中でもいわゆる悪役令嬢的なカテゴリーに分類されるキャラクターである。

 封印されし聖剣を抜いた少女である主人公ルリシアの前に立ちふさがる女性騎士であり、最終的には悪の力に飲まれて国に対して反旗を翻すラスボスとなる存在。

 アリアはそんなモービアに対して、複雑な感情を抱いていた。

 もちろん、描写だけを見れば完全な悪役であり、そこに同情の余地はない。

 だがゲームが始まる前まで騎士団の紅一点として必死に戦ってきた彼女の前に現れたのは、ただ聖剣に選ばれただけで全てを手に入れることを許された存在なのである。

 それはまるで、あの時の自分のようではないか。

 主人公自身はモービアを気にかけたようなことを言うのもあの後輩と被る部分もあり、ゲームをしながら常に堕ちゆくモービアに対して自分を重ねていた。

 公言などしたこともないが、どうすればモービアを救うことができるのか、そんなことを妄想した事もある。

 だが今は、自分こそがそのモービアなのだ。

 このままなにもしなければゲームのとおり、騎士団を裏切り国を破滅に導いた反逆者としての道が待っているだろう。

 そうはさせない。

 アリアには、その運命を変える意志と記憶と、そしてなにより力があった。

 あの竜の影から渡されたタブレットには、この世界で起こりうる出来事の情報を書き換えイベントとフラグを操作し全てを記録して過去ログを読むことができ人の感情を数値化してしまう好感度を自由に上下できるアプリが入っていたのである。

 それは、まさに文字通りのこの世界を改変する機能チートコードだ。

 この機能を知った時、アリアは躊躇なく世界を書き換えてやろうと決意した。

 ここがゲームの中の世界であると認識したのも、そのアプリの導きなのだろう。

 それならば、この第二の人生を究極のものにする。

『サークルナイツ・ディスティニー』を完全に乗っ取ってやるのだ。



『サークルナイツ・ディスティニー(以下CKD)』とは、知る人ぞ知る同人乙女ゲームである。

 主人公ルリシアは封印されていた聖剣を抜くことで救国の英雄に選ばれ。外敵から祖国ヴェリテアを救う戦いの中で騎士たちと絆を深めていき、やがて彼らと恋に落ちていくという内容だ。

 一応はアーサー王伝説を元ネタにしているのだが、実際はほぼ別物といっていい内容である。あるのだが、攻略対象である円卓の騎士たちの面倒くささとウザさ、そしてそれ以上の魅力にカルトな人気を誇っているのである。

 アリアも、後輩の女子部員に勧められて一通りプレイしてドハマリしてしまったのである。

 とはいえ、彼女はどうにも主人公が好きになれず、かといって騎士たちにもそこまでのめり込むわけでもなかった。

 それでも彼女がこのゲームに情熱を注ぎ込んだのは、最終的には悪役であり現在の彼女自身であるモービアにどっぷりとはまり込んだためである。

 そして彼女はいま、そのモービアを幸せにする権利を手に入れたのである。

 それは同時に、彼女自身を幸せにすることと同一でもあった。


 CKDにおいて、攻略対象とされるキャラは4人。

 1人目は理想の騎士であり、最強でありながら国に最大の問題をもたらすことになるランスロー。

 2人目は太陽の騎士と呼ばれ、王国の最古参の騎士として常に主人公を支えるゴーウェン。

 3人目は異国から来たとされる半人半妖の謎めいた騎士、トリスティ。

 そして4人目が主人公の義理の兄であるケイウスである。

 戦いの中で彼らとの絆を育むのがこのゲームなのだが、その裏で主人公とソリの合わなかったモービアが孤立を深めていき、やがて逆恨みから闇の力に飲まれ国を揺るがす反逆者となるのが大まかなストーリーの流れなのである。

 つまりモービア・ペンタゴンは破滅を約束された存在なのだ。

 アリアは必死になって考える、どうすれば彼女はこの逆境を跳ね除けることができるのか。

 これまでの妄想の結果を思い出し、一つ一つ手順を組み立てていく。

 まず排除しなければならないのは、主人公とその兄、ケイウスである。

 聖剣を抜いただけで突如騎士としてやってきた主人公が騎士団に認められることになったのは、主人公自身の力もさることながら、ケイウスの交渉能力と人を立てる力である。

 ケイウスの力添えによって、主人公は騎士団の中での足がかりを作っていくのだ。

 ではどうすればケイウスの介入を防げるのか。

 なに、根本的な問題から排除していけばいいではないか。

 

 そうしてアリアがまず向かったのは、主人公ルリシアが剣の乙女として選ばれる全ての元凶、神託剣キャリヴァールの突き立つ台座である。

 この剣を、主人公より先に抜いてしまうのだ。

 もちろん、本来ならモービアにこの剣を抜くことなど不可能だ。

 だが、アリアにはチートのアプリがある。

 剣を抜くことはできなくても、ならできる。

 森の中に据え付けられた剣の台座の周囲に人影はなく、ただカラスたちがそれを静かに見下ろしているだけだ。

 アリアはその剣の前に立ち、アプリ内部からそのフラグを見つけて操作する。

 するとその途端、強固に刺さっていた剣は、まるで支えを失ったかのようにその場に倒れてくる。

 神託剣キャリヴァールは剣の乙女を選ぶことを放棄したのだ。

 あるいは、のである。

 アリアはゆっくりと、その剣を手に取る。

 ゲームの中では決してモービアには持つことの許されなかった剣だ。

 だがこうやってその座から抜けてしまえば、もはやそれはただの剣でしかない。


 アリアはその抜け落ちた剣を持ち、近くに身を隠す。

 何事もなかったのなら、ケイウスのために剣を探しに来た主人公がここで剣を抜くイベントが始まるはずだ。

 それこそが『サークルナイツ・ディスティニー』というゲームのオープニングシーンである。

 だがもう剣はない。

 そして一人の少女がやってきて、台座に剣がないことに気づき、そのまま去っていく。

 それでいい。

 そうすれば、もう物語は始まらない。


 こうして、この世界の運命は大きく変わりはじめたのである。

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