第16話 嗣斗の覚悟


 花奈の世界、夜。

 御子柴家(序列2位)の屋敷付近。


『御子柴』の姓は、平民が最も憧れる家名だ。

 その家名は犬神家に嫁いだ平民の中で、神子の素質を持つ子どもを出産した場合にのみ与えられる。

 現在、御子柴姓は5つ存在し、生まれた神子の優秀さで序列1位から5位まで順位づけがされている。

 花奈の母親は序列5位の御子柴家出身だったが、花奈を産んだことで生家は序列1位になっていた。



「——こちらからお入りください」


 使用人は屋敷の塀を背にし、誰もいない道に向かってそう言った。

 そして、隠し扉を開けて中へ入る。


「お待ち申し上げておりました、犬壱嗣斗様」

 

 使用人は扉を閉めた後、頭を下げた。


 その先で1人の男が姿を現す。

 その男は、透明化の術を使っていた犬壱嗣斗だった。


「どうぞこちらへ」


 嗣斗は匿名の人物からこの屋敷に呼ばれており、緊張の面持ちで屋敷の中へ入っていった。




 嗣斗は案内された和洋折衷の広い部屋で待つことになった。

 自分を呼び出した人物の予想はついていたので、椅子には座らず、扉の近くで立ったままだ。


 しばらく待っていると、顔を白い頭巾で覆い隠した女性が1人入ってきた。

 服装からして、容易に高貴な人物だと推測できる。


 嗣斗はすぐさま深く腰を曲げ、その女性に頭を下げた。

 女性は10人用テーブルの奥の席につくと、「面をあげて良いぞ」と声をかける。


「はい」


 嗣斗は上座の席に向かって顔を上げると——そこには頭巾を外した王妃、犬神凛香が座っていた。


「凛香様、お会いできて光栄に存じます」

 

 この御子柴家は凛香の生家だった。

 花奈の義理母である凛香の御子柴家は長年序列1位だったが、花奈が生まれたせいで序列が2位に下がってしまった。

 そのため、凛香は犬神家に輿入れする前から花奈やその母親に対して憎しみの感情を抱いている。


「内密の話じゃ。近くに座れ」

「はい」


 深く一礼した後、嗣斗は凛香の左斜め前の席に座った。


「花奈の件は知っておるな?」

「口外は禁止されていますが、半年前から行方不明と伺っております」

「犬神家と其方しか知らないことになっておるが、このままではいつ公になってもおかしくない」


 嗣斗は黙って頷いた。


「国王候補筆頭の花奈の存在は、犬神家の将来を大きく左右する。最強術者だからこそ、何をしでかすかわからん」

「恐れながら……花奈は多くの民から慕われております。民を裏切るような真似は——」

「——妾の妄想に過ぎぬと?」


 凛香は嗣斗を鬼の形相で睨みつけた。


「申し訳ございません」


 嗣斗は慌てて頭を下げた。


「花奈と国王の親子関係は破綻している、と知っておるか?」

「いいえ、犬神家の内情までは存じ上げません」

「原因は花奈の実の母親、彩帆さほじゃ。彩帆は病死だと伝えられておるが、本当は……国王が抹殺したのじゃ」


 嗣斗は衝撃の内容に目を見開く。


「国王は彩帆を妻にした後、ずっと後悔していたそうじゃ。本当は妾を好いていてくれたからじゃ。契りが結べる相手は1人だけ。契約を破棄するには、結んだ相手か自分が死なねばならない……」


 凛香は間を置いて再び話し始める。


「我慢の限界だった国王は、妾を王妃として迎え入れるために独断でそのようなことを……。それを1年ほど前に花奈は知ったようじゃ」

「では、行方不明の原因は……」


 凛香は悔しげに頷いた。

 

「花奈の失踪は妾にも責任がある……。花奈には申し訳ないことをしてしまった。実は、国王しか知り得ない情報なのだが……花奈はどうやら異世界に渡ったらしい」

「——まさか……。そんなことが可能なのですか?」


 嗣斗は知らないふりをした。

 花奈が行方不明であることを知らされてから独自の手段でその情報を得ていたが、現在は異世界に渡った式神と交信が途絶えている。

 追加の情報は喉から手が出るほどほしい。


「得た情報によると、花奈は犬神家を滅ぼそう、と考えているようじゃ。異世界で術者の仲間を集め、攻めてくると……」

「まさか……。復讐を考えたとしても、花奈は国王になればどうにでもなることでは?」


 嗣斗には凛香の言うことが信じられなかった。

 民の幸せを心から願っている花奈をよく見ていたからだ。


「人は変わる。愛する母親の死の真相を聞けば、心変わりすると思わぬか? 何が起こるかわからない今、異世界の扉を完全に封じ、あらゆる危険性をなくすことが最も重要なことだとは思わんか?」


 凛香は鋭い視線を向ける。

 これ以上の意見は許されない、と嗣斗は察した。


「凛香様のおっしゃる通りだと存じます」


 凛香は満足げに頷いた。


「婚約者であるできないことを命じたいのじゃが……」

「なんなりと」





 翌日。


 嗣斗は人里離れた森に来ていた。

 凛香からもらった巻紙を開き、それを手本にして魔法陣を地面に描き始める。


 ——花奈、待っていろ。


 嗣斗は花奈を必ず改心させて無事に連れ帰ってくることを心に誓い、魔法陣に妖力を注ぎ込んだ。


 すると——。


 円形の黒い扉が地面から盛り上がるように出現した。

 中央を2つに分断するように光の線が出現し、ゆっくりと両扉が開く。


 そして、嗣斗は震えながら暗黒の闇に足を踏み入れた。



 閉まった扉の向こう側では——。


『ゔあー! あ゛ー! あ゛ーーー!!!』


 嗣斗は暗黒空間の中で苦痛の叫び声をあげていた。


 凛香が渡した魔法陣は異世界へ渡るためのものだったが、ある術が付加されていた。

 それは異空間を渡り、異世界で妖術を問題なく行使できる体に変えるための術——自分の体を捨て、妖魔になることだった。

 嗣斗はそれを覚悟した上で凛香の命令に従っていた。


 すべては花奈のために——。


 ——花奈は俺を一度も見てくれなかった。俺のものにならないことはわかっていた……。それでも、俺は花奈を苦痛から救いたい。成功したら、俺のためだけに笑顔を向けてくれるか? 花奈、俺と一緒に帰ろう……。


 変わり果てた姿になった嗣斗は、そんな思いを抱きながら異世界へつながる扉を開けた。

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