第17話 夕翔の野外訓練


 犬神家屋敷、凛香の部屋。


「——母上、私が試作した魔法陣をどうされましたか? 私の金庫に戻されておりませんので……」


 凛香に話しかけたのは娘の伊月いづきだった。

 花奈の義理の妹にあたり、国王候補第2位の神子だ。

 花奈の圧倒的な妖術で霞んでしまっているが、現在の国王と同じくらいの実力は持っている。


「犬壱家の嗣斗さんから助言をいただくためにお見せしたところ、試してみたい、とおっしゃいましてね。試作品だったので差し上げましたよ」


 凛香はそう言うと、微笑みながらお茶を一口飲んだ。


「なんてことを!? あれは危険なものです! 万が一使ってしまったら……。魂をもたぬ者にしか対応しておりませんのに……。いますぐ止めに行かないと——」

「——手遅れです。嗣斗さんはすでにあちらへ渡りましたよ。愛する花奈のために」

「まさか、そそのかしたのですか!?」

「人聞きの悪いことを……。私はただ、花奈が1人で苦しんでいる、と伝えたまで。彼は自ら望んであなたの魔法陣を使ったのですよ」

「そんな……」


 伊月はあまりのショックで口を押さえる。


 ——嗣斗様が姉上の行方不明の原因を探っていたのは知っていたけど……。ここまでするなんて……。


「伊月、花奈はもう国王にふさわしい人物とは言えません。あなたが適任よ」


 ——まただ……。


 伊月は目に涙を浮かべ、怒りで体を震わせる。


「——母上はいつもそのようなことばかり……。もうそんな話は聞きたくはありません! 嗣斗様や姉上がこんなことになったのは、母上と父上のせいです!」

「伊月!」


 伊月は部屋から出て行った。





 犬神家書庫。


 伊月は急いで嗣斗を救うための方法を探していた。


 ——嗣斗様を早く救わないと……。このままでは心まで妖魔に……。


 伊月の目から、涙がぽたぽたと落ちる。


 ——嗣斗様は姉上に執着しすぎている。姉上を想いすぎるあまり、性格まで歪んで……。私はずっとそれを見てきた。私はあなたが妖魔になったとしても、あなたへの想いは変わりません。今しばらく、ご辛抱ください。私が必ずお救いいたします……。



***



 日本、犬神山。


 花奈と夕翔は、早朝から花奈の転移術でこの山に来ていた。

 2人が住む街から遠く離れた場所で、近くに誰もいないことは確認済みだ。

 誰も立ち入れないように結界も張り終えている。


「——花奈、なんでこんな遠くの山にしたんだ?」


 夕翔は寒くて腕を抱えていた。


「私の名前が犬神花奈だからだよ。あとは、私の追っ手に邪魔されたくないからかな」

「ふーん……」


 夕翔は生い茂る木々の隙間から薄暗い空を見上げた。


 ——不思議な山だな……。ここにいるだけで浄化されるような……。


 夕翔はそう思いながら息を大きく吸った。

 夕翔に抱っこされたモモも目を瞑って深呼吸をする。


「2人とも、感じてるみたいね」

「ん?」

「この山、ゆうちゃんの妖力と相性がいいの。妖術の練習場としては最適だよ」

「へー、だからこんなに気分がいいのか。自然がいっぱいあるからだと思ってたよ」

「妖術ってね、自然現象を応用したものが多いの。風や水の流れ、植物のいぶきとか……そういうものを直に感じられる場所で練習する方が上達は早いんだよ」


 夕翔は頷いた。


「そういえば、妖力の性質って人によって違うんだよな?」

「うん」

「なんで俺と花奈はそれがそっくりなんだ?」

「わからない。ゆうちゃん以外にそんな人と出会ったことないんだよね。他に聞いたこともないし。イツの卵でゆうちゃんの体が完全に良くなったのは、それが理由だと思う。不思議だよねー」

「そっか。俺たち、運命の相手なんだな」

「うん! 相性は最高なんだよ!」


 花奈は嬉しそうに笑みを浮かべた。

 その笑顔があまりにも綺麗で、夕翔は抱き寄せてキスをする。


 ——この笑顔を俺はずっと守りたい。


「俺……今はまだ未熟だけど、きっと花奈を守れるような強い男になるから。辛い思いも悲しい思いもさせない」


 額を合わせたまま、夕翔は熱い思いを語った。

 花奈は胸が熱くなり、嬉しさのあまり目に涙を浮かべる。


「ゆうちゃん、ありがとう。大好き!」


 再び2人は唇を合わせた。


 ——大好きな人からそんなこと言われるなんて、私は幸せ者だな。ゆうちゃんといるといつも楽しくて、幸せで、辛いことみんな忘れられる……。


 2人に気遣って式神たちは花奈の背中に隠れていたが、モモは隠れている理由がわからず、飛び出そうとしていた。

 すぐにフウに捕まり、口を押さえられるが……。


『んー、んっ……』


 モモのモゴモゴ言う声が2人に届く。


「えっと……そろそろ、妖術の訓練をしようか」


 花奈とキスしたいあまりに式神の存在を忘れていた夕翔は、慌てて花奈から体を離した。


 ——俺、恥ずかしげもなく式神たちの前で……。花奈の前だと注意力散漫になるな……気をつけよう……。


 顔を赤くする夕翔を見て、花奈は吹き出す。


「ふふふっ、了解!」

「モモ、俺の中に入って」

『はーい!』

「時間が許す限り、片っぱしから妖術を経験してもらうね。モモ、ゆうちゃんの制御を任せた!」

『了解、ママ!』

「体慣らしに追いかけっこしようか。私が作り出した幻影に捕まったら、ゆうちゃんの負け。いい?」


 ——鬼ごっこだな。


「いいよ」

「じゃあ、幻影作るね〜」


 夕翔は花奈が作り出した幻影を見た瞬間、顔を真っ青にした。

 それは、まさに『鬼』と言って差し支えない容姿だった。

 殺気に満ちた黄色い目、人を食いそうな裂けた口、長い黒髪から出ている赤い角、筋肉質で灰色の体……夕翔は鬼の中でも最悪の部類に入ると考えていた。


「……花奈、これなに?」

「ん? 中級の鬼型妖魔だよ。私から受け取った記憶で知ってるでしょ?」

「よく考えればそうだな……。でも、実際に見てないから空想上のものだと思いこんでた」

「そっか。この妖魔は私が子供の頃、妖術訓練に使ってたの。ゆうちゃんの場合は幻影だから安心でしょ?」


 花奈は腰に手を当て、ニコニコしながら話す。


「別にこれじゃなくてもいいよな? 犬とか、もっとかわいいものとかの方が……。俺の世界に当てはめると、追いかけ役は花奈になるのが普通だぞ」

「それでもいいんだけど、ゆうちゃんのために妖力は温存しておきたいんだよね」

「それもそうか」


 夕翔は肩を落とした。


「今後のために慣れた方がいいよ。怖くて戦えなかったら、私を守れないでしょ?」

「……そうだな」


 夕翔は「花奈を守る」と宣言しておきながら、すぐに尻込みする自分が情けなくなっていた。


「大丈夫だよ。運動能力や妖術の実力が伴ってくるまで、モモが判断して動いてくれるから。これはモモの訓練にもなるんだよ」

「……わかった。がんばるよ」


 夕翔は顔を引き締め、真剣な顔つきに変わった。


「ゆうちゃん、かっこいい〜」

「からかうなよ……。今の覚悟が台無し」


 夕翔は眉根を寄せていた。


「えー、本当のこと言っただけなのに」

「はいはい……。そろそろ、訓練開始してくれる?」

「了解。じゃあ、始め!」


 夕翔はモモの制御で空高く上空へ飛び上がった。


『ヴォー!!!』


 鬼型妖魔は恐ろしい雄叫びをあげ、夕翔を追いかけ始めた。


「こわっ!? モモ、絶対捕まるなよ!」

『任せてパパ〜。きゃはははっ!』

 

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