16.「もとから意志のあるものには、入り込めませんよ。だからレプリカには入り込めない」

 三人ともが息を呑む。そんな話聞いたことが、ない。


「……そんな馬鹿な」

「わたしは彼らの目を盗み、マスターの――― クム・ダールヨン博士の研究室に居た少女型のメカニクルに取りつきました。そしてそこで生存するのに最もふさわしい形を取った。すなわち、そのメカニクルとの共存です。わたしは彼女になり、彼女はわたしになる。わたしを取り込んでしまったことで、彼女は『意志』を持ち、わたしは彼女の意志に協力すべく彼女の中を作り替えていく。彼女はただ盲目に服従していたマスターを、本当に愛し始める」

「そう言っているお前は、どうだったんだ」

「わたしは、彼女です」


 シファは――― シファの中のデザイアは、迷うこと無く言う。


「わたしは彼女と共に生きるべく、最適な形を取るものです。彼女がそう思うのなら、わたしも思うようになっていく。そういう生物なのです」

「じゃ彼女が忘れてしまう、というのは」


 藍地は訊ねる。


「あれは、わたしがすることです。全く消してしまう訳ではない。だけど一時的に、記憶を封鎖する。そうしなくては、彼女の回路が保たない」

「シファはお前が居るのを、知っているのか? デザイア」


「何か、が居ることは理解しているでしょう。ただそれが何であるか、は彼女は知らない。理解しない。知ることは彼女の回路にとって決して良いことではない」


 確かに、と朱明は思う。知らなくて済むなら、知らないで済ませたい類の話だ。


「ではデザイアの君に聞きたい」


 何でしょう、と彼女は藍地の方を向く。


「……最近出てきたメカニクルの中にも恋愛沙汰を起こすっていうのは」


 シファのデザイアは、軽く目を伏せた。


「おそらくは、わたしと同様のデザイアが、合成花の形よりもその方が自由になると踏んだのでしょう。わたしは研究室から抜け出す手段として取りましたが」


 彼女は言いごもる。


「中には花の形で生きる方がいいという者も居る訳です。我々は枯れた擬態を取ることもできる。だが実際の寿命は、生花よりもはるかに長い。枯れた擬態、実を付ける擬態をして、また別の方法を模索する者もいる。その中で、花として捨てられた者が、メカニクルに入り込むこともあり得る訳です」

「とんでもない奴らだな」

「もとから意志のあるものには、入り込めませんよ。だからレプリカには入り込めない」


 ぴく、とハルの肩が動く。


「そうでしょう? ハルさん」

「……」


 ハルは黙っている。朱明は何やらまた、あの形の無い不安が自分の中に溜まるのを感じていた。

 そして、そう黙り込んでしまった時のハルからは、彼はまるで何も読みとれないのだ。

 ハルはもともと自分の本当の感情を隠す傾向がある。無理に笑っていることは無くなったが、それでも時折、何を考えているのか判らない時はあるのだ。

 そして。


「……なあデザイア」


 ハルはおっとりと口を開いた。やっぱりその表情からは、何も読みとれない。


「とりあえずはシファと変わってくれないかなあ? あそこへたどりつく一番簡単な道が判らんのは困るし」


 そうですね、とデザイアは言って一度目を閉じた。そして次に開いた時には、その目はシファのものに変わっていた。

 ハルは何ごともなかったかのように、道が見えないから車が止まっているんだ、と説明し、彼女に問う。

 道と言える道は実際にはない。その場合の道は、車が通れる場所と言ってもいい。


「今向こう側に太陽が見えますよね」


 淡い色の空に、地球で見るより柔らかな光の、小さな太陽が浮かんでいる。

 当然気温は低い。大気こそ開発の中で次第に濃いものと変わってきつつあるが、気温まではそう簡単に変わる訳ではないのだ。

 窓を開ければ、そこからは冷たい風が入ってくるはずだった。人間はまだ、外では簡易エアマスクが必要だった。


「ですから、その反対側にアンテナを向けてください」


 藍地は言われた通りにアンテナの向きを変える。すると、それまで無反応だったモニターに、光点が音も無く点いた。


「これ?」

「はい。この方向がこのあたりなら、一番静止衛星と感度がいい筈です。もうここまで来れば、この付近で感知されるのはわたしたちの場所だけですから、その中で……」


 先ほどまで、共生する何かと入れ替わっていたとは思えないほど、あっさりと彼女は説明をする。手を伸ばし、細い指先で端末を操作すると、モニターの光点に向かって、幾つかの道が描き出される。

 車は再び動き出す。車輪が砂に軽くはまるらしく、時々動きが鈍くなる。

 そしてその後部座席から、朱明は腕を組んで相棒の反応をうかがっていた。ハルは助手席で、ぼんやりと窓の外を眺めている。

 傍目には、何ごとも起こっていないように見える。変わらない表情、変わらない声音。だがそんなもので朱明はだまされなかった。

 その昔、彼らのもう一人の友人は、朱明に言った。

 ハルさんは、一番大切なことは、一番大切な当事者には、絶対言えない奴なんだ。泣かない人じゃん、昔っから。だからその代わりに笑うんだよ。嬉しい時にも笑うけどさ、泣きたい時にも笑うんだ。

 自分は基本的には鈍感な奴なのだ、と朱明は知っていた。我が道を行くタイプを長年続けていくと、人が何を思っていようと気にしなくなってしまう。またそれでなくてはやっていけなかった。

 だが、そう友人に言われてからは、自分の相棒に関しては、よく見てきた。見てきたつもりだった。

 そしてそんな視線の先で、ハルは何かを隠している。もしくは、知らない間に隠している。前者ならいい。言いたくないことなら、言わなくてもいい。ただそれで相棒が苦しいのだけは、朱明は嫌だった。ただ後者だったら。

 知らない間に隠しているのだったら。

 それは、彼の中で引っかかる何かとリンクする。

 だから、そうあって欲しくない、と彼は思っていた。同時に、その引っかかりの答えを、見つけたかった。

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